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「馬鹿々々しい。そんな子供騙しの嘘で私を動揺させられるとでも思ったの?」
挑発を一笑に付しつつも静かな怒りを秘めるユカリは門の下の方を一瞥する。そろそろ下の二人と一匹が異常に気付いても良い頃合いだからだ。
「どうだかな」瞳を緑に輝かせるドークはせせら笑う。「俺はお前と母親の関係なんて知らないし、親に殺された子供なんて、クヴラフワでは珍しくもない」
「色々と問題のある人だけど。私を殺す理由なんてない。不器用で自分勝手な人だけど。私を嫌う理由なんてない」
「お前は母親であるエイカのことを一番嫌っているのにか?」
レモニカの変身のことだ。
「あれは私にも理由が分からないの!」
「理由? 何を言ってるんだよ、落ち着けよ」ドークが嘲笑うように仰ぎ、見透かすようにユカリを見上げる。「あの呪いは最も近い距離にいる対象の最も嫌いな生き物に変身する呪いだろう? 理由なんて関係ない。事実としてお前はエイカを最も嫌ってるんだよ。エイカの方もそうなんじゃないか? レモニカ王女様は何に変身した?」
思い返すが思い出せない。クオルだろう、と心のどこかで思っていた。最近のレモニカは装身具の魔導書か、仲の良い姉妹のようにソラマリアにぴたりとくっついているので、別の何かに変身する機会が少ない。まだエイカの最も嫌いな生き物に変身していない、少なくともユカリの目の前では。レモニカに変身されることを懸念してエイカは避けていたのだろうか。
「私を殺せる機会なんていくらでもあった」ユカリは言い訳でもするように気弱な声で答えた。
「そうか? お前の信頼できる強力な仲間たちの隙をかいくぐって? 魔法の才能の無い女が? そう簡単にはいかないはずだ。ずうっと機を窺ってるのさ。確実にお前の息の根を止められる時を」
耳を貸すな、とユカリは心の内で自分に言い聞かせる。これはただの挑発だ。冷静さを奪って何か仕掛けてくるつもりに違いない。
突如、ユカリの死角から巨大な黒い影が飛び込んで来る。ぶつかる直前、故郷の森でいつか目撃した蛇の一撃をかわした鼠のようにユカリは何とか身を捻り、直撃を免れ、しかし蹴り上げられた小石の如く軽々と弾き飛ばされ、門の上を転がった。取り落とした杖を瞬時に取り戻し、痛む体を急かして体勢を立て直す。
そうして新たな脅威と対峙する。それは巨大な百足だった。土地神に違いない、とユカリは確信する。そして事実、それはこのヴォルデンの土地で長く信仰されてきた一柱だった。
ユカリが見えたこれまでの土地神は様々な材料で受肉していたが、深奥においては土地神の魂そのものと向き合うことになった。見た目には真っ当な百足と変わらないが、その巨大さは『死霊も通さぬ堅き門』に巻き付けるほどだ。
どうして突然現れたのか。これまでどこに隠れていたのか。当然、アギムユドル市民と同様、呪いによって孤立していたのだ。これまでの土地神は呪いに塗れていたが、呪いに塗れていたが故にこの百足は姿を隠していたのだ。そしてユカリが呪いを解いたために土地神もまた呪いから解放された。ドークもまた時間を稼いでいたということだ。
忘れられた百足は長い胴をくねらせて水中を漂うように浮かび、無数の足を掻いて風のように素早く舞い飛び、その巨大な顎でユカリを引き裂かんと飛び掛かってくる。
ユカリは杖に足を掛け、ひとを揶揄うのが好きな春の風のように舞い上がり、容赦も躊躇いもない巨大な鋏をかわす。ユカリの代わりに門が削り取られ、欠片が弾け飛んだ。ユカリはドークから目を離さず、百足から距離を取る。百足の動きはユカリにとって脅威と言えるほどの素早さではなかったが、常にドークを警戒しながらとなると、日暮れの迫る冬の午後に葦の茂みで獲物を待ち伏せる時のように神経を擦り減らす。
鋭利な顎から何とか逃げおおせながらユカリは気づく。呪いから解き放たれたなら何故襲い掛かってくるのか、と疑問を抱く。
「畏れ多くも謹んで申し上げます。尊き百足の神よ。どうかお鎮まりくださり、我が声を聞こし召し給え」ユカリは【問いかける】。「私こそが大御身を孤立からお救いした歌の主にございます。恩を着せるつもりはございませんが、如何なる由にて我が身を裂かんとなさるのか、お示しくださいませ」
「我にも分からぬ。我が節が、我が足が意に反して動くのだ。二本足の子よ。我が顎の及ばぬ果てへ疾く去ね」
ドークか、あるいはハーミュラーが操っているのだろうか。あるいは……。
再びドークが刃を射出する。短剣、長剣、斧、槍の穂先、殺意と敵意を結晶化したような鋭利な刃物がユカリを狙って外れ、百足の土地神を切り裂いてしまう。赤黒くも炎の如く輝く鮮血が舞い散る。土地神の割れんばかりの呻き声がユカリの耳を塞ぎ、舞い散る赤に視界を塞がれ、なお刃は絶えることなくユカリの四肢を断ち切らんと放たれ続ける。
百足の神も己が身を切り裂かれながら、苦しみに悶えることも出来ず、ユカリに飛び掛かってくる。ユカリは何とかぎりぎりで身をかわそうとしたが、何かに引っかかった体が錐揉み回転し、空中で固定されてしまう。
脳を掻き混ぜるような衝撃で平衡感覚を刺激され、吐き気を催しながらもユカリは何とか原因を突き止めようと周囲に目を凝らす。すると自身の体に絡みついた糸を発見した。その糸はドークではなく、天から降りてきて百足を縛り付けており、その一部に引っかかったユカリを絡め取ったのだった。
