11
起きてきた奈々子にご飯を食べさせ、お風呂に入れているとちょうど
俊が帰ってきた。
食事を済ませたあと、いつものように俊は奈々子の相手をしてくれる。
父親との僅かの時間の親子の時間は娘にとっても夫にとってもお互い
密に触れ合える貴重な時間だ。
私はこの父親と娘の触れ合いの時間がひと時の至福の時間だった。
見ていると心が温かくなり幸せを感じたものだ。
でも今はどうだろう……心中複雑で幸せとは程遠い心境である。
俊にちゃんと聞かなくちゃという思いと、聞いても聞かなくても結果は
出ているという思いが交錯する。
訊くのは今日じゃなくて自分の気持ちが落ち着いた時でいいのでは?
そういう風に考えて、何度逃げ出したくなったことだろう。
いやいや、大丈夫よ、結果はもう知ってるのだから。
後はそれを……事実を確認するだけのことなのだから。
大丈夫、だいじょうぶ、と自分を励ます。
「俊ちゃん……」
「うん? なに」
「私が妊娠中入院してた時に恵子がお見舞いに来てくれたことがあったでしょ?」
「うん……」
「彼女2度も来てくれて……」
「うん、近所だからって言ってたよね」
「俊ちゃんはあの後も彼女と会ってたのよね?」
「えーっ、どうだっけ。……ないと思うけど」
質問をはじめてから俊は私の顔を見ようとはしなかった。
いつも話をするときはやさしげな眼差しで私の目を見て話すのにね。
もうこれだけで疚しさ満杯じゃない。
12
恵子との浮気を確信したからには、どうしても白状してもらわなければ
ならない、そんな気持ちで続けて夫を問い詰めてゆく。
「10月の駅横の駐輪場……にあなたいたのよね。
そしてあなたの側には顔見知りの女がいた。その女はあなたに言った。
『いいじゃない。黙ってれば分かんないんだから、これからも会おうよ』」
私の詰問に奈々子を抱っこして寝かしつけていた夫は娘を布団まで連れていき
寝かせた。
そして私の前に来ると『ごめん……』と言った。
「いつからなの? 10月なんて私が出産してから半年も経ってるでしょ」
「もっと前から恵子さんとは切れてる。
あの日はどうしても会って話がしたいと言われて道端で会っただけなんだ。
会ってくれないなら君に自分たちの関係をバラすと言われてね」
「一度だけの関係じゃなかったのね」
「すまない、誘惑に負けてしまった」
「もしかして、産院で会った頃からなの?」
「……」
「あななたち信じられない。
俊ちゃん、恵子は私の親しい友だちなのよ。
普通奥さんの友人となんて浮気する?」
一方的に私がしゃべるだけで『すまない』と言ったきりそのあと、
夫は口を噤んでしまった。
「恵子もあなたも最低っ。いつかふたりとも地獄に落ちればいいっ」
私は夫に嫌な言葉を吐き出すと、そのまま急いで風呂に入り
子供の寝ている部屋に布団を敷いて寝た。
あの後、俊がどうしてたかなんて、知らない。
私の気持ちはとうに決まっていた。
信頼を寄せ、大好きだった人から裏切られたのだからこのまま一緒に暮らす
なんてそんな選択肢ある?
なんたる罰ゲーム。
私はそんな罰ゲームはごめんだ。
13
◇家族会議
残念なことに翌日は金曜だったため、一日我慢をし、翌々日の土曜に
両家の親たちに招集をかけた。
集合場所は比較的広い家の桃の実家になった。
俊には予め義両親にどういう理由で来てもらうのかということを
説明してもらい、桃は桃で簡単に母親にあらましを伝えておいた。
父親には母親が伝えてくれるだろうと敢えてわざわざ父親にまでは
直接話はしなかった。
その時母親には離婚するつもりであることは仄めかしてあった。
自分の両親は勿論のこと、俊の両親、特に女親である義母は自分の味方を
してくれるのではと考えていた。それなのに……。
確かに義母は息子である俊の非を認めはしたけれど、私の意志を
尊重してくれることはなかった。
私が問い詰めた時も俊は私にすまないと謝罪してきたけれど、両家の人たちが
集ったところでも『誘惑に負けた弱い自分が悪いんです。
本当に桃さんには申し訳ないことをしました。
桃、そして桃のご両親、どうか私を許してください。
今桃は僕のことを許せないと思うだろうけど、これからの自分を見てほしいと
思ってる。
桃や奈々子を大切にしていくから離婚なんて言わないでこれからも
一緒にいてほしい』
と言った俊の言い分に賛同したのだ。
あぁ、なんということ!
私は援護射撃してほしくて母親の方を見た。
「桃、あなたの気持ちも分かるけど奈々子もいるし、何より俊くんは
ただの過ちだったと言ってるし、恵子さんとは切れていて今は桃だけを
見てくれているでしょ?
これがね、例えば俊くんが恵子さんと一緒になるとか、隠れて付き合いが
続いているっていうのならお母さんも離婚に反対しない。
でも違うでしょ?
俊くんは謝ってるのだし、桃と一緒にいたいって言ってくれてるんだから、
お母さんも離婚には反対だわ」
お父さんの顔を見た。
私から視線を逸らした。……ということはお母さんと同意なんだ。
私ったらすっかり肉親に背中を撃たれたのだ。
娘の一大事に背中を平気で撃つような真似をするんだ。
失望が襲う。誰も彼もが私に辛抱をしろと言う。
子供や夫の為に家庭を壊してはいけないと言う。
母に抱かれていた奈々子が俊の膝に乗ろうとした瞬間、私の中の鬼が
火を吹いた。
「やめて!
恵子の身体に触れたその薄汚れた汚らしい手で娘に触らないで、お願い……」
桃が憤怒の形相で自分にピシャリと言い放ったものだから俊は差し出した手を
どうしていいか分からず娘に触れることなく、弱弱しく
「奈々ちゃん、おばあちゃんのところへ行ってね」
というのがやっとだった。
そこにいた誰もが、何も言えず気まずい空気だけが流れた。
桃は泣いていた。
こんなに惨めな思いをするなんて、今日という日もこんな目に合わせた
俊のことも薄情な実両親のことも、私は酷く憎んだ。
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