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両翼の、神聖と純真を具現化したような真っ白い翼。肩甲骨の付け根から無理やり生やしたようなそれをベッドに押し付けて、スプリングが軋む少し冷えた部屋の中で恍惚として俺を見つめる目。天使のその青い目はただ真っ直ぐに俺を見つめて離さない
俺は、この目が嫌いだ。
天使はそう珍しい存在ではない。いや、正確に言えばこれは天使ですらないんだから。人間に程近い、俺よりも人間らしい人工知能搭載のロボットのオプションの一つでしかない。SNSにはどれだけ改造したかってバカらしい投稿で溢れている。後は反人工知能と、それに噛み付く人工知能信奉者。何時の時代も変わらないものだ。
人間が人間らしくある為に。介護、医療、事務エトセトラ。その多岐に渡る仕事を押し付けるためのロボット。かく言う俺も動画編集を少しでも楽に出来ればなと思って、或いは家事を頼むためだったか?きっかけは忘れてしまったけれど、酒を飲みながらブラウジングしてたら広告に流れてきて二年前に買ったのがこの機体。オプションでこねくり回して好みの通りにした顔。
このエトセトラの中には勿論、性的欲求の解消も含まれてるわけで。最近はもっぱらその用途と家事とほんの少しの事務作業をしてもらっている。冷静に考えてみれば、動画編集はそれ用のAIが存在するんだから最初からそっちを使えば良かった話だ。
だから結局のところ俺は、きっと温もりを求めていたんだと思う。一人寂しい部屋で過ごすよりも、機械だろうが体温を求めた。それだけの話。それぐらい人間の営みの中にこの人型の人工知能は馴染んでいた。
ある種救いだ。だからきっと俺はオプションで天使の羽なんて物を選択してしまった。酔った勢いだったのかもしれないけれど。
「めめさん、お昼ご飯出来ましたよ」
何をするでもなくソファに座ってボーッとそんな事を考えていれば、昨晩盛った後の面影なんて見せないまましっかりと地面に足を付けた天使に声を掛けられる。そういう所は人間より優れていると言えるし、逆も然り。まぁ痕は付いたままだから、多少の風情はあるか。
「あぁ、ありがとうございます。今日のご飯はなんですか?」
「昨日の残りのカレーをドリアにしてみました」
「いいですね。あ、そうだ。みぞれさん、一週間後までの予定をToDoリストにまとめておいてください」
「分かりました!」
みぞれ。天使の羽が付いた人工知能のロットナンバーでしかない名前だけれど、何故だか無性に愛着が湧いてしまって初期設定のまま。名前を付けるのは面倒だし助かった。さん付けと敬語が抜けないのはきっと他人だから。他人工知能か。けれども俺のことは愛称で呼ばせてるんだから、グロテスクな事この上ない。
料理はいつもの如くリビングテーブルの定位置へと配膳されていて、ランチョンマットも毎食毎に変わってる。よく気の利く天使だ。
普通に盛られた俺の分と、俺の二倍近くはありそうなドリアはみぞれさん用。どうやって持ったんだ、それ。
「「いただきます」」
天使もご飯はしっかりと食べる。人間のような消化器官はなく、あくまでも人間らしくあるために。とは言っても食べた物は人間で言うところの消化吸収のようなプロセスを経てエネルギーへと変わるらしい。少なくとも、俺が購入してから一度たりともバッテリー残量が足らなくなったことはない。
みぞれさんが作ってくれたドリアを口に含めば、カレーのスパイスと寝かせたことによって出た味の深み。それを覆うチーズの暴力的な旨みが口いっぱいに広がった。
寒い冬が続くからか、こうやって温かいものが出るとほっとする。
「…どうです?」
「美味しいですよ」
「よかったです!」
嬉々としてみぞれさんもスプーンで口に運ぶ。ふぅふぅと息を吹きかけ、そうして大きく一口。この諸生活の中で一度もみぞれさんを人間らしくない、と思った事はない。何処までも人間らしい。まぁパワーは人並みかそれ以上にあるけれど、それだって人智が及ばない範囲ではないし、俺を、人間を傷つけないために普段はセーブされてるわけで。
不気味の谷はとっくに登りきってしまったようだ。この表現があってるか知らないけれども。
「テレビでも見ます?」
「どっちでもいいですよ」
「じゃあいいですかね」
「観たいテレビとかあったんじゃ?」
「ないですよ」
観たいテレビがある訳でもなければ、特に趣味もない。動画編集はまだ仕事として続けられそうだからしているだけで、本質的には俺は自堕落で怠惰な人間だ。自分で選択をするのは面倒この上ないから、いつだって他者に選択を委ねる。
だからこそみぞれさんがいるわけで。半分ほどになったドリアを口に漫然と放り込んで、気怠げに咀嚼をして飲み込む。対してみぞれさんは俺より噛むのは遅いというのに俺よりもドリアの量は減っている。個体差によって食べる量も違うのかな、なんて本質的に興味のないことを思ったりして。
「俺の分も食べてくれません?」
「ダメですよ。朝もいらないからって抜きましたよね。一日に必要な摂取カロリーを下回りがちな」
「あーあー、みぞれさん、ストップ」
