テラーノベル
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「おはよう。」
「おはよ。」
「おはよ〜。」
朝、リビングに行くと二人の姿は見えず、キッチンから小さな物音が聞こえた。
そちらに足を向けると、若井は昨日より少し余裕があるのか、ダイニングの椅子に座ってトーストをかじっていた。
涼ちゃんは麦茶を飲みながら、のんびりとした朝を過ごしている。
「今日は早く出なくていいのー?」
「いや、これ食べたらもう出るよ。」
「そっか。」
ぼくも冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぐと、若井の隣の椅子に腰を下ろした。
昨日散々話したのに、また少しだけ学園祭の話をしながら笑い合う。
そして、トーストを食べ終えた若井を玄関で見送った。
「いってらっしゃーい。」
「いってらっしゃい。また後でねぇ。」
「いってきまーす!」
昨日で学んだようで、今日の若井はノーセットのサラサラヘアーで家を出ていった。
ぼくと涼ちゃんは、今日は若井が自由になる12時に合わせて行こうと昨日のうちに話していたので、時間までのんびりリビングで過ごす事にした。
・・・
「人がいっぱいだね。」
今日はお昼時に来たせいか、昨日の午前中よりも、学園祭の会場は明らかに混み合っていた。
人と人との隙間を縫うように、ぼくと涼ちゃんはゆっくりと歩いていく。
ふいに人の波に押され、涼ちゃんとはぐれそうになったぼくは、咄嗟に彼の肩にかけられたショルダーバッグの紐を掴んだ。
涼ちゃんはその気配にすぐ気づいたようで、ちらっと後ろを振り返ると、スッとぼくの手を取って、そのままにこっと笑いかけてきた。
その優しい笑顔に、胸の奥がぎゅっとなる。
…もう、昨日からずっと、涼ちゃんにドキドキさせられっぱなしだ。
ぼくは赤くなった顔がはバレないように下を向いた。
・・・
「ねぇねぇ、ひろぱっ。この後一緒にまわろうよ〜。」
やっとの思いで焼きそばブースのテントに着くと、若井は既に仕事を終えていて、テントの外でぼくと涼ちゃんを探すようにキョロキョロとしていた。
が、その顔は妙に険しく、若井には珍しく眉間にシワを寄せていた。
どうしたんだろう?と、思いながら更に人混みを縫いながら若井の元に行くと、“若井に告白してきた女の子”が若井に絡んでいるのが目に入った。
そう甘えるように声をかけていた女の子は、若井の腕にぴったりとくっついていて…
その様子に一瞬、息が詰まった。
ぼくが話し掛けようか悩んでいると、涼ちゃんは動じた様子もなく、空いてる片方の手を若井に振って名前を呼んだ。
「若井〜!お疲れぇ〜!」
「涼ちゃん…!」
その瞬間、若井の表情がガラッと変わった。
“助かった!”というように目を輝かせて、女の子に『じゃ、おれ行くんで。』と言うと、人混みをかき分けてこちらに来た。
「行こ、行こっ。」
そして、急いでその場を離れるように、涼ちゃんの手を掴み早歩きで歩いていった。
思いもよらず三人で手を繋いで歩く形になり、若井の早歩きにぼくも涼ちゃんも必死に着いていく。
涼ちゃんがふいにぼくの方を振り向き…
「僕達、仲良しさんだね。」
なんて言うもんだから、人混みで転びそうになりながらも、笑いそうになってしまった。
やっと人混みを抜け、開けた場所に辿り着くと、若井は『ふぅっ』と大きく息を吐いた。
そんな若井の様子を見て、涼ちゃんが口を開いた。
「あの子、若井にベッタリだったねぇ。」
そう言って、からかうようにクスクス笑う涼ちゃん。
でも、ぼくは、なんとなく笑えなかった。
あの子は若井に告白をした子で、しかも若井はまだそれに返事をしていない様子で…
確かにさっきはあからさまに嫌そうではあったけど、ぼくの胸の中は、モヤモヤでいっぱいだった。
「もしかして付き合ったの〜?」
さらにからかうように言う涼ちゃんのその一言に一瞬ドキッとする。
だけど、ぼくが何か思う間もなく、若井がその言葉に被せるように、すぐ口を開いた。
「んな訳ないじゃん!」
その声は思ったよりも強くて、さっきと同じくらい嫌そうな顔をしていた。
「告白は…この前ちゃんと断ったのにさー。」
そう言って、少しだけ眉をひそめた若井に、ぼくは思わず声を上げてしまう。
「え?!そうなの?!」
