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イダンリネア王国に隣接するここはマリアーヌ段丘。段々とした草原が広がっており、東は海に面していることから、潮風が生臭さと湿り気を運ぶ。
ウイルの正面には三人の大人達。
彼らは等級四の傭兵だ。エルディアと比較してどれほどかはわからないが、彼らの実力は等級が保証してくれる。
仮に同等程度だとしても、問題ない。そんな強者が三人も揃っているのだから、勝算は十分あるはずだ。
少年の後方には巨大な壁が立ちはだかるように君臨している。王国を囲うそれは鉄壁の守りを誇り、その中の住民達に平和と安心感をもたらす。
そこから一歩抜けだせば、その先は魔物の巣食う危険地帯だ。
草原ウサギ。見た目通りのかわいらしさに騙されてはならない。その性格は温厚ゆえ、手出ししなければ襲われることもないが、その身体能力は大人一人を容易く殺せてしまう。
それを裏付けるようにウイルも死にかけた。傭兵を目指す過程で挑んだが、手も足も出ず返り討ちだ。エルディアに救われなかったら当然のように死んでいただろう。
苦い思い出と共に雑草を踏みしめる。
目指すはミファレト荒野。先ずはこの地を南下し、ルルーブ森林へ向かわなければならない。
「んじゃ、ぱっぱと片づけるか」
立ち止まり、右足のつま先でトントンと大地を叩く男の名はサキトン。青色のハーネス鎧を身に着けており、腰の両側には短剣を携帯している。荒い言葉遣い同様、血の気も多い。
「ああ。さて、ウイル君。俺達について来れるかい?」
リーダーのディーシェ。真っ白な鎧は全身をがっしりと守る反面、その重量は人間を潰しかねない。四人の中で最も背が高く、長い髪はサラサラと金色に輝いている。冷静さと芯の強さを兼ね備えた凄腕の傭兵として、実は有名な実力者だ。
「私がしんがり務めるね。あ、ニャン」
右手を猫のように動かすこの女性はトュッテ。三人チームの紅一点として明るさを振りまくも、取り繕っているわけではなく、これこそが当人の性格だ。純白の軽鎧は本来ならば前衛用だが、彼女はこれを大層気に入っている。中身がぎゅうぎゅうに詰まった背負い鞄と背中の間には長杖を挟んでおり、つまりは後方支援を主体とする魔法職だ。
「がんばります!」
返事だけは一人前だ。
灰色の髪も、傷だらけな服も、ところどころが破けたズボンも、あらゆる箇所を汚したまま、ウイルは前だけを見据え気合を入れる。
城下町を走るわけにはいかない。子供が駆けまわるだけなら許されるも、傭兵がそれをすれば迷惑では済まないからだ。
しかし、ここは領地の外。通行人が周りにいない以上、全力疾走だろうと構わない。
「ペースはサキトンに任せる」
「あーいよ。まぁ、こんなもんか?」
阿吽の呼吸で男組が駆けだす。その速度にはエルディアを知るウイルでさえ、唖然と立ち尽くす。
一瞬だ。二人の姿が、地平線の彼方へあっという間に消え去ってしまった。
「さぁ、私達も行くニャンよー。ゴー」
「あ……、はい」
隣のトュッテに発破をかけられた以上、呆けている場合ではない。
追いかけるように走り出すも、彼らと比べてしまうと徒歩と見間違うほどの遅さだ。
その様子に彼女は目を丸くする。
(あ、あれ~? 傭兵……だよね?)
彼女が驚くのも無理はない。
ウイルの走力は、凡人に毛が生えた程度。傭兵の水準には全く届いておらず、そんな身体能力では魔物を狩れるはずがない。
呼吸を大きく、かつ素早く繰り返しながら、跳ねるように地面を蹴り続ける。両手も精一杯前後させ、全力疾走のやや手前程度の速さを維持する。
だが、今のコンディションではそれすらも長続きはしない。
ただでさえ遅い速度が、徐々に減速する。
歩いてはいない。顎が上がってはいるが、よろよろと走れてはいる。
その様子を後方から眺めるトュッテ。走る必要すらないペースだが、ピョンピョンと跳ねながら小さな背中を観察する。
(これは~? 今日中は無理ニャ!)
