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#追放
海の紅月くらげさん
桜の花びらが舞う大通り。
両脇にみっちりと建物が並ぶ太い道は、橋を跨いでずっと向こうの方まで伸びている。
建物の裏手や1本道を逸れた先の広場にはポツポツと桜が植わっており、花びらはそこから来ているようだった。
暖かな朝の陽気に包まれたそんな通りを闊歩するのは、二足歩行の化け猫、財布をぶら下げた唐傘、他者にぶつからぬよう慎重に進む大入道、無い口で談笑するのっぺらぼう……等々、数えきれないほどのあやかしたち。
怪世なのだから当然だが、人間からすれば百鬼夜行もかくやの光景だ。
しかし彼らと通りの盛況ぶりを前に、清子は思わず感嘆の声を漏らした。
「うわあ、凄く賑やかね!」
清子は未だかつて、こんなにも大勢が集まっている場所を見たことが無かった。
敷物の上に焼き物を陳列する者、店先にずらりと魚を並べ客を呼び込む者、天秤棒を担ぎ野菜の振り売りをする者。
値切りか何かの交渉をしている者たち、世間話に興じる者たち、神妙な顔をしてお眼鏡にかなう品を吟味する者たち。
右を見ても左を見ても、目が回りそうなほど沢山のあやかしが各々の時間を過ごしている。
火縄銃を背負って興味津々に周囲を見回す清子に、藤は優しく声をかけた。
「今日は市の日ですから、あやかしたちが多く集まってきているんです。はぐれないように気を付けてくださいね、ツバキさん」
「ええ!」
「ツバキ」という名で呼ばれ、清子は返事をする。
***
なぜ市の開かれた場に来ているのか、なぜ清子がツバキと呼ばれているのか、などと言えば、それは時をしばらく遡って二日前。
「するべきこと?」
芙慈の家の一室にて、清子は首を傾げた。
「はい。怪世を旅するなら、少なくとも2つ。事前にするべきことかあります」
言って、芙慈は指を2本立てる。
「旅の必需品! みたいなのを準備するの?」
「ある意味ではそうですが、少し違います。まず1つめは匂い対策です」
「匂い?」
「というのも、『禍子』にはあやかしが敏感に感じ取れる、特有の匂いがありまして」
「えっ! そうなの!?」
清子は驚き、自分の体をくんくんと嗅ぐ。
が、特に変わった匂いは何もしない。
「……どんな感じ?」
「ええと……甘くて優しい感じです」
険しい顔の清子に、芙慈は少し申し訳なさそうな表情をする。
「この匂いをそのままにしておくと、悪いあやかしが寄ってきてしまいます。鼻の利く者だと、かなり遠くからでも」
「うーん、厄介ね。どうしたらいいの?」
清子は甲佐たちのことを思い返しながら言う。
恐らく彼らもまた、匂いを追って来たのだろう。
ああいうことが何度もあるのは、望ましくないことだ。
「原始的な手法ではありますが、他の匂いで上書きするのが有効と考えられます」
「他の匂い……お香とか、炭とか? それとも灰?」
「いえ、それとはまた異なる類の『匂い』……つまり、霊力の『匂い』です」
芙慈は手のひらを上に向け、ふわりと淡い光を発生させる。
それは彼の霊力だった。
「僕たちあやかしは、皆それぞれ霊力を持ち、その霊力には個々の匂いがあります。匂いは強かったり弱かったり、鋭い感じがしたり柔らかい感じがしたり、いろいろ。あやかしが嗅ぎ取る『禍子』の匂いは、それに似たものなんです」
「ふーん。人間にはわかんない匂いってわけ」
清子は改めて自分の匂いを嗅いでみる。
確かにやはり、何の匂いもしなかった。
「とにかく、芙慈さんの霊力の匂いで、私の匂いを誤魔化してもらえばいいのね」
「はい。少なくとも、混ざり合って『禍子』の匂いとはわからなくなるはずです」
「じゃ、さっそくお願い!」
