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結局シシュミス教団とも敵対的な関係になってしまったが、ビアーミナ市の屋敷には戻ることになった。屋敷に戻ってくるまでの道すがら多くの視線を感じた。好奇の眼差しもあれば、憎悪や敵意の一瞥もあった。
この街は救済機構とライゼン大王国に見張られている。救済機構とライゼン大王国に対する牽制が、今度は逆向きに働くことになる。シシュミス教団がユカリたちに、というよりその所有する魔導書に、手を出す兆しでも見せれば瞬く間に街は火の海になるだろう。もちろんどの陣営も火の海になった場合をも想定して備えていることだろうが。
そしてエイカは再び孤立を退ける克服者になっていた。おそらくヴォルデン領の呪いが復活したのだろう。本人はさして気にしていないようだが。
朝の空気も気配も欠片も感じないが、ビアーミナ市においては朝と設定される頃。
「なんかラミスカがよそよそしいんですけど!?」
どこか懐かしい食欲をそそる良い香りが漂う食卓に先んじてついたエイカが訴えた。
「別に、普通ですよ。ずっとこんな感じでした」とユカリは答える。
「よそよそしいどころか、同じ年頃に黙って他所へ行った家出娘に言われたかないよね」とジニがちくりと刺す。
「大体、隠し事はお互い様ですよね。義母さんも含めて」とユカリは刺々しく言い放つ。
「隠し事かあ。それって私に関係ある話?」とエイカ。
「まあ、そうですね」と呟いてユカリは探るように続ける。「エイカの隠し事に関する隠し事ですので」
ジニとエイカが秘密を共有する者にありがちな視線をかわすのをユカリは見逃さなかった。
あの時ドークはエイカの秘密を語った。ユカリを殺すつもりだとか何とか。とても信じがたい話だが、ほんの少し信憑性が増す。
それに、エイカの隠し事はジニの隠し事にも通じているはずだ。ユカリはそれらを知りたかった。
「ハーミュラーか、ドークかに何か言われたんだね。たぶんドーク」とジニが言い当てる。
「敵の言うことなんかに耳を貸しちゃだめだよ」エイカは他人事のように説く。「惑わせようとしているに決まってるんだから」
「そうだと良いんですけど」ユカリは冷たい声色で答える。「クヴラフワに来て私を一番惑わせているのがお二人なんですけどね。お二人は敵ってことですか?」
「何を馬鹿なことを言ってんだい」
「義母さんが裏切っても私は裏切らないよ」
「この子ほど馬鹿じゃないけどね」
ユカリはきっとエイカを睨み、呪いを吐くように言う。「エイカはユカリを殺そうと考えているって、ドークが言ってました」
エイカはぽかんと口を開いて、零す。「なんでその子がそんなこと知ってんの?」
ユカリは絶句し、立ち上がろうとするがジニに腕をつかまれる。机に脚がぶつかり、皿が一斉に喚く。
「エイカ。あんた、言い方ってものがあるだろう」
言い方で何か変わるだろうか。ユカリはジニの手をほどこうとするが、年の近い子供にしても、年の離れた老人にしても考えられない強さでつかまれていて戦慄する。
「離してください!」
ジニは直ぐに言われた通りにし、穏やかな声色で諭すように話す。「聞きな。大丈夫だから。あんたを殺したりしないし、させない。エイカも娘を殺すような女じゃない。そこまで馬鹿じゃない。ただ……」
「もう話すしかないね」とエイカがジニを促す。「慎重過ぎたんだよ、私たちは」
「あんたが慎重だったことなんてないよ。それにレモニカのお陰でいくつかの仮説を捨てられたじゃないか」
「実力行使の心配はないって義母さんが言ったんだよ」
「分かったよ」とジニが折れるのは珍しい。「あんたが話しな」
「うん」と頷いてエイカが小さく息をつく。「まあ、座ってよ。話は長くなるからさ」
エイカに促され、ユカリは躊躇いつつも椅子を引き、再び食卓につく。
「何から話すべきか。そう、まずはクオルの実験について、だね」エイカはユカリの何かを待つが、ユカリは頷きもせずにじっと待つ。「まあ、でも実験内容についてはラミスカの方が詳しいくらいかもね。知っての通り、生まれつき強力な魔法使いを生む実験に私は参加した。ラミスカの言う通り、そこに私の劣等感が関係したかもしれないことは否定できない」
素直に肯定できるわけでもないようだ。
「ただ、私としては」エイカは喉につかえたように言い淀む。「前にも言ったけど、ラミスカに私と似たような思いを抱いて欲しくなかった。もちろん今では大きな過ちだったと思ってる。まさかその実験のせいで魔導書を宿すことになるだなんて」
「それに関しては結論を出すには早いと思うけどね」とジニが口を挟む。「本当に魔導書を生み出せたのならとっくに量産してるはず。副次的な要因か、あるいはまったく関係のない偶然か」
クオルの実験について知った後、ププマルと話したものの答えははっきりしていない。転生自体はありふれた現象で、あくまでププマルが関与したのは前世の記憶を引き継がせた上で魔導書を集める使命をユカリに託そうと画策したことだ。クオルの実験のために前世の記憶が失われたのかもしれないとププマルは仮説を提示していたが、憶測にすぎない。
「とにかく私は魔導書をラミスカから引き剥がしたかった。いくら魔法の才能があっても魔導書に関わる人生なんて送って欲しくないから。この親心は何もおかしくないよね?」