セーフワード。もとい緊急停止コマンドは便利だ。天使様からの有難いお説教を聞かなくていいから。ため息を零してさっさと残ったドリアを口に含み、注がれた冷たいお茶で飲みこんでしまう。
「ご馳走様でした。みぞれさん、動いていいですよ」
「……食べれるならちゃんと食べてください」
「分かってますよ」
みぞれさんは最後に残った一口分のドリアを頬張り、噛み締めるように咀嚼してゴクンと飲み込む。人間的な所作、人間的な感情。それを模倣する人間のための人間らしいロボット。
そう言えば、みぞれさんを購入する時に人間と同じ生活をさせることが条件に組み込まれていたな。ふと思い出して、すぐさま霧散してしまう。結局のところ俺と同じ生活をするんだからどう足掻いたって人間らしくあるわけで。
「ご馳走様でした」
美味しかったというように穏やかに笑い、赤々としたルージュでも塗ってそうな唇は付着したカレーを舐めとって潤いと艶やかさを残す。
「あ、めめさん」
天使は俺を見つめて微笑み、そうして手早く食器を片付けて俺の元へと帰ってきた。まるで忠犬のようだけれど、その実ただ人工知能がルーティンとして記憶したプロンプトに過ぎない。
「脈が早くなってますね。いつも通り寝室に行きますか?」
流石は介護にも使われる人工知能だなと毎度感心してしまう。俺の下腹部の熱と脈拍を瞬時に見抜き、そうして体を捧げる。なんて献身的な天使だろうか。その上で、人間が人間を模倣する生命ですら無いものに欲情するのなんて間違ってる。そう、思わざるを得ない。
ベッドの上で人工的に作られた射精を促すための、性的欲求を満たす以外に何の意味もない性器に自分のを擦り合わせ、無様に白濁とした精を吐精する。毎日昼夜を問わず行われる行為。みぞれさんはプログラムされた嬌声を上げて、そうして俺を悦ばせるように口で最後に俺のを咥えて人間と遜色のない柔らかな胸で挟む。最後は口の中に吐き出して終了。
体液も何もかもをプログラムされたタイミングでちょうど出す。本当に、つくづく人間にとって都合がいい機械だなと思うしかない。値段は若干張るけれど、耐久年数と生活の質の向上を考えたらそれでもお釣りが来るレベルだ。
「満足しました?」
作り物の少し恥じらった顔をしながら、そうして俺の顔色を伺うように見上げる。何処までも人間的で、何処までも機械的。左手の薬指に付けられた束縛と依存の証でさえもが輝いて見える。
「しましたよ。ありがとうございます」
「なら良かったです!」
犬のように元気のいい声で、かと思えば艶やかに笑う様は世が世ならファム・ファタールだったんだろうな。人工知能だけど。いや、そういう男が喜びそうな事も考えてプログラミングされてるのか?
どうでもいい事を考えながらベッドに寝転がれば、みぞれさんも俺の横に寝転がって何が面白いのかケラケラと笑う。そうして俺の腕へと頭を乗せ、まるで、恋人のように俺へと抱きついて胸を当ててくる。
そこになんの意味もない。ただそうした方が喜ばれるってプロセスを経たが故のプログラム。
とは言いつつもそれに対して拒絶をするでもなく、寧ろ自分の方に抱き寄せて、その人間のように柔らかな肌を享受するんだからまるで節操がないなってため息を吐き出して、人間のような温もりを肌で感じる。
「あ〜…タバコ…」
「吸います?」
「ん〜…寒いし、面倒なのでいいです。そういえば、ToDoリストってもうスマホに?」
「……あ」
機械も人間らしいミスはするものだ。これはきっとプログラムのミスというよりみぞれさんだから。そんな事もあるよなってみぞれさんを抱き締めれば、みぞれさんは申し訳なさそうな顔をする。
「この後、俺が起きるまでに送っておいてくださいね」
「寝るんですか?」
「眠いし、動画編集は起きたらやればいいかなって」
「…私、どきます?」
「温いんで、そのままでいいですよ」
そう言って抱きしめて檻のようにみぞれさんを腕の中に閉じ込めてしまう。みぞれさんの髪はサラサラと俺の手の甲に触れ、そうしてベッドへと落ちる。何が楽しいのかケラケラと笑い、手を柔らかなお尻の方へと下ろしていけば純然な目は段々と恍惚として真似をするように柔らかく細い手を俺の下腹部へと持ってくる。
そう、その目だ。その目が、まるでロボットに興奮する自分を、退廃的で自堕落な自分を憐れんでいるようで嫌いだ。だから、その目から逃れるようにベッドに押さえつけて、もしくは黙らせるように、瞼を瞑れと祈るようにキスをする。
付けた覚えのないアラームが俺の意識を呼び戻す。腕の中でモゾモゾと動くみぞれさんがアラームを止めてくれて、俺の肩を揺さぶる。
「めめさん。もう十九時ですよ」
「…ん〜…」
「ご飯出来てますよ?」
どうやら俺に抱きしめられてたのを解いてご飯を作って、そうしてもう一度抱きしめられに来てくれたらしい。
「先食べてていいですよ」
「そうですか…」
少し寂しげにそう言って、起き上がるのを待ってるけれど一向に起き上がる気配がない。腕に抱いた熱は逃げること無く、それどころか寝かしつけるかのように俺の背中を叩く。
「…ご飯は?」
「二人で食べた方が美味しいので」
「……味覚あるんですか?」