何の疑いも無く、清子は目を閉じる。
既に彼女は芙慈に対し、全幅の信頼を置いているようだった。
「わかりました」
少し腕まくりをし、芙慈は彼女に手をかざす。
白い手のひらから優しく霊力が零れ、清子を優しく包み込んだ。
「どう?」
清子は目をぱちりと開け、あっけらかんとした笑顔で訊く。
「無事に完了しました。これで3日ほどは持つと思います。僕がちゃんと強い鬼なら、もっと長く持つのですが……」
「十分よ。ありがとう!」
芙慈の醸し出す申し訳なさそうな空気を吹き飛ばすように、清子は笑う。
「で、もう1つのやるべきことは何?」
「通り名を決めることです」
「通り名……?」
しばし考え込んだのち、清子はポンと手を叩いた。
「あっ! わかったわ。真名を知られないために、でしょ」
「正解です」
芙慈は頷く。
「隷属の術では真名を『捧げる』ことが鍵となりますが、他の術はそうでないことがあります。例えば真名を呼ぶことで相手の動きを止める術。これは真名を盗み聞いたり、人づてに知ったりした場合でも発動できます。『捧げる/捧げられる』という条件が無い分、あまり強力ではない術がほとんどですが……厄介なのは確かです」
真剣な表情で語る芙慈に、ふむふむ、と清子は相槌を打つ。
「もとより真名は他者に易々と知られて良いものではありません。隠しておくのが基本で、無難です」
「なるほどね……ん? でも待って」
にわかに声を落とし、清子は言う。
「芙慈さんって、『藤』って呼ばれてるのよね? 同じフジだけど、大丈夫なの?」
「はい。大丈夫です。真名は音と文字が揃って初めて、意味を成します。どちらが欠けていても、真名として用いることはできません」
「あら、そうなのね」
清子は心底安心したようにホッと息を吐き、また声の大きさも元に戻す。
「ちなみに僕の場合は偶然、人に付けられた通り名と真名の音が一致していました。が、これが文字まで一致していたとて、真名として術などに使うことはできません。理由は単純で、相手がそれを『真名』と認識していないからです」
「ふーん、当てずっぽうはダメなのね」
「そういうことです。ですから、気にせず『芙慈』と呼んでください」
「わかったわ」
ここまでの芙慈の説明を、清子はじっくりと反芻する。
要するに。
真名は単に知られるだけでも、害がある。
ただし、真名とは音と文字で1セット。
だから、真名を知られないためには通り名が必要だが、通り名と真名の発音が同じでも問題無い。
「ならそうね……私の通り名は……ツバキ! |満葉《みツバ》|清子《キよこ》、だからツバキよ」
***
「人間みたいな見た目のひとも居るけど、みんなあやかしなのよね?」
「はい」
混雑の中をゆっくり歩きながら、清子はあやかしたちを観察する。
のしのしと二足で歩く化け狸のように一目で人外だとわかる者もいれば、パッと見はただの美女で何のあやかしかすらわからない者もいた。
姿を指定する規則や慣習は無いのだろう。
清子はその自由さに、ほんのちょっぴり羨ましさを感じた。
半ばそれを誤魔化すように彼女は再び視線を動かす。
と、他の店からいくらか離れた場所で、あやかしたちが長椅子に腰掛けているのが目に入った。
あやかしたちは何かを売り買いしている様子は無く、茶を呑んだり菓子を味わったりと、どうやら休憩しているようだ。
周囲の忙しない賑やかさからは少し距離を置いたようなその様子が気になり、清子は藤の袖を引っ張った。
「ねえ藤さん、あそこは何かしら? どうしてみんな集まってお菓子を食べてるの?」
「ああ、あれは甘味処ですよ」
「甘味処! 噂に聞くアレね。初めて見たわ」
藤は目を輝かせる清子に微笑ましげな視線を送りつつも、若干の疑問を感じる。
