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クラミドセレカス・アンギヌス。通称ラブカ。
深海に生息する生きた化石。
和名は羅鱶(らぶか)。棘条の歯で、イカなどの獲物を捕食するために備わっている。
1度噛みつかれたら離れない。離せない。
俺は高校三年生の後半、家族と水族館に来ていた。夏休みの頃だったろうか。
弟の凪(なぎ)に誘われ、深海生物コーナーにやってきた事が発端だったと思う。
「ねえ兄ちゃん、デメニギスって知ってる!?顔がゼリー状の不思議な魚なんだよ!」
「へえ、そんなんがいるんだな。」雑に返したが、当然だ。俺は深海生物なんかに興味は無い。だって気持ち悪いだろ。ゼリー状の顔の魚とかは特に。
「兄ちゃん話聞いてる?」俺の雑な相槌が相当気に触ったのだろう。少し怒り気味だ。
「悪いな。ちょっと俺はそういうの詳しくなくてさ。」宥めるように俺は言った。
「じゃあ、ラブカは知ってる!?有名な魚なんだよ!今のサメの祖先とも言われてるんだ!生きた化石なんだよ!」大きなガラスケースに入った魚を指さして、凪は俺に伝えた。
(何だこれ…ちょっと気持ちわりいな…)そう思ってしまう自分がいた。
幼い弟に対して、ああだこうだ言いたくは無いが、どうしてこんなに気持ち悪い生き物が好きなんだろうか。俺には分からない。
ウナギのように長く、1~2メートルはある。特に気持ち悪いのはエラだ。真っ赤に染ったエラが特にグロテスクでダメだった。
「兄ちゃんも写真撮ろうよ!珍しいんだから!」凪はいつでも元気だ。
「仕方ないな。今スマホ出すからよ。」ポケットを探り、出す。
その日は、パシャっと写真を撮り、一通り展示を見終わったら帰った。
帰りには写真を見返す。笑顔の凪と、俺が写っている。普通の写真だ。
いや、普通じゃない気がする。ラブカの目が光っている。
「…ただ反射しただけだよな。」別に何も思わなかった俺を悔やみたい。
数日後。
高校の帰り道、コンビニに寄りサンドイッチとコーラを買い、帰路に着く。
俺の家に向かう道は、海に面しておりとても綺麗だ。天気のいい日はここで泳いだりする。
浜辺に寄り、少し歩いてサンドイッチを食べ、コーラを飲む。俺の平凡な日常の1ページ。
「ゲホッ…」どこからか咳が聞こえた。何度も続けざまに聞こえる。
俺は周りを見渡し、声の主を探す。どうやら女性が倒れていた。黒いロングのフリルフィッシュスカートを身につけた女性で、顔面蒼白である。
「大丈夫ですか!?」俺は駆け寄った。もし、溺れているのなら大変だから。
肌は物凄く白く、死んでしまっているようにも見える。もう遅かったか…。
俺は高校の授業でやったように心臓マッサージをしようとする。が、いざ本番になってみるとどうしたらいいか分からない。
服の脱がすのか、人工呼吸するのか、何が何だか分からず、咳をする女性の前に立ち尽くしてしまった。
とにかく水に付けるのはまずいと思い、抱き抱える。
「ゲホッ…水に付けて!本当に死ぬ…」女性はそう言うと、動かなくなってしまった。
「はっ!?水につけたらまた溺れるぞ!」何を言われたのか分からなかったが、抱き抱えたまま海へと入る。女性が沈むほどの深さまでに行くと、俺はなぜかそこで下ろした。
きっと焦っていたのだろう。思考回路はめちゃくちゃだった。
ハッとして、救急に連絡する。基本的な蘇生法を試すように言われ、俺はすぐさま水中に女性を、回収しに行った。
居ない。そんな馬鹿な。
流されてしまったのか…本当に自分は何してるんだ…。
人を擬似的に殺してしまったのかもしれない。
「マズイマズイマズイ…」何が起こっているのか分からなかったが、俺はどんどん海の奥へ奥へと向かう。
そのうち、顔まで沈んでしまったが、俺は呼吸も忘れて女性を探した。
波で少し動かされる体をそのままに、無我夢中で進んだ。
そのうち、意識が遠のく。空気が肺に残っていないからだ。
目の前が真っ暗になる。
その時、目の前にあの女性が現れた。人魚のように優雅に泳いでいる。まるでエラ呼吸でもしているかのようになんの苦も無い表情だった。
彼女は俺の顔を掴み、口を近づけた。薄ら開いた視界から彼女の顔が見える。
すると女性は口を俺の口に付けた。まるで接吻でもするかのような体勢だ。
すると、口の中に酸素の泡が入っていく。空気の口移しだろうか。
一瞬にして意識が戻る。水深3メートルほどの深さまで来ていた。その様子に俺は驚いたが、彼女は更に口移しをする。
酸素が脳に伝達され、心拍の音が聞こえる。
彼女は頬を赤らめ、手を離す。すると人魚のように泳いで行ってしまった。
何を餞に残すのか。
スマホは水没して壊れ、写真も撮れなかったが、不思議な光景と体験だった。
今でも口外していないし、してはいけないような気がする。