本当は、答えを引き延ばしているということは、どこかで気持ちが揺れているのかもしれないと思っていた。
だからこそ、思いがけないその言葉に、胸の奥がきゅっとなる。
安堵と、意外さと、言葉にしづらい何かが、波のように押し寄せてきていた。
「答え…引き延ばしてたみたいだったし、付き合うのかと思ってた。」
ぼくが、恐る恐るそう呟くと、若井は『え?』と小さく声を上げて、驚いたような顔をした。
「いや、答えを引き延ばしてたのは、同じサークルでこれからも会うから気まずいなって思ってたからで…付き合う気があるなら、逆にすぐ返事してるって。…てか、あんな露出してる人…嫌だし。」
「へえ…若井、おっぱい好きかと思ってた。」
「ぷっ…!」
「ちょ、なんで涼ちゃんが笑うの?!」
「ごめんごめん。元貴の口から“おっぱい”なんて単語出ると思わなかったからぁ。」
「ふふっ、確かに。初めて聞いたかも。」
ぼくの発言に吹き出した涼ちゃんに、釣られるように若井も笑い出す。
別に変なことを言ったつもりはないのに、二人してそんなに笑うから、なんだか急に恥ずかしくなる。
「二人とも笑うなあ!もうっ、この話はおしまい!お腹空いた!なんか買い行こ!」
わざと少し大きな声でそう言って、話題を無理やり打ち切る。
笑いがまだ残る二人の背中を、えいっと押して、屋台の方へと誘導していく。
二人の笑い声と一緒に、さっきまでモヤモヤと渦巻いていた気持ちはどこかに吹き飛んでいて、いつの間にかぼくも笑顔になっていた。
・・・
ぼく達は、また人混みの中へと戻っていった。
昨日は見逃していたホットドッグを売っているテントを見つけると、三人とも迷わずそれを買い、飲食スペースへと向かった。
食べ物も楽しみだけど、今日のメインは校舎内の催し物だ。
ぼく達は昼食をサッと済ませると、紙ナプキンで手を拭きながら、早速校舎へと足を向けた。
昨日見られなかったところも含めて、三人で色々と見てまわる。
縁日ブースには射的や輪投げがあって、ぼくも涼ちゃんも挑戦してみたけれど、全然ダメだった。
唯一、意外な才能を見せたのは若井で、射的でクッションサイズのクマのぬいぐるみを見事落とした。(本当は、その隣にあったSwitchのソフトが欲しかったらしいけど)
そして、『ほら、あげるー。』 そう言って、若井はそのクマをぼくに渡してきた。
『絶対、持つのが面倒なだけじゃん!』とぼくは悪態をついたけど…
内心、ちょっと嬉しかったのは内緒の話。
写真サークルのブースでは、記念撮影コーナーが設けられていて、涼ちゃんが『僕、三人で撮りたいっ』と言い出した。
『涼ちゃん真ん中行く?』と聞くと、『 真ん中は元貴でしょぉ!』と笑いながら返され、 ぼくは結局、涼ちゃんと若井の間に立つことになった。
三人で一緒に写真を撮るのって、思えばこれが初めてかもしれない。
出来上がりが、ちょっと楽しみだ。
他にも色々まわり、最後にお化け屋敷にやってきた。
十組程並んでいて、どうやらなかなかの人気ブースのようだった。
ぼく達もワクワクしながら最後尾に並び順番を待つ。
「ぼく、お化け屋敷入るの初めてかも。」
「僕はアメリカのホーンテッドハウスなら行った事あるよ〜。」
「なにそれ?」
「うーん、お化け屋敷の激しい版って感じ…かなぁ?ゾンビが走ってきたり、チェーンソー振り回されたり…」
「…なんか普通にやばいやつじゃん。」
「若井は?」
「小さい時、浅草の花やしきのに入ったことあるけど…あんまり覚えてない。」
「それはもう、“初めて”に入れていいやつでしょ。」
なんて会話をしているうちに、順番は着実に進んでいく。
壁の向こうから時折聞こえてくる、悲鳴と笑い混じりの声に、じわじわと緊張が高まっていった。
「待って、ぼく怖くなってきたかも。」
「…おれも。」
「えぇ〜、大丈夫だってぇ。」
いよいよ、次がぼく達の番。
だけどこの頃には、楽しみより不安の方がずっと大きくなっていて…
ぼくだけじゃなくて、若井まで、目に見えてテンションが落ちていた。
その中で唯一、涼ちゃんだけが、いつも通りののんびりペースで。
妙に頼もしく見えたのを覚えてる。
「ふぇぇ…暗いぃぃ。」
「わぁっ!」
「なに?!ちょっと若井!びっくりさせんなってえ!」
「二人とも落ち着いて。まだなにも起きてないからぁ。」
覚悟を決めて、暗闇の中へ足を踏み入れる。