すぐに杖をぶんぶんと振り回しつつ、あらゆる非生物を破壊する魔法少女の魔法を行使する。たちまちに糸は切れ、自由を得たユカリはすぐさま百足のそばへ飛んで行き、邪な糸から解放した。
「逃げてください。どこか遠くか、もっと深くに」
「かたじけなし。二本足の娘よ」と言い残して百足の魂の光は溶けるように消え失せた。
「余所見してろ!」とドークが怒鳴る。
ユカリの眼前に刃が迫る。が、しかしユカリに届く前に刃は見えない力によってへし折れ、魔法少女にぶつかったものの刺さりはしなかった。途端にユカリの跨る杖が重さを増し、慌てて空気の出力を増す。
「できた! ふふーん! 私だってやるもんでしょ! 魔術が一切使えないわけじゃないんだから!」
解呪の歌の影響か、克服者ではなくなっているエイカがユカリを背中から抱きかかえながら叫ぶ。
「蝶をたどるのは地上で言えば歩いたり走ったりするのと同じだと思うが」とカーサが真面目に指摘する。
刃がへし折れたのは大木をも倒すカーサの魔術だ。
「大丈夫? ラミスカ? 怪我した?」エイカに問いかけられ、ユカリは首を横に振る。
「大丈夫。何しに来たんですか?」
ユカリたちは宙を飛び交う刃と折れた刃をかわしながらドークの頭上を旋回する。
「助けに来たに決まってるでしょ!?」
「今のところ助けられてないですけど、エイカには」
エイカはユカリの前に腕を突き出す。迫る刃は次々にへし折れ、刺さりはしないがあちこち打たれている。
「痛た! こう! こうやって盾になる心積もりで来たんだから!」
「ちょっと! 視界が塞がれてるし、重心がずれるし、何より重いです!」
「言うに事欠いて! 助けに来なかった方が良いっていうの!?」
「そうは言ってないです。助けに来てくれてありがとうございます」
「え、うん」エイカは驚いて口籠る。「急に素直になったね。何かあったの?」
「ちょっと安心しただけです」
カーサが割って入る。「安心するのは後にしてくれないか? まだあの少年は健在だぞ」
「義母さんは?」とユカリ。
「ここだよ」とジニが下から呼びかける。
いつの間にかジニが門の上でうつ伏せのドークを踏みつけ、押さえつけていた。放たれる刃はドークの体から飛び出した瞬間、地面に叩き落とされている。
「そのまま抑えておいてください」
ユカリたちもドークのそばへと降りる。そして再び魔法少女から歌い手の衣装へと変身する。
「どうするつもりだい?」
「エイカも戻ったみたいですし、さっき解呪していた時の様子を見るに歌が効いているみたいでした。ドークのは特別らしいですけど、解くことができるのかも」
ドークが舌打ちをし、同時にその姿を掻き消す。背中を踏みつけていたジニの足が門を踏み叩く。
「ああ、深奥は厄介だね。浅い方向か深い方向か知らないけど、少しずれられたらもう認識すらできない。あたしも深奥を克服したいもんだ」
しかし逃げるということは、やはり弱点であるらしい、呪いを浄化する歌が。
ユカリたちは呪いの晴れた地上へと戻ってくる。深奥と違って空を覆う蜘蛛の巣からシシュミス神が八つの眼で地上を見下ろしている。
アギムユドルの街には人々が戻り、眠りに就いていた活気が目覚め始めている。ユカリが今までに見てきたクヴラフワの街々で最も凄涼な廃墟だったが、今や最も賑やかな廃墟だ。喜びも悲しみも不安も入り混じり、慰めと嘆きと噂が飛び交っている。他の街の人々と比べても、アギムユドル市民は肉付きが良く、顔を洗ったばかりのように表情が溌溂としている。深奥の奇妙な時間の流れのお陰か、あるいは全身が魂と化していたからか、人々は窶れるほどの過酷な四十年を過ごしていないのだ。
魔法少女ユカリの姿を見て、人々は何も言わずとも畏敬の眼差しを向ける。ユカリが解呪する姿を直接見ておらずとも、歌を聞き、深奥の空に照らされた幻像を、街を救った者の姿を視ているのだ。もしくは単に派手な格好の少女が物珍しくて眺めているのかもしれない。
もしかすると他の街同様に再び呪いがやってくるかもしれないが、お互いの姿が見えずともこうしてすぐそばにいたということを知ったならば、呪いを乗り越えられるだろう、とユカリは確信する。そしてクヴラフワ全体の解呪をより一層決意する。
この街で唯一知り合ったゼレタは直ぐに見つかった。とはいえジニにとっては古い知人でエイカにとっては恩人だ。積もる話もあるだろう、とユカリは一歩引く。
「え!? あの赤ちゃんが貴女!?」
当然の反応だ。ゼレタはとても信じられないという様子でエイカを眺める。
「無理からぬことです」とエイカは寂しげな笑みを浮かべて答える。「でも貴女に恩を感じる一人の女がいるという事実だけはお伝えしておきます。私を拾い上げてくださって本当に感謝しています。ありがとうございます。お元気でお過ごしくださるようお祈りします」
その真摯な言葉に感化されたのかゼレタもしっかりと頷く。
「正直、まだ信じがたいけれど、でもその話が本当なら私もとても嬉しいわ。健やかに育って、娘までできて。貴女のご両親について何も知らないことを許してね?」
積もる話はあまりなかった。その後、ジニがかつて他にも預かっていた子供たちについてより詳しくゼレタに伝えると三人は別れを告げた。