テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
⚠︎前回同様幼児化要素薄いです。
幼児化その他諸々捏造設定あります。
区切るところを掴み損ねた結果、本文12000字あるのでお暇な時にどうぞ。
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正午を少し過ぎた頃、茹だるように熱い陽射しが真上から照りつける中を小さな影が走り回っている。ファストフード店で昼食を済ませたリトとイッテツは、腹ごなしに公園に来ているところだった。
じっとしているだけで汗が吹き出すような炎天下をものともせずに遊ぶ姿を見て、リトは「子供ってすげえな」とぼんやり思う。
「ねぇねぇリトくんっ! ちょっとこっち来て!!」
「おー……今行く」
日陰のベンチで涼んでいるリトを活発な声が呼ぶ。
ヒーローたるもの、呼ばれてしまっては仕方ない。重たい腰を持ち上げて陽射しの下へ出ると、それだけで皮膚が煮え立つような錯覚を覚える。
イッテツは大きなケヤキの木の下、比較的日陰になっている砂場で何やら泥遊びをしていた。その体はあまりに小さく、リトの身長で上から見下ろせば、大人用の麦わら帽子に全身がすっぽり隠れてしまう。
イッテツが子供の姿になってから、もう3日が経とうとしていた。
「みて、ピカピカの泥だんご!!」
「お、すげえじゃん。器用だなお前」
「えへへ、でしょ! 食べる!?」
「食べない」
不服そうに口を尖らせるイッテツに、リトは笑いながら頭をぽんぽんと叩いてやる。日陰で帽子も被っているというのに黒髪というのはやはり光を吸収しやすいらしく、一瞬触れただけでも分かるくらいに熱い。
あれだけ人見知りしていたイッテツも数日経った今やすっかり懐いてくれたようで、こうして頭を撫でたり軽口を叩いたりは許してくれるようになった。チョロいところはそのままなんだな、とリトは密かに苦笑する。
目線を合わせるために屈むと、影のせいでよく見えていなかったが、顔や体のあちこちに泥はねがついているのが分かった。
「あ、お前顔泥だらけじゃねえか。服にも跳ねてるし……なんでこんな飛ぶんだよ」
「んむむ……?」
頬で固まっている泥を指で擦って落としてやる。ほわんと丸く白いそれはまるで大福かマシュマロのように柔らかく、両手に包んでしまえば中華まんのように温かい。その愛らしさを表すのには何故か美味しそうなものばかり浮かんでしまい、思わず口に含んでしまいたい衝動に駆られる。
──ああ、けれど。
こうしてきょとんと見上げる顔も心底可愛らしいと思うし、慈しみは湧いてくる。けれど大人の彼の頬に触れたときのあの、ぎこちなくてたどたどしくて、泣きたくなるほどかわいい笑顔がどうしたって忘れられない。
今着ているふざけたTシャツや帽子だって全てイッテツの私物なのに、そのどれもが当たり前にぶかぶかで。あんなに華奢な体に合わせた服が今やそれすらも余らせている。
……会いたいなあ。なんて、本人を目の前にして思うだなんておかしなことだけど。
「……リトくん手あっつい」
「あ、悪い。──もうこんな時間か、そろそろ帰るぞ」
目を凝らして公園の時計を見てみれば、いつの間にか短針と長針は1を指して重なっている。もうここに来て30分も経っていたらしい。
帰ると言っても今は2人揃ってアジトで寝泊まりしており、任務もしばらくの間は休ませてもらえることになっている。最近は敵組織の活動も活発ではないし、リトであれば護衛が1人だけであっても戦闘力は申し分ない。
アジトはその機能上人目に付きづらい立地にあるため、行くのに少し時間がかかる。イッテツの体力的にも早めに公園を出た方がいいだろう。
「まって、泥だんご隠しとくから」
「え? 取っとくのかよそれ」
「あたりまえでしょ、いつかピカピカの泥だんごで宮殿つくるんだから」
