放課後の音楽室。
ギターの音が響き、窓から差し込む夕陽が楽譜を赤く染めていた。
大森と若井は向かい合い、簡単なフレーズを合わせている。
 
 
 
 「やっぱり二人だと音、スカスカだな」
 
 
 
 若井が肩を竦める。
 
 
 
 「うん……涼ちゃんがいないと、物足りない」
 
 
 
 大森も苦笑した。
 
 
 
 「ここ数日、部活に顔出してないな。こないだバイトが忙しいって言ってたけど……」
 「いや、違うよ」
 
 
 
 大森は即答した。
 
 
 
 「涼ちゃん、あの日から変だよ。鏡を見に行ったあの日からさ」
 
 
 
 音楽室の空気が、しんと静まり返る。
思い返せば、藤澤が倉庫の鏡を見に行ってから、彼の態度は冷たくなった。
笑っていても、その奥に薄い氷を張ったような空気がある。
 
 ——それに、あの日。
廊下で大森に顎を掴んだ時の不自然な笑み。
唇が触れるかと思った、あの距離。
ぞわり、と背筋が冷たくなるのを思い出し、大森は腕を抱いた。
 若井は黙って弦を弾いた。
音は響いたが、いつもの和音にはならなかった。
 
 
 
 「……なあ元貴。もしかして、お前も感じてたか?」
 「何を」
 「涼ちゃん……なんか“違う”って」
 
 
 
 若井の低い声が、音楽室の天井を震わせた。
大森は頷いた。
 
 
 
 「うん。まるで、別人みたいだよ」
 
 
 
 若井はしばらく考え込んだあと、ギターを静かにケースに収めた。
 
 
 
 「俺、行ってみる」
 「どこに?」
 「旧校舎。……例の鏡だ」
 
 
 
 大森は息を呑んだ。
 
 
 
 「やめとけよ! 涼ちゃんがああなったのも、きっとあの鏡のせいだ」
 「だから行くんだろ」
 
 
 
 若井の瞳は固い決意を湛えていた。
 
 
 
 「俺たち3人でやってきたんだ。あのままにしておけない」
 
 
 
 その強さに言葉を失い、大森はただ頷くしかなかった。
夕暮れが迫る校舎。
生徒のざわめきが消えていくなか、若井はひとり旧校舎へと向かった。
 
 
 
 
 ⸻
 
 旧校舎は、昼間でも影が濃い。
廊下の電灯は切れ、窓ガラスは割れているところも多い。
風が吹き込むたび、カーテンが幽霊のように揺れた。
足音が響く。
自分のものなのに、誰かに追われているような錯覚に陥る。
 やがて、突き当たりの倉庫に辿り着いた。
扉を開くと、そこには噂通りの鏡が立てかけられていた。
曇った表面に、若井の姿が映る。
 だが——。
 
 
 
 「……!」
 
 
 
 鏡の中の若井は、微かに笑っていた。
本人の顔は険しいのに、鏡の中では口角が上がり、挑発するような視線を返している。
 
 
 
 「お前……誰だ」
 
 
 
 若井が低く呟くと、鏡の中の“若井”が口を開いた。
 
 
 
 「お前だよ。……本当のお前」
 
 
 
 その声は、自分のものと同じ響き。
だがどこか濁っていて、心をざらつかせた。
 鏡の中の若井が勝手に口を開いた。
 
 
 
 「お前さ、中学の頃からずっと大森の後ろをついてきただけだよな」
 「お前はずっと、元貴の影だろ? あいつの才能に惹かれて、追いかけて、結局“自分”がない」
 
 
 
 若井は息を呑む。
——心の奥で、誰にも言えなかった弱さ。
 
 
 
 「……黙れ」
 「大森の才能に惚れて、一緒に音楽やってきただけ。
でも、お前自身にはそんな才能はない」
 
 
 
 冷たい声が突き刺さる。
 
 
 
 「……違う」
 「違わない。お前自身が一番よく知ってる」
 
 
 
 若井は拳を握りしめた。
言い返したいのに、声が出ない。
胸の奥に、ずっと抱いていた劣等感が膨れ上がっていく。
 鏡の表面が波打ち、ぬるりと“何か”が這い出てくる。
それは若井と寸分違わぬ姿をした“偽若井”だった。
同じ目を持ちながら、その奥に光はない。
ただ深い穴のような暗闇が広がっている。
 偽の若井はぐいと前に出て、鏡越しに手をつく。
次の瞬間、冷たい指先が現実に伸び、若井の胸ぐらを掴んだ。
 
 
 
 「お前、“自分”ってあるの?」
 
 
 
 その声は挑発ではなく、心を見透かすような静かな響きだった。
 若井は押し返そうとした。
だが、偽の自分の力は異様に強い。
鏡の表面を破って現れた偽の若井は、現実の彼に迫り、壁に押し付けた。
 
 
 
 「大森に縋って、羨んで、嫉妬して……それが全部お前だろ」
 
 
 
 唇がすぐ近くに迫る。
 
 
 
 「ほら、見せてみろよ。本当の“お前”を」
 
 
 
 次の瞬間、ネクタイがぐっと引かれた。息が詰まるほどの距離。
偽の若井の唇が軽く触れる。
冷たさが電流のように走り、思考が凍りつく。
 
 
 
 「こっちへ来いよ。——若井滉斗」
 
 
 
 低く艶やかな囁きが耳を震わせる。
 
 
 
 「こっちで見つけられるさ、本当の自分を」
 
 
 
 若井の瞳が揺れた瞬間、鏡の表面が大きく波打った。
足元から冷たい闇が絡みつき、身体を奥へ奥へと引き込んでいく。
 
 
 
 「やめろ……俺は……!」
 
 
 
 声は空気に溶け、響かない。
 ——入れ替わるのは当たり前だろ?
そう言わんばかりに、偽の若井は現実の床に立っていた。
 鏡の中では、若井が必死に手を伸ばしていた。だがその声も姿も、誰の目にも届かない。
 
 
 
 「お前の居場所は、俺がもらう」
 
 
 
 ネクタイを整え、冷笑を浮かべる。
その笑みは、仲間を励ますものではなく、弱さを捕らえて離さない捕食者のそれだった。
 ——倉庫は静寂に包まれる。
だが確かに、鏡の奥からは若井の心を震わせる声が響き続けていた。
 
 
 
 
 
 
コメント
4件
ひろぱまで!?大森くん1人になってしまったー(T^T)大森くんはどうやって2人を助けるんだろう (´・ω・`)?
え゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙!? 嘘でしょォォォォォォォォォォォォォォォ!? ひろぱまで偽物になっちゃうなんて…!? じゃあ、これで本物はもっくん一人になってしまったってことですか!? もっくん…2人のこと、助けてくれるかな…?