コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
冷たい風が
喫茶 桜の裏庭を吹き抜け
散り落ちた桜の花弁を巻き上げる。
淡紅色の花弁が空中を舞い
足元に散らばる伐採された木々の間を
彷徨うように踊っていた。
ソーレンは
片足を無造作に桜の幹に乗せ
斧の柄に片手を預けながら
咥え煙草の端を
僅かに揺らして笑った。
「お前の能力が
どれだけか理解しとかねぇと、だろ?
後は、純粋に⋯⋯興味本位だ」
煙草の先が僅かに赤く光り
灰がぽとりと落ちた。
琥珀色の瞳が射るように
レイチェルを見据える。
レイチェルはその視線を受け
僅かに躊躇った。
ソーレンの目に浮かぶのは
好奇心と、もっと別の何か⋯⋯
それは危うい
衝動に近いものに感じられた。
それでも、転がる桜の木々が
そこに潜んでいた
脅威の存在を示している。
ハンターという存在が
アリアの血を狙っている。
これが現実なのだ。
喫茶 桜で働くという事は
ただの喫茶店員ではない
という事なのだ。
「でも⋯⋯
目の前に、俺がもう一人ってのも
なんかアレだな?」
ソーレンは煙を吐き出し
ニッと笑う。
「時也になってみろよ。
アイツとは
何度も手合わせしてるからな。
能力がコピーできるなら
どの程度かも測れるしよ」
「⋯⋯わかったわ。
時也さんになれば、良いのね?」
レイチェルは小さく息を吐き
目を閉じた。
頭の奥に静かに響く
自分の思考が
少しずつ遠のいていく。
代わりに
時也の記憶、時也の思考、時也の感情
彼そのものが
まるで心の奥に
滑り込むように入り込んでくる。
次第に自分が
〝レイチェル〟であるという
意識が薄れていき
まるで違う人物になっていくような
感覚が広がった。
目を開いた時
レイチェルの瞳は
鳶色に変わっていた。
黒髪は黒褐色に変わり
柔らかだった肩のラインは広がり
凛とした立ち姿に変化する。
藍色の着物が揺れ
その袖口から覗く指先が
優雅に揃えられていた。
目の前に現れたのは
間違いなく
〝櫻塚 時也〟だった。
「おぉ⋯⋯
マジで、腹立つ顔になったじゃねぇか」
ソーレンは
口元を歪めた笑みを浮かべるが
内心は僅かに警戒の色を滲ませた。
其処に立つのは
確かに〝レイチェル〟である筈なのに
その目は
いつものレイチェルの
無邪気なものとはまるで違う。
穏やかながらも
何処か人を見透かすような
静かな光を宿している。
立ち姿も然り
まるで今この場に
〝時也〟が本当に
現れたかのような錯覚さえ覚えた。
「では、始めましょうか。ソーレンさん」
凛とした声が響く。
優しさと冷静さが同居した
その独特の口調。
僅かな言葉の間の取り方すら
完全に時也のものだった。
「⋯⋯ほう?」
ソーレンの目が細められる。
「思ったより、完璧だな⋯⋯」
「ええ。
貴方が鍛錬を怠っていないか⋯⋯
見極めさせていただきますね」
そう言って微かに笑うその表情は
どこまでも穏やかで
本物の時也そのものだった。
(⋯⋯こりゃ、ちょっとマズいな)
ソーレンの指先に
僅かに力が籠もる。
擬態能力が、これほど完全に
〝相手そのもの〟になれるとは
思っていなかった。
もし本当に
時也の能力までコピーしているのなら
試すつもりが
返り討ちに遭うかもしれない。
だが、同時に
ソーレンの心には
妙な期待が膨らんでいた。
「⋯⋯よし、行くか」
琥珀色の瞳に
獲物を狙う猛禽のような鋭さが宿った。
裏庭が静寂に包まれる。
けれど
その静けさは
嵐の前の静寂に似ていた。
空気は張り詰め
ピリッと緊張感が漂っていた。
「その前にソーレンさん。
結界を張らせてください。
貴方の無鉄砲な攻撃で
お店が壊れるのは避けたいですから」
時也の姿をしたレイチェルが
袖の中から護符を取り出した。
薄紫色の光が護符の表面に浮かび
まるで生き物のように
揺らめきながら空間に拡がる。
淡く輝くその光が
庭の石畳や壁を舐めるように
周囲を包み込んでいくと
結界が静かに展開された。
「あー⋯
そんな人をおちょくってる所まで
コピーしてんのかよ」
ソーレンは
煙を吐き出しながら
呆れたように言ったが
口元には険しい笑みが
浮かんでいた。
「おちょくってなど⋯⋯
本当の事を言った迄ですよ」
穏やかに微笑む姿は
まるで本物の時也そのものだった。
表情の柔らかさ
視線の細やかさ
総てが時也のままで
彼が目の前にいることに
違和感すら感じさせない。
ソーレンの額に青筋が浮かぶ。
自分が見ているのは
〝レイチェル〟だと
分かっていても
その完璧すぎる擬態は
本能的に腹立たしさを募らせた。
「なぁ⋯⋯レイチェル?