というのも甘味処を知らない、見てそれとわからないというのが、どうにも引っかかったのだ。
普通に生活していれば、自然と耳目に入るはず。
竹林の中で独り暮らしていた藤でさえ、必需品を買うため止む無く町へ出向いた際に何度か目にしている。
もしかすると、現世と怪世では甘味処の形態が大きく異なるのだろうか。
あるいは、清子は町に行くこともできないほど、人里離れた場所に住んでいたのだろうか。
もしくは――彼女は貧しく、町で遊ぶ暇も無く働きづめだったのだろうか。
最後に浮かんだ仮説に、藤はひとり納得する。
最初に会った時の服装や、言動の端々からも薄々感じていたが、やはりきっとそうだ。
ひどく貧しい暮らしをしていたのだろう。
元より清子には可能な限り尽くしたいと考えていた藤だったが、彼女の境遇を推し量りその想いがいっそう強くなる。
彼はあくまで自然体で、清子に言った。
「休憩がてら、入ってみましょうか。一緒にお菓子とお茶をいただきましょう」
「いいの? ありがとう!」
パッと顔を明るくし、清子は飛び跳ねる。
そうして2人が店に入って行けば、茶と甘味の香りを含んだ空気がふわりと彼女らを包み込んだ。
適当な席に着くと店の者が来て、藤が羊羹を2つ頼むとほどなく茶と共に皿に乗った羊羹が運ばれてくる。
清子はそれを慎重に口へと運ぶや、ぱちりと目を見開いた。
「お菓子……こんな味なのね……! 素敵だわ、口の中がぐるぐるしてる!」
生まれて初めての甘味を味わいながら、道理で叔母が隠れてでも食べようとしていたわけだ、と清子は納得する。
茶も温かいものを呑むのは初めてで、なるほどちゃんとしたものはこんな味がするのかと続けて感心した。
そんな彼女を、藤は微笑ましく見守る。
じわりと胸に多幸感が広がり、味のことではなく、甘い気分になっていた。
さてしばらくして茶と甘味を喫し終えた2人は、再び通りの方へと出る。
市の賑わいは先ほどよりも気持ち高まっており、いっそうあやかしの増えた道を、彼女らははぐれないようぴたりとくっついて歩いて行った。
「ツバキさん、あちらに少し寄っても良いでしょうか?」
と、今度は藤が申し出る。
指さしたのはやや離れた場所、台の上に何か――食べ物ではなさそうなもの――を並べて売っている店だった。
「ええ、もちろん」
断る理由は何も無い。
清子は頷き、彼と共にその店へと足を運ぶこととした。
「ここは髪飾りが売ってるのね」
店の前まで来て改めて見ると、よく見えなかった品物が鮮明に認識される。
「何か」が色とりどりの髪飾りであることを認め、清子はそれらをまじまじと眺めた。
「きれい……」
思わず、そんな言葉が漏れる。
煌めく螺鈿のあしらわれた櫛、つやつやとしたべっ甲の簪、模様の入った可愛らしい玉飾り。
特に清子の目に留まったのが、つまみ細工の付いた髪紐だった。
赤い組み紐にちりめんの小さな白い椿がちょこんと添えられているそれは、派手過ぎない物を好む彼女の感性にちょうど響く。
清子はしばらくそれを見て楽しんだのち、良いものを見られたと満足げに場を離れた。
ちらりと藤の方を見れば、何やら真剣に品物を吟味している様子。
邪魔はするまいと清子は彼から少し距離を保ったまま、もう少しこの華やかな景色を楽しむことにした。
そうして、しばらく。
「付き合ってくださって、ありがとうございました」
「いいのよ。さっきはあなたが私に付き合ってくれたし、奢ってもくれたでしょう」
2人は髪飾り屋を後にし、また通りを歩き始めた。
「それで、いいものは見つかった?」
「はい」
清子の問いに、藤はこくりと頷く。
先ほど店で包んでもらった品を袂から取り出し、包みを開いて――清子に差し出した。
「どうぞ、ツバキさん」
思いもよらぬ彼の行動に、清子は目を丸くする。
