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――愛と救済の女神、ヴィーナスは、
この世で最も美しい女を連れてくると、パリスに約束した。
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「―――どう……して」
「どうして?」
先ほどは耳が聞こえなかったのに、なぜか彼女の声がはっきり聞こえた。
「見えませんでしたか?この女は今、胸元からナイフを取り出そうとしてたんですよ」
「―――そんな」
俺は、血に染まってカーペットの上に倒れ込んだヘラを見つめた。
今まで何度となく抱いて抱かれたそのしなやかな背中は見る影もなく、散弾銃によってボコボコに穴が開いていた。
「表で美央さんが待ってます」
銃口を落とした少女は辛そうに言った。
「―――美央は、無事なのか……!?」
聞くと、彼女は心痛そうに首を横に振った。
「救急車を呼びましたが、おそらくは―――」
目の前が真っ暗に歪む。
こんな歪んだ女神たちのいる巣窟に、彼女を巻き込むべきじゃなかったのに。
少女が美央を連れてくると提案してきたときに、彼女は駄目だと、彼女だけは駄目だと、断るべきだったのに。
「……行きましょう。吉良さん」
少女は辛そうに目を細めてこちらを見つめた。
俺は瞼を開けると、握っていたベッド柵を放り出した。
そしてふらふらと立ち上がり、アテナとヘラの脇を抜けると、扉に手をかけた。
「――――」
何かが、
引っかかった。
『――ただ、自由に……』
そう望んだアテナ。
『――殺せないわ。例え、あなたに愛する女性がいるとしても……』
そう嘆いたヘラ。
二人は一言も、美央のことなど言わなかった。
もし、彼女がこの家に来たというのが俺の妄想だとしたら―――。
少女はなぜ、その妄想に便乗する―――?
「逃げ……て……」
俺はその声に振り返った。
うつ伏せに倒れているヘラか。
ベッドに凭れ掛かっているアテナかはわからなかった。
しかし二人の前で、
少女はこちらに銃口を向けて立っていた。
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