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葛葉の足が音を立てず前に出た。 まるで街路をそよ風が渡るように、その動作は滑らかで淀みがなく、一見して見間違いかと疑うばかりに何気ない。
男性はいまだ動じず。 肩先を占める鉞が、条件反射のようにピクリと微動を来(きた)すに止(とど)まっていた。
さらに足を運び、間合いを詰める。 先よりも強(したた)かに、鉞が打ち震えた。
ブロンド娘の持ち物から借用した履物は、底があさく大地の感触を如実に伝えてくれる。 拍子を知るには好都合だった。
あと一歩。 あと半歩。
途端、敵の身柄が最善の間合いに入ったと見るや、男性は猛然と大塊(おおぐれ)を振るい、瞬刻の間に打ち掛かった。
風道がねじ曲がり、混乱を余儀なくした颶風(ぐふう)が銘々に駆け出すさまは、まるでかの鉞が大気を撹拌しているような印象だった。
これに惑わされぬよう腰部に綿密な張力を施した葛葉は、己の正中線を意識して事に臨んだ。
真っ向から迫る凶刃を、豪胆にも身体の中心に引き寄せる心積もりで、なおも意気組を前方に据えたままわずかに身を退いた。
敢えなく彼女の前面を過(よぎ)った厚刃が地表を激しく打ち、噴煙と見紛うばかりの土埃が迸(ほとばし)った。
この機に乗じ、速やかに駆けた小烏丸が敵の脳天に密着し、最上の勝ち目を示した。
「………………っ」
「あ、悪い」
地中に埋没する鉞の模様に目を剥いた男性が、信じ難(がた)い様子で身を硬めていると、頭上からぽつりと声が掛かった。
やはり力加減を損なったようで、彼の中折れ帽が縦に裂けている。
頭皮を浅く傷つけたか、しめやかな朱色(あけいろ)が額にたらりと尾を引いた。
「もう止(や)めときな?」
その模様に胸奥(きょうおう)で深謝を施しつつ、努めて平生を装い声をかける。
これ以上続けても、双方にとっていい事はない。
そう戒めたつもりだったが、どうやら先方には通じず。
「ざけんなオイ!!」
「わっ!?」
痛烈に再起した凶刃が、危うく葛葉の鼻先を掠(かす)めた。
間髪を容れず、頭上でキラリと閃いたそれが、来た道をたどる要領で疾走する。
既(すんで)に刃先で応じるものの、過重量による当たりがキツい。
左腕のみならず、体幹そのものが容易に払い飛ばされた。
「野郎ッ!」
軸足を頼りに、これをどうにか制動した彼女は、剣を地摺(じずり)に定めて機を読んだ。
「逃がすかオラァ!!!」
「っと……!」
しかし、敵はどうやら戦法を改めたようで、一転して破竹の勢いで攻め込んでくる。
頭を使う余暇はない。 そう踏ん切りを得るや、剣を虎振の勢相に据えて鉞の初動を待った。
「でりゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ふ……ッ!」
分厚い刃が驀然(ばくぜん)と駆け出す頃合いに、順風に靡(なび)くがごとく身をふわりと差し換えて敵の横面を打つ。
ところが、頑健な靴底がこれを阻止。 そのまま満身に威を溜めた男性が、当の矮躯を剣もろともに蹴り飛ばした。
「くぅ……ッ!?」
急いで踵を地面に食い込ませるも用をなさず。 足首に備えつけた神威の発条が捩(よじ)れるように潰滅を起こし、火花のような紅霞(こうか)が直線に疾走した。
あわせて地中に突き込んだ一刀が、ジャリジャリと非難がましい悪声をたてた。
「………………ッ」
程なく、これを改めて下段に据えた葛葉は、他流に見る神妙剣の理方を胸中で頻(しき)りに反芻(はんすう)した。
間を置かず、決死の気合いを掛けた男性が鉞ともども眼前に飛び込んできた。
剣線をゆるゆると浮かせつつ、その身柄を目一杯まで引きつける。
