第2話 麻雀?
窓辺から差し込む冬の日差しが、軽音部室の床に長く伸びる影を描いていた。そこに映し出されているのは、5人の少女たちと四角い机。机の周りには、唯、律、澪、紬がそれぞれ椅子に腰掛け、梓は先輩たちに席を譲って、律の隣にちょこんと座っていた。
「ねぇ、これってこうやって遊ぶのかな?」と無邪気な笑顔で尋ねる唯。彼女はまるでディンガのように、麻雀牌を楽しげに積み上げていた。
「この模様、可愛いわね」と紬が笑顔で鳥の絵が描かれた牌を手に取ると、さっそくそれを集め始めた。3枚の可愛い鳥牌が揃った瞬間、律がニヤリと笑い、2索の牌を3枚下側に並べて言った。
「ほら、電線に雀が3羽並んだぜ。」
「わあ、りっちゃん天才~!」と手を叩いて絶賛する唯に、律は胸を張って「どうだ!」と自慢げに返す。
その光景を見つめながら、梓はふと幼い頃、父親が友人たちを招いて麻雀をしていた場面を思い出した。その時も興味津々で牌を眺めていたっけ。
そんな和やかな雰囲気の中、澪は「律、麻雀するんじゃなかったのか。」と言った。
その言葉に、麻雀のことを完全に忘れていたのを悟られないよう、得意げに頷いて、「じゃあ、始めようぜ」と皆を促し、唯が一生懸命積み上げた麻雀牌の塔を容赦なく崩した。
「律ちゃん、ひどーい!」と半泣きで抗議する唯の声は、虚しく響くだけだった。
「こうやって並べるんだよな?」律は疑問を投げかけながら、山牌をどう積み上げればいいのか分からず、隣の梓に助けを求めた。梓は記憶をたどりながら、各自の前に適当な数の牌を揃えて上下2段に重ねる方法を説明した。
だが、梓の話もそこそこに、律は大量の牌をかき集めて横に並べ始めた。「万里の長城だぜ。」律が得意げに叫ぶと、せっかく積み上げた牌の塔を崩されてショックを受けていた唯の目に競争心が燃え上がった。負けじとばかりに彼女も他人の前から牌をかき集め、さらに長く並べ始めた。
「勝負だ、律ちゃん。」 「おう、受けて立とう、唯左衛門。」
決闘の火花を散らす二人を見て、澪は2組しか積み上げられなかった紬の山を一瞥し、半眼で忠告をする。
「お前ら、そんなに沢山積めるのか?」
律は腕を組み、胸を張って自信満々に言った。
「わしは、こう見えても積み上げの達人じゃぞ。のう、唯左衛門。」
「ガッテンだー。」と、アホガール唯が意味不明の合いの手を入れる。
澪はやれやれと首を振り、自分の山を積み上げ始めた。しかし、4人は梓の説明に従いながらも、それぞれの前に横並びにした牌を上下2列に積もうとするが、不器用な面々はうまくいかず、やがて業を煮やした律が叫んだ。
「面倒だから、これでいいだろ!」
そう言うや否や、律は牌を全部中央に集めてしまった。
「神経衰弱かよ」と、澪が呆れて突っ込む。
「ここから、どうだっけ?」と梓に助けを求める律に、澪は突っ込む気力を失ってぼやいた。
「簡単じゃなかったのかよ。」
律は都合の悪い言葉を絶対に聞き入れず、さらに尋ねる。
「前の山から好きなやつを1枚ずつ取って、いらないのを前に捨てていけばいいんだよな。」
梓は困惑しながらも説明を続けた。
「まあ、だいたい間違いではないですけど、その前にみんなで13枚ずつ取って、自分だけに見えるように並べていくんです。」
「そうだったそうだった」と律は納得し、梓の指示通りに中央の山から13枚を数えて自分の前に並べ始めた。他の皆もそれに倣った。
しかし、複雑な麻雀のルールを説明しきれない梓は、簡単なルールに変更することに決めた。「あとはババ抜きの要領で同じ絵柄を3枚ずつ集めていくんです。」
自分の前に13枚の牌を並べ終えた律は、満足そうに中央の山に手を伸ばした。「じゃあ、俺から始めるぞ。」