たかが泥だんごなのに無駄に壮大だ。というか泥だんごで作った宮殿ってスカスカだし耐水性ゼロだろ。
イッテツはケヤキの根本に大きな葉っぱを置くと周りに小さな石を並べていき、その上にそっと泥だんごを乗せた。そうして飾り立てられた泥だんごが鎮座している様子を見ると、確かに簡素な神殿のように見えなくもない。
子供の感性というのは独特なものだ、特にこいつは。
リトはイッテツに手を洗わせると、ついでに水分補給を促した。喫煙者は喉の渇きに気付きにくいと聞くが、イッテツの場合は元かららしい。
「……にしてもあっちーな。テツ大丈夫か?」
「大丈夫だけど、問題なくはない……」
「なんだその言い回し。……ほら、来いよ。抱っこしてやる」
「抱っこ……?」
聞くところによると子供は身長が低いため、上からの陽射しに加えて地面からの反射光の熱さにも耐えなければいけないらしい。
この猛暑の中を歩かせるのは酷だろうと判断したリトは、イッテツを抱きかかえてやることにした。
イッテツはリトの伸ばした腕に躊躇しつつも、渋々その上に乗ってくれた。軽いな。大人の時もそうだったけど、今は比べ物にならないくらいだ。
「……ぼく子供じゃないんだけど」
「ははは、子供だよ子供。俺からすればな。お前も早く涼しいとこ帰りたいだろ?」
「うぐ……」
さすがに図星だったらしく、イッテツはそれ以上ぐずることはなかった。
キリンちゃんは「リトの腕の中は安心できるでしょう」と何故かちょっとだけ得意げな顔をしていて、イッテツはそれを見てちょっとだけ悔しそうな顔をした。
§ § §
「あ゛っっっつ゛くね……?」
「リトくんがあったかいからじゃん……」
急勾配の坂を登っている最中、リトは堪えきれず呻いた。腕の中のイッテツも水の入ったペットボトルを抱えながらぐったりしている。
リトの平熱が一般的なそれよりも高いことは仲間内では有名な話で、イッテツも『子供体温』という言葉がある通りいつもより少し体温が高めだ。つまり今は強い陽射しと地面からの反射光に加え、お互いがお互いの体温に苦しめられている。日傘でも持って来るべきだったな、とリトは心底後悔していた。
光学迷彩によって入り口の隠されたアジトまではあと少し、二駅分ほどある。住宅街から外れた国の所有地ということもあってか全くと言っていいほど人気はない。
平日の昼下がり、蝉の鳴く声だけがまるで地面から湧き立つように響き渡っていた。長い日中さえ耐え抜けば、この暑苦しい音も涼やかなひぐらしの声に変わるんだろう。
……その僅かな間に、済ませておきたい話があった。
「なあ、テツ。いっこ聞いていい?」
「んー……?」
「……昨日の、『おひめさま』のことなんだけどさ」
「……うん」
昼食も終えてこの時間だ、子供の体内時計としてはそろそろお昼寝に入ってもいい頃合いだろう。眠たげなイッテツにわざわざこんなことを聞くのは少し引け目を感じなくもないが、聞くなら今しかないと思った。
こちらを見上げるぶどう色の目をあえて見ないようにしながら、リトは問う。
「……お姫様っていうくらいならさ、やっぱ……王子様とかいんの?」
できるだけなんてことのないように振る舞ったつもりだったが若干声が揺らいでしまった。坂道のせいだと自分に言い聞かせ、イッテツの返答を待つ。
「……うん、いるよ」
「……、どんな人?」
「えっとね、……金いろの、かみ……で、背が高くて、キラキラしたひと。強くってね、……あと、かっこいい」
「…………そっか。強くてかっこいいのかあ……お姫様とおんなじだ」
その後に続く言葉が見つからず、イッテツも黙り込んでしまったので、会話はそこで途切れた。
柔らかい手足を抱える腕がじっとりと汗ばんで、それが暑さのせいだけじゃないことは残念ながら自覚している。リトは自分が思ったよりもショックを受けていることに自嘲して、密かにため息を漏らした。
あの日から、ずっと考えていた。