彼の手に乗っていたのは他でもない、彼女が一等目を奪われたあの髪紐だった。
「? これを、私に?」
「そうです。嫌でなければ……ですが」
「嫌じゃないわ! むしろ嬉しいわ、とっても」
清子はつい大きな声で言う。
藤の頬はほんのり赤く染まっていた。
「あ、でも自分で上手く付けられるか……お願いしてもいい?」
「はい」
道の端に寄り、清子は今まで付けていた髪紐――として使っていた擦り切れる寸前の凧糸――を外す。
重力に従って黒い長髪がばらりと広がり、風に揺れた。
藤は少々、いやかなり緊張しながら彼女の髪に触れる。
まるで壊れ物を扱うかのごとく丁寧に、慎重に、美しい黒髪を束ねていく。
時が、ゆっくりと流れるようだった。
「できました」
ようやく両側の髪に紐を結び終えた藤は、半歩足を引く。
「ありがとう。……どうかしら?」
清子は無邪気に、その場でくるりと回って見せた。
藤が胸中をかき乱されていることなど、露知らず。
「とてもよく似合っていますよ。素敵です」
「ふふ、良かった! なんだか藤さんには貰ってばかりね。この恩は、きっと返すわ」
何のためらいもなく藤の手を握り、清子は宣言する。
寒空の下で咲く一輪の椿にも似たその強い眼差しが、惜しみなく藤に注がれた。
***
長い通りを、清子と藤はなおも歩いて行く。
橋をもう1つ渡ったところで市の区間はようやく終わり、開けたその先では、買い物を済ませたあやかしたちがたむろして世間話に興じていた。
「寅守様、また丑守様とやり合ったそうだな」
「双方お若い方だからなあ。血が有り余ってるんだろうよ」
「その点、未守様は静かすぎるくらいだ。お隣なのに、なあんも話が聞こえてこん」
「うちの午守様なら、何か知ってるかもしれないがな。何せ怪世一の噂好き――」
「おいおい、滅多なこと言うんじゃねえよ」
柳の木の下では、粒状の食べ物をつまみながら、一つ目入道たちは饒舌に言葉を交わしている。
その横を通り過ぎた清子は、少し歩を進めてから藤に問うた。
「ねえ、ナントカノカミって何? 誰のこと?」
トラノカミ、ウシノカミ、ヒツジノカミ、ウマノカミ……それらが関連する言葉ということは察せられたが、しかし具体的に何であるのか、聞き慣れない清子にはさっぱりだ。
藤は「ええと……」としばし言葉を選び、それから口を開いた。
「十二司様のことですね。怪世を統べている12のあやかしたちで、それぞれ子守ねのかみ、牛守、寅守……というふうに呼ばれています」
「あ、じゃあ私の敵ね。わかりやすくて助かるわ」
ぽんと手を叩いて清子は頷く。
中々に乱暴な理解だが、彼女は「怪世征服」を掲げているのだから、あながち間違ってはいない。
「その十二司はどこに居るの?」
「各々の領地に。怪世はこんなふうに……扇状の領地に分かれていて、この1つ1つを十二司様が治めているという形です。例えば、僕たちが居るここは午守様が治める午国で、午守様は都のお屋敷に住まわれています」
藤は指で地面に図を描きつつ説明する。
怪世――の、少なくとも可住地域――はおおよそ楕円形をしているようだった。
「なるほど、ますますわかりやすくて良いわね! あ、そしたらこの真ん中の部分は何?」
清子は藤の描いた図の中心部を指差す。
12個の扇形に囲まれた、円状の区画だ。
「そこは……平たく言えば、禁足地です。誰も近付きませんし、近付けないので気にしなくて大丈夫ですよ」
「ふうん、そうなのね」
仔細が知りたくないと言えば嘘になる。
が、怪世征服には関係無いからいいか、と清子は軽く流しておくことにした。
そうして2人がまた歩き出し、細い林道に差し掛かった時である。
「痛ッ!?」
突如、腕に鋭い痛みが走り、清子は悲鳴を上げた。
