テラーノベル
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今日、薔薇を見に行く
まだ、
空は完全に明るくない。
目が覚めた瞬間、
すぐに思い出す。
今日。
胸の奥が、
小さく跳ねる。
もう一度、
目を閉じる。
眠れる気は、
しない。
静かに、
体を起こす。
隣では、
子どもが丸くなって眠っている。
小さな背中が、
ゆっくり上下している。
その向こう。
もう一人の人も、
同じ姿勢のまま眠っている。
暗がりの中で、
輪郭だけがある。
顔は、
見ない。
見なくても、
いい。
そっと、
ベッドを抜ける。
床が、
少し冷たい。
キッチンに立つ。
トーストを焼く。
卵を割る。
フライパンの音。
コーヒーの湯気。
いつもの朝。
手は、
迷わず動く。
でも。
胸の奥だけが、
落ち着かない。
小さく、
速い。
子どもを起こす。
「おはよう」
目をこすりながら、
起き上がる。
「今日、
薔薇見に行くんだよね」
覚えている。
「うん」
思わず、
笑う。
その笑顔は、
本物だ。
洗面所の鏡の前。
顔を洗う。
少しだけ、
冷たい。
メイクは、
薄く。
いつもと同じくらい。
少しだけ、
まつ毛を丁寧に。
それだけ。
香水は、
棚から手に取って。
少し迷って。
戻す。
今日は、
いらない。
自然でいい。
結婚指輪は、
もともと、
していない。
外すものも、
隠すものもない。
それが、
少しだけ都合がいい。
リビングに戻る。
子どもが、
テレビを見ている。
その奥の部屋。
あの人は、
まだ寝ている。
声は、
かけない。
かけないことが、
普通になっている。
朝ごはんを食べて。
子どもに靴を履かせる。
小さな手を引く。
玄関のドアの前で、
一瞬だけ止まる。
深呼吸。
今日は、
薔薇を見に行くだけ。
そう、
心の中で言う。
ドアを開ける。
朝の空気が、
少し冷たい。
一歩、
外へ出る。
胸が、
静かに高鳴る。
振り返らない。
ドアを閉める。
その音が、
思ったより大きく響いた。
もう一度だけ、
思う。
今日は、
薔薇を見に行く。
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