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空が淡く群青に染まり始め

喫茶 桜の裏庭には

何処か冷えた空気が満ち始めていた。


舞い散る桜の花弁は

夕闇の中でぼんやりと浮かび

濃淡のある紅が土に溶け込んでいる。


時也は静かに袖を翻し

指先に挟んだ数枚の護符を

軽やかに宙へと放った。


護符はふわりと風に舞い上がり

淡く紫がかった光を帯びながら

空中で桜の花弁へと変わる。


花弁は静かに舞い踊りながら

ソーレンの身体を絡め取る

枝へと降り注いだ。


しゅるり──。


花びらが触れた瞬間

桜の枝は音もなく裂け

まるで溶けるように千切れていく。


絡みついていた蔓がするすると解け

最後には全てが静かに土へと還った。


ソーレンは解放されると

地面に軽く着地し

無造作に首を鳴らす。


「はぁ⋯⋯」


その小さな吐息を漏らしたのは

レイチェルだった。


藍色の着物の裾に手を添え

ふらりと身を揺らすと

その身体はゆっくりと変化し始める。


黒褐色の髪は次第に黒髪へと戻り

凛々しかった面立ちは

柔らかく幼さの残る顔立ちへと

変わっていく。


藍色の着物は

いつもの喫茶 桜の制服に戻り

エメラルドグリーンの瞳が

何処かほっとしたように細められた。


「⋯⋯戻れた⋯⋯」


か細く呟いた声は

自分が〝自分〟である事を

確かめるようだった。


擬態の解除は

まるで溺れかけた後に

漸く水面に顔を出したような感覚に陥る。


「全く⋯⋯

外が騒がしいと思って来てみれば。

お二人とも

怪我が無くて良かったです」


時也は穏やかに笑い

僅かに肩を竦める。


けれど

その声音には軽く咎めるような

響きが混じっていた。


「ふん。怪我なんてするかよ」


ソーレンは鼻を鳴らし

背中を乱暴に払う。


埃を散らしながら

彼は片手に斧を担ぎ上げ

レイチェルを見やった。


「レイチェルの擬態で

コピーされた能力は

半分程度ってとこだったからな」


「⋯⋯半分、ですか」


時也が目を細め

思案するように呟く。


その声は柔らかだったが

僅かに冷えた響きが混じっていた。


「ですが

貴方を倒すくらいは

半分程度でも余裕でしょうね」


「⋯⋯は?」


ソーレンの眉が

僅かに顰められる。


時也の口元には

優しげな笑みが浮かんでいた。


けれど

その言葉の裏にある鋭い皮肉は

鋭い棘となって

ソーレンの耳に突き刺さる。


「僕に擬態するのは正解でしたね。

ソーレンさんが二人だったら

今頃お店はどうなっていた事か⋯⋯」


「はっ⋯⋯言ってくれるじゃねぇか」


ソーレンの口元が歪み

わざとらしく咥えた煙草を

火のついていないままに咥え直した。


「事実を言ったまでですよ」


時也は相変わらず

穏やかな笑みを崩さない。


その笑顔のまま

静かに着物の袖を整え

視線をレイチェルへと向ける。


レイチェルは震えていた。


冷たい夜気が

肌を刺している訳ではない。


けれど

先程の自分が〝時也〟となった記憶が

今でも鮮やかに

脳裏に焼き付いていた。


「⋯⋯夜になり始めましたね」


時也がふっと夜空を見上げ

静かに微笑む。


「中に入りましょうか」


その声は

今までの静かな威圧感とは

まるで違った。


優しく、どこまでも温かく。


夜風が吹き

紅く染まった桜の花びらが

ふわりと舞い上がる。


その花弁が

次第に夜の闇へと溶けて消えていくのを

レイチェルは

ぼんやりと見つめていた。



「今日は⋯⋯お先に失礼しますね」


リビングに戻ると直ぐに

レイチェルの声は掠れ 震えていた。


彼女の顔は青ざめ

唇の色まで薄くなっている。


「おい、大丈夫か?」


ソーレンが声をかけるよりも早く

レイチェルはふらつくように足を運び

居住スペースのリビングを出て

階段へと向かった。


彼女の後ろ姿はどこか頼りなく

消え入るようだった。


「⋯⋯なんだ、アイツ?

真っ青だったが⋯⋯能力の影響か?」


ソーレンは片手で頭を掻きながら

時也の方を見た。


「彼女は、僕に擬態して

⋯⋯僕の記憶を見てしまったようですね」


時也の声は淡々としていたが

その声音の奥には

僅かに苦みが滲んでいた。


「お前の記憶、か⋯⋯」


ソーレンは眉を寄せ

面倒事だと言わんばかりに

大きな溜め息を吐いた。


「なら

あーなっちまうのも⋯⋯頷けるな」


時也は静かに目を伏せ

ソーレンと共に

階段の方へ視線を向けた。


階段の上

レイチェルが消えた扉は閉じられ

静寂が戻っていた。


カチ⋯⋯


アリアのカップが

静かにテーブルに置かれた。


彼女は

これまで閉じていた深紅の瞳を開き

無言のまま階段の先を見つめる。


その視線は

何も語らぬはずの彼女の表情に

僅かに憂いの色を浮かべていた。



レイチェルは部屋に駆け込むと

崩れ落ちるようにベッドに倒れ込んだ。


震える手でシーツを引き寄せ

そのまま包まるように身を丸める。


「⋯⋯時也さん⋯⋯っ」


その声は

しゃくり上げるように掠れ

次の瞬間

瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


視界が滲み

呼吸がうまく整わない。


擬態の最中

時也の思考と記憶が入り込んできた。


「⋯⋯時也さん⋯っ

なんで⋯⋯っ!」


レイチェルはシーツを握り締め

喉の奥から漏れ出る嗚咽を

堪えようとした。


けれど

胸を締め付ける苦しさは消えず

ただ涙だけが

止めどなく溢れていく。

紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜

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陰陽師の名門に生まれた、理から外れた双子。 愛されることなく座敷牢に幽閉された幼子達は、ただ互いの温もりだけを頼りに生きる。 静かな絶望と、わずかな希望。運命に抗えぬ魂の始まりを描く──

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