咄嗟にそこを押さえた手には、生温かくべとりとした感触が。
切られた、と気付くや否や清子はサッと藤と背中合わせになり、周囲を警戒する。
「誰!」
火縄銃を手に構え威嚇の声を上げると、どこからともなく、カタンカタンと下駄の音を響かせながら1人の女が現れた。
艶やかな黒髪をふくらはぎまで伸ばし、上等な着物に身を包んだ、若い女性。
目と口は細く吊り上がっており、意地の悪さが表情に滲み出ていた。
清子は銃口を彼女に向け、藤も清子の半歩前に出ていつでも庇える姿勢を取る。
が、女性は特段慌てた様子もなく、着物の袖を口に当ててクスクスと笑った。
「あらあら、品の無いこと。それが初対面の相手に対する態度?」
「ふん、四の五の言わずに撃った方が良かったかしら?」
「撃てるものならね」
わかりやすく挑発する女性に、清子は上等だとばかりに発砲する。
女性は避ける素振りすら見せなかった――が、発射された霊弾は彼女に届く前に、パチンとはじけて消えた。
「弾かれた……!?」
女性の術か、さもなくば。
辺りを見回す清子の前に、3匹の小さな獣がすとんと軽やかに着地する。
「粋がり妖狐たちを倒したと聞いたが、所詮は人間か」
「オイラたちの速さにはついて来れねえみたいだな」
「口ほどにもねえや! ハハ!」
白い鼬のようなそのあやかしたちは、口々に言った。
よく見ればあやかしの前足は鎌状になっており、どうやら彼らは鎌鼬であるようだった。
「無駄口を叩くんじゃないわよ獣共。さっさとやっておしまい」
「へえ、午守様!」
女性の命令に応じ、3匹は地面を蹴る。
と、彼らは清子の視界からパッと消え、気付けば彼女の腕がまた裂かれ、血が噴き出していた。
「くっ!」
「ツバキさん!」
目にも止まらぬ攻撃だ。
それもそのはず、鎌鼬は速さが売りのあやかしである。
本来は1匹目が相手を転ばせ、2匹目が斬り付け、3匹目が血止めの薬を塗る……という連携をする者たちのはずだが、彼らに関しては全員が攻撃に徹しているようだ。
清子は藤に傷の応急処置をしてもらいながら、まだ舐め腐った様子でいる女性と鎌鼬たちを見据えた。
「ねえ藤さん、午守、ってことはあいつが?」
「そのようですね。直接見るのは初めてですが……彼女が、午守の山姥です」
道中聞こえてきた話では、午守は噂好きだとか何とか。
きっと怪世に来たばかりの自分のことも、耳聡く聞きつけて襲撃しに来たのだろう、と清子は分析する。
「獲物の方からやって来てくれたってわけね。いいわ、上等よ」
旅立ちから早々に十二司が1人と対決することになろうが、清子にとっては予定が早まったにすぎない。
彼女は気丈に銃を構える。
「おやまあ、此度の『禍子』は随分と頭が悪いのね。今までの者は皆、自分が獲物だということはすぐに理解していたわよ?」
「誰が――いッ!」
引き金を引こうとしたところで、また鎌鼬の攻撃をくらう。
霊弾はあやかしにも有効だが、当たらなければ意味は無い。
そして動きの速すぎる鎌鼬たちと、彼らに守られている山姥に霊弾を当てるのは至難の業だった。
「ツバキさん、ここは僕が!」
されるがままの清子に代わり、藤が前に出る。
彼は複雑な紋様の描かれた札を数枚取り出し、パッと放った。
すると札は宙に浮き、くるりと2人を囲うように列を成す。
この札は出立の前に藤が用意したものだった。
霊力を込めた墨で紋様を描いた札は、その紋様に対応する効力を発揮する。
作る段階で霊力と機能を仕込んでいるので、使う本人に力や術を練る余裕が無くとも問題無いのが利点だ。
しかし。
「なんだ、つまらん小細工だ」
「札頼りの鬼たあ、また滑稽だな」
「ハハ! 藤の劣弱鬼にはお似合いだがな!」
そんな「便利道具」に頼ることは、あやかしたちにとっては恥だった。