さっき記念写真を撮ったときと同じ並びで、ぼくを真ん中にして、三人で少しずつ進んでいった。
序盤から、若井がとにかくビビり散らしていた。
何にもないところで『うわっ』とか『ぎゃあっ』とか叫ぶもんだから、こっちまでビックリしてしまい、『 やだ! 若井、抱きつかないで! 歩きにくいし怖いから!』と本気で怒鳴ってしまった。
(……本来なら、抱きつかれてキュンとする場面のはずなんだけど、この時のぼくにはそんな余裕、1ミリもなかった)
「無理無理無理! ちょ、元貴、涼ちゃん!置いてかないでってばぁ!」
「大丈夫だってぇ。ただ暗いだけだから」
パニック気味のぼくと若井とは対照的に、涼ちゃんは相変わらず落ち着いていて、
ぼくはその腕にしがみつくようにして歩いていく。
中では、誰かの呻き声、すすり泣き、鎖のこすれる音……
耳元でささやかれているような不穏なBGMがずっと流れていて、心臓が変な拍動を繰り返している。
けれど、視界は真っ暗なままで、見た目の“おどかし”があまりない分、徐々にこの空気に慣れてきた、その時だった…
ピタッーー
「いやぁぁぁぁああぁぁぁ!!!」
ぼくの悲鳴が、闇の中に響き渡った。
油断していたところに、冷たくて、ぷるんとした何かが、いきなり頬に張りついてきた。
感触だけでパニックを起こしたぼくは、涼ちゃんの手を振りほどいてその場にしゃがみこんでしまう。
涼ちゃんは、ぼくの悲鳴に『わぁ〜びっくりしたぁ。』と絶対びっくりしてないだろ!とツッコミたくなるような反応を見せた。
それでも、すぐに手探りでぼくを探し当てると、ぼくの手を引っ張って立たせてくれたので、ツッコミは入れないでおいてあげた。
この辺りから、ふと気付くと若井の気配がなくなっていたような気がする。
けれど、怖さと混乱で頭がいっぱいのぼくには、気にする余裕すらなかった。
「涼ちゃん、居る?」
「居る居る。ほら。手繋いでるでしょ?」
「…ねぇ、ぼく、くまさん落としちゃった。」
「大丈夫。僕が拾っといたよ。」
「まじ?スゴすぎん?涼ちゃん怖くないの? 」
涼ちゃんと話していると、なんとなく怖さが紛れる気がして、
それからぼくはずっと涼ちゃんに喋りかけていた。
「なんか元貴が怖がりすぎて面白くなっちゃってるかも。」
「えぇー、なにそれ。なんかひど…ぃ、うあああぁああぁぁ!!! 」
最後の最後、出口の明かりがチラッと見えて、
『ああ、もう少しだ…』と安心した…その瞬間だった。
ドドドドドッ!!!
後ろから、明らかに“何か”が猛スピードで迫ってくる足音。
振り返ると、半ば人間のようなシルエットが、ぼくたちに向かって全力で……
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」
もうなにも考えられなくなって、ぼくは涼ちゃんの手を引っ張って叫びながら全力疾走した。
ゴールなんて関係ない。
ただ、とにかくこの恐怖から逃げたくて…!
(……若井の安否に思い至ったのは、眩しい外の光を浴びてから、少し経ってからのことだった)
外に出てから、ぼくはとうとう立てなくなってしまい、涼ちゃんにしがみついたまま、廊下にしゃがみ込んでいた。
しばらくして…
若井が悲鳴を上げながら飛び出してきた。
けれど、ぼくと涼ちゃんの姿を見た瞬間、若井は目を見開き、それ以上に大きな声を上げた。
「ええぇぇぇ?!なんで涼ちゃんがそこにいるの?!?!」
その言葉に、ぼくも涼ちゃんも思わず顔を見合わせる。
出口に近い場所にいるのは邪魔になるからと、涼ちゃんが手招きして若井をこちらに呼び寄せた。
そして、三人で腰を落ち着けて、ようやく詳しい話を聞くことに。
若井曰く、ぼくに『抱きつかないで』と怒られてから、一人で震えていると、誰かがそっと手を握ってくれたという。
若井はそれを、当然涼ちゃんだと思っていた。
…だから、今ここに“涼ちゃんがいる”のを見て、驚いたのだと。
「…やだ。怖いこと言わないでよ。」
「本物と会っちゃった感じ…?」
「……まじ?」
これ以上何か言うのは怖くなって、三人ともお互いを察した様に、スっと立ち上がると、とりあえずぼく達は歩き出した…
・・・
「ねぇ、体育館で何かやってるかも〜!見に行かない?」
ふらふらと歩いていると、涼ちゃんが胸の前でパンッと手を叩き、明るい声を上げた。
その声に、ふっと空気が軽くなった気がして、ぼくも続けるように口を開いた。
