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夏目莉央
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くま🐻☁️
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「……え?」
私を抱いていた腕の力が、ふっと緩んだ。
「母親が側にいてくれなかったから、私から母の愛が欲しいの?」
「……違うっ!」
力強い彼の言葉が返ってきた。
それなのに、私は信じることができなかった。なぜか頭に血が上ってしまい、かろうじて組まれていた腕を振りほどいて、彼を突き放してしまう。
「私は李人を育てるだけの人生で、中身はなにもない。朝倉くんが惚れる要素なんて、なにもない!」
「……瞳子さん……」
眉を下げ、悲しそうな瞳で私を見る朝倉くんが目に映る。
それでも、止められなかった。
「こんな私に執着したのは、母親のような愛情をもらえると思ったからでしょう⁈」
心の奥に押し込めていた疑心が、堰を切ったように言葉となって飛び出してしまった。
(淋しそうな朝倉くんの顔を見ると、私だって辛いのに!)
本当は、こんなことを言いたいわけじゃない。
けれど、これを確かめなければ、美麗さんの言葉に支配されたまま、私は彼との関係を壊してしまう。
だから、今ここで確かめるしかなかった。
朝倉くんは、その場に立ち尽くしている。
その表情は、私の言葉に納得できていないようだった。
「確かに、あの人は母親らしいことはしてくれませんでした。でも、それと瞳子さんへの愛は、全くの別物です!」
「……」
朝倉くんが無自覚なだけで、母親の美麗さんは気づいているじゃないの?
彼の私への執着は、母親からもらえなかった愛情を求めているからなのではないか。
そんな疑いが、頭から離れない。
私はもう、誰かに尽くすだけの人生は、李人と龍彦で終了したいんだ。
そう思った瞬間、瞼に溜まっていた涙が限界を迎えた。
彼の顔を見た途端、ぽろりと頬を伝って落ちていく。
朝倉くんもそれに気づき、苦しそうに顔を歪める。
「瞳子さん、信じてほしい。僕はあなたを幸せにしたい。それだけなんです」
いつもの朝倉くんらしい言葉だった。
これまで私は、彼のその言葉に何度も助けられてきた。どんなときも真っ直ぐに私を見つめてくれる彼の言葉があったから、私は前を向くことができた。
なのに今は、それを素直に受け入れることができない。
「また何か、後出しカードを持っているの?」
「そんなの、持ってないですよっ」
「私が母親の存在になれば、あなたは私に飽きるわ。だって、私は中身が空っぽの年上女だもの」
美麗さんの言葉が、呪縛のように私を縛っていた。
苦しいのに、呆れるほど自分自身と朝倉くんを追い詰めてしまう。
感情が溢れ、涙がとめどなく流れた。
ついには両手で顔を覆い、嗚咽してしまう。
朝倉くんが困惑しているのが、雰囲気だけでも伝わってきた。
「瞳子さん……いつもと違って、少し変です。どうしたんですか?」
朝倉くんが私に触れようと伸ばしてきた手を、私は反射的に払ってしまった。
私自身、彼にどう接すればいいのかわからなくなっていた。
「瞳子さん……」
きっと、朝倉くんはショックを受けている。
いつも冷静で堂々としている彼が、目の前で泣いている私をどうすればいいのかわからず、明らかにオロオロしていた。
「僕、今の瞳子さんをどうフォローしていいのかわかりません」
彼は一度言葉を切った。
「ただ、これだけはわかってほしい」
涙で滲む視界の中、彼のまっすぐな瞳が私を見つめていた。
「僕は瞳子さんに、一度だって母親を求めたことはない。僕の夢は、あなたを幸せにすること。それだけなんです!」
朝倉くんは、自分の足元へ視線を落とした。
何かを決意したように小さく息を吐く。
そして、そのまま私に背を向けた。
呼び止める間もなく、彼はその場から立ち去っていく。
やがて、ガチャンと玄関扉が閉まる音が聞こえた。
その音で、私はようやく我に返った。
「……朝倉くん?」
ふらつく身体になんとか力を込めて、歩き出す。
リビングには、彼はいなかった。
「え?」
急に怖くなった。
慌てて玄関へ向かう。
いつもの場所にあったはずの彼の靴がない。
そして、車のキーもなくなっている。
(出て行ったの?)
私が彼を疑って、苦しめてしまったからだ。
そう理解した途端、頭の中が真っ白になった。
考えるより先に、そこにあったサンダルに足を通して、外へ飛び出した。
エレベーターホールには誰もいない。
「早く……!」
エレベーターのボタンを何度も押す。
けれど、なかなかカゴがやってこない。
ほんのわずかな時間のはずなのに、今は永遠のように感じられた。
居ても立ってもいられない焦燥感に駆られ、また涙が溢れてくる。
自分は母親だ、年上の女だと言いながら、彼を信じてあげることもできず、悲しませてしまった。
(そんな自分が、死ぬほど情けない!)
やっと扉が開く。
私は乗り込むと、また一階のボタンを何度も押した。
ガランとした一階のエントランスには、人の気配がない。
周囲を見回しながら、足は自然と外へ向かっていた。
マンションの入り口を出た瞬間、真っ暗な夜の世界が私を包み込む。
朝倉くんがいない。
どこにもいない。
私の前から、消えちゃった。
(彼を失いたくない!)
とんでもない絶望に襲われた。
全身にぶわっと鳥肌が立つ。
このまま意識まで闇に飲み込まれてしまいそうだった。
そんな自分を救うために、私は都合のいい妄想を必死に生み出す。
朝倉くんは、気分転換に散歩をしてくるだけよ。
きっと、そう。
私から離れるわけないものね?
極度の不安から、それを証明したくなった。
私は駐車場へ向かって走った。
ほら、そこには朝倉くんの車が──なかった。
「……え?」
車がない。
その事実を目にした瞬間、絶望が一気に私の力を奪った。
膝から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「朝倉くんが……出て行った……」
声が震える。
「私が……彼を追い詰めてしまったからだ……」
もう、立ち上がることもできなかった。
「私って……なんてバカなの……」
私は一人、夜の駐車場で泣き続けた。