一方、先行した二人は雑草を踏みしめながら、肩を並べて来た方向を眺める。
でこぼこの草原がどこまでも続くさまは絶景だ。人間の小ささを感じさせられるも、見慣れた光景ゆえ感想を述べるつもりもない。
草と土の匂いに包まれながら、サキトンはドスンと座り込む。
「来ねぇ。どうしたんだ?」
愚痴まじりの疑問だ。
この場で既に五分は待機している。たいした距離を走ったわけではないにも関わらず、追い付いてこないどころか姿さえ見えない。
非常事態ではないだろうと予想しつつも、首を傾げてしまう。
「速すぎたか?」
「おいおい。べらぼうに加減したぞ。これっぽっちも本気なんて……、出してないよな? うん、出してねー。ちんたら走ったつもりなんだがなー」
山脈から吹き下ろされた西風が、ディーシェの黄色い髪をやさしく撫でる。おでこの真ん中で分けられた前髪が目にかかるも、それを無視して緑色の大地を眺める。
二人は速すぎた。その事実は揺るがない。
しかし、全力とは程遠く、格下の傭兵を気遣ったつもりで走った。
ポツンと待ち続けていても意味がない。話し合いの結果、一旦戻ることにするも、そのタイミングで二つの人影が遠方に現れる。
「あれか」
「やっとかぁ? って……、何だあれ、遅すぎね?」
待ちわびたそれはまだまだ遠い。
その上、移動速度は亀のようだ。
もちろん、走ってはいる。汗と涎を拭くことも出来ず、今にも足がもつれてしまいそうだが、復讐心を原動力にかろうじて前へ進めている。
その後ろを追尾するトュッテ。二人に気づき手を振る理由は、合流の催促だ。
「ふむ」
「ふむ、じゃねーよ。こりゃあ、厄介だぞ」
「どうやら、俺達は彼のことを何も知らなかったようだ。ひとまず……」
「戻るとするか」
この場で待っていようと、ウイル達に合流しようと、進行速度は変わらない。ならば、状況把握を済ませて計画を練り直す方が得策だ。
四人が集結したタイミングでディーシェが休憩を提案すると、ウイルは前のめりに力尽きる。疲労は限界を超えており、呼吸の荒さが消耗具合を物語っている。
あまりに不甲斐ない。青々と育った草に顔をうずめながら、ウイルは静かに涙をこぼす。
うぬぼれていた。
体力と筋力がついたと過信していた。
もちろん、事実だけをくみ取ればその認識で正しい。
以前と比べれば格段に成長しており、だからこそ、ミファレト荒野から一週間足らずで帰国を果たせた。
今回の憂鬱な結果は不運が重なったとも言える。
迷いの森を出発して以降、わずかな食事で空腹を紛らわし、そればかりか睡眠時間さえ削り続けた。
そのおかげで移動時間を圧縮してみせたものの、弊害として肉体は弱り切ってしまう。
その上、競争相手が化け物過ぎた。人間とは思えぬ走力を披露されてしまっては、己の体調を無視して追いかける他ない。
急かした当人が足を引っ張ってしまっては、と焦り、無茶をした結果がこれだ。
手足は震え、呼吸以外は何も出来そうにない。
「……水、飲めるか?」
その声はサキトンだ。大きな鞄から革製の水筒を取り出し、うつ伏せの少年へ差し出す。
だが、返事はない。声が出せないばかりか、頭を動かす余力もない。
「しゃーねーなー。初日からこんなんなるなら、もっと買っとけばよかった」
そうぼやきながら、ウイルの頭に水をかける。決していじめているわけではなく、熱せられた頭を冷ましてあげるためだ。
必死の呼吸を続けながらも、少年は滴る水流を猫のように舐める。体はカラカラに乾いており、おおよそ半日ぶりの水分補給は極上の味だ。
「ニャ、この子の靴……」
「防具ですらないのか。それに、ボロボロに潰れてるな」
トュッテとディーシェは同時に驚く。
視線の先にはウイルの足。当然、靴を履いているのだが、その靴底はすり減り、大きな穴が出来上がっている。先端も破けており、その証拠に指先が地面に当たってしまっている。
清潔感から程遠いその姿は、路上生活者のそれだ。実家に帰れなくなったという点ではその通りだが、宿屋の利用という選択肢が残されている。
通常、傭兵は特別な靴を履く。見た目こそ普通の物と大差ないが、素材には魔物の頑丈な皮が使われており、値段は高いが耐久性は抜群だ。そうでなければ戦闘には耐えられず、長距離の移動にも適さない。
ウイルの靴はある意味では高級品だ。魔物の皮で作られてはいるものの、デザインと品位に特化しており、貴族や富裕層をターゲットとしている。