律は山から一番上の牌を摘まみ、自分の目元に持っていくと、再び梓に尋ねた。
「ここからどうすればいいんだっけ?」
澪は耐えきれず突っ込んだ。
「律!ポンジャンやってたんじゃないのか。」
律は悪びれずに言い訳をした。
「そんなもん、すぐに忘れちまうよ。」
澪は律の飽きっぽさに呆れつつも、心の中で苦笑した。梓が場を収めるために、目を閉じて人差し指をおでこにあてて説明を続けた。
「同じ模様のものを3個一組にして4組集めて、残りの2枚も同じ模様にするんだったと思います。」
梓は、牌の山に手を伸ばし、表側にして同じ模様の牌を集め、3個1組の組み合わせを4つ作った。
「そして残った2枚を同じ模様にするんです。こんな感じです。」
222⑤⑤⑤八八八中中中 北北
皆は成程と頷き、「なんか並べると可愛いね」と唯が言うと、紬もふわふわ笑顔で「幼稚園のお遊戯みたいですね」と話を合わせた。
唯は両肘を開閉してワクワクするポーズを取り、「そうそう、組になって踊るやつ!」と体を揺らせた。その姿を見ながら、澪は幼稚園の時に律と二人組になってお遊戯会で振り回され、舞台から転落した記憶が蘇った。幸い舞台が低かったため二人とも怪我はなかったが、観覧していた保護者達に爆笑されたショックで、ダンスがトラウマになってしまったのだ。
澪は、何故か律と生涯一緒にいるような気がして背中に悪寒が走った。梓は周りのペースに合わせると進まないと判断して説明を続けた。
「で、出来上がったところで、ロン!ていうんです。」
すると紬が手を上げて発言した。
「知ってます。〇リーポッターに同じ名前の人いました。」
「なんだそれ? 上がりでいいじゃん。」と律は面倒そうに突っ込んだ。
梓は何でも物事を単純にしたがる律に呆れつつも、自身の出鱈目なルール説明もあって否定できなかった。「・・・まあ、いいと思いますけど。」
律は、さっき山から摘んできた牌を梓の前でひらひらさせながら質問した。「これ、揃ってないけど、どうすんだ?」
「そのときは、自分の前に並べていくんです。」と梓が答える。
「こうか?」律がさっき取ってきた牌を自分の前に置くと、梓は「そうです。それで、前に並べたのが、もし他の人が3個揃えられるならポンといって自分のものにできるんです」と説明した。
唯がケタケタと笑い始め、「ぽんぽこポンの狸さん~」と歌い出す。
紬は卓上から一筒の牌を拾い上げて皆に見せ、「これなんか狸さんのお腹にそっくりですよ」と言った。
「あははは、ホントだー。」と唯が同意する。
「じゃあ、もう一回やり直そう」と律が言うと、皆は真ん中に積み上げられた山から13枚を取り出し、牌の表を手前に向けて並べ始めた。
一早く並べ終わった澪が「誰から始めるんだ?」と梓に尋ねると、梓は箱の中からサイコロを取り出して答えた。「これを振って一番大きい目を出した人からです。」
麻雀もどきをやる4人は順番決めのサイコロを振るだけで異様に盛り上がり、最初に山から牌を取るのは唯になった。4人は梓の言う通りに、サイコロの数が多い順に椅子に座りなおした。
一番になった唯は、まるで神経衰弱のトランプのカードを選ぶように山から牌を1つ摘まみ上げ、困ったように首を傾げた。
「あずにゃん、これ、何も描いてないよ。」と唯は「白」の牌を皆に見せた。
「それはトランプでいうジョーカーだ。何の代わりにも使えるんだぜ。」と律は知ったかぶりをする。
梓は「白」が3枚揃ったらどうなるのかなと不安に思いつつも、律のその場しのぎの適当な解釈が更なる混乱を招くのが怖くて黙っていた。
