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朝倉くんが、してやったりという顔でペンを握らせてきた。
「なっ!」
私をその気にさせておいて、先に婚姻届へ署名を書かせるわけ?
なんてずるいやり方!
だけど、目の前に突きつけられたこの用紙を見た瞬間、私は彼と相談しなければならないことを思い出していた。
それは、結婚前に朝倉家へ正式な挨拶を済ませること。
このまま彼の思惑どおりに進む前に、きちんと膝を突き合わせて話をしなければならない。
なのに、朝倉くんは意地悪なことを仕掛けてくる。
「続き、したいですよね?」
そう囁くと、ブラの下に手を差し入れ、敏感なところを刺激し始めた。
(な、なんて卑怯な!)
指先が緩急をつけて動くたびに、身体から力が抜けていく。
膝が震えて崩れそうになり、私はキッチンの縁を必死につかんだ。
「あっ……」
思わず声が漏れる。
(そっちがそうなら……こっちは、あなたの気持ちを萎えさせるまでよ!)
私はなんとか平静を装いながら、彼を見上げた。
「ほら、早く書いてください。続きしたいですよね?」
私を見下ろす朝倉くんの目には、明らかな色気が浮かんでいる。
悔しいけれど、その顔さえ魅力的だと思ってしまう。
「朝倉くん……ずるい人。あなたって……」
この人には、何をされても勝てない。
そう思わせるほどの強引さと、私を求めてくる真っ直ぐさがある。
そういうところが──
「美麗さんにそっくりね」
「…………………………」
朝倉くんの指が、ぴたりと止まった。
そして、Tシャツの中に入っていた手が、するりと抜けていく。
「……瞳子さん。なぜ母の名前を知っているんですか?」
先ほどまで漂っていた色気が、一瞬で消えた。
朝倉くんはむすっとした表情になっている。
私はめくれていたTシャツを直し、羽織っていたカーディガンの前を整えてから、彼に振り返った。
「美麗さん直々、私に会いに来たからよ。今、私は彼女の顧客担当なの」
夏目莉央
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くま🐻☁️
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最初は呆然としていた朝倉くんだった。
けれど、少しずつ眉間に皺が寄っていく。
「……は、母が瞳子さんに会いに来たんですか⁈」
「そうよ。朝倉くんのお母さまは、やり手の経営者なのね。知らなかったわ」
「な、なぜ言わなかったんですかっ!」
珍しく、彼が本気で怒っている。
やはり、美麗さんと朝倉くんの間に確執があるのは確かなようだった。
「今、伝えたじゃないの」
「愛し合っている最中に母親の名前を出すのはナンセンスッ! 萎えてしまいました!」
そう言って、彼は顔をぷいっと背けた。
それでも私は、話を逸らすつもりはなかった。
「それでいいの。私たちには、話し合わないといけないことがあるもの!」
「何をいまさら話し合うことがありますか?」
朝倉くんは腕を組み、私のほうを見ようとしない。
「籍を入れる前に、きちんと朝倉家に挨拶に行こう。筋は通すべきよ」
すると、彼はムッとした顔で私に向き直った。
「結婚したら報告するつもりでした。それでいいではないですか!」
私は首を横に振った。
「私が嫌なの。あなたのご家族にも納得してもらった上で、結婚したい」
「あの人はやっかいな人です! きっと僕たちの邪魔をしますよっ」
「それでも、あなたの母親なのよ。事前に自分の口から結婚の報告はすべきだと思う。そうでなければ、私は婚姻届に署名はしない」
そう告げて、私は踵を返した。
リビングへ戻りながらも、胸の中には複雑な思いが残っていた。
私だって、彼と母親の仲を取り持つつもりはない。
昔はどれほど嫌いだと思っていても、年月を重ねれば、人は変わることもある。
朝倉くんは、今の母親にもう少し関心を寄せてもいいと思う。
美麗さんは強烈な方だった。
朝倉家と私の家柄が釣り合わないから、私との結婚に反対している。
でも──。
(理由は、本当にそれだけなのだろうか)
朝倉くんは、きちんと母親と話をするべきだと思う。
私の親はもういない。
だからこそ、生きている親がいるのに、その存在を消すように扱うことが、私には悲しくて、どうしても納得できなかった。
そんなことを考えながら、私はお風呂の準備をするために脱衣所へ向かった。
背後から、朝倉くんがついてくる気配がする。
「瞳子さん、怒っているの?」
「怒ってないよ」
振り向かずに答える。
すると、彼は何かを感じ取ったのか、足を止めた。
そして、拗ねた子供のような声を出す。
「瞳子さん、行かないで!」
次の瞬間、再び背後から抱きしめられた。
「──瞳子さんは、そばにいて」
そう言って、彼は本気なのか冗談なのかわからないほど、甘えるように私へ身体を寄せてくる。
いつもの私なら、可愛いと思えたはずだった。
けれど、今はそう感じることができない。
むしろ、美麗さんの言葉が頭の中によみがえってしまう。
彼は本当に私を愛しているのだろうか。
それとも、美麗さんからもらえなかったものを、私に求めているのではないだろうか。
そう考えてしまうと、胸が苦しくなった。
だから、口にしてはならない言葉をつい漏れてしまった。
「私は──あなたのお母さんではないわ」