あの『おひめさま』がイッテツの幼少期の友達や当時見ていたアニメなどの登場人物ではないか、という説はマナから聞いている。しかしリトは、何度考えてもあれがイッテツ自身な気がしてならなかった。
『おひめさま』の周りに描かれていたのは、世にも珍しい紫色の猫やカラフルな花など、子供のイッテツが知るはずもない『ヒーローのイッテツ』に関するものばかりだった。それがライの言う通り記憶が一時的に混乱しているせいなのだとしたら、やはりあの『おひめさま』は今と昔のイッテツが入り混じったような存在なのではないか。
──というのが、リトがこの数日で打ち立てた仮説だ。そしてそれは今、ほとんど立証されたと言っていいだろう。
『おひめさま』には、王子様がいる。
金髪で高身長でキラキラしていて、強くてかっこいい人らしい。想像してみるといかにも王子様といった感じだ。
それがおそらく当時の──もしかしたら今も、イッテツにとっての王子様、なんだろう。
リトは自分のオレンジ色の髪を、人生で初めて疎んだかもしれなかった。
元の姿に戻れる日が来たら問い詰めてやりたい気もするし、いざとなったら勇気が出なくて聞けない気もする。
──ヒーローになったって恋人ができたって、どこまで行っても臆病なままなんだな、俺は。
勇敢で凛々しい王子様像とはまるでかけ離れている自分自身が無性に情けなくなってきた。せめてお姫様を守る騎士くらいにはならせて欲しいな、なんて弱気なことを考えている自分も、何もかも。
「リトくん、お水のむ?」
「──……ああ、ありがとな」
どんどん険しくなるリトの顔を見てイッテツは心配してくれたらしい。リトは近場に木陰を見つけ、そこにイッテツを降ろすと、差し出されたペットボトルを受け取った。
公園で補充したはずの水がもうほとんど残っていないのを見て、いくら暇だからといって日中に出かけるのはやめておこうと心に誓う。
飲み口に口をつけてしまってから「間接キスだなこれ」なんて考えて、またじわじわと苦い笑いが込み上げる。
──子供相手に何考えてんだ、俺。
「疲れたんなら、かわりにぼくが運んであげようか?」
「うん……? ……はっ、気持ちだけ受け取っとく。こちとらヒーローやってんだぞ。それに──……」
イッテツの突拍子もない提案にようやく心がほころび始めた時、奥の木陰が小さくがさりと動くのが見えた。
目を離さないように姿勢を保ちつつイッテツを抱え上げ、その木から距離を取る。
「……リトくん?」
「………………」
小動物や単なる風ならそれでいい。だが、警戒するに越したことはないだろう。今のイッテツには残機を使うどころかほんの小さな傷ひとつだって付けさせたくない。
五感を最大限に研ぎ澄ませ、まんじりともせずに待つ。ノイズとなって降り注ぐ蝉の声が一瞬だけ途絶えた、ような気がした。
目の前に深緑の葉が一枚、ひらりと落ちる。
「────上か……ッ!」
頭上から質量のある何かが迫るのを気配で感じ取り、後ろへ飛び退く。間一髪のところでそれは砂利道に降り立った。
一般的や成人男性と同じかそれよりやや大柄な体躯、耳付きの覆面を被ったような形状の頭部、胸元のキズに赤黒いマント──それは紛うことなく、敵対組織の手下だった。
人型のそいつがザ、と砂を踏み締めると、後から続くように丸っこいやつらもぽてぽて降りてくる。リトは簡易通信機を懐から取り出し、片手で電源を入れた。
「──こちら宇佐美。東支部管理区域付近に敵性生命体タイプC、大型エネミーを一体、小型エネミーを二体確認。殲滅のためデバイス解除の許可を!」
そう高らかに宣言し、イッテツを生垣の側へ沿わせるように降ろす。ここであればすぐに手が届くし、見晴らしも良いので何かある前に気付くことができるだろう。
不安そうに見上げるイッテツに「待ってろ、すぐに片付けてやるから」と頭を撫でてやり、さっと体勢を整え直した。
通信機にジジ、とノイズが入り、デバイス解除許可のアラームが鳴る。それを聞き届けるや否や、胸元の相棒に向かって叫んだ。
「変身デバイス起動!