事前にちまちま作った札などを戦場で振り回すなど、見苦しく浅ましく、己の弱さを白状しているようなものなのである。
鎌鼬たちも山姥も、ケラケラと藤を嘲笑する。
『禍子』ですら自らの霊弾で戦っているのに、と。
だがそれでも藤は構わなかった。
少しでも清子の力になれるのであれば、どんなに滑稽でも惨めでも、取れる手段は全て取る。
それが彼の覚悟だった。
「ツバキさん、今のうちに!」
「ええ!」
藤は札に追加で霊力を直接注ぎ、入念に防御を強化する。
これで、札が効果を発揮している間は、外側からの攻撃は通らない。
清子は冷静に火縄銃を構え、どうにか鎌鼬たちを捉えようと霊弾を連射する。
が、発砲に専念できるようになったとは言え、鎌鼬の動く速度は変わらない。
先ほど同様、清子の霊弾は虚しく空を切るばかりだった。
「当たらない……!」
そうしている間に、鎌鼬たちは札の護りに斬撃の雨を浴びせ始める。
初めはびくともしない札だったが、次第に負荷が蓄積し、ぴし、ぴし、と綻びだしてしまった。
藤は更に霊力を加えて綻びを補うが間に合っておらず、見る見る霊力を失っていくばかりで、護りを破られるのは時間の問題であるようだった。
「うふふ、いつまで持つかしらねえ?」
鎌鼬たちの後方で山姥は高みの見物だ。
なら、と清子は霊弾を明後日の方向に撃ち宙に留める。
妖狐たち相手に使ったのと同じ戦法だ。
これならば不意打ちで、速度関係無く当てることができる。
……という見立てだったのだが。
「あらやだ、こんな小細工が私に通用するとでも?」
山姥は死角にあるはずの清子の霊弾を、自らの霊弾で以てそれを打ち消した。
十二司ともなると、霊力の塊である霊弾を感知することくらい容易いらしい。
「さあ鎌鼬共、存分にいたぶってやりなさいな。屈辱と絶望の沁みた肉は美味いからねえ」
直接撃とうとすれば、鎌鼬に弾かれる。
いったん留めようとすれば、山姥に気付かれて打ち消される。
清子の戦法は完封されてしまったも同然だった。
「う……」
「藤さん!」
打開策を見いだせず手をこまねているうちに、とうとう霊力を使い果たした藤がふらりと倒れ込む。
同時に札も限界を迎え、護りと共に塵となって消えた。
既に手足にも力が入らないほど疲弊し、立ち上がることもかなわない藤。
清子は彼を支えようと膝を付くが、ほどなく再び立つと全身の力を奮い立たせて火縄銃を構えた。
そんな2人を見、山姥は半笑いで息を吐く。
「はあ、何とも見苦しい男だこと。札に頼らなきゃ使い物にならないわ、結局は女に守られるわ、ああ嫌だ。みっともないことこの上ない」
「…………」
清子はギッと彼女を睨んだ。
が、山姥はお構いなしだ。
「お前も男を見る目が無いわねえ。こんな弱っちい役立たずなんかさっさと捨てて、強者に媚びを売っておけばもう少しは長らえただろうに」
彼女はわざとらしく抑揚をつけ、とことん見下す言動をする。
攻撃の手を止め山姥の傍らに控える鎌鼬たちも、ニヤニヤと笑みを浮かべ、清子たちを嘲っていた。
「ぐうの音も出ない? 悔しかったらほら、顔を真っ赤にして怒ってご覧なさい?」
顔を覗き込むようにやや背を曲げ、山姥は更に煽る。
清子は顔を上げ、口を開いた。
「しょーもな!」
ひく、と山姥の口元が引きつる。
彼女が何か言い返すより早く、清子は言葉を続けた。
「あんたみたいな下らない奴、初めて見たわ。そんなダッサい脳みそでも十二司って務まるのね」
そう、清子は笑い飛ばす。
自分と藤に向けられた下らない理不尽を。
「……挑発のつもりかしら。残念、私は引っかかってやらないわよ。獣共!」
苛立ちを隠しきれず引きつったままの顔で、山姥は鎌鼬たちに号令をかける。
鎌鼬たちはフッと姿を消し、清子を切り裂こうとした――が。