痛みは⋯⋯解除後もあるのか?」
「はい。
なので⋯⋯
お手柔らかに
お願いいたしますね?」
時也の姿のレイチェルは
穏やかに笑った。
「⋯⋯あぁ、そうかよ。
なら、後でアリアに
治療を頼んでやるよ!!」
ソーレンが地面を蹴り上げた瞬間
空間が歪んだような音が響いた。
「六根清浄⋯⋯急急如律令」
時也の姿をしたレイチェルは
両手を静かに前に掲げ
印を結んだ。
すると、その指先から
薄紫色の光が広がり
目の前に再び結界が展開された。
「チっ⋯⋯!」
ソーレンの拳が重力の力を宿して
鉛の塊のように
結界に叩きつけられた。
轟音が響き
結界の表面が震える。
だが、結界は堅牢で
ソーレンの拳は跳ね返された。
「クソ⋯⋯っ!」
再び拳を振り下ろす。
結界に細かい亀裂が入り始め
今にも砕けそうになった。
「⋯⋯っらぁ!!」
ソーレンの怒号とともに
結界が粉々に砕けた。
破片のように飛び散る紫の光が
桜の花弁のように空を舞う。
その直後
ソーレンの拳が
勢いよく時也の
顔面に向かって振り下ろされた。
しかし。
「⋯⋯っ」
ソーレンの腕が空を切った。
「くっ⋯⋯」
拳は
合気道の柔らかな動きによって
僅かにずらされ
ソーレンの巨体は
勢いのままに宙を舞った。
彼は空中で体勢を立て直そうと
重力の壁を蹴り反転する。
「⋯⋯っらよっ!!」
だが
その動きも⋯読まれていた。
「やれやれ⋯⋯」
時也の姿のレイチェルが
静かに手を振ると
地面から無数の桜の枝が生え伸び
ソーレンの脚を狙って絡み取る。
「⋯⋯ちっ!
時也の植物操作も、読心術も⋯⋯
しっかりコピーしてやがるっ!」
ソーレンは咄嗟に
空中へと飛び上がるが
その直後、背後から伸びた枝が
再び逃げ場を封じようと絡み付く。
「読心術で読めても⋯⋯
逃げ切れねぇ距離の力で
捻り潰してやるよ」
顔を歪め
ソーレンは再び空間を歪ませ始める。
圧倒的な重圧が辺りを包み込み
空気が軋むような音を立てた。
その瞬間だった。
「⋯⋯がっ!?クソっ!」
次々と背後から枝や蔓が絡みつき
ソーレンの逞しい体躯が拘束される。
全身を縛り付けるように
絡みついた枝が
重力を無視して彼の動きを封じ込めた。
「⋯⋯全く、お二人とも
戯れが過ぎますよ?」
静かな声が響いた。
「!?」
驚いて振り返ると
其処には
本物の時也が立っていた。
彼は
先程までの
穏やかな笑顔を湛えながらも
その瞳には何処か
鋭い光が宿っていた。
まるで
どちらが本物かを問われれば
誰もが迷う程に
同じ空気を纏っていた。