多少の丈夫さを有する贅沢品。戦闘や長旅を想定していないのだから、このような履き方で長持ちするはずもない。
「根性だけは、すごいと思うニャン。だって、絶対に歩こうとはしなかったもん」
若葉よりもなお透き通る緑色の髪。それを風で躍らせながら、トュッテは贔屓無しの感想を述べる。
その走りは歩いているほどに遅かった。
しかし、走り続けてみせた。
だからと言って褒められるわけではないのだが、彼女はその心意気を評価する。
「だけどよー、これじゃ中止するしかねーぜ。ミファレト荒野に向かう以前の問題だ」
オレンジ色の髪ごしに頭をかきつつ、サキトンはうなだれる。王国を出発してまだ数十分と経ってはいない。祖国の壁は見えなくなったが、それでもここはマリアーヌ段丘。出発地点からはそう遠くない。
「ウイル君が等級二ということは疑っていない。蛇の大穴を行き来したんだしね。だけど、怪我をしているわけでもなさそうなのに、具合が悪いというか、地力が出せていないのはなぜ?」
白色の重鎧を着こなしながらも、ディーシェは軽々と中腰になる。眼下には未だ動けぬウイルを捉えており、質疑応答のような真似事で状況把握に着手する。
「はぁ、はぁ……。僕は、ただ傭兵になっただけの……凡人です。一か月前、エルさんに手伝ってもらって、試験を突破しただけの、偽物なんです」
事実ではあるのだが、自らの口で述べてしまった以上、惨めさに圧し潰されてしまう。
溢れ出る涙を止めることは出来ず、呼吸と嗚咽の連鎖がただただ苦しい。
同時に痛感する。エルディアがいかに特別だったのかを。
打算的な本心が隠れていたとしても、彼女はこの子供をとことん手伝った。そればかりか、ペースすら合わせてくれていた。
遅い歩み。
貧相な体力。
どちらも傭兵失格だ。迷いの森を目指す資格など、最初からなかった。
それでも薬を入手し、持ち帰れた理由こそ、エルディアだ。
傭兵として道を示し、魔物を払い続けてくれたからこそ、その地に赴くことが出来た。
返しきれぬ恩だ。彼女のために何かしてあげたくてたまらない。
だからこその復讐だ。
エルディアを痛めつけた巨人への怒り。
何もしてあげられなかった虚しさ。
恩返しがしたいという欲求。
そういったものが少年の中で溶け合い、混ざった結果が行動に結び付いた。
その結果がこれなのだから、情けなくて顔を上げられない。
「マジかよ……」
「なり……にゃりたて」
ウイルの告白が傭兵達を驚かせる。なぜなら、ありえないことを口走ったからだ。
「だとしたらウイル君には才能がある。自信を持って良い。傭兵としてやっていけるさ、俺が保証する。もちろん、努力は人一倍必要だろうけど」
ディーシェの声はやさしい。取り繕わず、思ったままの言葉を紡ぎ、少年の可能性に寄りそう。
「ああ。一人で帰って来れたんだろう? なら、合格だ。それだけは間違いない」
「だね~。今の私ならともかく、なったばかりの頃だったら絶対無理~。途中で殺されちゃうニャン」
彼らは驚いたが、呆れたわけではない。
むしろ、その逆だ。
ただの子供が魔物を避け続け、ミファレト荒野から帰国する。これは誇っても良い偉業だ。
なぜなら、立ちはだかる壁があまりに多すぎる。
道中、魔物に見つかったら、それが草原ウサギやウッドシープのような大人しい種族でない限り、逃げることもままならず殺されてしまう。
そんな緊張感の中を、何日も、何十日も歩み進めるのだから、仮に魔物をやり過ごせたとしても心と体のどちらかが疲弊し、衰弱と共に力尽きる。
それが普通だ。
そうでなければおかしい。
だからこその軍人であり、傭兵だ。
軍人は巨人族を打倒し、傭兵はそれ以外の種族を狩る。
銃が発明されたことで商人や金持ちは自力で旅をするようになったが、それでも絶対的な安全とは言い難い。
護衛という仕事が減少したことで、傭兵もその数を減らすこととなったが、残った者達は本物だ。
ディーシェ。
サキトン。
トュッテ。
そして、エルディア。
彼らだけではない。ここにもう一名追加される。
ウイル。今はまだ幼い子供だが、肩書は傭兵だ。
そして、既に覚悟を決めている。
無鉄砲なところがエルディアに似てしまったが、実力が伴うようになれば問題ない。
それも時間の問題だ。それを、この三人はあっさりと看破した。
(合格……? 僕でも傭兵を……やれる?)
