いきなり始まります
外は息が凍るほどの寒さ。街の灯りもすっかり消えて、世界が眠りについたようだった。
秋はあっけないほど静かに去っていった。つい最近まで半袖を着ていたはずなのに、気がつけばダウンに身を包んで寒さに震えていた。
俺がそんな気温の変化についていけず、意味もなく気候に文句を垂れていた時、甲斐田はどんな気持ちで、この世界を過ごしていたのだろう。過ちを犯したことを、ひとりで悔やみ続け、とっくに冷えきった心を、どうやって温めたのだろう。
もっと早く、俺を頼ってくれたなら、俺が支えて癒してやれたのに。
「僕が殺してしまった人は、華がある人で、僕なんかよりずっと素晴らしい成績を残していた人です。……とはいえ、それは全部本来の彼の才能ではないんです」
「……どういうことなん」
「彼は人の論文を丸パクリして、それをあたかも自分が研究した内容に見せかけて、提出していたんです」
「まじか、ひでえやつやな」
「…………僕の論文を真似していたんです」
「え、っ……」
「僕が提出する前にそいつが僕の論文を盗んで、そのまま発表するんです」
甲斐田は、桜魔ではかなりの著名人であるらしく、優秀な研究者として賞賛される声を何度も聞いたことがある。
それならば当然、彼の才能を羨み、妬む輩だって少なくないに違いない。今までにも多くの被害を受けてきたのであろう。それでも彼は何があっても屈しなかった。
我慢……してきたんだ。
「最初は内容が被ったんだな、とかそんな程度にしか思えなくて……でもことごとく自分と被ってくるから、おかしいと思って、本人に直接聞いたんです。そしたら、『お前の論文だ』と言われて……、」
甲斐田の息が段々と荒くなっていく。ただ真っ直ぐ見つめる瞳が、焼き付くような怒気を孕んでいた。いつも穏やかな優しい顔をしている彼の、初めて見る表情だった。
「それが僕許せなくて、『どうしたらやめてくれるんだ』って聞いたんです。そしたら……」
突然、甲斐田の呼吸が止まった。
さっきまで荒々しく肩を上下させていたのに、いきなり静まり返った。ベッドの上から甲斐田を眺めていた俺は、首を傾げ、どうした?と尋ねる。
すると甲斐田は、ビクビク震えながらこちらを見つめた。下から見上げられる視線は心地よくて、あまりにも可愛いもんだから、喉から出そうになった『可愛い』を、何とか飲み込んだ。
「今から、言うこと……引かないで聞いてくださいね…?」
「?うん、分かっとるよ」
「な、内容が内容なので……」
「だから大丈夫やって、言うてみ」
何を今更恥ずかしがっているというのか。
人を殺した、以上に引く言葉は数少ないだろう。
甲斐田は深呼吸してから、俺から目を逸らし、耳をすまさねば聞こえないほどの小さな声で言った。
「『抱かせてくれたら、もうパクんねぇよ』って……」
「──────は?」
いやいやいや、嘘だろ?
そんな趣味のあるやつが甲斐田を、?だったらどう考えたって、甲斐田に気があるからパクってたに決まってるじゃないか。
背中がゾクゾクして、冷や汗が吹き出た。
耳鳴りも止まず、呼吸の仕方が分からなくなってしまったみたいに、喉が張り付いている。
気持ち悪い、甲斐田に触れられたくない、
「それ、で……僕、その時正常な判断が出来てなくて……そのお願いを許したんです」
「え、……じゃあ、」
なんで、そんな
嫌だ、嫌だ、そんなの嫌だ、
「……シました」
最悪だ、一番嫌な予感が当たった。
甲斐田を不快にさせたやつが、そんな奴が、俺と同じ感情を甲斐田に抱いていた、なんて。
甲斐田の笑顔が好きだ。
名前の通り太陽みたいに明るくて、周りの人間みんなを照らしてくれる。夜の街で汚れた俺でさえも、甲斐田のおかげで夜の太陽として輝ける。
甲斐田の声が好きだ。
高めのハスキーボイスが、歌の収録やろふまお塾の企画で聴けるのがいつも嬉しくて、感情を必死に隠して、でもそんな時甲斐田を褒められる社長やもちさんの素直さが酷く羨ましかった。
甲斐田の優しさが好きだ。
控え室で机に突っ伏して眠っていれば、心配してくれた彼が自身の羽織物をかけてくれるのが嬉しくて。いつからか眠っているフリをかますようになった。
俺だけが知っていたかった全部。なのに、その男も同じところに惹かれて、同じように甲斐田を愛でたのか。
気持ち悪い、気色悪い、吐きそうだ。
甲斐田、俺の甲斐田が、、
「…………そうか、」
