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「あんなの、まるで漫画だぜ……」
左に把持(はじ)した一刀が、ひとまず己のことは棚に上げて、ささやかな批難をくれた。
綿毛のように舞った灰燼が、緋々色の底光りを蓄えた刀身に触れる寸前で粉々に砕け、跡も残さず消えてゆく。
「それな」と簡潔に首肯する傍(かたわ)ら、葛葉の内心は雀躍した。
まさか、こんな隠し球を奮発してくれるとは思わなかった。
これで、おおよそ勝負らしい勝負ができる。 そんな風に意気が逸(はや)った。
「いいじゃんそれ。 てか安心したわ」
「あ?」
「や、気掛かりだったのよ。 小っちゃい斧でさ? ペチペチ殴ってくるんじゃないかって」
「……んだと?」
「そんなもん、こっちが加減ミスったらバッサリよ? 目も当てられん」
「てめえ」
みずから進んで火の粉を被ろうとする姫御前というものは、周囲をまことに難儀させる。
“御身は軽くない”と老人は言った。 しかし、彼女は聞く耳を持たない。
「それにしても、あれだね?」
「あ?」
「興奮したらでっかくなるってお前さん……」
「それ以上言ったらぶっ殺すぞ」
事を見守る両名のうち、あまりの事態に恐れ入ったリースは、早くも及び腰をさらしていた。
ところが、さすがに場数を踏んでいるらしく、その手元は腰部に配(あしら)われた拳銃の在処(ありか)を、しっかりと突き止めているようだった。
また、これに無闇に手をかけない辺り、じつに賢い娘だと、老人は判をおして頷(うなず)いた。
それにしても、打ち直し。
面妖な技芸ではあるが、やっている事は取り立てて論じるほどの物でもない。
刃金の手薄な箇所にさらなる鋼をあて、脆弱な部分により一層の鉄を盛る。
そうする事で肥大したあの不っ細工な形(なり)は頂けねえが、斎火の内々で鍛え直された逸品とあっちゃ、恐らく神剣にも引けを取らねえはずだ。
「どうしたよ、ビビったか?」
「あん? ビビり入ってんのはそっちでしょうよ?」
先立って大きく吹かしたはいいが、当の葛葉も場馴れているだけに、膠着(こうちゃく)を破るのにも躊躇がある。
右腕はいまだ完治せず、折々に疼痛が再燃して煩(わずら)わしい。
彼女が修める流儀の骨子は、左右の手を満遍なく使うことに意義を見出だすものであるから、この後の斬り合いに関しては問題ない。
ただ、やはり利き腕ではない左のこと。
当面の気掛かりは、うまく手心を加えることが適うのかと、その一点に尽きた。
対する男性は、鉞の過重量を肩口に預けたまま、風が吹こうが灰が降ろうが微動だにしない。
敵が間合いに入ろうものなら、電光石火のうちに振り下ろす。
いたってシンプルな施策を念頭に掲(かか)げているだけに、その佇(たたず)まいには隙がない。
「………………」
坐りのよい腰骨に柄前(つかまえ)を添えて、ひとまず先方の体(たい)を静観することに終始した葛葉だが、ある段階で思い立った風に剣線を上げた。
窮策かと思えばそうでもない。
天を高々と目指す切先は、雷(いかずち)を招きそうな勢威がある。
──雷刀? いやあれは……。
事態を傍視する老人の眼が、わずかに細引いた。
本来、千変万化する斬り合いにおいて、決まった構えなど存在しない。
澄んだ水面が月影の鏡裏を得るように、敵の働きに応じて対処する。
もちろん、ただのんべんだらりと追従すれば良いという話ではなく、如何なる時も心持ちは前へ前へ、斬るという一念が何よりも肝要だ。
そのような心構えを“有構無構”と定め、散々にも申して聞かせるかの流儀に触れたはずの彼女が、こうして大仰に構えをとった。
──何を企んでいやがるのか。
「……なんだそりゃ、勝負捨てる気か?」
姿勢を損なわず、眼だけで訝(いぶか)る男性に対し、葛葉は鼻を鳴らして応答とした。
鹿島の地で培われた神伝の刀法に、“一つの太刀”と呼ばれる秘剣がある。
具体的な術理は失伝したとされるものの、要点を挙げれば斯くのごとく。
“天地人の三段をもって事に當(あ)たるべし”
なにやら珍紛漢紛ではあるが、かの師は幸いにして、剣のみならず文筆にもよく通じており、これを解読したと豪語する。
『天と地の狭間に人あり。 この“人”を汝の眼は己と見るか、他者と見るか』
さすがの葛葉も、これはますます意味を知るのが億劫に思え、肝心なところを教授して欲しいと乞(こ)うたことがある。
『思うままに為されよ』
けれども、師の口前はどこ吹く風で、一向に実りを得ない。
こちらとしても、あの頃は暇をたっぷりと持て余す身の上だったし、なら一丁(いっちょ)お師匠の鼻でも明かしてやるかと、意気込んで文献の読解やら何やらに打ち込んだものだった。
その末にたどり着いものが、果たして正解だったのか。
眼中に黄色みを帯びた異相は、いつ見てもまこと鬼のようで、表情を知るのに苦労したが、あれは恐らく笑っていたんだと思う。
それが肯定的なものか、はたまた失笑に親(ちか)しいものか。
今となっては、あの師(ヒト)の面影は遠く、ついぞ失念した。
ともかく、一つの太刀。
何分(なにぶん)にも他流の業ではあるが、使えるものは何でも活用すべしと、師の教えに沿うものだ。