テラーノベル
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打ち合わせを終え、叩きつけるような豪雨の中を急いで帰宅した俺を待っていたのは、安堵の出迎えではなかった。玄関のドアを開けた瞬間、突風と共に冷たい雨が廊下へ吹き込み、それと同時に空を割るような白い閃光が視界を真っ白に焼き払った。
――ズドォォォンッ!
腹の底を直接揺さぶるような地響きが、リビングのすぐ近くで鳴り響く。その直後、ふっと部屋の空気が凝固したかと思うと、天井の照明が力なく瞬き、吸い込まれるようにして完全に消灯した。家中の電化製品の駆動音が途絶え、耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。停電だ。
完全な闇に塗りつぶされた室内から、「ニ、ニャァァァア〜〜ッ……ッ!!」という、悲鳴のような、けれどどこか縋るような、びっくりと不安、そしてとてつもない甘えが混ざり合った、奇妙に歪んだ猫の鳴き声が聞こえた。
「白! 黒! 大丈夫か!?」
俺が暗闇の中、スマートフォンのライトを頼りにリビングへ駆け寄ると、ソファの周りには二人の少女の姿はなかった。代わりに光の輪の中に浮かび上がったのは、クッションの間に必死に顔を突き入れてガタガタと震えている、プラチナブロンドの小さな塊と、その影に潜むようにして丸まっている黒い毛並みの塊だった。
驚きや恐怖といった強い感情の揺さぶりに直面すると、精神が不安定になり、一時的に元の動物の姿へと退行してしまう……。
彼女たちが持つ不安定な特性、「猫戻り」だった。
「ごめんな、怖かったよな。ほら、もう俺がいるから大丈夫だ」
俺が手を伸ばすと、白猫が「うにゃぁぁ……! なぉぉぉ〜ん……」と、これまでの威勢が嘘のような、情けなくも甘えた声を漏らして俺の腕の中へ飛び込んできた。心臓が壊れそうなほど速く鼓動し、濡れた鼻先を俺の首筋に押し当てて、なりふり構わず救いを求めてくる。黒猫もまた、足元に音もなく滑り込み、震える身体を必死に俺の足首にこすりつけて、自分の存在を繋ぎ止めようとしていた。
「……よしよし。ひとひとまず寝室に行こう。布団に入れば、少しは音もマシになるはずだ」
俺は二匹を同時に両腕で抱え上げた。昼間の騒動で生意気な「所有印」を刻んだときの面影はなく、今の腕の中にあるのは、ただ守られることを切望する小さな命の重みだけだ。
寝室に辿り着き、厚手の布団を広げて中央に俺が横たわると、二匹は競い合うようにして俺の脇の下や首元へ潜り込んできた。闇の中で俺の体温を分け与えるようにして抱きしめ続けていると、やがて二匹の身体が淡い、月の光のような輝きを放ち始めた。
パッ、と静かな光が弾け、腕の中にあった猫の感触が、急速に少女のしなやかで柔らかな重みへと変容していく。
「……ふえぇ、ご主人様ぁ……。マジで、雷に食べられるかと思った……っ」
白猫は元に戻るなり、俺の右腕を折れんばかりの力で抱きしめた。瞳には涙が溜まり、鼻を赤くしながら俺の胸元に何度も頭を押し当てる。
「⋯⋯ん。⋯⋯光、怖かった。⋯⋯でも、ご主人様の匂いしたから⋯⋯やっと、戻れた」
黒猫は俺の左側にぴったりと、一分の隙間もなく寄り添い、俺の鼓動を確かめるように耳を当てていた。
布団の中は、三人の体温が混ざり合い、みるみるうちに熱を帯びていく。
「ゴロゴロ……」
不意に、暗闇の中で小さな、けれど力強い音が響き始めた。人間の姿になっても、安心感から漏れ出る喉の音は止められない。それは彼女たちの生存本能が「ここは安全だ」と認めた証でもあった。
「……ねえ、ご主人様。アタシ、さっき猫に戻ったときね、ご主人様が帰ってこなかったらどうしようってことばっかり考えてた。雷よりも、またあの雨の中で一人ぼっちになる方が、何倍も怖かったかも……」
白猫が、布団の中で消え入りそうな声で本音を漏らした。昼間のヤキモチも、この深い孤独への恐怖の裏返しだったのだと、俺は今更ながらに気づかされる。
「⋯⋯アタシも。⋯⋯ご主人様がいなくなったら、⋯⋯アタシはまた、⋯⋯ただの黒い塊に戻っちゃう。⋯⋯だから、⋯⋯一生、離さないで」
黒猫が、暗闇の中で俺の手を探り当て、その細い指を俺の指の間に深く絡ませてきた。
俺は何も言わず、二人の肩を力強く抱き寄せた。
拾ったばかりの頃は、気まぐれな共同生活の延長だと思っていた。だが、こうして嵐の夜に震え、自分を失うほど俺に依存している彼女たちを抱きしめている今、俺の中にある感情は、単なる飼い主としての責任感をとうに超え、もっと根源的な「愛」へと変質していた。
やがて雷鳴は遠ざかり、代わりに聞こえるのは雨音を背景にした三人の穏やかな寝息だけ。
二匹の猫娘と、一人の男。
言葉で誓い合う必要などなかった。この嵐の夜を共に越えたことで、俺たちの絆は、誰にも引き裂くことのできない唯一無二の形へと溶け合っていったのだ。
「……おやすみ。もう大丈夫だ」
俺の言葉に、二人は満足そうに小さく鼻を鳴らし、深い眠りの淵へと落ちていった。
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