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「あの~、大丈夫ですか?」
目の前で倒れている男を見ても、私はまだ、ここがどういう世界なのか分からなかった。
***
私、アンリエッタ・イズルには前世の記憶があった。
そう転生者というやつだ。
しかし、何処かの国のお姫様でも、貴族の令嬢でもない。
目覚めた場所は、お世辞にも綺麗という場所ではなかったが、賑やかな所。それが、第一印象だった。
笑い声、泣き声、怒鳴り声。
大人の声より子供の声が、多く聞こえる。そして、時折聞こえる鐘の音。
それが示す場所は、ただ一つ。教会の孤児院だ。
ベッドらしき物の上で、体を動かしてみるが、左右に揺れるだけで、起き上がることができなかった。それならと、声を出してみる。
何を言おう。
ここは何処? 私は誰?
恥ずかしい~。
そう思っていたら、誰かが視界に入ってきた。
「先生~、起きたよ」
「う~?(先生?)」
言葉が言えない?
「どれどれ」
先生を呼んだ女の子が、視界から消えると、今度はその先生らしき人が覗き込んできた。そして、額に手を置かれた。
「う~ん、もう大丈夫みたいね」
何が?
気がつくと、私は先生の腕の中にいた。見上げる先生の顔に向かって、笑顔と手を向けた。
「ご機嫌ね、アンリエッタ」
そこで初めて、私の名前と、今の姿が赤ん坊なのだと知った。
***
それから、八年後。
教会内で、魔力と神聖力の検査が行われた。
この世界には、魔法が存在しているが、誰にでも使えるものではないらしい。だから、それの有無によって、人生が左右される。
孤児であっても、魔力があれば、魔法使いになることもできるし、神聖力があれば、そのまま教会に残り司祭への道が開かれるのだ。
院長先生の部屋のドアをノックした。
「アンリエッタです」
「入りなさい」
入りたくない。その理由は簡単だ。
私には、神聖力がある。
一年前、同じように検査をした子が、自慢するように神聖力を見せてくれた。手のひらに白い光が現れて、温かかった。翳されたわけでもないのに、腕にあったかすり傷が治った。
これが、神聖力⁉
「どうやるの?」
教えてもらってできるようなものではないと分かるほどの知性が、その子にはなかったようで、簡単に教えてくれた。
私は、その場では出来ない振りをした後、こっそりと試してみた。
だって、本当に出来なかったら恥ずかしいし、出来たら出来たで、面倒事が起きそうな気がしたからだ。
そしたら、意外と簡単に出来てしまった。
じゃ、司祭になる? その後は? 司教? 大司祭?
まぁ、ともかく組織に組み込まれるってことだ。
それは嫌だな。腹の探り合いとか、足の引っ張り合いって、凄く面倒臭い。
だったらここは、ない振りをしなくちゃ。
幸い、神聖力と魔力は、両方は持てないので、魔力の心配はない。
さてはて、どうやって誤魔化すか。
院長先生の部屋のドアを開けて、中を見渡した。
経営困難な孤児院の執務室らしく、必要最低限の物しか置かれていない簡素な室内。
右側に置かれた応接セットのテーブルの上に、水晶玉があった。
五歳の子供の背でも、十分な高さのテーブルにあるということは、それが検査機なのだろう。
水晶だと、神聖力がないことを誤魔化すことは、難しいか。なら――……。
「こちらに来なさい、アンリエッタ」
「院長先生。私は神聖力が使えます」
とりあえず、力の有無を示してみた。質量より、有無が重要そうだから。目の前の餌をちらつかせれば、追及はしないと思ったからだ。
「八歳になると、そういう検査があることは、皆知っています。だから……」
小さい両手のひらに、ほんのり白い光を見た院長は、ため息をついた。
「もういいわ。下がりなさい」
「……はい」
アンリエッタは一礼して、部屋を出ていった。
どうやら、院長先生は悪い人では、ないらしい。
***
神聖力がどのくらい有るのかは、試したことはなかった。少ないにことしたことはないけど、仮に多くあったら、一生教会に縛られるかもしれないし。厄介事には巻き込まれたくない。
私の目標は、平和に生きること。これだけだ。
前世では、親族に苦しめられた。
精神が疲弊して、気がついたら、二十代後半の独身だった。
経済的に自立して、ようやく自由を手に入れたのだ。これから私の人生が始まる、そんな時に病気になって死んだ。
だからかな。同じ転生でも、お姫様や貴族の令嬢だったら、きっとまた同じことの繰り返し。
私自身は変わらないんだから、仕方がない。でも、あまり精神を削りたくない。
戦いたくない。あんな思いは何度も味わいたくないのだ。
なら、この人生、どうしようか。
このままだと、自動的に司祭にされる。
養女先を探すか。いや――……。
脳裏に前世の親族が浮かんだ。
時期を見て、逃げよう。それしかない。
***
そうして、十年後の今に至る。
旨く逃げ出せた私は、神聖力で結界を張ったりしながら旅をして、ある商人の夫婦と出会い、商いを学んだ。
代わりに私は、旅をし易いように、モンスターから商人夫婦を守った。
定住するつもりはない商人夫婦と別れ、とある国で商いをしようと話したら、商売し易いようにと、“イズル”という名字をくれた。
もう娘みたいなものだからと、言って。
前世の親族も、こうだったら良かったのに。
そして、私は自分に合った商いを模索した結果、前世でやりたかったパン屋を開くことにした。
彼を見つけたのは、お店兼自宅の裏にある林の中だった。仕事の合間の気分転換に時々散歩しに行っていた。
お店は一日三回、開けている。朝昼夕の三回だ。
なにせ、販売と製造を一人でやっているから、売り切れば、そこで閉めるしかなくなるのだ。そこから、次の仕込みを開始し、パン生地を寝かせている束の間に、買い出しや家事などをするのだが、今日は散歩の気分だった。
昼から夕方までの間は、ほんの少し長く時間が取れるので、まだ把握し切れていない林を散策するには、丁度良い。
短すぎず、深入りもしない。
何処に向かって歩いても、同じ風景しか目に映らない中、ふいに鮮やかな色が視界に入ってきた。