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翌日、あたしは昨日と同じようにエプロン姿になり、泡だて器を手にレシピを見つめていた。
白い生地のロールカステラは卵黄を使わず卵白のみで。十分冷やし、しっかりと泡立てて焼き上げる――。
陸太朗のくせのある字は見やすいが読みにくい。何度も読み直して、工程を頭に叩き込んだはずだったのだが……。
「陸太朗! なんかすっごく生地固いんだけど!」
焼きあがったカステラは、弾力はないし、密度がありすぎて固いパンのようである。
「ああ、悪い。もしかしたら、砂糖を減らしすぎたのかもしれない」
「またかよ!」
今回砂糖を計ったのはあたしだが、レシピに書いてある量が最初から減らされていたらどうしようもない。
「ん……? この本によると、砂糖は水分を吸収する性質があって、水分が減って生地が固くなるのを防いでくれるとある。……こんなにいろいろな働きがあるとは。砂糖とは、すごいんだな」
しきりに感心している陸太朗にあきれる。気づくのが遅すぎる。
「陸太朗~。初心者は、まずレシピ通りに作らなきゃ! ちょっと、貸しなさいよそれ!」
「カステラの固さについては、他にも様々な原因が考えられるそうだ。余熱が足りなくて焼き足りない可能性、あるいは、焼きすぎた可能性、あとは――」
「ちょ、ちょっとストップ! 一気に言われてもわかんない! わかんないから、一つずつ行こう!」
作るのはカステラだけではない。生地を作り直してオーブンに入れている間に、白あんに取り掛かる。一晩水に漬けておいた大福豆を柔らかくなるまで煮て、こしてから砂糖を入れて練ると――。
「――陸太朗! 焦げたんだけど!」
「っ、だから、鍋から目を離すなと――」
「陸太朗こそ、柿カットするのに何時間かかってんのよー!」
二人で必死に取り組んだが、前途多難、先行き不安、お先真っ暗だった。
毎日、固かったりぼそぼそだったりべちゃべちゃだったりするカステラの山ができあがる。もちろん、カステラだけではない。鍋いっぱいの焦げた白あんを前にして立ちすくんでは、砂粒みたいな希望をかき集めて明日につなぐ。
だが、ど素人が一瞬でプロフェッショナルになれるわけもなく、一度もカステラを巻くことができずに一日一日が過ぎていく。
「ね、ねえ、陸太朗……。和菓子、いろいろ作ってたじゃん。なんで、ロールケーキを選んだわけ……?」
「……いろいろ作ってみて、これが一番簡単かと思ったんだ……。焼いて巻くだけでいいから、簡単そうに見えるだろ……」
あたしはテーブルに突っ伏しながらうめいた。椅子に座っている間は失敗作を胃の中に片すという暗黙のルールも、さすがに今は守れそうにない。
「……あたしもそう思ったけど、まず、ちゃんと焼くところから出来ないじゃん。さっきのは割と良さそうだったけど、巻いてみたらベタベタ手にくっついてボロボロになるし、割れるしさあ。これ、もう丸ごと一本作るのは無理なんじゃない? 一個分ずつ生地を切って、それから丸めた方がいけるんじゃない? どうせ、寒天は最後にあんの上から埋め込むんでしょ? フルーツも同じように最後に埋め込んだらいいじゃん」
「だから、そのやり方だとカステラとフルーツの切り口がきれいにそろわないだろう。あんを平らに塗るほどの腕もないし、やっぱり、最初に一本丸ごと作ってから切り分けた方が仕上がりがいい」
「……でも、だからそれができないんだって~」
あまりにも成果がなくて心が折れそうだ。陸太朗も疲れたように椅子に座り込んでいたが、しばらくするとボウルや泡だて器を洗ってまた作り直しにかかる。
真剣な目でボウルの中身をかき混ぜている陸太朗を眺めてつぶやいた。
「……陸太朗は、すごいね。これだけ失敗続きでも、まだあきらめないんだ……」
「別に、すごくはないだろう。やりたいことをやっているだけだ」
「そうかもしれないけど、さすがにここまで進歩がなかったら、嫌になったりしない?」
「…………」
陸太朗は少し考えているようだった。オーブンの設定をしながら、静かな口調で答える。
「確かに、嫌になるときもあるにはあるが……。これくらいは、想定の範囲内だ。やめようとは思わない」
「……ふうん……」
やっぱりそれは、陸太朗が心からやりたいことだから、だろうか。あたしにとってはそうではないから、こうも簡単に気持ちがへこたれる。
(でも、陸太朗を手伝おうって、自分で決めたのに……情けないなあ)
そんな風に思っていると、
「……それに、まあ――」
陸太朗がぼうっとしているあたしに視線を向けた。
「……今は、一人じゃないし。一緒に作るっていうのも……、いいもんだな」
「――へえ」
現金なことに、それだけであたしは回復した。コンテストに応募する二人組のパートナーとして、料理部の一員として認められたようで嬉しくなる。
むくりと起き上がって陸太朗の顔を覗き込む。
「じゃあ今、楽しいんだ?」
「それは、まあ……」
そう言いながらもぴくりとも表情を動かさない陸太朗に近寄った。そして、その両頬をぐいっとつかむ。
「! おい――?」
「その割には全然楽しそうじゃないんだよね! 一人でいすぎて、表情筋死んでんじゃないの? このっ、このっ!」
「こ、こら、止へろ……!」
両手がふさがっていて抵抗できないのをいいことに、無理やり口角を上げてやった。その顔が面白くて笑うと、彼は自由になる足を持ち上げ、そのまま勢いよく床へ下ろした。
――いや、床じゃなかった。あたしの足の上だった。
「い……っ! いったあ! 何すんのよ!」
「お返しだ、ばあか」
陸太朗が片方の口の端をゆがめる。憎たらしいどや顔のはずなのに、やわらかく感じるのはなぜだろう。
時々、陸太朗はふと、こういう表情を見せるときがある。転校ばかりで周りに壁を作ってきた彼の、本来の姿が現れかけていると思うのは楽観的過ぎるだろうか。
だが、彼は、一緒に料理をするのも楽しいと言った。今すぐは無理でも、少しずつ感情を表せられるようになればいい。
コンテストで入賞したら、きっと……。
あたしは決意を新たにして、書き込みだらけのレシピを手に取った。