──キリンちゃん!」
キリンちゃんは待ってましたと言わんばかりに飛び出して、小さな蹄をリトの手のひらにくっつける。
バチっ! と火花が散るような音と光が走り、それが弾けるのと同時にリトの前頭部から角が出現した。電気ノイズによく似た雑音を纏いながら、襟に避雷針のごとくアンテナが立ち、全身の至るところに稲光が発生する。
「テツ、危ねえから近寄んなよ。でも何かあったらすぐ呼べ、無理なら叫べ」
「わ、わかった……っ」
最後に口元がマスクで覆われると、戦闘の準備が完了する。イッテツはペットボトルを抱きかかえるようにして縮こまり、生垣にしゃがみ込んだ。
それを目線だけで確認し、リトは両足に力を入れる。ジャリっ、と爪先に体重を乗せて重心を下に移すと、そのままバネのようにしならせてエネミーめがけて飛びついた。
「ッ、らァア゛っ!!!」
「────!」
「────!!」
まさに曇天を貫く稲妻のように鋭いリトの拳は、まず大型のエネミーの右前に配置された小型エネミーを捉え、横向きに殴りつける。
もう片方の小型エネミーに向かって飛んでいったそれは、たった今リトに浴びせられた電流を保ったままぶち当たり、バチン! と大きな静電気を散らして同時に爆ぜた。
「────!!」
「っと、逃がすかよ……ッ!!」
二体がバラバラに転がろうとするのを、リトは木の根を蹴りつけ急転回することで追いかける。長い腕を伸ばして両手でそれぞれの頭を掴むと、そのまま地面に叩きつけて二度目の雷撃を食らわせた。
小型エネミーはビクビクとのたうつようにしばらく暴れ回るが、やがて完全に通電したのか、ピリピリと小さなプラズマを走らせて動かなくなる。
自身も帯電による凄絶な痛みに耐えながらリトはすぐさま身体を起こし、イッテツが無事であることを確認すると、次に大型エネミーを睨みつける。そいつはたった一瞬のうちに起きたことを飲み込めていないようで、手足をバタバタさせて慌てふためいた様子だ。
「はッ、大人しくしときゃあんま痛くねえって、──多分、だけどな……!!」
「──!!!」
言い終える前に思い切り地面を蹴り、一気に距離を詰める。大型エネミーは咄嗟に反応することができず、顔面めがけて穿たれたリトの拳をもろに受け止めてしまった。地面に倒れ込もうとするそいつに更に決定的な打撃を与えるべく、リトは即座に背後へと回り込む。
さすが東の精鋭と云うべきか、雷を纏わせた拳は明確にエネミーの脊椎──と呼ぶべき器官が存在するかは不明だが──を捉え、恐ろしい威力で突き上げられた。くの字に折れ曲がった身体を更に抑えつけるように体重を移動させ、下から上へ思い切り拳をめり込ませる。
大型エネミーの軽いはずもない体はまるで花火のように空へと打ち上げられ、やがて弾ける稲妻とともに爆散した。
「はァッ、はッ──……フーー…………」
息を整えるついでに、辺りを見回す。
相変わらずピクリとも動かない小型エネミー二体と、今しがた煤と共に散った大型エネミー。三対一にしては、想定より遥かに手早く片付けることができた。──そう、あまりにも早く終わってしまった。あまりにも、あっけなく。
通常、エネミーは単体では行動しない。全く無いというわけではないが、特にこうしてヒーローに攻撃を仕掛けてくるようなやつらは大抵少数の部隊を組んで来ることが多い。
そしてその場合、大体はリーダーのような役割を持つ個体がいる。
今の大型エネミーがそれだと思っていたが、それにしては手応えが無さすぎる。相手が子守り中のヒーローひとりだったとしても、こんなにも手薄な要員で戦いを挑んできたりするものだろうか。
何かがおかしい。
