テラーノベル
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この作品はsxxnでnmmnですご本人様は一切関係ございません。
紫緑
玄関の鍵が回る音で部屋の空気が変わる。
それをいるまはもう何度も知っている。
「……また、コンビニ?」
冷蔵庫を開けたすちが呆れたように息をつく。ネクタイを外しかけていたいるまは、思わず笑ってしまった。
「忙しかったんだよ」
「嘘。昨日も言ってた」
すちは勝手に冷蔵庫の中身を並べ替え、賞味期限の近いものを手前に出し買ってきた食材を袋から取り出す。その手つきは慣れすぎていて、もうこの部屋の住人みたいだった。
「帰ってきた感あるな」
何気なく言ったその一言に、すちの動きが止まる。次の瞬間、耳まで赤くなって顔を逸らした。
「……それ、やめてって言ってるでしょ」
「なんで」
「…意味わかってるくせに」
怒っているはずなのに声は小さくて、いつも通りやさしい。いるまはそれが可笑しくてそしてどうしようもなく愛おしい。
——帰る場所。
その言葉を一番欲しがっているのは、自分の方なのに。
すちがキッチンに立つと、部屋は完成する。湯気、包丁の音、少し甘い匂い。
ソファでネクタイを外しながら、それを眺める時間が好きだった。
「いるまちゃんは座ってて」
「はいはい、奥さん」
すちが振り向いて睨む。
「それ、ほんとやめて」
「でも事実だろ。俺の生活、すちがいないと回らない」 「……勝手に人を生活必需品みたいに扱うな」
そう言いながら、皿を並べて箸を置く。否定の言葉と行動が一致しないのが、すちのずるいところだ。並んで食事をする。テレビをつけて、どうでもいい番組に笑う。
食後、すちが洗い物をする横で、いるまがコーヒーを淹れる。誰も「付き合っている」とは言っていない。それでも、この時間はもう日常だった。
「なあ、すち」
洗い物の音に紛れて、いるまが言う。
「面倒だったら、言えよ」
「え?」
すちの手が止まる。背中越しに見える肩が、少しだけ緊張した。
「毎日みたいに来て、勝手に片付けて、飯作って」
「……面倒だったら来ない」
「じゃあ、来てる理由は?」
沈黙。
水の音だけが流れる。すちはしばらく何も言わなかった。やがて小さく息を吐いて、ぽつりと言う。
「……落ち着くから」
それだけ。
でも、いるまの胸にはそれで十分だった。
夜が深くなるにつれて、言葉は少なくなった。ソファで並んで座り、すちはクッションを抱えてテレビを見ている。肩が触れる距離なのに、触れない。いるまは、ずっと言えなかった言葉を飲み込んでいた。
「すち」
名前を呼ぶと、すちが顔を上げる。
「なに」
「……俺さ」
声が一瞬だけ、震えた。
すちはそれに気づいて、目を逸らす。照れた時の癖だ。
それを見て、もう逃げるのはやめようと思った。
「帰る場所、名前つけたいんだ」
「……は?」
すちが瞬きを繰り返す。理解が追いついていない顔。
「俺の家じゃなくてさ」
「……」
「俺たちの家、にしたい」
すちの耳が、目に見えて赤くなる。数秒、固まったまま動かない。
「……ずるい」
「なにが」
「そんな言い方……反則だ…」
声が震えている。クッションを強く抱きしめて、視線を合わせない。いるまは立ち上がりそっと近づいた。後ろから、抱きしめる。
「逃げなくていい」
「……逃げてない」
「照れてるだろ」
すちが小さく息を吸って、力を抜いた。
「……一緒に住んだら、俺、もっと世話焼くけど」
「それでいい」
「……本気で言ってる?」
「ずっと前から」
すちの肩が揺れて、額をいるまの胸に押し付ける。
「……ばか」
「知ってる」
腕の中で小さく甘える気配がした。
それだけで世界が満ちる。
帰る場所。名前はまだない。
コメント
1件
最高!!! すちさんはツンデレだな( *´艸)
天海 リオン@書き溜め✎*。