認めてもらえた。
褒めてもらえた。
お墨付きをもらえた。
ならばこんなところで寝ている場合ではない。
足に力が入らなくとも、肺が痛くとも、腕が震えていようと、何もかもを無視して、ウイルはゆっくりと起き上がる。
「でも、僕には大きな欠点があります……。戦闘系統が判明するより先に、天技に目覚めてしまいました」
ジョーカー。そう名付けたこれは、母親から受け継いだウイルの能力だ。
魔物の位置を視認無しに感じ取れる。
また、エルディアに関しても同様だ。
それ以上でもそれ以下でもない。戦闘には役立てられないが、大事な特技だとウイル自身は思っている。
そうであろうと、現状を素直に喜ぶことは出来ない。弊害があまりに大きいからだ。
「覚醒者……か。初めて見たな」
「へ~、すげーじゃん。どんな天技?」
「教えて教えて! あ、ニャン」
三人をもってしても、覚醒者との出会いは初めてだ。
天技を得た者はそれほどに珍しく、彼らはついつい少年の顔を覗き込む。
「魔物の居場所がわかるんです。念じるだけで……。例えば、あっちに一体、こっちにも一体……」
顔を動かさず、右手を右前方と左方向へ向ける。
その方角には草原ウサギがいるのだが、目を凝らさなければ見えないほど遠い。
「お、マジでいる」
サキトンの視力なら余裕で視認可能だ。指の方向を眺め、それぞれの方角に茶色のウサギ達を発見する。
「だけど、僕は今後、魔法も戦技も習得出来ません。今ある二つでがんばるしか……」
天技は残酷だ。それに目覚めた者は、自身の戦闘系統に沿った特技を今後得られなくなる。
既に使える物は保有し続けるのだが、今後の努力で身につくはずだったそれらは取り上げられてしまう。
「二つ? その天技以外にもう一つあるのか?」
「あ、いえ……。天技以外に魔法も使えます。コールオブフレイムとグランドボンドを……」
「おいおい、意味がわからねーぜ。それも含めて一つの天技ってことか?」
「戦系が支援系ってことかニャ? 順番が変な気がするけど」
支援系。戦闘系統の一つ。多種多様な魔法を習得する、名称の通り、支援に特化した役職だ。相手を弱らせる弱体魔法、味方を補助する強化魔法、傷を癒す回復魔法を使えるため、その需要は高い。
しかし、その理由の最たるは回復魔法であり、それを習得出来ていない支援系の傭兵は、半人前の烙印を押されてしまう。
「じ、実は、天技以外にも秘密がありまして……。それが、これです」
少年が右手を突き出すと、手のひらの真上に突如として純白の本が現れる。
「ほう、興味深い」
「なんだこりゃ?」
「真っ白~」
「白紙大典です。僕はこの本と契約したことで、魔法を得ました。これが何なのか、実は僕自身もわかっていなくて。だけどこれとエルさんのおかげで、旅の目的を果たせました」
そう説明されたところで、三人は状況を飲み込めない。
正しくは、当人さえも理解不能なままこれを利用している。
それでも、母に薬を届けることは出来た。
眼前の古書が何者かは不明なままだが、命の恩人であることに変わりはない。
「あぁ、やっとわかったぜ。だから蛇の大穴を越えられたのか。あそこは傭兵でさえも命を落とすからな」
「どゆことー? あ、ニャン」
「暗闇の中、砂コウモリの位置を事前にキャッチ。射程に入り次第、グラウンドボンド。そういうことだ」
サキトンとディーシェだけが、ウイルの強さの本質を見抜く。
力を持たぬ一般人がミファレト荒野から帰って来られない最大の理由は、蛇の大穴を通り抜けられないからだ。
ギルドカードの有無とは別に、道中の魔物が行く手を遮るばかりか、人間を必ず殺す。
砂コウモリ。洞窟内に生息する漆黒の住人。足音から人間の接近に気づくばかりか、正確な位置さえ把握する。体の大きさからは考えられないほど手強く、草原ウサギをなんとか倒せる程度の腕前では、反撃すらままならない。
蛇の大穴がいかに巨大トンネルのような空洞であろうと、この魔物から逃れる術はなく、もちろん、コウモリの飛行速度を上回る速さで走り抜けられるのなら話は別だが、それこそ傭兵の領域だ。
しかし、ウイルの手持ちのカードならやり過ごせてしまう。
ジョーカー。
グラウンドボンド。
これらを駆使することで、危険は伴うが突破可能だ。
そして、この手段は道中のあらゆる魔物に対しても有効と言える。
背後から襲われようと。
木や岩の後ろに潜んでいようと。
何かに擬態していようと。
そういった事情は一切関係ない。天技が例外なく見破ってくれる。