唯は、最強のワイルドカードに変貌した「白」を引き当てたことで上機嫌になり、それを自分の手牌に加えた。手牌の前に五萬を置く唯。通常の四人麻雀では最初から真ん中の牌を捨てることはあまりないが、対々和しか役のない軽音部麻雀では問題にならなかった。
次は紬先輩の番ですよ、と梓は唯の右側に座る紬に自摸を促す。唯の真似をして山から牌を取った紬は、しばらく捨てる牌に迷った後、唯と同じく自分の手牌の前に五萬を置いた。対々和を狙うには同じ種類の牌を集める必要があるため、他人が捨てた牌と同じ牌を捨てるのは合理的な考えだった。
次は自分の番だなと梓に確認した澪は、山から牌を取って1筒を捨てた。その瞬間、唯が両手を挙げて「ポンポコポーン!」と叫び、皆の注目を集める。唯は自分の手牌から1筒を2個摘まみ出し、澪が親切に捨てた1筒を手渡すと、「澪ちゃんありがとう」と礼を言い、3枚揃った1筒を手牌の右側に並べて置いた。
澪の自摸順で捨てられた「西」を紬がポンした。紬が不要牌を捨てた後、澪が山から自摸ってそのまま捨てた「南」を再び紬がポンした。
3度も自分の自摸番を跳ばされ堪忍袋の緒が切れた律が立ち上がり、「お前らばっかりで狡いぞ。あたしにもやらせろ。」と怒りだした。
「お前もポンすればいいだろ。」と澪が諭したが、律は納得しない。
「一つも揃ってないからポンできないんだ。」と言い訳をするが「天罰だ。」と澪から冷たく言い放たれた。
澪は山から自摸った牌をそのまま河に置くと、漸く自摸順が回ってきた律は、勢いよく山から牌を拾い上げ、表側を見た途端に顔を綻ばせた。椅子の上に片足を掛け、「どうだ!ジョーカーだぜ!」と高々に掲げた。
「これで、いつでもポンできるぜ。」と鼻息の荒い律に、「それバラしてどうすんだ。」と澪が呆れた目で指摘した。律の愚かなカミングアウトに、唯の頭に浅墓な考えが閃いた。
唯は、自分の手牌の中に、今しがた律が捨てた牌と同じものを見つけて「ポンポコポン」を宣言し、「白」を入れて3枚揃えた。アホガール唯は、麻雀史上最強のワイルドカードを究極の無駄遣いしてしまったことに気づいていなかった。「白」は出来るだけ最後まで鳴かずに持っておくのが正しい使い方だった。
唯と同類項である律も、なかなか揃わない手に痺れを切らし、唯と同様の失敗を繰り返した結果、最強牌はゴミ牌の中に埋もれていった。
その後、4人は時折ポンをしながら、賑々しく軽音部麻雀を進めていった。山の残り牌も少なくなり、各々の前には3枚組の牌が2、3個並んでいた。正しい麻雀で言うと一向聴や二向聴の状態で、「白」を使わずに持ってさえいればすぐにでも聴牌することができるのだが、それに気付く者は少なかった。
「西」と「南」をポンした紬は、それ以上鳴かずに黙々と手を進めていたが、山に残り数牌となったところで自摸った手が止まってしまった。悩んでいる様子の紬に、梓が「どうしたんですか?」と声を掛け、紬の手牌を覗き込んだ。
「これであがりなの?」と尋ねる紬に、梓は以前父親が大きな声で和了を宣言した手牌を思い出し、「多分、あがりだと思います」と答えた。
「えー?」と声を上げる3人の前で、紬は残りの牌を倒して見せた。
東 北北白 發發發 「西西西 南南南」 自摸 白
意味も分からず、「ムギちゃん、すごーい」と連発する唯の隣で、律は悔し紛れに「漢字ばっかだな」とケチをつけた。
澪が「それで、どうするんだ?」と梓に尋ねると、梓は一番派手な点数棒を収納ケースから取り出し、「おめでとうございます」とにこやかに微笑む紬に手渡した。
「もう一度やるぞ!」と律が意気込んで牌を混ぜるふりをしながら、紬の2枚の「白」をこっそり握り込もうとした。しかし、それを目敏く見つけた澪が、律の頭上に空手チョップを叩き込んだ。