「え? ええ、まあ、そうですね。たぶん」とユカリは分からないなりに言い繕う。「じゃあ殺すって言うのは?」
「魔導書を殺してでもってことだよ。魔導書の中には心を宿しているものもあるらしいからね。ラミスカが記憶にすらなかった私を最も嫌ってることがその証明。ラミスカが生まれた時もこういう話をしてたから魔導書は覚えてるんだと思う。だから私を憎んでる」
「もちろんあたしは考え過ぎだと思ってる」とジニが補足する。「魔導書を引き剥がすのは賛成だけどね、もっと穏当な方法じゃなくっちゃ」
「私だって別に娘が傷つくような手段を取るつもりはないよ」
「分かりました」再び言い争いになる気配を察してユカリは先回りする。「それぞれの考えはよく分かりました。私に色々秘密にしていたことも。二人のやろうとしていることに口出すつもりもありませんが、私も魔導書集めをやめるつもりはありません。これは私の使命ですから」
「使命ってのは誰かに託されるものだけど」とジニが指摘する。「誰に言われたんだい?」
「それは……」ユカリの答えをエイカもまた真剣な眼差しで待っている。「私自身です」
二人の母が納得していないことは表情を見れば分かる。
「ともあれ私へのわだかまりはなくなったよね?」とエイカが能天気に嬉しそうに尋ねる。「もうよそよそしくしなくていいんだよ」
「だから別に普通ですってば」と答えるユカリの表情も少しばかり柔らかくなる。
「お邪魔します!」お呼びではないヘルヌスの快活な挨拶が聞こえる。
シシュミス教団に潜入しているライゼン大王国の男は招きもしないのに食堂までやって来る。
「あんたには遠慮ってものがないのかい?」とジニが呆れた様子で指弾する。
「いやあ、良い匂いが漂ってきたからつい。ジニちゃんが作ったの?」
「三人で作ったんですよ」ユカリは椅子を勧める。「これから食べるところですけどね。ヘルヌスさんも召し上がってください」
「え? いいの?」とヘルヌスは少しだけ声に緊張を帯び、視線に警戒を灯す。
「はい。いつもソラマリアさんに追い出されて憐れに感じていたので、今日くらいは」
「……憐れまれていたのか。じゃあお言葉に甘えようかな」ヘルヌスは席に着き、見過ごしていないか確かめるように辺りに目を遣り、さらに尋ねる。「レモニカ様や他の連中はどうしたんだ?」
「まだ戻ってきていないですね」とだけユカリは答える。ヘルヌスもそれ以上追求しなかった。「今日は何のご用事で?」
「報告と警告かな。君たちより先に巫女が戻ってきたんだが、何やら慌ただしい。魔法使いを集めて何か儀式を行っているらしいが、新米の俺の所までほとんど情報が降りてこない。ただユカリちゃん、教団が君を求めているのは確かだ。当然救済機構も我がライゼン大王国も当然そんなことは許さない。もしも教団が強硬策に出るなら大王国で匿えるだろうが……」ヘルヌスはユカリの表情を見て察する。「まあ、信用できないよな」
「魔導書目的に決まってるのに誰が信じるの?」とエイカが建前など気にせずぶつける。
ヘルヌスは乾いた笑いを零して答える。「あえて否定はしないけどさ。少なくとも機構や教団みたいにユカリちゃん個人とは敵対していないだろ? 大王国は。どれかとなれば大王国しかないはずだ。お姫様のお友達ともなればそう悪いようにはならないはずさ」
「お姫様自身が悪いようにされてたと思うんですけど」とユカリはレモニカの過去について指摘する。
「それに関しては俺もよく知らん。でも呪いが呪いなんだ。普通に生活しようがないだろう?」
何か言い返そうかとも思ったが、ユカリもまたそれに関しては良く知らないのだ。家出をする前のレモニカの生活についてはほとんど知らない。
「レモニカが望むなら御厄介になることもあるかもしれませんね」とだけ言っておく。
話の呑み込めていない表情のエイカを見て、ここにも家出娘がいたことをユカリは思い出した。
「エイカはなんで家出したんですか?」
「窮屈だったから」と当てつけのような笑みを浮かべてジニに視線を向けるが、ジニは黙々と食事している。「自分は若い頃自由に旅してたくせにさ」
「自由は力ある者の特権さ。でなきゃ野垂れ死ぬのが関の山だよ」とジニははっきりと断言する。
ヘルヌスが分かった風に頷いている。
「私にはカーサがいるもんね」とエイカは悪びれもせずに笑う。
魔導書を悪しきものとして集める旅もまた魔導書なくしては出来なかっただろうことをユカリは自覚していたが、改めて実感する。
「私の旅もそうです。魔導書にもたらされた自由でもあります」ユカリは悪びれて言う。
ジニは小さなため息をつく。「あんたたちの平和と幸福を願ってるだけで、あんたたちの不自由を求めてるわけじゃないよ。それに、借り物の力だって立派な力さ。大事なのはその力で何を為すかだよ」
ユカリはその言葉を噛み締めるように頷く。
「もう食べても良い?」とヘルヌスが不平を言う。「冷めちまうよ」
四人はようやく食事を始める。十四年を過ごしたユカリの故郷、一年前に別れを告げたミーチオン地方やオンギ村の郷土料理、そしてジニのよく作ってくれた異郷の料理が並んでいる。麺麭も乾酪も硬く、肉や野菜も食べ慣れない感触だが、味付けに関してはかなり再現することができた。この三人での食事に思い出などないはずだが、ユカリもエイカもジニも懐かしむように噛み締める。そしてヘルヌスは遠慮なく平らげていく。