刹那、厚刃の背面をコンと打った一刀が、急速(きっそく)のバネを揮(ふる)い矢のように昇騰した。
「う……! ぬあぁぁぁ!!!」
喫驚する間もなく、腰骨を外(はず)さんばかりに身を捻(ひね)った男性は、死物狂いでこの急襲を避けた。
厚手のコートをぶつりと貫いた両刃切先が、糅(か)てて加えて沈黙する間もなく、遠慮のない裏拳が葛葉の横っ面を襲う。
「こんの……ッ、上等ヤロウが!!!」
柄前を振るい、これを間一髪で防ぎ止めたものの、その内心は混迷を極めていた。
熱に浮かされれば、たちまち見境をなくすのがヒトである。
ところが、葛葉の場合は少しばかり事情が違う。
「おらぁッ!!!」
「くお……っ!?」
まるで幼子が木の枝を闊達に扱うような太刀筋は、世の雑事とは無縁の、言わば惟神(かんながら)の道に近く。 いたく伸びやかで、恐ろしいまでに疾い。
これが鉞の縁(ふち)を痛烈に打ち、鐘の音(ね)とも砲声ともつかない噪音をたてた。
長柄が激しく痙攣を来(きた)し、きつく締めた五指が危うく開きそうになる。
「こんの野郎ぁああ!!!」
これを満身の力で恫喝した彼は、再度の勢を得て反撃に打って出た。
なおも暢達に攻め掛ける小烏丸の鎺元(はばきもと)に、激しい火花が咲いた。
あわせて、剣をとる手とは反対側、葛葉の右腕が異様な音を立てた。
「痛ったいなコラァ!!!」
しかし彼女は弛(たゆ)まず、肩先を剣線に打ち当てて鉞の進行を阻止。 続けざま巨億の膂力(りょりょく)を発揮して、男性の身柄に体当たりをくれた。
たまらず小石のように翻弄された長躯が、野面(のづら)を点々と打ち、数間に渡って軽(かろ)らかに跳ね飛んだ。
──あいつ、真面(まとも)じゃねぇ……!
その末に、大地に諸手をつく無様をさらした彼は、まざまざと己の無鉄砲を知った。
「おいカヤ! どうなってる!?」と問うも、馴染みの女声は応じない。
──あの野郎、またサボって
やむにやまれず歯噛みして視線を上げると、剣を草地につき、しきりに苦悶する敵の体(たい)が見えた。
患部が殊更に悪化したようであるが、男性にとってはそもそも不思議でならない。
──なんで真っ二つにならねえ?
そうした大元の不審が頭の中に滾々(こんこん)と湧いて、当人の正体をなくした。
敵の身柄に少しでも掠(かす)らせる事ができれば、それで勝ちを得られる戎具。
天を仰ぐ心持ちで、己の名利を復誦(ふくしょう)する。
肉体は言うに及ばず、自動車に家屋。 果ては城壁ですら容易(たやす)く両断する斎斧(いみおの)だ。
もちろん、星を切るだとか空を割るといった大それた事は儘(まま)ならないだろう。
通力が揮(ふる)うのは、あくまで常識の範囲内に限るものと思う。
──あの女、マジで何なんだ?
見てくれは、紛(まが)うことなき乙女のそれに似つかわしい。
しかし、その肩先に滲む異体の気(け)が、男性の眼にも判然と透けて見えるようだった。
「なにビビってんさ? てかおもろい事になってんじゃん」
唐突に掌中の鉞が発した馴染みの声を得て、当の眼が暁然(ぎょうぜん)と見開いた。
「てめぇ! 今までどこ──」
「ちっと席離れてる間に。 まぁ、ランチね? そう」
「いいから手ぇ貸しやがれ!!」
形振(なりふ)りかまわず吠え立てる男性の醜態に、女声は暫(しば)し沈黙。 ややあって、物静かな語り口で唱えた。
とくに、差し水のつもりは無い。
「本当に殺(と)るつもり? あのおヒト」
「決まってんじゃねえか!!」
「おぅおぅ……。 ホントあんたって」
「やるのかやんねえのか!?」
「……右の肩、抜けかけてる。 あんまり長くは保(も)たないよ?」
雑糅(ざつじゅう)なやり取りの末、相棒が寄越した事務的な言い分を聞いて、男性の眼が爛々と耀いた。