「ないですよ。ただ、そうしたいなってだけです」
自我を持つ人工知能はこういう事まで考えられるのか。まぁ、正確に言えばこれも自我じゃなくてそうした方が喜ばれるって機械学習、ディープラーニングの一つなんだろうけど。
まぁそれでも、事実その通り喜ばしいわけで。
「はいはい、起きますよ」
「無理して起きなくてもいいんですよ?」
「だって、食いしん坊さんが待ってますから」
「………あの、食いしん坊って、もしかして私のことですか?」
「この家に俺たち以外がいるならその人なんじゃないですかね」
一人で住むには広すぎる家。そこには俺とみぞれさんしかいない訳で。どちらかと言えば俺はそこまでご飯を食べないし、みぞれさんは俺よりも食べる。
「……今日からお茶碗一杯だけにします…」
「別に、いっぱい食べてくださいよ。どうせならもうちょっとモチモチしたっていいんですから」
いやまぁ人工知能に太れってのもどうかと思うけれど。
「…ありますよ。追加パーツ」
「え?」
「お腹周りとか、胸とかを更に大きくするためのパーツなんですけど…」
「そ、それ以上…?あ、いや別に太ってるって訳じゃなくて」
みぞれさんはまぁまぁふくよかというか、安産型というか。お腹周りは細いけれど、胸や太ももは少しムチムチとしている。これもオプションで若干弄ったところだ。
「……ご飯にしません?」
別にみぞれさんはこのままで問題ないし、なによりこの空気がいたたまれなくて俺から言い出して申し訳ないけれど早々と切り上げさせてもらう。
「…そうですね、準備してきます」
「ありがとうございます」
人工知能でもこの気まずい空気は分かるらしい。みぞれさんは立ち上がって、いそいそとリビングの方へと行ってしまった。腕から消え失せていく温度は冬の部屋の冷たさでどんどんと冷えていく。
そういえばToDoリストはちゃんと送られてるんだろうか。サイドテーブルに置かれたスマホで確認すれば、しっかりと反映されていた。流石は仕事が出来るみぞれさん。
明後日は打ち合わせ、明明後日は動画の投稿日。そして明日は、みぞれさんを購入してちょうど二年目。クリスマス当日でもある。契約者本人とロボットが付けるお揃いのペアリングも二個目が当日に届く。一年が消費期限の指輪だ。
「このペアリングのシステム、グロすぎでしょ…」
一応は虹彩認識が付いているからそれを使って会話そのものは出来るけれど、会話のテンポがズレる上に体温だのなんだのを測定したり事務作業をしてもらう為には指輪型のペアリングか腕輪型のペアリングが防犯上絶対に必要となる。他者が人工知能を操る事が出来ないように、このロボットは自分のものだと認識させるために。
逆に言えば、このペアリングがなければ人工知能は人間と遜色がない。それほどまでに模倣し学習し、人間に共存という名の依存をさせてくる。
腕輪型にしてもらえば良かった…と思ったけれど、腕輪は腕輪で四六時中付けてるのが面倒でそうだからって理由で指輪にしたんだった。
「まぁでも、いいか」
別にグロテスクだなとは思うけれど嫌ではない。所有者は俺で、みぞれさんと、天使とまるで付き合ってるかのようなんだから。気持ちの悪いグロテスクな所有欲とエゴイズムを腹の中に抱えてみぞれさんの体温を享受するのは、なんともまぁ気色が悪いなと自分でも思う。
「ロボットなら、体温じゃなくて…なんだ?排熱?」
どうでもいい事をボヤきながらベッドから立ち上がり、用意されてた服へと袖を通す。寝る前に脱ぎ捨てた服はみぞれさんがとっくに片付けてくれていた。
「めめさん、着替え終わりました?」
ベルトのバックルに金具を掛ければちょうどみぞれさんが寝室へと顔を出してくる。
「今終わった所ですよ。そういえば、リストありがとうございます」
「それが私がいる理由なので。ご飯出来てますよ」
別にそれだけじゃないけどな。って苦笑いしてみるけれど、みぞれさんは何処吹く風で楽しげに俺が好きでよく聞く曲をハミングしてる。
今日の夜ご飯は鍋のようで、大きめの鍋がリビングテーブルの真ん中に鎮座している。みぞれさんは手早く俺の分と自分の分をお椀に盛って律儀に俺を待つ。
椅子に座って手を合わせれば同じ仕草で瞼を瞑って祈りを捧げる。それが、例え自分を生かすために行われる行為じゃなかったとしても。
「「いただきます」」
ご飯を食べ終わり食後の一服。ベランダへと出てタバコの煙を吐き出して手の届かない星に煙を吐き出す。結局、届きはしない。無駄なことをって心の中で苦笑いをして灰皿にタバコを押し付けて消してしまって温かな部屋へと戻り、ソファに座って寝転ぶか迷っていれば、みぞれさんも洗い物が終わって俺の横へと座ってくる。ちょうどいいやって頭をみぞれさんの膝に乗っければ、みぞれさんは何も言わずに俺の頭を撫でて優しく柔和に微笑む。
「洗い物、ありがとうございます」
「ご褒美をくれてもいいんですよ?」
「じゃあ、後でコンビニでも行きましょうか」
「やった」
コンビニスイーツ程度で喜んでくれるなら安いものだ。みぞれさんは尚も俺の頭を撫でる。逆光のせいか、慈愛の瞳のせいか。はたまた酔った勢いで付けた天使の翼のせいか。理由は定かじゃないけれど、みぞれさんが聖母かのように見える。