何とか捻り出した声は、自覚出来るほど震えていた。涙が零れたわけでも、泣きそうなわけでもないのに、喉がキュッと締まる感覚がした。
不思議そうに俺を見上げた甲斐田の双眸が、俺だけを映していて、それが唯一の救いだった。綺麗な空色の詰まった、俺の大好きな眼。
あぁ、愛おしい、狂うほどに可愛くて愛くるしいなぁ、……。
俺は知らぬ間に体をベッドから下ろし、布団に座っている甲斐田のそばに寄った。
甲斐田の口が動いてる。なんか言ってるんかな……聞こえん、可愛ええなぁ、パクパクしてて。
伸ばした両の腕は甲斐田の首を捉えて、自分に引き寄せた。ようやくそこで自分が何をしているのか分かった。俺は───甲斐田を抱き寄せている。
可哀想に、嫌だっただろう、気持ち悪かっただろう、怖かっただろう、苦しかっただろう、痛かっただろう……。
「……ふわ、さん?」
「……かわいそにな、、甲斐田……」
限りなく優しい手つきで甲斐田の頭を撫でる。ふわふわなローズグレーの髪が指をすりぬける感覚が、先程風呂上がりに髪を乾かしている間の感覚と何も変わらなくて、そんな事さえ尊い。
「……いや、でも承諾したのは僕で、」
「関係あらへん……だって嫌やったろ、」
「……そりゃ、もちろん」
ひどいやつだ……こんなに純粋な甲斐田を傷つけて、汚して、クソ野郎だ。
そいつは、死んで当然だったんだ。
言い過ぎだなんて、絶対誰にも言わせない。
「でも……その男、僕を抱いたのに、結局パクったんです……約束、破られたんです」
彼の口が俺の肩に埋まり、モゴモゴと動く。吐息の温かさが伝わり、顔に一気に熱が集まって、おそらく赤くなったのだろうと気づいた。抱きしめているおかげで見られないのが幸いなことだ。
とはいえ甲斐田はなんと言った、約束を破られた、だと?
自分の耳を疑ったところで、彼の言い間違いでも自分の聞き間違いでもない。聞き返すなんて外道だ。何度も言わせるのが可哀想なほどの内容なのだから。
「ふざけとんのか、ソイツは……」
「ふざけてますよ。だからそれで彼と揉めてしまったのですが、彼は研究者であり特殊な祓魔師だったので、専用の拳銃を持っていたんです。それが揉み合いの最中に誤って暴発して……運悪く彼に当たってしまったんです、」
甲斐田は俺から身を離し、俯いたまま、今度は悲しそうな悔やむ顔でそう言った。そんな奴のために甲斐田が後悔する必要なんてないのに……つくづく甲斐田は器の広い人間だなぁ。
「あたっ、……ちゃったんか、、」
「……はい」
「で、どうしたん」
「……僕は治癒魔法を使うことが出来るので、それで彼の傷を治せば済んだ話だったんです……でも、ほんの一瞬───殺意が、湧いてしまって……その場から逃げ出してしまいました……」
その場の光景が目に浮かぶように分かる。きっと甲斐田は、一度は助けようと思ったはずだ。しかし、過去の全ての記憶から蘇るその男の行いは、甲斐田にとって何の利益ももたらさない。そしてそれは、この先も変わらないかもしれない。
邪魔で、邪魔で、しょうがなかっただろう。 消したくなってしまうのも無理はない。
「そのせいで───彼は死んでしまった。僕が殺したんです……事故とはいえ、僕が助けたら良かったんだから……見殺しにした僕の罪です、」
なのに、甲斐田はこんなに自分の行いを悔やんでいる。確かに助けたら良かった、魔法さえ使えば、奴は生き延びれた。だが、それがもし今後も甲斐田を困らせるなら、死んでも文句言えないだろう。他人の功績を横取りし、その人の努力を奪ったのだ。
努力していない人間には分かりえない苦労だ。甲斐田がその研究に、どれだけの時間と体力と気力をかけたのか。
死んで償ってもらわなければ。
「……だから、僕───死にたいんです」
「…っ、え?」
「最後にアニキの顔が見たかったんです……僕が自殺して、みんなが僕を疑って……でも、アニキにだけは、僕は間違ってなかったって思って欲しくて……だから、ここに来ました」
突然強い頬を叩かれた。それに酷く似た衝撃が体を襲った。
前から嫌いだったんだ。自分のことを大事にしないコイツが。大事に出来ないコイツが。こんなに大好きなこの人のこの欠点だけが、どうしても愛せなかった。
いいじゃないか別に。そのパクった男が悪かった、で。どうして自殺まで追い込まなきゃ気が済まないんだ。どうして自分を傷つけないといられないんだ。
───死なせてたまるかよ
目を潤ませた甲斐田の頬を、そっと触れてみる。涙が流れたら蒸発してしまいそうなほど熱を持った頬は、添えた俺の指まで溶かしてしまいそうだ。