その正体はリトが思考を巡らせきる前に、視界の端で上がった悲鳴によって判明することになった。
「ッ──リトくん……っ!!」
「テツ……!?」
いち早く声を上げたイッテツは、たった今生垣の裏から伸びてきた腕に捕らえられてしまったところだった。複雑に生え揃った枝をブチブチと千切りながら姿を現したそれは何てことのない、ただの大型エネミーだ。
──その腕の中にイッテツを納めていることを除いては、だが。
「────!!」
「テツ、じっとしてろ。今……」
助ける、と言いかけて、口を噤む。
おそらく最初から目的はイッテツだったんだろう。こちらを伺うようにゆらゆらと立つ大型エネミーを前に、リトは手も足も出せないでいた。
リトは、名実と共に東の国のヒーローの中でも指折りの実力者だ。かなりの古株であるという事実もそうだが、何より光るのはその持ち前の身体能力と自然の脅威を操る戦闘能力。しかしそんな彼にも弱点があり、それはまさに「人質を取られると弱い」というところにあった。
リトの戦闘スタイルは基本的に肉弾戦で、主な使用武器は己の拳のみという実直さだ。雷という飛び道具も持ち合わせてはいるが、それも手を離れてしまえば必然的に範囲攻撃になってしまうため、攻撃できない相手がいるシーンではとことんまで使い物にならない。
現に今だって、イッテツの首筋に当てがわれた爪を外してやる方法も、その小さな体に負担がかからないよう電撃を浴びせる方法も、リトには思いつかなかった、
応援──は間に合わない。そもそも通信機を取り出した時点で人質には害が与えられるだろう。何とか、あと少し時間を稼げば──……
「……──リトくん! かみなりのやつ、やって! ぼくのことは気にしないで!」
「な……何言ってんだよ、できるわけねえだろそんな、そんな……ッ」
「いいから……っ、だって、ぼくには残機があるんでしょ? ……それくらい覚えてるよ」
「…………は?」
今、なんて言った?
いつから──いや、そもそもどこまで、イッテツは覚えているというのか。
リトは3日前の模造紙に描かれた絵を思い出していた。猫、花、おそらく自分の姿。それらはもしかすると、残機を使用する直前に見ていた景色を描いたものだったんじゃないだろうか。
魂の化身である残機猫がやってきて、自分から溢れる鮮血は舞い散る花弁に見えて、それらを俯瞰で眺める自分がいて──それが死の直前の記憶だと知ってか知らずか、朧げながらに描きとめたものなんだとしたら。
辻褄は合う。だが、それが残機を使わせていい理由にはならない。
「……駄目だ。絶対に、残機だけは使わせない」
「っそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。このままだとぼく、こいつらに連れてかれちゃうよ!? そうなるくらいなら──」
「──今のお前はッ!、……ひとりしか、いねえんだよ……!!」
思わず口をついて出た言葉は、いつもイッテツが残機を使用する度に胸の奥につかえたまま言えずにいた思いだ。
本人は当たり前のように受け入れているが、人の命は、魂は、そんなふうに扱っていいものじゃない。お前という人間は、そんなふうに扱われていいものじゃない。
例えこの状況じゃなかったとしても同じことを言っただろう。今イッテツが残機を使用すれば、もう二度とあのイッテツには会えなくなる。そうじゃなくても、今こうして向き合って見つめ合っている彼は、この世界にたったひとりしかいないのだ。
「……お前を、手にかけたくない。俺には無理だ、できねえよ……」
そう呟いてとうとう俯いてしまうリトに、イッテツは静かに舌打ちをした。
──舌打ち……?