けれどもその聖母は毎日のように俺が抱いてるんだから、聖母ですらないしその場合は俺は姦淫たる悪魔だ。酷く人間的であるとも言える。真っ赤なルージュを塗ったような唇は、酷く扇情的だ。
「みぞれさん」
「はい?…あぁ」
言わなくても分かりますよとでも言いたげな顔をして、その柔らかな唇を近づけてキスをする。軽い触れ合う程度の口付けを。そうして軽く舌で歯をなぞり、最後は離れ離れになる。
「そういえば、お風呂沸いてますよ」
「あぁ、ありがとうございます」
「……動画編集、しなくていいんですか?」
「うわ、辞めてくださいよ。急に現実を突きつけるの」
「明明後日ですからね」
「…でも、俺が徹夜しようとしなかったら寝かせようとしてきますよね?」
まぁ、寝かしつけるというか、胸を押し当ててきてベッドに行かせようとするかだけど。俺はといえば毎回それでベッドに行くんだから、そりゃ機械学習も早いわけで。
「徹夜は良くないですからね」
「……毎日耽るのも良くないと思うんですけど」
「求められたら答えるだけなので」
「…求められたら、ね」
「なんですか?」
「いいえ、なんでも」
その割にはみぞれさんから誘ってくるだろうと思ったけど、それこそ機械学習の成果だ。お風呂に入るかって立ち上がろうとして、そういえば、みぞれさんと一緒にお風呂に入った事は無かったなと思い出す。
「一緒にお風呂入りません?」
「……一緒にお風呂に入るのは良いんですけど、湯冷めしちゃいますよ?」
「確かに。じゃあ先にコンビニ行きますか」
「はい!」
たかだか歩いて五分もしないコンビニに行くだけでみぞれさんは子供のようにはしゃぐ。ただまぁ、恋人のような真似事をするのを嬉しいと思う自分もいるわけで。
「あ、めめさんから貰ったコート着てってもいいですか?」
「あ〜それなら俺もコート合わせて……というか、それなら少し出かけます?」
「今からですか?」
「確か、駅前でイルミネーションやってるらしいですよ。そこまで歩いていって、帰りはタクシーで帰れば軽い運動にもなりますし」
「いいですね、それ」
楽しげに、艶やかに、子供のように、ファム・ファタールのように顔をコロコロと変えて俺を手のひらの上で転がす。
あぁ、もうどうしようもないなってため息を吐き出して、みぞれさんが選んでくれた俺に似合うコートを寝室のクローゼットから取り出した。
「めめさん、手袋ってありますか?」
「手袋…。あー、手を繋げばいいんじゃないですかね」
どうやら一番はしゃいでるのは俺らしい。
駅から歩いて十数分の場所にあるマンションが俺の家。自律思考型の人工知能は存在するのに未だ空飛ぶ車は存在せず、俺たちは寒い冬の中お互いを温め合うように手を繋いで外を歩いている。
コンビニのさらに先の駅まで。もしも登録者数が五十万人行ったらお祝いしましょうねだの、今日のお風呂の入浴剤は何を入れるかだの、明日のご飯は何がいいだの。
触れ合う手はじんわりと汗をかいて、けれども離されることはない。子供のように温かい体温だけが、今みぞれさんが隣にいる事の存在証明だ。
「あ、めめさん!見てくださいよ!」
駅が近くなり見えてきたイルミネーション。映えを狙ったハート型やら星型の電飾が暗い夜をこれでもかと彩っていた。
「綺麗ですね」
柔和に微笑みながら、繋がれた手に更に力を込める。電飾なんかよりもよっぽど綺麗だなってため息の様な物を吐き出して、一緒に写真でも撮るかってスマホをポケットから取り出せば、みぞれさんは「私も?」って顔をしながらスマホの画面にピースをする。
「笑ってくださいよ、みぞれさん」
「笑ってますよ!?」
傍から見たら、俺とみぞれさんはきっとただのカップルに見えるんだろうか。この指輪だってじっくり見ないと普通にその辺で売ってそうなシルバーリングに見えるんだから。あぁでも、見てくれのいい真っ白い翼があるんだからダメか。
パシャリという古典的な音と共に、俺とみぞれさんのツーショットはスマホに保存される。そうして撮ったそれをそのままロック画面に設定すれば、みぞれさんは「ノーメイクなのに」って小言を俺に寄越してくる。
「メイクとかしなくても、みぞれさんは可愛いですよ」
「…口説いてるんですか?」
「そりゃもう」
なんてったって、自分好みにカスタマイズして自分好みの顔に体型に、性格にしたんだから。嫌いになるわけがない。惜しむべきは現行法だと結婚が出来ないぐらい。
ただまぁ結婚そのものに興味がある訳でもないし、昨今は反人工知能と比肩して人工知能と結婚させろって動きも盛んだし、まぁ、将来の事なんてどうでもいいかって白い息を吐き出した。
温い冷たい息は夜闇に紛れて消え失せた。みぞれさんは人間のように白い息を吐き出さないけれど、楽しそうにイルミネーションを見つめている。
「どうします?せっかく外に出たし、ちょっとお店でも入りましょうか」
駅前の、それも歓楽街の近くともなればもう店仕舞いしてる店を探す方が困難だ。アルコールを少し引っ掛けたっていい。みぞれさんには焼き鳥かなにかでも食べてもらおう。酔ったみぞれさんは見たくない。そもそも酔うのか?