「甲斐田…… 」
「……はい」
「……俺は、お前を死なせたくない。───甲斐田のことが好きなんだ」
「……っ、……え?」
驚くのも無理はない。 アニキと呼び、信じ、慕い、背中を追ってきた相手が、自分に好意を抱いていたなんて───そんな現実、誰がすぐに受け止められるだろう。
でも、俺は本気だった。冗談でも、気の迷いでもない。だからこそ、彼の目が痛い。驚きと困惑と、少しの拒絶が混ざった視線を俺に向けている。それでも、もう引き返すつもりはなかった。
甲斐田が俺に、俺と同じ好意を抱いているのは、可能性としてほぼゼロに等しかった。確かに話しかけてくれる時は、しっぽをブンブン振って「構って構って!」とアピールする大型犬だが、それは俺に限った話じゃない。誰にでもやってるし、別に恋慕心を抱えてやっていたことでもない。
だから、今彼が俺の発言にドン引いたのは分かっていたことなのだ。
「……え、不破さんが?」
「言っとくけど冗談とかやないから 」
「……」
「死なれちゃ困る、俺がな」
言いたいことは沢山ありそうな顔をしている。眉を顰め、まるでここに来たのは間違いだった、とでも言いたげだ。
きっと俺なら、甲斐田の意見を尊重してくれる、と思ったのだろう。社長やもちさん、同期のふたりなどはきっと、すごく甲斐田を大事に思っているから、そんな言葉を許さない。
だけど、生活習慣が終わっている俺なら、伽藍堂と言われる俺なら、自分と同じように世界に絶望してくれているのかもしれない。自分の気持ち、考えを、受け入れてくれると思ったのだ。みんなみたいに、必死になって自分をこの世界に引き留めようとはしないだろう、という思惑のような気がする。
肩すかしを食うはめになった甲斐田は、表情を歪めたまま、俺を警戒している。
まぁ、だからなんだって感じなんだけど。言ってしまったらもうこっちのもんだ。
「ずっと好きだったんだ、それなのに俺に何の恩も返さず、死なせる訳にはいかないよなぁ」
「……何が望みなんですか」
呆れた、という顔で俺を見上げる甲斐田。煽っているのはこっちのはずなのに、まるで俺がやられているみたいだ。惚れたもん負け、とはまさにこの事か。
「……一週間、俺の家で暮らせ、あと……抱かせて」
「……な、は?」
「ええな?」
「そ、そんな急に暮らせ、とか抱かせろ、なんて言われても……」
「抱かせてくれたら、頼み聞いてやるから」
「…………」
とは言いつつも、実際そんなつもりは無い。もし本当に抱いた次の日、『殺してください』なんて言われたら、俺の逃げ場がない。
勢いに任せ口走ってしまったことを訂正しようと口を開きかけた時。
「───分かりました」
「……え?」
「不破さんの家で暮らします」
「……ええの」
「提案したのそっちでしょ、それともやめます?」
「え、や、やだ!……でも抱くんやで?俺」
「……正直嫌ですけど、あいつよりはマシだし」
お手柔らかにお願いしますよ、そう睨みつけながら言われてしまった。本音を言うと、そんな奴に比べられたのは少々癇に障るが、まあ許してやろう。
とはいえ、時間に猶予がある訳でもない。まさか本当に抱いたら終わりにするつもりなどないし、かと言ってもこのままだと本当に、『死にたい』というお願いを聞かなければいけなくなる。
いや違う……俺が気持ちを変えさせればいいんだ……生きていきたい、と思わせられたらいいんだ……!
元は素直で優しい、根っから明るい子なんだ。たしかに今は、行き詰まっているかもしれないが、きっとその気持ちさえ無くしてやれば、またこの世界を愛してくれるはず。
よし、決めたぞ俺は……
「っしゃあああああ!!」
「……そんなに嬉しいかね、」
気合いの叫びを響かせたところ、甲斐田には勘違いされたみたいだが上等だ。
待ってろ甲斐田……俺がお前を守ってやる!
そんな強い意志が、胸を高鳴らせた。
ご拝読いただきありがとうございました!
めちゃくちゃ期間空いてしまいました…
猛反省です
この作品、内容は決まっているので、あとは私の語彙力しだいで話が進みます……心情描写が多めなので、とても長くなってしまうかもしれませんが、どうか最後までお付き合いください!
コメント、いいねもお待ちしています☺️
コメント
6件
時差はつこめ失礼します! 天才ですねマジで 続き楽しみにしてます!!!
最高です!!! やんさんの神ってる語彙力が無双してます笑笑 次回も楽しみです‼️