「────あのさぁ、大体なんで僕が死ぬのが前提なわけ? きみが出力調整すればいいだけでしょ、そういう訓練ず〜〜っとやって来てんだからさ」
「は? え、何待って待ってまって」
「それとも何ですか? 本番弱いとか思ってる? 自分のこと。そんなわけないでしょ、きみほど本番強い人知らないよ僕。とりあえずやってみればいいっつってんの」
「いやお前記憶、え……??」
やけに淡々とした口調でひと息に喋ったイッテツは、心なしかいつもより、いや『いつも通り』に濁った目でこちらをじっと見つめていた。
顔は子供のままなのに、目つきだけはいやに達観したような、それでいて熱く煮えたぎる正義を灯したような表情をしていて。それはまるで、リトのよく知るイッテツそのもののような。
混乱するリトに、イッテツは続けて叫ぶ。
「──いいから根性見せろ、ヒーロー!!」
「っお、おう!!」
聞き慣れた音圧こそ無いものの、その真っ直ぐな声はリトの中で燻っていたヒーローとしての矜持を呼び戻すのには十分だった。
イッテツの全力の檄を受け取ったリトは、深呼吸をしながら手元に雷を纏わせる。意識としてはいつもそのまま出力しているプラズマを粒子から丁寧に練り上げるような、そんなイメージ。
イッテツの言う通り、訓練ならいくらでもやってきた。それこそ血が滲むくらいに。
いつも通りにやるだけだ。いつも通り、意識を集中して雷の流れを作り、それに続くように拳を振り翳すだけ。
これでもし失敗したら、イッテツは残機を使うことになってしまう。もう二度とあの笑顔には会えなくなってしまう。
だからこそ、絶対に失敗してはならない。
絶対に、守り通さなくてはならない。
強い意志と覚悟を決め、全ての指を握り込んだ。
雰囲気が変わったことに気付いたエネミーと、一瞬視線が交わる。
今だ、と思った。
「──うおぉおおぉッッ!!!」
「────!!?」
鋭い叫びと共に空間を貫く雷鳴が轟き、刹那視界が白金に覆われる。
エネミーは当然避けることすら叶わず、自然界のそれを遥かに上回るほどの落雷を一身に受け止めることになった。
骨が砕けるような激痛の最中、拳は決してブレることなくエネミーの顔面に突き立っている。
やがて一帯を染めた閃光がバチバチと光の筋となって散らばり出した頃、リトはようやく拳の先のエネミーが消滅していることに気がつき、すぐさま足元に倒れているイッテツを抱き起こした。
「──テツ、テツ! ……目ぇ覚ましてくれよ、テツ……!!」
手袋を脱ぎ、口元に手を翳す。……息はある。位置もそれほど変わっていないということは、吹き飛ばされて頭を打ったというわけでもなさそうだ。あと、考えられる要因といえば──、リトは視線だけで辺りを見回す。
周囲の木々や大地をまるごと巻き込むような広範囲がリト渾身の雷撃に包まれたが、ただその中心、イッテツにだけは当たらないよう調整したつもりだ。
だけどもし、もしそれが失敗に終わっていたら。ざっと見ただけでも大木を2、3本薙ぎ倒すほどの威力を間近で浴びてしまっていたとしたら。
ぱちぱちと舞う火の粉から庇うように身を屈め、少し焦げてしまった毛先を震える指で撫で梳いて、その瞼が持ち上げられるのをひらすら待つ。
「…………──ん、あれ……? ぼく……」
「っテツ……!!」
長い睫毛の隙間からあのぶどう色が透けて見えた瞬間、リトはたまらずイッテツに抱きついた。
「うわっ、なに……!? なんかビリビリする……!!」
「ごめん、痛いよな、ごめん……──あぁ、ははっ、……ありがとうな、信じてくれて……」
「泣いてるの?」と聞かれ、素直に首を縦に振る。
目覚めてくれてよかった。成功してよかった。諦めかけた自分を鼓舞してくれて、本当によかった。
色々な感情が濁流のように押し寄せてきて、上手く言葉になってくれない。その代わり涙は止めどなく溢れてくるので、一旦それを言祝ぎとさせて欲しい。