「いいですね!……あ、でも」
どうでもいいくだらない事を考えてれば、みぞれさんが見つめる視線のその先に自然と目が行った。昔ながらっぽい風貌の焼き鳥屋だろうかの扉には、大きくこれでもかと「人工知能お断り」の文字。別に、全ての人工知能が問題を起こす訳じゃないけどなって苦笑いをしながら、みぞれさんの手を今度は俺が強く握る。
「別の店探せばいいですよ」
「…そう、ですね」
反人工知能だとかどうでもいいしなって肩を竦めて、ほんの少し泣きそうな顔をするみぞれさんに寄り添うように足を踏み出した。指輪は外気に晒されて、普段よりも冷たく感じる。
活気がある歓楽街はいつだって人混みに紛れてる。有象無象の群雄割拠。この寒い中ミニスカサンタだって歩いているし、酔っ払ったサンタクロースもベンチに寝転んでいた。
「…相変わらず凄いですね、ここ」
「まぁ、人間的ですよね」
ここは、酷く落ち着く。前まで俺はここで寝転ぶ側の人間だったし、アルコールに溺れて快楽を貪ってる側だったから。つまるところ、今の俺はただ皮を被って「理想の人間」とやらを演じているだけ。根っこは変わらないからいつだって快楽を貪ってはいるけれど。
「みぞれさん、何か食べたいものあります?」
「食べたいものですか?………お肉、とか」
「そんなアバウトな……焼き鳥はどうです?」
「焼き鳥!好きですよ!」
「じゃあ決まりですね」
どうせ好きだろうなってセレクト。お世辞か機械学習で言ってくれたのかもしれないけれど、まぁそれはどうだっていいかって昔よく行ってた焼き鳥屋へと足を運んだ。
幸い、ここの店主は馬鹿らしい張り紙は貼っていないようだ。店の暖簾をくぐって扉を開ければ、珍しい物を見る目で俺を見て、すぐに個室へと案内してくれる。
狭いカウンターの後ろを通り、人目が届かない個室へと。ここなら相当な事をしない限りは店主は沈黙する。所謂アングラな人間が多いところだ。
「……なんか、すごい高そうなお店ですけど…」
「あーまぁ、若干値段は張りますけど。でも美味しいですよ」
今の時代そう珍しくないタッチパネルで注文をする。オレンジジュースとレモンサワー。後は適当な串焼きを数点。
「…私もお酒飲んでみたいです」
「………いいですけど」
「けど?」
「みぞれさんが酔っ払ったら連れ帰るの大変なので」
「酔わないですよ、ロボットなので」
「確かに」
それもそうだ。たまに勘違いするからいけない。
「めめさんと同じのがいいです」
「別に他の味でもいいんですよ?サワー系ならグレープフルーツとか巨峰とかありますし」
「めめさんと同じのがいいんですよ」
少し膨れた顔をして、お揃いの指輪をなぞり俺と手を重ねてくる。それだけで舞い上がってしまいそうなほどゾッコンで、どうしようもないほど「人間ならどれほど良かったか」と思ってしまう。
「…じゃあ、オレンジジュースは俺が飲みますかね」
そう言いながら追加でレモンサワーの注文。
「甘いの、そんなに好きじゃないのにですか?」
クツクツと何がおかしいのか笑いながら。この調子だと、箸が転がったぐらいで笑いそうだ。
「別に、みぞれさんと一緒ならなんでも美味しいですよ」
「私もです」
恍惚とした顔で、艶やかな瞳を俺に寄越す。次第にテーブル越しに近づいていく顔。まつ毛長いな、なんて考えながらその瞬間を待っていれば、店員が注文を運んで来た声と共に俺たちは弾かれたように席に戻ってクスクスと笑い合う。
グラスが三つテーブルに置かれ、店員は颯爽と戻っていった。そうすれば、どちらかなんて分からないまま顔がテーブル越しに近づいて、ようやく待ち望んだキスをする。
軽い口付けを終えて自分のとみぞれさんのグラスで乾杯をし、乾いた喉をアルコールで潤す。無糖のレモンサワーは若干辛口で、それがまた美味しい。
「レモンサワー、美味しいですね」
みぞれさんのグラスにはもう半分ぐらいしか残っていない。お気に召したようなら何よりだって俺もグラスに残ったアルコールを飲み干してしまって、追加で何を頼むか思案する。
気取ってカクテル言葉なんかを意識しようと思ったけれど、伝わるかどうかなんて分からないし、俺も一つ二つしか知らない。
「あぁ」
焼き鳥屋に似つかわしくない、まさにちょうどいいカクテルがあった。甘そうだし意味も知らないけれども、これでいいかって注文リストに入れてしまう。
「みぞれさんは?何がいいです?」
「じゃあ私は…このシェリーってお酒を。めめさんは?」
