テラーノベル
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ミオは学校へ来なかった。
珍しいことだった。
昼になっても姿がない。
セイジに聞くと、「家の手伝いだ」とだけ言った。
放課後、ハルはミオの家へ向かった。
畑の端でサキが種を選別している。
「ミオなら裏」
家の裏手。
小さな木の下にミオは座っていた。
膝の上には古い布袋。
「何してるの」
「父さんのもの」
ハルは隣に座った。
袋の中には、古い腕時計、数枚の紙、小さな木製の笛。
「今日、命日なんだ」
ハルは何も言えなくなった。
ミオの父が亡くなったのは、彼女が小さいころだ。
病気だったことしか知らない。
「覚えてる?」
ミオが聞く。
「少し。優しい人だった」
「私は声、もうあんまり覚えてない」
ミオは腕時計を指でなぞった。
「熱が下がらなくなって、診療所でできること全部やったって」
「母さんから聞いた?」
「うん。薬が足りなかったって」
ハルは昨日見た記録を思い出した。
昔、外から届いていた医療品。
「外に薬があったら助かったと思う?」
「分からない」
ミオはすぐ答えた。
「たぶん、それは誰にも分からない」
「じゃあ」
「だから嫌なの」
声が少し震えた。
「助かったかもしれない、なんて考えたいわけじゃない。父さんが死んだのを誰かのせいにしたいわけでもない」
ミオは袋を閉じた。
「でも、選べなかった」
「選ぶ?」
「ここでできる治療だけだった。他に方法があるか調べることも、外へ助けを求めることもできなかった」
ハルは黙った。
「外に何もなかったなら、それでいい。薬なんてなかったなら仕方ない。でも、あったかどうかすら知らない」
ミオは顔を上げた。
「それが嫌」
ハルは初めて、ミオが自分より強く外を見ていることに気づいた。
これまで止めるのはいつもミオだった。
証拠がない。
決めつけるな。
危険だ。
そのミオが今、境界の向こうを見ようとしている。
「俺、やめようかと思ってた」
ハルが言った。
ミオが驚く。
「何を?」
「調べるの」
「なんで?」
「父さんも母さんも心配するし。シンさんの言うことも分かった。俺一人が知りたいだけなら、みんなを危険にするのは違うかなって」
「それで?」
「でも昨日の記録見て、また分かんなくなった」
ミオはしばらく黙っていた。
「ハルは外に行きたいの?」
「最初は」
「今は?」
「本当のことを知りたい」
「私は」
ミオが立ち上がった。
「外に行きたいんじゃない」
ハルも顔を上げる。
「外に何があるのかも知らないのに、行くか行かないか決められてるのがおかしいって言ってるの」
風が木の葉を揺らした。
ハルは何も言えなかった。
その言葉は、自分がずっと考えていたことより、ずっとはっきりしていた。
「危険なら行かないって決めてもいい。何もないならここにいればいい。でも、知らないまま『行くな』だけが残るのは違う」
「ミオ」
「調べたい」
今度は彼女が言った。
「今の外を」
「どうやって?」
「分からない」
「そこは分からないんだ」
「悪い?」
ハルは笑った。
「いや」
二人はその日、久しぶりに古い道まで歩いた。
搬入門は補助解除を封鎖され、以前より固く閉じている。
ハルは扉に触れなかった。
「出る方法を探す?」
「その前に、大人に話す」
「許してくれるかな」
「たぶん無理」
「じゃあ?」
「無理って言われた理由を聞く」
ミオらしい答えだった。
夕方、二人はトウマとユイに話した。
外へ行きたいのではない。
今の外を確かめたい。
もし危険なら、その証拠を持ち帰りたい。
トウマの答えは予想通りだった。
「だめだ」
「理由は?」
ミオが聞く。
「危険だからだ」
「今も?」
「その可能性がある」
「どのくらい?」
「分からない」
「じゃあ確かめる方法は?」
「ない」
「今まで誰も?」
トウマはソウのことを思ったのか、目を伏せた。
「戻らなかった人間がいる」
「だから、私たちも戻らないかもしれない」
「そうだ」
「分かりました」
ミオはそれ以上言わなかった。
ハルの方が驚いた。
外へ出ると聞く。
「終わり?」
「今日は」
「諦める?」
「諦めない」
ミオはまっすぐ前を見る。
「でも、トウマさんが間違ってるって決めるのも違う」
「じゃあどうする」
「準備する」
「何の?」
「もし確かめるなら、戻ってくるための」
その言葉に、ハルの胸が高鳴った。
冒険に行く準備ではない。
帰るための準備。
水。
食料。
地図。
方角。
夜を過ごす方法。
怪我。
戻る期限。
誰かに行き先を残すこと。