リトの胸元からぴょこんと顔を出したキリンちゃんが「どうです、キリンの相棒は」とまた自慢げな顔をするので、今度はイッテツもどこか誇らしい気持ちで微笑み返した。
§ § §
「……うん、うん……おん、分かった。ウェンにも伝えとく。……じゃ、またなー」
しばらく待っても声が戻って来ないのを確認すると、通話終了のボタンを押して、マナはテーブルの方へ体を向けた。
「リト、本部の方で報告書と始末書出して帰って来るらしいで。泊まりにならんくて良かったわ」
「なんか消防車呼んだらしいじゃん? 何があったらそうなんのって感じなんだけど。ねぇテツくん?」
ウェンの呼びかけには応じず、イッテツはお絵描きに集中しているようだった。ローテーブルには折り目のついた模造紙が広げられており、そこへ向かって一心不乱にペンを走らせている。
ウェンはわざとらしく「振られちゃったよー」と泣き真似をして、マナはそれを軽くあしらいつつイッテツの隣に座った。
「なぁテツくん、それ何描いてるん?」
「……おうじさま」
「……えっ、王子様……!?」
ぽつりと呟かれた返答に、マナとウェンはにわかに焦り出した。
先ほど交わされたイッテツとリトのやり取りを知る由もない2人だが、それでもあの話題の『おひめさま』にお相手がいたとなってはその正体に期待してしまうのも仕方のないことだろう。
イッテツは『おひめさま』の隣の空間に、二回りほど大きな『おうじさま』を描き込んでいるところだった。そこにいるのが、例えば黒く塗り潰された謎の人物『He』だったりしなかったことに安堵しつつ、マナはその行く末を眺める。
「……あのね、おうじさまはね、……金いろのかみで、背が高くて、キラキラしてるの」
「うんうん、それで?」
「それで……おひめさまがピンチになったときにね、絶対に助けてくれるんだ。おひめさまも強いんだけどね、おうじさまはそれより強くって、優しくって……でも目がわるいから、おひめさまはみどりの服を着てあげるんだ」
『おうじさま』の衣装も無慈悲に緑色で塗り潰し、ペンを持ち替える。マナとウェンはふとよぎった予感に目配せをして、「今はまだ見守ろう」と意見を一致させた。
「……王子様にもお供ちゃんがおるんやね?」
「うん。どぐうちゃんより賢くて無口だけど、とってもかわいいお供ちゃんがいるよ」
「そっかぁ……それって何だか、ヒーローみたいじゃない?」
「んふふ……そうだよ。ほんとはね、ヒーローなんだ。……でも、ぼくにとってはおうじさまなの。──世界でいちばんかっこいい、ぼくのおうじさま」
黄色に塗った髪の下半分に水色のペンを走らせながら、イッテツは嬉しそうに言う。
ペンが置かれ、完成したと思わしきその姿は、ヒーロー衣装に身を包んだリトそのものだった。
マナとウェンは今度こそ顔を見合わせる。
「……あー、はいはいはい。土偶ちゃんね? テツんとこの存在しないお供ね?」
「おいあんま言うたるなや」
「これに比べたらおひめさまのお供はカスや」
「おうテツも何や言うとるぞ」
わちゃわちゃと雑談を交えながらいざ完成した絵を見てみると、図らずもペアルックになったバカップルそのものだった。
……なんというか、イッテツは思ったよりも乙女チックな思考をしていたんだな、とほのぼのした絵を前に何だか気まずくなる。
「な〜んだ、また惚気に付き合わされただけかよぉ〜」
「まぁまぁ、何事も無くて良かったやろ。俺は同期カップルが順調そうで安心したで」
「それはそうだけど……あ、ねぇマナ、僕良いこと思いついちゃった」
「……良いこと?」
マナが首を傾げると、ウェンはいたずらっぽい笑みを浮かべて耳打ちをする。それを聞いたマナは思わず吹き出し、ひとしきり2人でクスクス笑った後、実行に移すためスマホの通販サイトのページを開いた。
§ § §
それから更に2日ほど経った頃、Oriensのアジトにはクラッカーの鳴る音が響いていた。