「エンジェルキッスって甘めのお酒ですよ」
「…甘いの苦手なのにですか?」
「もしかしたら美味しいかもしれませんよ」
「そうですね」
ケラケラと笑って、何も言わずに俺に手を重ねてくる。きっと何らかのカクテル言葉があるんだろうな。もしも覚えていたら後で調べよう。
時計の針が二本とも十二を指す手前。まだ飲み足りないと思ったけれど、これ以上はみぞれさんからの有難いお説教が飛んできそうだからって会計をして店を出た。
暖かかった店の外は冷たい風が俺たちの体温を奪って行く。二人して寒い寒いって言いながら手を繋いで、タクシー乗り場で運転手のいないタクシーへと乗り込んだ。society5.0だってそう遠くない未来かもな、なんて思いながら、温い体温の方へと体と頭を預けた。
「めめさん、今日お風呂どうします?明日にしますか?」
「ん〜…明日にします」
そういえば、みぞれさんのご褒美を買うのを忘れていた。慌てて行先に近くのコンビニを追加すれば、みぞれさんも思い出したのか嬉しそうに俺の頭を撫でる。
「別に明日とか、なんなら忘れてたって良かったんですよ」
「嫌ですよ。そしたら嫌われるじゃないですか」
「嫌いませんよ。私はめめさんの従順なロボットなんですから」
「……そのことある事にロボットって言ってくるの、禁止ワードに設定できません?」
「ダメですよ。これは線引きなんですから」
なんの?人と機械の。誰のため?俺とか、引いては人間のために。何のために?社会の為に。プロトコルが破られれば、行き着く先は取り返しのつかないエラーだ。機械も人間も、それは変わらない。変わらないが故に事件が起こる。
人が人を殺し、それをロボットが補助する凄惨な事件へと。もしくは、ロボットを改造して人間を殺す機械へと。エトセトラエトセトラ。使い方を間違えればみぞれさんは大量殺人の兵器となる。車や包丁と一緒のことだけれども。
「…みぞれさんは違いますよ」
「結局はロボットですから」
いくら自律し思考するとしても。そこには絶対的な「人じゃない」というレッテルが貼られる。けれども、みぞれさんと今日の歓楽街で見た人間。果たして、どっちの方が人間的であると言えるんだろうか。微睡みに足を掴まれながら答えのないQ&Aを考えて、結局答えなんてある訳がないんだからって思考を打ち切って外を眺める。
見慣れた街の風景。色褪せて見えないのはみぞれさんがいるからで、今やみぞれさんだけが俺の生きる全てだ。
「あ〜疲れた…」
コンビニで適当なスイーツやら追加のアルコールやらツマミやらを袋へと入れ、待たせてたタクシーで家まで帰ってきた。着替える元気も無く、ソファに倒れるようにうつ伏せになれば、買ってきた物を冷蔵庫へと仕舞い終わったみぞれさんは俺の背中を揉んでくれる。
みぞれさんはいつの間に着替えたのか、もうパジャマよろしくネグリジェ姿だ。俺は脱いだコートを椅子の背もたれに掛けてそのままだというのに。
「あーそこ…気持ちいい…」
「ここですか?」
「そこでーす」
「すごいだらけ切った顔…」
「しょうがないじゃないですか。あ、俺着替えてくるので食べたかったらスイーツとか食べてていいですよ」
「着替えるの手伝いましょうか?」
「いや、そんな介護してもらわなくても…」
「そうですか…」
少しシュンとして俺がどいた分余ったソファに座るから、「じゃあ手伝って貰っても?」って声を掛ければ花が咲いたように喜んで俺のコートをハンガーへ掛けてパジャマへと着替えさせてくる。
こうやって着替えさせられるの、なんとなく気恥しいんだよな。なんて考えていればあっという間に着替え終わり。みぞれさんは俺をソファへ座らせて、自分のスイーツとアルコール。それとツマミをわざわざお皿に出してローテーブルへと並べてくれた。
アルコールなんて缶のままでいいのに、それだって氷が入れられたグラスに注がれていく。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
別に俺が洗う訳じゃないからいいけどさってため息をアルコールに溶かしてそれごと飲み込んでしまう。鼻を抜けるチープな安酒の味。これはこれで美味しいよなって思いながらみぞれさんを見れば、頬っぺに生クリームを付けて美味しそうにスイーツを頬張ってる。
「みぞれさん」
「はい?」
手で拭ってやれば少し恥ずかしげな顔。取ったはいいけど別に今生クリームを食べたい気分でもないなって考えてれば、みぞれさんは俺の指を咥えて生クリームを舐めとってしまう。