その上で、魔法を使って拘束すれば解決だ。
逃げ切れる。
生き残れる。
それこそがウイルの強みであり、凡庸であろうと死ににくいという事実は覆せない。
傭兵として優秀かどうかは別だが、その特異性は純粋に長所足り得る。
「ワカッタニャー」
(通じなかったか……)
(マジか、こいつ、わかってねー。ほんとバカだな)
残念な仲間に呆れつつ、ウイルに再度目線を向ける二人。予想外の告白に驚きはしたが、戸惑いはしない。
本題はここからだ。そのためにも、じっくりと話し合う必要がある。
「ふらふらなのは、俺達に追いつこうと無理をしたから? それとも、やっぱり具合いが優れないのか?」
ディーシェの問いかけに対して、ウイルは即答出来ない。
傭兵なら己の体調管理は出来て当然だ。そうでなければ魔物との闘いで敗北し、そのまま命を落としてしまう。死にたがっているのならそれでもかまわないが、そうでないのなら、最高の健康状態を維持する必要がある。
そんなことすら未達成だと自覚している以上、どうしても言い淀んでしまう。
それでも、無言の無意味さを否定するようにゆっくりと口を開く。
「ええと……、寝不足な上に、朝からずっとヘトヘトで……。実は、王国に着いたのが、今朝なんです。徹夜ではないんですけど、頭がぼーっとするくらいにはだるい、です」
今日だけでも既に六時間以上は歩き続けている。それを言い訳には出来ないが、コンディションは優れない。
そもそも、この状況があまりに想定外だった。
実家に薬を届けた後、ギルド会館に向かった理由は傭兵を募るためだった。
隻腕の巨人を討伐。つまりは復讐であり、それこそがウイルの新たな目的だ。
腕の立つ傭兵を複数人雇うつもりでいたが、多少なりとも時間がかかると思っていた。
エルディアよりも強い人間がそう簡単には見つからないとも予想しており、今日は宿屋で一泊するくらいのぼんやりとしたスケジュールを立てていた。
しかし、すぐさま出会えた。
等級四の三人チーム。
交渉は成立し、最低限の準備と共に出発したのがつい先ほどのことだ。
ウイルは一切休むことなく、二往復目の旅に突入してしまった。
イダンリネア王国とミファレト荒野。往復千百キロメートルを超える長旅だ。体力が極限まで消耗するに決まっている。
ましてや、まだ十二歳。圧縮錬磨のおかげで身体能力は向上したが、傭兵の水準にはほど遠い。
その上、体調は最悪。
ディーシェ達に追い付けないばかりか、早々に力尽きたとしても不思議ではない。自業自得ゆえ、責められても仕方ないとウイル自身は自覚している。
「ミファレト荒野に行って、そこから帰ってきたのが今日ってこと? んでんで、まだ向かうの? どひゃー、大変だニャー」
「俺達クラスなら余裕だろうけど、それでもだるくて仕方ねー。帰りは一人だったんだろ? 何日かかった?」
「よ、八日間です」
その瞬間、ディーシェとサキトンだけが凍り付く。
(おそらくは歩き。それでたったの……? 復讐心に飲まれたか、手段を選ばないタイプなのか? こんな小さな子供なのに……)
(さては、相当に睡眠時間を削りやがったな。普通だったら二週間近前後か? この坊主、やべーぞ。頭のネジが緩んでやがる)
二人は見抜く。ウイルという人間がどこかおかしいということを。
狂っている。
傭兵として、それはある意味で正常であり適正があるとも言い換えられる。
だが、魔物と戦えるだけの実力が身についていないにも関わらず、思考だけが大きく成長を遂げている。
不思議であり、不気味だ。
歴戦の傭兵から見ても、この少年は異端に映る。
「ようか……。って何日だっけ? よん? あれ、なんでみんな倒れるの?」
確かに少しわかりづらいかもしれない。
男達はそんなことを考えながら、大地の温もりを感じつつ思考を停止する。
広大な草原には四人と魔物が少し。
新たな旅はここからだ。
ウイルにとっては二度目の四人組。
前回の同行者はエルディア、ハイド、メルだった。
ケイロー渓谷を越えるための即席チーム。それでもゴブリンを掃討しつつ無事乗り越えられた。
今回はどうなるのか。不思議と不安はないが、今はとにかく疲れている。少しでも横になって体力の回復に努めたい。
旅は始まったばかり。焦る必要はないのかもしれない。そう自分に言い聞かせ、その子供は幸せそうに眠る。
一時間後、叩き起こされるまでは夢の中で自由に遊び続ける。
子供として立ち振る舞える、最後の時間だ。