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あの日、薔薇の花園で全てをさらけ出し、真実の愛を誓い合ってから一ヶ月。
窓の外に広がる景色は以前と変わらないはずなのに
屋敷を包む空気は、もはや「凍てついた」などという言葉とは無縁のものになっていた。
使用人たちは、以前よりもずっと表情が豊かになり
時折冗談さえ口にするようになった旦那様に驚きつつも、どこか誇らしげに
そして温かく私たちを見守ってくれている。
冷徹だった主人が見せる変化は、屋敷全体に穏やかな春を連れてきたようだった。
そんなある穏やかな休日、私たちは久しぶりに二人きりで街へと出かけていた。
今日は護衛も最小限。
ベル様は軍服ではなく、体に馴染んだ上質な私服姿で私の隣を歩き
以前のように他人の目を気にして不自然に距離を置くことも、冷たい仮面で心を隠すこともない。
むしろ、人混みの中で隙あらば私の手を取ろうとしたり、エスコートの手に力を込めたりする彼に、私の方が少し照れてしまうほどだった。
「ベル様、あのお店、また新しいマカロンが出たみたいですよ」
私が色鮮やかなショーケースを指差すと、彼は少しだけ恥ずかしそうに、けれど隠すことなく堂々と頷いた。
「ああ、帰りに寄ろう。だが、その前に……キミに見せたいものがあるんだ」
そう言って彼に導かれ、私たちは街を一望できる静かな丘の上の展望台へとやってきた。
街の喧騒が遠くに心地よく響き、柔らかな風が私の髪を撫でて吹き抜けていく。
「リリア、これを受け取ってほしい」
彼が懐から取り出した小さなベルベットの小箱。
それを開けると、そこには陽光を浴びて七色に煌めく、美しい宝石が埋め込まれた指輪が収められていた。
「それは……」
「これは、私がキミに贈りたいと思ったんだ。政略でも契約でもなく、ただ私の妻として」
ベル様は私の左手を取ると、壊れ物を扱うように慎重に、そして大切そうに薬指にその輪を通した。
「一ヶ月前、キミにプロポーズしたときから、ずっと探していたんだ。キミにふさわしい輝きを」
指輪は私の指に驚くほどしっくりと馴染み、左手が急に熱を持ったように感じた。
見上げると、そこにはかつての「冷酷伯爵」の面影など微塵もない
愛する女性を見守る優しい一人の男の顔があった。
「ありがとうございます、ベル様。……ずっと、大事にしますね」
私が胸一杯の思いでそう告げると、彼は私の手を取ると、人目も憚らずに手の甲へ優しく
深く、誓いを立てるように口づけを落とした。
街に響く正午の鐘の音が、私たちの新しい人生の始まりを祝福するように、いつまでも空に鳴り響いていた。
───その後、悪意を持って私たちを引き裂こうとした人々には、相応の報いが訪れた。
ゼノス公爵はというと
ベル様が密かに進めていた調査によって数々の横領と汚職の証拠が白日の下に晒され
爵位剥奪のうえ国外追放という厳しい処分が下された。
また、共犯であった妻のイザベラも実家から縁を切られ、後ろ盾を全て失った。
かつてベル様を「欠陥品」と笑った二人は、今や名前も持たない平民として、互いを呪い合いながら底辺の生活を送っているという。
そして、街に流れていた『冷酷伯爵』という噂はどこへやら。
今やベル様は、社交界でも指折りの『愛妻家』として有名になった。
どこへ行くにも私の隣を離れず、隙あらば私の髪を慈しむように撫でる彼の『溺愛ぶり』は、今や貴婦人たちの注目の的だ。
私を侮辱するものがいれば、かつて以上の冷徹さで守り抜き、私もまたそんな彼を誇らしく思い
献身的に支え、出会った頃よりもずっと深く、ベル様のことを好きになっていった。
◆◇◆◇
とある日
屋敷のテラスで私たちは並んで座り、穏やかなティータイムを過ごしていた。
私はベル様のために、彼が好きな砂糖をたっぷりと入れたコーヒーを淹れる。
かつては自分の『好き』を弱さだと思って隠していた彼だが、今は私の前だけでなく
外でも甘いお菓子を幸せそうに頬張り、時折少年のような無邪気な笑顔を見せるようになっていた。
「幸せですね」
私が隣で微笑むと、ベル様は愛おしそうに私の手を取り、囁いてきた。
「キミが私を支えてくれるおかげだ。…ありがとう。愛している、リリア」
その言葉に思わずキュンとして、至近距離で見つめ合うと、ベル様の顔がゆっくりと近づいてくる。
キスされる、と察した私は、あまりの気恥ずかしさに、思わずバッと顔を背けて避けてしまった。
「……リリア、顔を上げてくれ」
低い声で名前を呼ばれ、おずおずと顔を上げた瞬間。
その隙を突くように、ベル様に唇を奪われた。
触れただけの短い、けれど熱い口づけ。
離れた瞬間、私は茹でたタコのように顔を真っ赤に染め、慌てて両手で顔を覆い隠した。
「…っ、み、見ないでください…!今、絶対に変な顔していると思いますから……っ」
「そんなに嫌か?私とのキスは」
ベル様が可笑しそうに、少し意地悪な声で聞いてくる。
私はまだ心臓がうるさいまま、指の隙間から彼を見上げて、精一杯反論した。
「い、嫌とかではないですよ…!ただ…私は結婚するのも…こういった…き、キス…キスをするのも、初めてなので……」
「…にしても、照れすぎだ。もう夫婦だろう?」
「好きな人なら尚更…平常心でいられるはずないじゃありませんか…!」
〝好きな人〟という言葉を真正面から受けたベル様の瞳に、一瞬で独占欲を孕んだ熱い色が灯る。
ベル様は私の腰をひょいっと抱き寄せ、逃げられないように耳元で低く囁かれる。
「…いつもは勇ましく誰にでも立ち向かっていくようなキミが、恋愛にこんなに初々しくては…初夜は程遠そうだな」
「…しょ、初夜って……!」
さらに顔を赤くして、今度はベル様の広い胸に顔を埋めて隠れてしまう。
すると「隠さないでくれ…リリアをもっと見たい」と言われて顎を指先で持ち上げられて、逃げ場が無くなる。
そんな私の反応を心底楽しそうに、愛おしそうに眺めながら、ベル様は逃がさないというように
より一層強く私を抱きしめてきた。
鉄の仮面の下に隠されていたのは、誰よりも熱く
そして深い、私だけへの独占欲。
私たちの幸せな日々は、これからもずっと、甘い香りに包まれて続いていく。