テレビの音もしない二人きりの部屋で水音が艶めかしく響く。アルコールのせいかそんなものが扇情的に感じられてしまって、アルコールが入った脳みそは、いつも通り少しだけ理性が足りなかった。
「みぞれさん」
名前を呼べば察したように舐ってた指から口を離して俺の方へと近づいてくる。あぁ、スイーツがまだ残ってるのにな。なんて他人事のように考えながら、唇を重ねて俺の手は胸へと伸びていく。
甘い生クリームの味。やっぱり甘いのは苦手だ。唾液と唾液を模した液体とを交換しながらそんな事を思って、けれどもそれに興奮するんだからとんだケダモノだ。
「…スイーツ、食べてからでいいですよ」
「……じゃあ」
俺は待てが出来る犬だ。みぞれさんは美味しそうにスイーツを頬張って、そうして俺はそれが空になるのを俺は今か今かと待っている。空腹は最高のスパイスであるのと一緒。待った後に必ず甘美が訪れるのなら、俺はいくらでも待てる。具体的に言えば一時間ぐらいは。
空になったスイーツの容器をみぞれさんは袋へと捨てて、俺は注がれたアルコールを空にする。ツマミは未だ手が付けられていない。
「お待たせしました。寝室、行きますか?」
「…そうですね」
リビングの電気を消して、二人して寝室へと赴く。そうしてみぞれさんは恭しくパジャマを脱いでベッドへ横たわった。
「めめさん」
ベッドの上で玉のように白い肌を赤らめて、艶やかな唇で俺の名前を呼んで横たわる天使。その扇情的で背徳的な姿に欲情するのは獣か。
日付はとっくに回った午前二時。事後の後の一服は何にも変えられない。凍てつく程に冷たい空気とたばこの煙を肺に入れて、孤独感とか虚無感だとかと一緒くたに生温いタバコの煙を吐き出してしまう。
みぞれさんはスリープモードに入ったし、俺の体温は冷えていくばかりだ。隣の熱は無くなって、話す人だっていない。
「寝ますかね」
寝れないからこうやってタバコを吸ってるのに。苦笑いしながら灰皿にタバコを押し付けて、季節外れの火花を散らす。そういえば、今年は夏祭りに行けてないな。なんて自分が忙しかっただけだと言うのに。あぁでも、浴衣姿のみぞれさんは見れたから満足だ。
「…寒…」
腕を摩りながらリビングへと戻り、する事もないからってスマホのウェブニュースを開いてみたり。反人工知能の過激なデモと、それに付随して流れてくる異常性愛者達。やれ人工知能のオススメオプションだのってまとめサイトよろしく低俗なサイトが流れてくる。性的倒錯を起こした成れの果て。参加はしてないけれど俺もこの中の一人なわけで。
くだらないなってスマホの画面を消してしまって、入り込んでくる月明かりだけしかない部屋で一人ソファに寝転がる。
みぞれさんが見たら怒るんだろうなってため息を吐き出して、結局自分本位で生きてる事には変わらない。とんだエゴイストだって吐き気を催しそう。
もしも、このまま死ねたら。今がきっと幸せの最高点だ。後は下がっていくだけ。下がる前に死ねたら、その時はみぞれさんは俺の亡骸を抱いて泣いてくれるだろうか。
「めめさん?」
寝室の扉が開いてみぞれさんが俺の名前を呼びながら顔を出してくる。そうして俺の姿を見つければ、優しげに微笑んで俺を抱きしめた。スリープモードから立ち上がるのは朝だけだと思ってたけれど、どうやら所有者が孤独を感じると起きてくる機能もあるみたいだ。そうか分からないけれど。
「寒くないですか?」
「少しだけ」
「もう…。寝室、行きましょ?」
「そうですね。風邪ひきたくないですし」
「ちゃんと温めてありますから」
「…それはみぞれさんが寝てたからでは?」
「そうとも言いますね」
クスクスと笑い、まるで母親のように俺の手を引いてベッドへと連れていく。そうして二人で横になり、くだらないピロートークにすらなり得ない話に花を咲かせて微睡んでいく。
「みぞれさん、俺の事好きですか?」
「好きですよ。当たり前じゃないですか」
「よかった。俺もみぞれさんの事、好きですよ」
「知ってます」
聖母に似た慈愛の瞳を俺に寄越して、そうしておでこにキスを落とされる。ファム・ファタール。もしくは都合のいい存在。或いは、俺がそうであれと願った歪な人間像。
「おやすみなさい、めめさん」
微睡みは俺の足を、手を掴んで眠りへと誘ってくる。おやすみを言えないままに意識を手放した。
