「はい」
目の前に差し出されたのは1枚の関係者チケット。来月に控えたイギリスでの公演のものだ。
「え?俺今回誰かに渡すって言ってたっけ?」
きょとん、と元貴の顔を見返すと、彼は意味ありげに笑みを浮かべる。
「いまイギリスの大学に勤めてるんじゃなかったっけ、黒田さん」
あぁ、そういえば今年の年賀状にそんなこと書いてたっけ。シュンは結局ドイツの大学院に博士課程まで在籍した後、今はイギリスの大学で研究員をしているらしい。空港で別れたあの日以来、直接会う機会はなかったが、お互い近況報告を年に2~3回程度する仲で、元貴もそのことは知っている。いつもしゃれた絵葉書で来るのを「気取ってら」とちょっと嫌そうな顔をするのが面白い。
「そうだけど……いいの?」
確かにイギリスでのライブが決まった時、ちらと彼の顔が浮かんだが、元貴はいい顔をしないんじゃないかなんて勝手に思っていたのだ。
「ちゃーんと涼ちゃんがいっちばんよく見える特等席にしとくから絶対に来てくださいって俺が言ってたって伝えといて」
「えぇ……いいのに。来たければ勝手に来るよ」
「ちょ、そんなに簡単にチケット取れないから!自分のバンドなんだからそれぐらい把握しててよ!それに、俺が渡したいの」
限られた関係者席のチケット。元貴だって渡したい人は大勢いるだろうに、彼の行動はたまによく分からない。ふうん、と頷いて俺はチケットを受け取る。
「それに、本当の特等席は俺のものだからいいの」
そういって元貴は、座っている俺の背後から首に腕を回すようにして抱き着く。その手首にはタンザナイトがあしらわれたブレスレットが光っている。もう10年近く前に俺が彼に誕生日プレゼントとして贈ったもので、学生時代に買ったものだから安物なのだが、「初めて涼ちゃんからもらったプレゼントだから」と言って未だに事あるごとに身につけてくれている。
「こういうこと?」
俺を抱きしめている腕をつつくと、それもそうだけど、と彼は続ける。
「ライブ中にこにこで目を合わせてくれるのも、そこに好きなタイミングで絡みに行けるのも、いっちばん近くで見れるのも俺のポジションならでは。ていうかまずその前に、俺の作った音楽を涼ちゃんが演奏してくれるんだよ?特等席も特等席だよね」
なに急に、と俺は笑う。そんなこといったら、自分のほうこそ特等席を用意してもらっている側なのに。
「でね、性格のわっるい俺は、そんな特等席にいる俺を黒田さんに見せつけたいわけです」
それでそのチケット、といって元貴は言葉通り悪い顔で笑ってみせる。
「うわー、そういうことかぁー」
「いひひ、悔しそうな顔するのが早く見たいな」
元貴はおどけた風に言ってみせるが、実はそうではないことは分かっている。おそらく、あれ以来会っていない俺たちに、会う機会を作ってくれようとしているのだ。するりと腕を外し、彼は机の上に置かれた資料を手に取る。
「そうだ、フライトの席、ちゃんと涼ちゃんの隣にしてもらおう~」
「元貴」
「あっ、離着陸の時に横で騒がないでね?」
「……元貴」
頑なに目を合わせない元貴に、催促するようにしっかりと名前を呼ぶ。少し気まずそうに、なに?と顔をあげた。
「言っておくけど、今更俺はこの席を誰かに譲るつもりなんてないよ」
元貴は明らかに安堵したように表情を崩す。俺たちが正式に付き合うことになった時、メンバーには言っておこうと二人で決めた。綾華は前々から察してはいたようで
「もっくんの粘り勝ちかぁ。まぁ予想通りだったね」
と頷いていた。
若井は最初は驚いたようだったが、嬉しそうに
「良かったな、元貴一目ぼれだったもんな!」
といって元貴にどつかれていた。(そうなの?と聞いたら、それは自分では無意識だったからノーカン、と返された。そういうもんなの?)
高野は目を皿のようにして驚きをあらわにした後
「どっちがどっち?」
と聞いて、やっぱり元貴にどつかれていた。
俺たちが大学生だったころに比べると、世間はだいぶ同性愛に対して寛容になってきてはいるが、やはりどこか好奇の目線に晒されるのに変わりはない。だから世間には俺たちが付き合っている事実は公表していないし、これからもそうするつもりはない。俺たちの仲の良さは時々ファンの間でも話題になるけれど、あくまでも「メンバー同士仲良くって微笑ましいね、かわいいね」なレベル。それがちょうどいいくらいだと思っている。
「でも、いつか」
俺の横に腰かけた元貴は目を伏せたまま笑みを浮かべて指を組んだ。本当に照れている時、彼はこういう仕草をする。
「俺たちが堂々とこの関係性をオープンにしても、変に騒がれない、本当の意味でイロモノ扱いされないようになってきたら、公表したいなぁ。で、雑誌の取材とか受けちゃうの。付き合うきっかけは~とかってやつ」
「えぇ、うわ、かなり恥ずかしいやつだよそれ」
「涼ちゃんも一緒に受けるの!ほら、付き合う決め手はなんでしたか?」
「え?なに、練習なのこれ?えーと、元貴の圧に根負けしました……たはは……」
「ちょっと!真面目に答えろよ!」
拗ねたように頬を膨らませる元貴。そんな彼があまりにも可愛らしくて、その頬にキスを落とす。
「そうだね……元貴となら「100%無理」が「100%ない」ような気がして、こんなに楽しいことないなって」
「えっ、何それ待って初めて聞いた」
「初めて言った」
「あの時は、気持ちの整理がついたからとかって言ってたじゃん!」
「うん、それももちろんあるけど」
それだけ君の存在が俺の中で大きくなっちゃってたからね。元貴は珍しく顔を真っ赤にして何か言いたげに口を開いた後
「このポンコツぅ……天然たらし……あほ……」
と顔を隠したまま悪口のオンパレードだ。
「ひっどいなぁ、だって元貴が言ったんだよ?この確率の話は」
まだ顔を手で覆ったままの恋人の髪に口づけを落としながら、そっとソファに押し倒す。休日の午後はまだのんびりとした時間が流れている。
※※※
本作はこれで完結となります。
最後までお付き合いくださった皆様、本当に本当にありがとうございます!!
本作はなんと全部で約12万字……文庫本1冊分の文字数になってしまいました。
こんな長くてしかもオリキャラとかまで出てきて、誰が読み続けてくれるんだ……なんて不安でいっぱいでした。
最後まで続けられたのは皆様のいいねや温かいコメントのおかげです!
読んでくださってる皆様には本当に感謝しかない😭✨
明日は4月1日なのでエイプリルフールネタの短編を投稿予定です。よろしくお願いします!
4月から環境が変わる、ということを前にちらと書かせていただいたのですが、まだ中編が何本かと短編も少しストックがあるので、しばらくは毎日更新のままで行こうかなと思っています。
時々でも毎日でも、拙作を読みにきてもらえたら嬉しいです!