考え始めると、必要なものが山ほどある。
「本気?」
ハルが聞いた。
ミオは睨んだ。
「ハルが言う?」
「いや、なんか俺より本気だから」
「嫌ならやめてもいいよ」
ハルは少し考えた。
家族の顔が浮かぶ。
怖い。
外も。
戻れないことも。
でも、知りたい。
そして今は、ただ自分が行きたいからではない。
「やる」
ハルが言った。
「ただし、すぐ出ない」
「当たり前」
「ちゃんと調べて、準備して、それでも必要だと思ったら」
「うん」
二人は手を出した。
以前、門の前で交わした約束とは違う。
あのときは、越えない約束だった。
今度は。
「必ず戻る」
ミオが言う。
ハルはその手を握った。
「うん」
夜、ハルは父の工具袋を見た。
黒ずんだ鍵は、いつもの場所にあった。
手を伸ばさなかった。
まだ、その時ではない。
けれどハルは知っていた。
いつか自分は、あの鍵の前に立つ。
外へ逃げるためではない。
外を知り、戻ってくるために。
そして、自分たちで決めるために。
翌日から、二人は「帰るための準備」を紙にまとめ始めた。
ミオは最初に大きく書いた。
『行くことより、戻ること』
「分かってる」
「ハルは分かってても忘れる」
「そこまで信用ない?」
「門を勝手に開けた実績がある」
「ミオもいたじゃん」
「だから私も書いてる」
二人は顔を見合わせ、笑った。
水はどれだけ必要か。食料は軽いもの。怪我をした時の布と消毒薬。旧道から離れすぎない。日が落ちる前に戻れない距離へ行かない。
そして、誰にも知らせず消えない。
最後の項目でハルの手が止まった。
「知らせたら止められる」
「それでも」
「じゃあ行けない」
「勝手に消えて、探しに来た人まで危険にする方がだめ」
ソウの話が頭に浮かぶ。
三日分の食料を持ち、戻るつもりだった人。そして、その人を探しに行けなかった弟。
「……分かった」
ハルは項目を消さなかった。
準備を進めるほど、外へ出ることが特別な冒険ではなくなっていく。
歩く。水を飲む。道を覚える。怪我をしない。暗くなる前に戻る。
全部、当たり前のことだ。でも境界の外では、その当たり前を助けてくれる村がない。
昼休み、ミオは学校の方位図を写した。
「北西の搬入路から出たら、古い道は北へ寄ってた」
「31は?」
「もっと北東」
「そこまで行く?」
「行かない」
即答だった。
「最初から遠くへ行くのはだめ」
「でも何も見つからなかったら?」
「戻る」
「つまんなくない?」
ミオが睨む。
「今のなし」
ハルは慌てて言った。
放課後、ハルは父の設備点検について回った。
北側の古い監視塔で、トウマが双眼鏡のような器具を使っている。
「それ何?」
「遠くを見るやつだ」
ハルが覗く。
境界の上に、遠い木々の先端が見えた。
「何か見つけたことある?」
「煙みたいなものを見たことはある」
ハルの心臓が跳ねた。
「いつ?」
「ずっと前だ。雲か土埃かもしれん」
「人かも」
「そう決めるな」
ハルは頷いた。
「分かってる」
それ以上、煙の話は追わなかった。今はまだ証拠ではない。
夜、ユイがハルの机の紙を見つけた。
「これ、何?」
隠そうとして、やめた。
「もし外を調べるなら必要なもの」
母は長く紙を読んだ。
「消毒薬はこれじゃ足りない」
「え?」
「あと、水は一人一日これより多めに見た方がいい」
「止めないの?」
「止めたいよ」
ユイは即答した。
「行ってほしくない」
「じゃあ何で」
「あなたが行くかどうかと、準備が必要かどうかは別だから」
母は紙を戻した。
「準備したから行っていい、でもないからね。それと、私に隠れて薬を持ち出したら本気で怒る」
「分かった」
ユイは部屋を出る前に振り返った。
「戻ることを一番に考えてるのは、少し安心した」
父も母も、完全に賛成しているわけではない。
自分たちも、外が安全だと思っているわけではない。
それでも、話すことはできる。
その変化は門が開くことより小さい。
けれどハルには、とても大きな一歩に思えた。
コメント
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みぅです、読ませてもらいました🤍 今回のミオの選択、すごく好きです。父さんの命日に「選べなかった」って言うシーン、胸がぎゅっとなった…。外に行きたいんじゃなくて、「知らないまま決められるのが嫌」っていう言葉、本当にそうだよね。 それに「行くことより戻ること」。この2人がちゃんと準備しようとしてるのが尊いし、ユイさんが「止めたいよ」って言いながらも必要なものを教えてくれるところに、親の愛と信頼を感じました。次が待ち遠しいです🌙