蝉の鳴き声が頭から離れない。この音の裏で、大粒の雫を頬に這わしているあの人の顔が脳裏で見え隠れしている。頼むからこの記憶を消してくれと脳に懇願すると同時に、あの顔に更に惹かれてしまった自分に呆れを覚えた。
かき氷の優しい甘さが唇にいつまでも残っている気がする。
普段訪れないスーパーには風鈴や西瓜の折り紙といった、いかにも汗の滝の流れを加速させる装飾が散りばめられていた。夏休みの匂いを感じさせる小学生たちが目の前を通り過ぎ、アイスクリンを購入した。アイスというよりも、砕いた氷が食べたい。かき氷食べたい、と口にする前に、自分の声ではない声が聞こえた。
髪、切れば?切らないよ、暑いでしょ、俺のアイデンティティ
なんていつ話したかすら記憶にない。数時間前だっけ、それとも二日前か。髪が大分伸びてきて、見たことがある中で最長かもしれないその髪の理由は、一言で言えば彼らしかった。彼の言葉にかき氷?と自分も思っている癖に少し遠回りに尋ねると、この前買ったからと少し楽しげに言った。また物を増やしたのかと苦笑し、まあ暑いし、材料費全部奢りなら食べてあげるよと呟くと小突かれた。
少しスーパーから遠い彼の家に戻り、男二人ではなかなかに狭い玄関で彼を止め、顔を近づけた。何?その場をどこうとしない彼は何ともずるい。
キスしたいなって思っただけ、ふうん。
別に彼が悪いわけじゃない。俺が悪いことは確かだ。言語化できないものをカレンダー三枚分溜め込んでいる自分に、思い出すたびに肩を落とす。
かき氷のシロップどうする?今日はなんでもいいや。小さく笑みを浮かべる彼の顔はよく何か企んでいる時に見せる顔だ。氷を研ぐ音と、蝉が訴えてくる声だけが耳を塞ぐ。嫌いなわけではない。氷が全て欠片となる前に無意識に腕を止めていた。レトさん?彼が俺の名前を呼ぶ声はとても心地がいい。好き、と言っていいのだろうか。
欠片が落ちて消えたら自分の軸が消えていまいそうな気がした。恋することはこんなにも触れがたいものだったっけ。
食べ終わったあと、彼の唇を受け止め、なんか甘いという感想も聞いた。それよりもその甘い顔をどうにかしろと忠告しようとしたが、どうせ最後だからと線を引いて頬に口を押し付けた。彼は耳を赤くしながらひたすら笑うだけだった。
別れてほしい、その言葉が聞こえたときは熱に浮かされすぎたのかと思った。だが、二度目が聞こえてしまったらもう終わりだった。彼が少し涙ぐんだ。事情があると、そこで悟った。
教えて、俺にもよく分かんないから、だから?別れてください
多分相手の方が辛い。頭では分かっているが止められない。怖いからなんて言ったら心配してくれるだろう。それは少し浮足立つが、長期となると余計に気持ちが分からなくなってしまった。半端な気持ちは、申し訳ない。
はっきり言うと、その顔は俺の心を抉るようだった。心を持っていかれるってこういうことか。はいそうですかなんて言葉で、大切な人を手放せるわけがない。納得もしていないのだ。せめて考える時間をくれるぐらいの配慮をしろよ。馬鹿じゃん。
けど、彼が強情で我儘な人だとよく理解してしまっている。彼だって、俺が好きなことも理解しているクセに。
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