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帰りの車の中は来た時と同じようにシンと静まり返っていた。
ただ、車内は重苦しい空気で包まれており、誰も口を開こうとはしない。
雪之丞はスマホを弄っているものの蓮の事が気になるのか、時々視線だけを向けてくる。
蓮はその視線に気付かない振りをしながら、窓の外を流れる景色をぼんやりと見つめた。さっきまでは夕焼けに染まっていた空はいつの間にか暗くなり、街灯の明かりだけが頼りなげに道路を照らし出している。
やっぱり、自分には今回の仕事は向いていないのではないだろうか?
先ほどの自分の動きを思い出し、思わず深い溜息が洩れる。
正直、もう少し出来ると思っていた。自分の体が鈍りのように重く、言う事を聞かない。
今まではどんなにハードな練習をこなしても疲れる事はあっても、体が全く動かないと感じた事は無かった。
あまりにも不甲斐ない自分に対する苛立ちと、焦燥感がじわじわと心を侵食していく。
期待してくれて声を掛けてくれた兄や、監督には申し訳ないが、やはり自分にはこの役は荷が重いのかもしれない……。
そもそも、一度引退した身だ。やはり自分には裏方作業の方が性にあっているのだろう。
「蓮君……」
「ん?」
不意に声をかけられて、蓮はハッと我に返ると雪之丞の方へと視線を向けた。
彼は相変わらずスマホを弄っていたが、その瞳は真っ直ぐにこちらに向けられている。その表情は何時になく真剣なものだった。
「まさか、役を降りるとか言わないよね?」
「……ッ」
今考えていたことを見透かされたような気分になりぎくりと身体が強張った。
バックミラー越しに凛がチラリと此方の様子を伺う気配がする。
「……わからない」
そう答えるのが精いっぱいだった。 実際、今の自分では役に立つどころか足を引っ張るだけだ。爆弾を抱えた自分を起用するより、多少無難でも安定した演技が出来るアクターを起用した方が絶対にいいに決まっている。
でも、役を降りるとは言えなかった。
いや、出来れば言いたくない。
午前中に手合わせした東海との殺陣は本当に楽しかった。久しぶりに身体を動かしたが、あの時感じた高揚感や充足感を思い出すだけで自然と頬が緩んでしまうほどに楽しいと感じられた。
だが、これは仕事だ。けして遊びではない。マージンが発生する以上中途半端なものを見せるわけにはいかない。
「……別に今すぐ結論を急ぐ必要はないだろう。もう少し段階を経て挑むべきだったな」
すまない。と運転席から凛の声が聞こえてきて、蓮は小さく息を吐いた。
「兄さんが謝ることじゃないよ。……遅かれ早かれわかる事だっただろうし、寧ろみっともない姿をみんなに見られなかった事、感謝してる」
「……」
再び車内には沈黙が訪れ、スタジオに戻るまでの間、誰も口を開こうとはしなかった。
スタジオが近付くにつれ、約束を反故にしてしまったナギの事が気になった。
流石にもう待ってはいないだろうが、彼には悪い事をしたと思っている。
せめて一言詫びの言葉だけでも伝えられたらよかったのに……。
そんな事を考えながら窓の外を眺めていると、目の前の横断歩道に彼らしきが立っている事に気が付いた。
一瞬、幻覚でも見たかと目を瞬かせるが、確かにそこに居るのは彼のように見える。
よく似たそっくりさんだろうか? もしかしたら別人かもしれない。
でも、もし本人だとしたら?
「――蓮君? どうか、した?」
雪之丞の声にハッとして我に返る。いつの間にか信号は青に変わっており、車はゆっくりと進み始めていた。
「あ、いや……」
慌てて視線を窓の外へと向けるが、迷っているうちに彼は雑踏の中へと消えてしまていた。
「……なんでもない」
蓮は再び窓の外をじっと見つめる。
さっきのアレは見間違いだったのだろうか? 彼が来るかもわからない自分を何時間も待ち続けていたとは考えにくい。
でも、でももし……彼だったら? 蓮は無意識のうちに拳を強く握りしめていた――。