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「おはよう。」
「おはよ。」
「あれ?若井もう出掛ける準備してるの?」
「うん、先輩に早めに来てって言われててさ。」
「そうなんだ。大変だねえ。」
眠い目を擦りながらリビングに入っていくと、既に部屋着から着替えて出掛ける準備をしている若井が、リビングを慌ただしく横切って行く所だった。
キッチンからは涼ちゃんの声が聞こえてくる。
「若井〜、トーストだけでも食べてく?」
「うん!髪の毛セットしたら食べるわ。」
若井は涼ちゃんの問いかけに、そう返すと、キッチンを抜け、おそらく脱衣所に向かっていった。
そんな二人のバタバタした様子を横目に、ぼくはキッチンへと足を向ける。
冷蔵庫から飲み物を取り出そうとしていると…
「あ、元貴。おはよ〜。」
涼ちゃんがぼくを見て、にこっと笑った。
「おはようー。」
そう言いながら、ぼくは手にしたペットボトルを持ったまま、すっと涼ちゃんの背に近づいて、肩にそっと顎を乗せた。
…今日はなんだか涼ちゃんに甘えたい気分。
「学祭楽しみだねぇ。」
「うんっ。」
そう、今日は11月に入って最初の土曜日。
そして、楽しみにしていた学園祭の初日で、 若井が朝から忙しそうにしているのは、学祭の出店準備の為だ。
涼ちゃんと若井のパンが焼けるのを待っていると、髪のセット終えた若井が、またバタバタとキッチンの扉から戻ってきた。
「やばいやばい、時間ないわっ。」
そう言いながら、いつも使っているリュックに必要な物を詰め込んでいく若井。
ーーチンッ
トーストが焼き上がる音と同時に、涼ちゃんが『あちっ』と言いながらパンを取り出し、手早くバターを塗っていく。
「じゃ!行ってくる!」
ちょうどその頃、トーストのことなんてすっかり忘れている若井が、リュックを背負ってキッチンを横切っていった。
「あ、若井! パン!」
あわてて涼ちゃんの焼いたトーストを片手に追いかけると、若井は一瞬立ち止まって、ぼくの手からそれを…
「わ、忘れてた!」
パクッと口に咥えると…
「はひはお! ひっへひふぁふ!」
そう叫んで、そのまま駆け出していった。
「若井、なんか叫んでなかったぁ?」
「うん、“ありがと!いってきます!”だって。」
「あははっ、よく分かったねぇ。全然聞き取れなかったや。」
「まあね。付き合い長いしっ。」
キッチンに戻り、ダイニングテーブルでお茶を飲みながら、涼ちゃんと他愛もない話をしながら少しだけのんびりする。
ちなみに朝食は、学祭で食べ物の屋台が沢山出るという涼ちゃんの情報により、ぼく達は食べずに行く事にした。
『全部制覇するぞ〜!』と意気込んでる食いしん坊な涼ちゃんが可愛くて、ぼくは思わず笑ってしまった。
・・・
「わあー!すごーい!」
数時間後、涼ちゃんと一緒に家を出て大学に向かった。
正門をくぐると、いつもの風景とはまるで違う光景に、ぼくは思わず声を上げていた。
「意外とみんな本気って感じするでしょ?」
「うん!」
高校の学園祭とは比べ物にならないほど本格的で、ぼくはワクワクしながら構内へと足を踏み入れる。
たこ焼き、唐揚げ、フライドポテト、ワッフル、クレープ、チュロス…
敷地内には、ご飯系からスイーツまで所狭しとお店が並んでいて、目移りしてしまう。
朝ご飯抜いてきて正解だった、と思っていると、右側からぼく達の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「元貴ー!涼ちゃんー!こっちこっち!」
「あ!若井だ!」
「お疲れさまぁ。」
声が振り向いた方を向くと、頭に手拭いを巻いた若井が鉄板の前で忙しそうに手を動かしていた。
「髪の毛セットした意味なかったね。」
「それな。」
「でも、似合ってるよ!」
ばっちり決めてる若井もかっこいいけど、こういうラフな姿も悪くない。
そう褒めると、若井は少し照れたように笑った。
「へへっ、ありがと!」
「うん、屋台のお兄さん!て感じでいいねっ。」
ぼくと若井のやり取りを見てた涼ちゃんもそう言うと、若井が『えぇー、それ褒めてる?』と笑って返した。
すると、そんなやり取りを見ていた、若井の隣でキャベツを切っていた金髪の男の人が、こっそり若井に話しかけた。
「ねぇ、ひろぱ。藤澤さんとなんでタメ口なん?」