「そうだね!昨日みたいにLIVEやってるかもだし!」
ぼくの言葉に、若井が少しだけ顔を上げる。
「LIVE!LIVE見たい!!」
その言葉に背中を押されるように、ぼく達は自然と歩き出した。
目指すは、賑やかな音のする方へ…
体育館へ向かって。
体育館の前に着くと、少しだけ隙間の開いてた扉から中の音が漏れ出ていて、ちょうど曲が終わり歓声が上がっている所だった。
「やっぱりLIVEやってるねぇ!」
それを聞いた涼ちゃんが嬉しそうに言って、扉の取手に手を掛けた。
中に入ると、昨日の軽音サークルのバンドが演奏していて、熱気とリズムが場内に響き渡っていた。
「わぁ……かっこいい!」
若井が口を開けてステージを見つめ、ぼくは隣でこっそり笑ってしまった。
さっきまでお化け屋敷で半泣きだったくせに。
でも、涼ちゃんも若井も、こうして音楽を聴いているときは本当に楽しそうで。
そんなふたりを見ていたら、ぼくも自然と笑顔になっていた。
・・・
LIVEが終わり、外に出ると、若井の目がキラキラと輝いていた。
数十分前の恐怖体験などすっかり忘れたみたいで、まるで少年のように興奮している。
昨日と同じように、LIVEの感想を言い合いながら、ぼく達は正面玄関へと向かっていった。
外に出ると、空はもうすっかり夕方の色。
祭りの終わりを告げるように、どこかのブースで流していた音楽が、風に乗ってかすかに聞こえてきた。
「雲がオレンジだねぇ。」
涼ちゃんが空を見上げながら、しみじみとそう呟いた。
「うん。綺麗だねえ。」
ぼくもつられて見上げると、ほんのり赤く染まった雲が、校舎の端に浮かんでいた。
「…色々あったけど、学祭…楽しかったなー。」
「……色々。」
若井の言葉に、ぼくは苦笑すると…
「ちょ、繰り返さないでよっ。お、思い出しちゃうじゃん。」
そう言って若井はぶるっと身を震わせた。
そんなぼく達の様子を見て、涼ちゃんがクスクスと笑い出す。
「若井、さっきSNSでネタバレ出てたよ。」
そう言って、涼ちゃんはスマホの画面を若井に見せる。
ぼくも気になり、若井と肩を寄せ合ってスマホを覗き込む。
「“本当に貴方の隣は…?”なにこれ。」
「それが今回のお化け屋敷のコンセプトだったんだってぇ。」
投稿を読んでいくと、どうやらあの催しは、暗闇の中でスタッフが友達のフリをして出口まで付き添い、 出口に出ると“本物の友達”がいるという、二重の恐怖を仕掛けたブースだったらしい。
「はあぁぁぁぁー……」
若井はそれを読み終えると、心底ホッとしたように息をついた。
「良かったー…ホンモノじゃなかったー。」
「ふふっ、良かったねぇ。僕はホンモノ…ちょっと見てみたいけど。」
「…ぷっ。若井、めちゃくちゃビビり散らかしてたよねっ。」
ネタが明かされたら、それは何とも面白いコンセプトで、ぼくは若井の怯えていた顔を思い出して、思わず吹き出してしまった。
「笑うなよー!ってか、元貴もめちゃくちゃ叫んでた癖に!」
「確かに。元貴の悲鳴で耳死んじゃうかと思ったよぉ。」
「…うっ。だって怖かったじゃん!ってか、怖がってない涼ちゃんが異常なんだってえ!」
「ふふっ。でも、頼りになったでしょ〜?」
「おれと一緒に歩いてくれた人誰だったんだろ。」
「知らない人と手繋いで歩いてるとか想像するとめちゃくちゃおもろいんだけどっ。」
「しかも、おれ、ずっと話し掛けちゃってたし。恥ずかし…!」
「それ、スタッフさん返事してくれたの〜?」
「んーん。なんか返事の代わりに背中さすってくれたりしてた。」
「おもろっ!ってか、気付けよっ。」
と、無事、いつものテンションに戻ったぼく達は、最後にまだ食べてなかったワッフルを滑り込みでゲットして、それを食べながら家路に着いた。
夕焼けの名残が街の端に残る中、三人の足音だけがカツカツと響く。
「……来年も、行こうね。」
ぼそりと、誰かがそう言った。
たぶん、涼ちゃんだった気がする。
ぼくは、持っていたクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、黙ってうなずいた。
当たり前みたいに並んで歩くこの時間が、ずっと続けばいいのになと思いながら。
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