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「おばあちゃん……」
集中治療室から個室へ移った祖母は、口元には酸素吸入のマスクが嵌められ、病人そのものだった。痛み止めの薬が効いているせいで、まだ目覚めない。腕には点滴、ベッドの横にある心拍計が、ピッピッと音を立て、波形を刻んでいた。
ベッドに駆け寄り、祖母の手を握ると温かさが伝わって来る。
「ああ、良かった」
思わず言葉がこぼれるた。横で父と母もうなずいている。
「本当、一時はどうなるかと思ったわ」
そう言って、母は頬に手を当て安堵の表情を見せた。力の抜けた母の肩を父が支えている。
二人のその姿は、お互いがお互いを想い合っている姿だ。
夫婦として、長い間過ごした二人、良い事も悪い事あったはずだ。それを乗り越えたからこそ、今の姿がある。
私にとって、理想の夫婦の姿だった。
それでも、過去父の浮気に母は離婚も考えたあると言っていた。
時薬という言葉があるように、ゆっくりと時間が心に負った傷を治したのだろう。
私の傷も時間が癒してくれるのだろうか。
両親を見ていて、複雑な気持ちになった。
コンコンっと、ノック音が耳に届く。
とっさに「はい、どうぞ」と答えた。
ドアが開き、白衣を着た男性が看護師と一緒に部屋へ入って来て、母が男性に頭を下げる。
「あっ、先生。うちのおばあちゃんが、お世話になります」
「浅木久恵さんのご家族の方で、よろしいでしょうか? 私、内科医の野々宮成明と申します」
「あっ……お世話になります」
野々宮果歩の父親が経営する緑原総合病院。
そこに果歩の夫が居るのは、なんら不思議ではない。それなのに、私は果歩の夫に会うなんて、考えていなかったから、びっくりしてしまった。
菅生健治の妻である私は、「夫がご迷惑をお掛けしまして……」と、頭を下げるべきなのかも知れない。
でも今、祖母が眠っている病室で、両親も居る。それに、私は入院患者の家族と言う立場だ。余計な事は言わずに、入院患者の家族として居ればいい。
「無事、手術を終えまして、病状も安定していることから、これからは内科の担当となります。今回、浅木久恵さんは、胆のうに石が出来て、それを取り除く手術を……」っと、野々宮成明から祖母の病状説明が始まった。
ちゃんとに聞いて、わからない事があれば、質問したりしなければいけないのに全然頭に入ってこない。
前に果歩と会った時の光景が、脳裏のよみがえる。
綺麗にネイルされている指先。豪華な指輪。婿養子の夫とは、もうすぐ別れると言ってた。
妻である果歩の自由な振る舞いを|野々宮成明《この人》はどう思っているのだろう。
目の前に居る白衣の男性は、穏やかな口調で病状を説明している。母の的外れな質問にも、嫌な顔など見せずに丁寧に返答してくれている。
この緑原総合病院を病院を継ぐために一人娘の果歩と結婚し、婿養子に入ったという経歴から、ギラギラとした野心家の男性を想像していたのに、穏やかな様子は意外だった。
「あの……私、奥様の野々村果歩さんとは、同じ大学だったんです」
だから、私はこの野々宮成明氏に賭けてみようと思った。
野々宮成明は、一瞬驚いたように目を見開いた。
「家内のご学友でしたか。果歩がお世話になっております」
「いえ、私の方こそ……」と、言葉を濁す。
果歩さんには主人がお世話に、と言いたい所だが、これ以上はまわりの目もある病室では語れない。
それに、私の存在がただの患者の家族ではなく、妻と関係のある人物として、成明の記憶に残れば、何かの機会に話し掛ける事もできるはずだ。
「あの……祖母をよろしくお願いします」
「はい、最善を尽くします」
診察が終り成明は、病室を後にした。
私は、知らないうちに緊張していたようで、手のひらをグッと握りしめていた。ゆっくりと開くと、爪の跡が手のひらに残っている。
「美緒、先生の奥さまと知り合いだったの?」
母の問いかけに、私は曖昧に微笑んだ。
まさか、主人の不倫の相手です、なんて説明できない。
「うん、大学の頃からの悪縁なの」
そう答えると、母は意味が理解できないようで、不思議そうな顔をしている。
「そうなの……」
そうつぶやいた母は、頬に手を当て納得がいかないと言った表情だ。
「それより、おばあちゃんの経過が順調で良かったね」
私は、自分へと向いていた話題を逸らすように水を向けた。
「ええ、このまま治療が順調なら1か月ほどで退院できるって言っていたわね」
「退院したら、実家にお手伝いに行くね」
「美緒も仕事があるんだから無理しないでいいのよ。この際だからお父さんにもいろいろしてもらうつもりよ」
母はいたずらっぽく父の様子を窺う。すると、父はバツが悪そうに一つ咳払いをした。
「そうね。お父さんも、男だからって甘えていないで、最低でも自分の世話ぐらいしないと、お母さんに捨てられちゃうね」
と、少し意地悪なことを父に言ってしまうのは、過去に父が浮気をした事が心に引っかかっているから。
こと-koto
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