その人は、チラッと涼ちゃんを見て、若井にそう言った。
「え?だって友達だし、一緒にルームシェアしてるんで。」
「そうなん ?!」
二人のやり取りを見てた涼ちゃんが、驚いた様子の金髪の人に、ふわっと笑いかける。
「若井がお世話になってます〜。」
その笑顔に、金髪の人は思わず「おかんか!」とツッコミを入れた。
そのやり取りが妙にツボに入って、ぼくはつい吹き出してしまった。
「あ、ごめんなさい!先輩なのについ…。」
慌てて謝る金髪の人に、涼ちゃんは気にする様子もなく、にこっと笑って答えた。
「全然大丈夫だよ〜。てか、たまに同じ講義受けてるよね?同級生みたいなもんだし、全然タメ語でいいよ〜。」
「そうっすよ。涼ちゃんはタメ語でいいっすよ。」
「ちょっとぉ!若井はもうちょっと敬って欲しいところだけど?!」
「えぇー、だって涼ちゃんだし。ね?元貴。」
「うん。涼ちゃんだからねえ。」
「わぁ!元貴までぇ?!」
そんな、ぼく達のいつも通りの会話が繰り広げられているのを、ポカンとして顔で見てた金髪の人は、急にケラケラと笑い出した。
「藤澤さんって、そんなふんわりした人やったんや!カッコイイ人居るなーってずっと思ってて、ほんまはずっと話し掛けたかったんやけど、年上でなんか近寄り難いオーラがあったから、話し掛けれんかったんよねー。派手髪同士やし、ほんまは仲良くなりたいなって思っててんけどさ!」
そして、人懐っこい印象を受ける関西弁で一気にまくしたてると、涼ちゃんにニッと笑いかけた。
彼の勢いに、 最初は目を丸くしてた涼ちゃんだけど、すぐにいつもの柔らかい笑顔を返した。
「えぇ〜、嬉しいっ。全然声掛けてくれていいのにぃ。」
「じゃあ、これからはバンバン声掛けるわ!」
「うん!よろしくねっ。」
ぐぅーーー
…と、そんな和やかムードの中、ついにペコペコのぼくのお腹が主張し始めた。
そりゃ、さっきからずっとソースのいい匂いが漂ってるんだから、仕方ない。
ぼくのお腹の音を聞いた若井が『ぶっ!』と吹き出した。
「二人で食べるでしょ?大盛りにしとくね。」
若井は笑いながらそう言うと、焼きたての焼きそばを、透明なケースからはみ出すほど勢いよく盛りつけてくれた。
「はいっ。」
手渡されたそれは、見た目以上にずっしりと重い。
「重っ!ありがと!」
「また、後でねぇ。」
若井に笑い返しながら、割り箸を二膳受け取ると、 ぼく達は忙しそうな若井に別れを告げて、座る場所を探して歩き出した。
少し行くと、【飲食スペース】と書かれた看板があり、席も空いてたので、そこに座って食べる事にした。
涼ちゃんは焼きそばの他にも食べたいものがあったらしく、カバンを椅子の上に置くと、お財布だけ手に持ってどこかに走っていった。
「おまたせ〜!」
しばらくすると、食べ物で手が塞がった涼ちゃんが小走りで戻ってきた。
「何買ってきたの?」
「たこ焼きと唐揚げ!」
涼ちゃんが買ってきたものをテーブルに並べると、テーブルが茶色で埋め尽くされ、ぼくは思わず笑いがこぼれた。
「ちょ、茶色すぎるって。ってか、たこ焼きって…ソースだらけじゃん!」
ぼくが目の前の光景にツッコミを入れると、涼ちゃんは胸の所で腕を組んで…
「と、思いまして、たこ焼きは出汁醤油味にしましたっ!」
どこか得意げな顔をしてみせるので、『なにそれっ』と、ぼくはさらに吹き出してしまった。
こんなに沢山食べれるのかと思っていたけど、涼ちゃんの旺盛な食欲に助けられ、あっという間完食してしまった。
気がつけば、時刻はちょうどお昼を過ぎた頃。
いつの間にか飲食スペースは人であふれ、席も満席になっていた。
お腹がいっぱいになったぼくたちは、空になった容器を片付けると、立ち上がって校舎内の出し物を見に行くことにした。
校舎内では、文系のぼく達はあまり関わりがない理系の学科の人達の科学実験やロボット体験などの興味深いブースが並んでいた。
他にもお化け屋敷や謎解きなど、如何にも“学園祭”という感じの楽しそうなものもあったけど、『こういうのは若井と三人で来た方が楽しそうだよね』という事になり、軽く様子だけを覗いて、また後で来ることにした。
若井からは、さっき【一時間後に休憩入る!】というメッセージが届いていたので、あと一時間どう過ごそうかと涼ちゃんと話しながら廊下を歩いていた時。
ふと、チラシを配っている学生の姿が目に入った。