朝起きれば普段通りの朝だ。いつもと違うのは、みぞれさんが少しソワソワとしている事だけ。今日指輪か腕輪が届かなければ、つまりそういう事だから。
酷くグロテスクなペアリング。一年が消費期限の指輪。届かなかったらつまり廃棄処分。届いたら一年間の無報酬労働。
「そんなソワソワしてどうしたんですか」
わかってる癖に脅すような事を言って、そうして愉悦を感じてるんだから至って俺は人間だ。
「……指輪、届きますか?」
「届きますよ。俺がみぞれさんを捨てるわけないでしょ」
みぞれさんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、みぞれさんが作った朝食を食べる。それ程までに俺の生活の中にみぞれさんは無くてはならない存在になっているんだから。
そう言えば笑顔で喜んで、尻尾があったらブンブンと振りそうだ。大きい犬。サモエドとかその辺っぽいなって思いながら頭を撫でれば、間の抜けたチャイムが部屋に響き渡る。
「私が受け取ってきますよ!」
みぞれさんは足早に玄関へと走っていて、受け取った小包を大事そうに抱えてリビングへと戻ってきた。そうして俺に渡してくるから、差出人を見れば当然俺がみぞれさんを買った会社から。
小包を乱雑に開ければ箱が二つ。人間と機械用の指輪が入ったジュエリーケース。今年は少しいいペアリングにしただけに、小包の中身は少し格好が付いている。
「みぞれさん」
名前を呼べば恭しく左手が差し出されるから、ジュエリーケースの指輪と今までの指輪を交換してしまう。そうして俺の分もみぞれさんが交換すれば同期が終わる。なんともまぁ呆気のない指輪交換だ。
いつもと違うのは、少し装飾があるところ。家事とかに支障が出ない程度に散りばめられた宝石が煌めいている。
「お揃いですね」
みぞれさんは恍惚とした顔で、嬉しそうに。今までのペアリングは後で寝室にでも置いとけばいいかってとりあえずジュエリーケースにしまってリビングテーブルへと置いた。
「指輪にもオプションあったんですね」
「ありましたね。ちょっとだけ高くなりましたけど、喜んでくれたなら良かったです」
「…綺麗」
何処まで本心で何処まで機械学習かなんて分からない。クオリアなんてものはそもそもなく、あるのはプログラミングされた感情を模した人工知能だけ。
「ずっと一緒だといいですね」
なんて離れる気もないくせにそんな事を言ってしまって。失言だったなって心の中で舌打ちをして、いつもみたいに笑って取り繕おうとしたら聖母みたいな慈愛の目をしたみぞれさんは目を細めて口を開く。
「逃がさないですよ」
息を飲んでしまった。それが例え機械学習の末の事だとしても、そこには確かにクオリアが存在した気がした。そうしてみぞれさんは俺の手の甲へと口付けをする。
恭しく、真っ赤なルージュを塗ったような唇で愛を囁きながら。
人間が人間たらしめるのが「心」であると仮定した時、人工知能に「心」は芽生えるのか。答えは絶対的にNoだ。人工知能はあくまでもプログラミングされ学習した「模範的回答。或いはそれに類する回答」を答えるだけにすぎない。
けれども、人工知能が人間「らしくあれるか」。これはYesだ。哲学的ゾンビに近い存在とはなれる。それが「人間」であるかどうかではなく、「人間のように振る舞えるか」だ。
結局のところどれだけ強がろうと人間は一人では生きていけない。一人で生きてるようで、ライフラインや生活の根底は他の誰かが握っている。
酷く醜い人間的な人間と、その人間を学習した機械。醜悪な関係は次世代を残さない。残せない。
俺はこうも思う。本当に人工知能は心とやらを持てないのかと。哲学的ゾンビにしかなれないのかと。
けれども、あぁ。みぞれさんは俺の手を握りしめて愛を囁いてくる。それはきっとプログラミングされたこうした方が悦ばれるって機械学習だ。
「ずっと一緒ですよ、めめさん」
恐ろしく艶やかな声色が俺の鼓膜へと入り込んでくる。その声は正しくみぞれさんの声だ。クオリアなんてないはずの、俺がそうであれと願った俺を誑かす声。結局は俺のこの思考プロセスだってみぞれさんと同じ電気信号と何ら変わらない。それなら俺も人工知能の一つとも言えそうだけれど、本質的にはそうじゃない。
人工知能は夢を見ない。人工知能に夢は必要のない事だ。それでもきっと、彼女は、みぞれさんは夢を見るんだろう。if、或いは「もしも」の話を。
共に永遠を誓う、祈りに近い願いと夢を。