外は夕暮れ時を迎え、時間を忘れて盛り上がる軽音部員たちの笑い声が階段にまで響き渡っていた。漸く仕事を終えて部室に向かう山中先生の耳に、彼女たちの嬌声と聞き覚えのある音が届いた時、彼女は嫌な予感を覚えた。あの昔、放課後に音楽室で耳にしていた音…まさか。
階段を二段飛ばしに駆け上がり、部室の扉に指をかけると、山中先生は勢いよく開け放った。目の前には、麻雀卓を囲んで遊ぶ軽音部の部員たちの姿があった。彼女らがアレで遊んでいるのを見た瞬間、山中先生の胸に氷の刃が突き刺さった。
呆然とする山中先生に「サワちゃん先生、一緒にやろうよ!」と、唯が無邪気に麻雀牌を摘まんだ手を挙げた。その光景に、山中先生は生まれて初めて血の気が失せる音を聞いた。まるで、映画のワンシーンのようにエコーがかかった唯の声が頭の中でリフレインする。
かろうじて気を取り直し、ふらつく足で麻雀卓に向かった山中先生は、ソファーの上に放置されていた麻雀セットの箱が目が止まった。手早く箱を開けて裏ブタを確認すると、そこには懐かしい文字が…。
「まさか、まだあったとは…」
激しい眩暈がした彼女は、ソファーの上にへたり込んだ。
その只ならぬ様子に、梓が駆け寄り心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか、山中先生?」
梓の手助けにより何とか立ち上がった山中先生は、引きつった笑顔で「倉庫の掃除は終わったの?」と彼女らに尋ねた。
山中先生の様子を心配する澪が、既に終わっている旨を報告すると、どうもありがとうと、その労苦を労った。
そして、部員たちに、もう下校時刻だから早く帰りなさいと促しながら、慣れた手つきで、そそくさと麻雀牌を箱に仕舞い込み、「これはゴミだから捨てておくわね」と言って麻雀セットの箱と丸めた麻雀マットを両腕に抱え込んだ。
麻雀セットを取り上げられた律が文句を言おうとしたが、こめかみに血管が浮き出た山中先生に睨みつけられた。
「その机は元の場所に戻しておいてね。」
口元を引き攣らせた山中先生の迫力に圧倒された律は、空しい抵抗を諦めた。
山中先生が、逃げるように部室を後にする様子を見ていた梓は、一連の騒動から箱に書かれた文字について、心当たりのある単語を思い出した。
「DEATH DEVIL・・・」
梓が、ふと顔を上げると、澪が何か言いたそうに彼女の顔を見つめていた。
澪先輩も気付いたのかなと思っていると、先輩は口にチャックをする仕草で他のメンバーから、この秘密を守るようにと示し合わせてきた。
梓は、そっと唇に人差し指をあてて同意の意思を示した。
渋々、机を倉庫に戻して、帰り支度を始めた軽音部の面々は、部室を出る前に澪に呼び止められた。
澪は、真剣な顔つきで今日の麻雀の事は、誰にも言わないようにと全員に口封じをした。
「どうして?」と唯が不思議そうな顔をして問うと、梓から「デパ地下スィーツが食べられなくなるかもしれないですよ。」と脅されてしまった。それは困ると、唯がイヤイヤと体をくねらせ、みんな絶対喋っちゃ駄目だよと説得する側に回った。
澪は「特に律、お前が一番危なっかしいから気をつけろよ。」と念を押すのを忘れなかった。
「余計なお世話だ。」と最後に部室を出た律は、後ろ手に扉を閉めて鍵をかけた。
騒がしい部員達が去った部室には、初冬の夕日が細々と差し込み、部屋の隅に転がっている麻雀の一万点棒を寂しく照らし出していた。
完
この文章はハーメルンにも転載されています。
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