「ふんッ!!」
清子は火縄銃を逆さに持ち直すや否や、それを思い切り振り抜く。
と、「ギャアッ!」と悲鳴を上げて鎌鼬3匹が宙に打ち投げ出された。
銃の台かぶが先頭に居た1匹の脳天にちょうど直撃し、後ろに居た2匹もその巻き添えを食らったのだ。
鎌鼬は、3体が一直線に並んで突進する習性がある。
ゆえに「的」さえわかっていれば、そこに集中して構えることで、3体まとめて迎え撃つことが可能なのだ。
「ぐええ」
「きゅう」
「ぎゃふん」
自分たちの速度も相まって、物凄い衝撃が加わったのだろう。
ぶつかることを前提としていない体を強打された鎌鼬たちは、そのまま地面に転がって伸びてしまった。
「なっ、何をしているの! 立ちなさい鎌鼬共!」
予想だにしない事態に、山姥は金切り声で叫ぶ。
だが鎌鼬たちは完全に気絶しており、その声は届かない。
にわかに焦り出す山姥の目の前には、気付けば火縄銃を担いだ清子が立っていた。
「どうしたの。顔が真っ赤よ、山姥」
彼女はニヤリと笑う。
銃の銃身には、藤の札が貼られていた。
「このッ、『禍子』の分際で……!」
山姥は清子に霊弾を放とうと手を伸ばす。
が、その動きは鎌鼬とは比べるべくもなく遅く、先に清子が彼女の腕を払った。
「見栄っ張り! 手下にばっか戦わせるからこうなるのよ」
間髪入れず火縄銃を突き付け、清子は言う。
当然、引き金には指がかけられており、山姥が少しでも動けば発砲されること請け合いだ。
それがわからないほど愚かではない山姥は、致し方なく静止し、伸びている鎌鼬たちに怒りの視線を向ける。
無論、いくら恨みがましく彼らを見たところで無意味なのだが。
「真名を教えなさい。私に従うなら、あんたが負けたことは秘密にしておいてあげる」
清子は満身創痍を隠し、余裕ぶって取引をけしかける。
彼女の霊力も残りわずかで、あと3発も霊弾を撃てば空っぽだ。
ここで山姥に抵抗を続けられると、この優勢も危うくなる。
今が踏ん張りどころ、堪えどころだと、清子は力強く銃を握りしめた。
「ぐっ……」
彼女が見据える前、山姥はぎりりと歯噛みし、しかし体の力を抜く。
そして。
「植物の桃に、花の百合で、桃百合、よ」
心底渋々といったふうに、名乗った。
清子は安心するより先に銃を持ったまま、片手を山姥にかざす。
藤から教わったやり方はきちんと覚えていた。
「……『我らは主従の関係にあり。我が主。桃百合が従。桃百合は永劫我に隷属する』」
呪文を唱えながら、霊力を注ぐ。
幸い、霊力はそう多く要求されず、ほんの数秒で術は完了した。
「安心して。こき使ったりはしないから」
自分と相手の間に「何か」が結ばれたという、奇妙ながらも確かな実感を得、清子はやっと銃を下ろす。
「何が目的なのよ、お前は」
山姥は彼女を憎々しげに睨みつけ、悔しさを逸らすように問うた。
清子の答えは、もちろん決まっている。
「怪世征服」
「は!?」
目を剥いて仰天する山姥。
今までで一番の動揺っぷりだ。
だが彼女の反応に配慮する道理など無い清子は、平然と続ける。
「具体的なやり方は考え中だったけど、いま決まったわ。あんたみたいに、十二司全員を私の配下に置いてやるの」
「やっぱり頭が悪いわね、お前!」
「何とでも言いなさい」
ふん、と鼻を鳴らし、清子は踵を返した。
そして藤の元まで戻ると、火縄銃を地面に置き、彼を支え助け起こす。
「藤さん、立てる?」
「は……はい。すみません」
面目無さそうに目を伏せながら、藤は清子の肩を借りつつよろよろと立ち上がった。
「ありがとうね、藤さん。鎌鼬のこと教えてくれて」
と、清子は彼に礼を言う。
霊力が尽き倒れ込んだあの時。
直前で鎌鼬が一直線に列を組んで突撃することを見抜いた藤が、清子にそのことを伝えていたのだ。