なんとなく手に取って見てみると、それは体育館でこれから始まる軽音サークルのLIVEの案内だった。
「へえー、面白そう!」
「いいねっ、行ってみようか!」
「うん!」
ちょうど時間も空いていたし、ぼくたちはそのまま体育館へ向かうことにした。
少しだけ出遅れてしまったぼく達は、体育館の扉をそっと開けた。
その瞬間、ベース、ギター、ドラム、キーボード…いくつもの音がぶつかり合うように耳を打ち、立ちのぼる音の熱に、一歩足を踏み入れた足元がぐらつくような気がした。
少し遅れて、ボーカルの声が体育館の隅々まで響き渡る。
流れていたのは、最近人気のあるロックバンドのコピー。
驚くほどクオリティが高くて、まるで本物のライブを観ているみたいだった。
一気に湧き上がった歓声。
人々の熱気で、体育館の空気が揺れている気さえする。
ぼくと涼ちゃんは顔を見合わせて、自然と笑いあった。
「これ、元貴の好きな曲じゃない?!」
体育館いっぱいに響く音の中で、自然と距離が近くなる。
1曲目が終わり、次の曲が始まったその瞬間、涼ちゃんがぼくの耳元に顔を近づけた。
ふいに届いた声。
その瞬間、心臓が跳ねた。
バンドの音も歓声も関係なく、ぼくの胸の中だけが、ドクン、ドクンと煩く騒ぎはじめる。
「うん!好き!でも、なんで知ってるのー?!」
暗がりに助けられて、赤くなっているであろう顔は多分バレていない。
冷静を装って、ぼくも涼ちゃんの耳元に口を寄せる。
若井は知ってるけど、涼ちゃんには言ってなかったはず。
もしかして、若井から聞いたのかな?と思い尋ねてみると…
「この前、ハンモックで口ずさんでるの聞いちゃったぁ!」
へへっと笑った涼ちゃんに、ぼくの心拍数はさらに跳ね上がる。
まさか聞かれてたなんて…。
恥ずかしくて、どこを見ればいいか分からなくなる。
あっという間に2曲目、3曲目と続いて、場内の熱気は最高潮に達する。
そして始まった4曲目は、ポップなリズムの中に、切なさの混ざったラブソングだった。
“友達を好きになってしまった少し切ないラブソング”
この曲も、最近よく聴いていた曲だ。
多分ハンモックに揺られながら口ずさんだ事もあったと思う。
(もしかして…これも、聞かれてたのかな?)
そう思い、そっと涼ちゃんを盗み見ると、視線に気づいたのか、また、耳元に顔を近づけてきた。
「僕、この曲最近よく聞いてるんだぁ。」
ふわっと笑って、すぐ前を向く。
曲にあわせて小さくリズムをとりながらも、どこか聴き入っているようだった。
スポットライトにほんの少しだけ照らされた涼ちゃんの横顔が、妙に綺麗で。
まぶしくて。
目が離せなかった。
“今日も近いけどまるで遠いこの距離”
“魅了されてばっかり always”
耳に流れ込んでくる歌詞と、視界にある涼ちゃんの姿が重なって、ぼくの胸はきゅっと苦しくなった…。
そして、4曲が終わり、バンドメンバーの自己紹介タイムに入った所で、ポケットの中のスマホが、ぶるっと震えた。
取り出して見てみると、若井から【後ちょっとで休憩ー!】というメッセージがきていた。
ぼくが涼ちゃんにスマホの画面を見せると、涼ちゃんが体育館の扉を指差したので、ぼくは軽く頷いた。
二人で体育館を出て、正面玄関の方に向かっていく。
さっきのバンドの感想を言い合いながら歩いていたその途中、涼ちゃんがふいに言った。
「そういえば、さっきの4曲目のさ、元貴が歌ってたのを聞いて、いいなぁって思ったんだよね。…て、何かこれ、さっきの歌詞みたい。」
そう言って、涼ちゃんは恥ずかしそうに少しだけ笑った。
その瞬間、ぼくの胸の奥がざわっとかき乱された。
何か返そうと思っても、うまい言葉が出てこない。
口ずさんでたのを聞かれてたのは、正直ちょっと恥ずかしい。
でも、それよりも…
涼ちゃんは、きっと何も考えずに言ったんだと思う。
“深い意味なんてない”って、ちゃんと分かってる。
それでも…
『何かこれ、さっきの歌詞みたい。』
その一言が、頭の中で何度も、何度も、繰り返される。
あの曲には、
“きみのお気に入りの曲を気に入ってみたりして”
そんな歌詞があった。
きっと涼ちゃんは、その事を言ったんだろうけど…。
分かってる。
深い意味なんてないことくらい。
なのに、胸の中のドキドキが、どんどん大きくなっていくのを止められなかった。