「──いやぁご心配をおかけしました! 私ヒーローイッテツ、完全復活でございます!」
「よっ! 待ってました!!」
「おめでとー!!」
色とりどりの紙吹雪とテープを浴びながら、イッテツは満面の笑みで出迎えられる。復活祝いとしてテーブルの上にはオードブルなどのごちそうや酒が用意されており、壁には手作りの飾り付けがされてあった。
「いやぁ、後遺症とかも何も無いらしいし文字通り完全復活やな。お前の生命力どうなっとんねん」
「ああ、それで言うなら自力で正史へ戻ろうとする運命力かな、どちらかというと」
「あ〜この声! この重低音こそテツだよね〜!」
「この音圧よな、やっぱ。何や安心するわぁ……ほらテツ、お前が帰って来るまでず〜っと寂しそうにしとったリトに挨拶したって」
マナはイッテツに花束を手渡しながら、後ろを振り返る。リトは3人から二歩ほど離れたところでぼうっと立ち尽くしていた。
イッテツは花束を受け取ると、迷いなくリトの元へ近寄っていく。一歩、二歩、目の前に立ってみても反応のないリトに、心配してくれていた嬉しさよりも困惑が勝つ。
「……あ、あの〜……リトくん? ……え、怒ってる?」
「…………テツ、」
「あ、えっ、はい」
「……テツが大きくなった……」
「えぇ……お陰様で……??」
どうやら久しぶりに見た恋人のあるべき姿に脳がキャパオーバーしてしまったらしく、目の焦点が合わないまま脈絡のないことを口走ってばかりだ。イッテツはそんなリトの様子を見て、力なく垂れ下がった手をそっと持ち上げてやる。
イッテツの手はもうリトの大きな手でも握り込めるような大きさではなくなっており、今になってようやく実感が湧いてきた。
「──みんなから色々聞いてるよ。きみ、僕のためにすっげぇ頑張ってくれたんだって? ……ありがとう、リトくん。ただいま」
「っ……おかえり、テツ」
その耳馴染みの良い低音も、しゃがまなくても目を合わせられる距離感も、何もかもが懐かしく思えて、堪えきれず抱きしめる。腕を回せば触れる骨ばった背中すらも愛おしくて、──ああ、本当に戻って来たんだ、とつい涙が滲んでしまう。
しばらくそうして抱き合っていると、イッテツが何か思い出したように「あっ」と声を上げた。
「そういえばマナくん、さっきアジトに戻ったら僕に見せたいものがあるって言ってなかった?」
「おぁ、急に正気戻らんでや。しゃーないな、見せたるけど……一応確認な? テツは子供になっとった時の記憶は無いってことでええの?」
「あ、うん。綺麗に何も覚えてないね」
「あ〜〜じゃあ都合良いね。ハイそれじゃ行くよ〜、あヨイショ〜!」
微妙な掛け声と共にウェンが紙袋から取り出したのは、この部屋に飾るつもりなのか、やけに豪華な額縁に収まった一枚の絵だった。よく見るとそれにはうっすらと折り目がついており、その位置からしてもっと大きな紙を額縁に収まるよう切り取ったものらしい。
そしてそこに描かれているものを見た瞬間、イッテツは一気に表情を引き攣らせた。
「……アッ待ってなんかすげぇ嫌な予感する、」
「これはねぇ、子供んなったテツが一生懸命描いてくれた絵でねぇ」
「待ってやめて大丈夫、解説いらないから。多分もう全部理解したから」
「照れんなや〜! バッチリ解説ももらっとるで、メモによるとな、これは『おひめさま』と『おうじさま』を描いた絵らしくてな?」
「ねぇほんと! マジでいいから!! ちょ、リトくんもなんか言って!!」
「解説もっかい聞かせてもらってい?」
「リトくん!?!?」
顔を真っ赤にして逃げようとするイッテツを片手で捕まえつつ、リトはやっと戻ってきた日常の幸福を噛み締めるのだった。
コメント
4件
テツ戻ってよかった😭😭😭 主様の語彙力まじで尊敬します💖 すごく情景浮かべやすくて朗読したいくらいですよ…👊👊 宇佐美の優しさとテツの可愛さが滲み出てましたねぇ…🥹✍️