その情報と、彼が隙を見て火縄銃に貼った予備の札のおかげで、鎌鼬と山姥に勝てたと言っても過言ではない。
清子は心から藤に感謝していた。
が、藤の方は逆に、直接戦った清子の方にこそ功績があると感じているらしい。
「いえ、このくらいは……」と、頬を淡く染めて返す。
それから彼は、「あの」と彼女に切り出した。
「十二司を配下に置くとのことですが」
ひと息おいて、彼は清子が時おりするような不敵な笑顔を、ぎこちないながらも作る。
「とても良い案だと思います。やってやりましょう!」
「! ありがとう、そう言ってもらえると心強いわ」
半ば抱き合うような姿勢のまま、2人は笑い合った。
その様子は、無邪気で、希望をいっぱいに抱えた若者そのものだった。
と、そこで清子はふと思いついたように口を開く。
「そうだ、山姥。ちょっと聞きたいんだけど――」
***
その日の晩。
午守の屋敷にて、清子は水晶玉をいじくり回していた。
「これ? こう?」
「ああもう、違う! ほんっとに頭の悪い人間だこと!」
「うるさいわね!」
山姥に文句を付けられながらも水晶玉と格闘する清子を、藤は傍らから見守る。
部屋には3人の他に誰もおらず、また周辺にも近付く者はいない。
屋敷の主である山姥がそう命じたからだ。
「ここが……あ、光った。これでいいの?」
「ええ、ええ、そうよ。あーあ、もう何でこんな……」
水晶玉が正常にはたらきだしたのを確認し、山姥は投げやりに溜め息を吐く。
清子は咳払いをひとつすると、水晶玉に向かって話し始めた。
「えー、初めまして十二司のあやかしたち! 上手いことしてこの……これを一時的に乗っ取らせてもらったわ!」
午守の山姥が所持する水晶玉、それは他の十二司と連絡をとるための呪具だった。
適切に霊力を流し込むことで、同じ物を持つ者の所へ音を届けることができるという優れものだ。
戦いの後、山姥に「十二司と意思疎通を行える何か」は無いか、あれば使わせてくれと頼んだ清子は、密かに屋敷に連れられたのちこれを差し出された。
使用目的は単純明快。
十二司に言いたいことを伝えるためである。
清子は息を吸い込み、ハキハキとした声で宣言した。
「私は『禍子』のツバキ! これからあんたたちを征服してやるから、首洗って待ってなさい! 以上!」
そう、つまるところ宣戦布告だ。
約束通り山姥を負かしたことは伏せつつ、彼女が水晶玉の向こうに居るであろう十二司のあやかしたちに叩きつけた挑戦状。
これに対し、ある者は、眉をひそめた。
ある者は、愉快そうに笑った。
ある者は、煮くり返る怒りを抱いた。
ある者は、怯えて耳を塞いだ。
ある者は、側近に助言を仰いだ。
ある者は、全く興味を示さなかった。
ある者は、期待に胸を膨らませた。
ある者は、突然のことに目を白黒させた。
ある者は、深いため息を吐いた。
ある者は、おろおろと視線を泳がせた。
ある者は――声の主の近くに、親しい者の気配を感じ取った。
山姥を除く11人の十二司たちは、それぞれの反応を示す。
それすなわち、彼らに清子の宣戦布告が届いたということだ。
虐げられた『禍子』と落ちこぼれの鬼による怪世征服は、これより本格的に始動する。
あやかしの世界での旅路にて、清子は宿命に抗い、幸福を求め、多くを見、強敵と対峙し、また友を得、やがて恋を知ることとなる。
これはそんな、『禍子』の例外たる少女の物語だ。
「……言いたいこと言い終わったんだけど、どうやって止めればいいの?」
「自分で考えなさいバカ人間」
「あ、霊力を止めれば良いと思いますよ」
「なるほどね、ありがとう」
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