「うわあー、やっぱり聞かれてたんだあっ。恥ずかしっ。…てか、若井と合流したら、ぼくチュロス食べたい!ほら、おやつの時間だし!」
ぼくは、わざとらしいくらいに声を張ってそう言った。
話題を切り替えたというより、自分の気持ちを誤魔化す為の精一杯の言葉。
わざとすぎるかな、って少し思ったけど…
「じゃあ、ぼくはクレープ食べよっかなぁ。」
と、返してきた涼ちゃんに、ぼくはホッとした。
本当に誤魔化せたのかどうかなんて、分からない。
だけど、涼ちゃんが、何も触れずに、さりげなくのっかってくれたのが、嬉しかった。
「ねぇ。チュロス、ひとくちあげるから、クレープひとくち頂戴っ。」
ぼくがそう言うと、涼ちゃんはニコッと笑って、『 いいよ〜!』と、元気に答えた。
きっと、まだ“なにか”に気づいてしまうには、少し早い。
……でも。
そんな、今の距離が、ちょっとだけ愛おしくも感じた。
・・・
「お疲れー!」
「お腹減ったー!」
「お疲れ様〜。」
若井が居る焼きそばの屋台に辿り着くと、ぼく達を見つけた若井が、嬉しそうにテントの中から飛び出してきた。
早速、『何か食べたい!』と騒ぐ若井を連れて、ぼく達は正門からずらっと並ぶ、食べ物屋さんのテントを三人で見て回った。
途中、『ソースはもう見たくない!』と言っていた若井は、明太子ソースがかかったたこ焼きを買って、ぼくと涼ちゃんはそれぞれチュロスとクレープを買って、飲食スペースにやってきた。
時間は15時を過ぎていたおかげで、席は結構空いていて、すぐに座る事が出来た。
「「「いただきまーすっ。」」」
本日、初めての三人揃っての食事。
ただそれだけの事なのに、なんだか少しだけ嬉しくなる。
ひと仕事終えた若井は、たこ焼きをひとくち食べると、『うまー!』と声を上げた。
よっぽどお腹空いてたようで、喉に詰まらせないか心配になる程の勢いで、口いっぱいにたこ焼きを頬張っていく。
ぼくはチュロスをかじりながら、ふと横を見ると…
涼ちゃんはいつの間に買ったのか、クレープの他に、フライドポテトも持っていて、自分もつまみながら、若井にそれを差し出していた。
「まじ?ありがと!」
若井はたこ焼きをあっという間に食べ終えると、涼ちゃんのフライドポテトをパクパクと口に運び始めた。
「忙しかったー?」
そんな若井にぼくがそう尋ねると、若井の手がふと、止まった。
「めちゃくちゃ忙しかった。でも、それは全然苦じゃなかったんだけどね。意外と楽しかったし……」
少し間を空けてから、若井は続けた。
「……ただ、なんというか、精神的な負担?っていうか……まあ、とにかく大変だったわ。」
若井は言葉を濁しながらそう言うと、たこ焼きと一緒に買ってた麦茶をゴクッと飲み込んだ。
そんな、いつもと様子が違う若井に、 何があったのかは、何となく聞いちゃいけない気がして、空気を察した ぼくと涼ちゃんは、手に持っていたスイーツを黙ってひとくち食べた。
その後、涼ちゃんとチュロスとクレープを交換して食べ合い、 (もちろん、若井にもつままれながら) 三人ともすっかりお腹いっぱいになった頃…
ふと時計を見ると、もうすぐ16時。
空もほんのりと傾きかけていて、にぎやかだった学園祭の一日目が、ゆっくりと幕を閉じようとしていた。
・・・
「何も見れずに終わっちゃったね。」
「だね。あっ、でも、明日は午前中だけでいいって言われてるから12時になったら自由になるよ!」
「まじ?じゃあ、明日一緒に見てまわろう!」
「お化け屋敷行こ〜!」
「行く行く!」
「お化け屋敷は三人でって話してたもんねえ。」
「そうなの?!なんか愛を感じるわー。」
「ふふっ。」
「てか、二人は今日なに見てまわったの?」
「んー色々。ね?」
「うん、でもやっぱり一番良かったのは軽音サークルのLIVEだったかなぁ。」
「めちゃくちゃ上手だったよね!」
「まじ?!えー!おれも観たかった!」
「明日もやるかもだし、やってたら観に行こうよ〜。」
「行く行く!」
大学からの帰り道。
大学の門を出ても、ぼく達三人の話題は尽きる事なかった。
家に帰ってからも、焼きそばを買いに来た変なお客さんの話とか、明日はあれを食べたいとか、どこをまわろうとか…
結局、日付が変わって、それぞれの部屋に入るまで、三人の会話はずっと続いていた……
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