テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
156
#ワンナイトラブ
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「頷き2号?」
突如伊藤さんの口から出た
属性ワードのカミングアウト
その興味深い響きに
好奇心が駆り立てられる
「はい、私あまり人の話聞いてないんで。大体笑顔で頷いてます」
「面倒くさいじゃないですか~変な遺恨に巻き込まれるの」
「否定も肯定もせず頷いてると目も付けられず無難なポジションでいられるんですよ」
「あ、水川先輩の話はちゃんと聞いてますよ!」
私は
深く共感できた
「すっごいわかる!」
頷き2号
その滑稽なネーミングに
私は思わず笑ってしまった
「でも伊藤さんはすごいなあ……」
「私も似たような所あるけど伊藤さんみたいに上手く立ち回れない」
手段が同じでも
結果は全く違う
人懐っこく好かれる伊藤さんと
見下され疎まれる私
「あ、水川さんもこっち側ですか。じゃあ頷き3号ですね」
「師匠がいまして、これいいな~って思って真似てます。彼女が1号ですね」
彼女の話は面白かった
くだらない事なのに
ただの職場の部署メンバーだった私達
いつしか私と伊藤さんとの間には
頷き同盟が生まれていた
***
多忙な業務に追われる日々
新たなポジション
増した責任
「期待してますよ——」
社長からの期待も
裏切るわけにはいかない
役職が付くと
以前とは異なる事も多々あった
事前承認が必要だった残業は
事後申告で済む
自己管理が求められ
自己判断で残業できる
とはいえ
担当の伊藤さんを無暗に残業させるわけにもいかない
結果
多忙で終わらぬ仕事は
私が抱える事になった
当初私は
この悪循環に陥った
特に社長へも直接報告する
市場分析レポートは
手を抜かず
綿密に情報を収集し
精密に分析し
定期的に更新情報を送った
***
——そんな或る日
その日は台風が直撃した
天候は大荒れ
交通機関も各所で欠便が相次いだ
どうしても終わらせねばならない仕事が
袋小路に迷い込み
どうしても終わらない
帰路の交通状況を懸念し
早期帰宅を促す社内アナウンスが流れる
私は一人そっちのけで
私は一人パソコンに向かっていた
夜も更け
オフィスには人もおらず
暴風雨が窓ガラスを叩き
落雷が薄暗いオフィスを照らす
終電が気になる時刻に差し掛かり
焦る気持ちと
妥協できない責任感
火事場の集中力で何とか仕事に区切りをつけ
終わらない仕事を諦め
退社の準備に取り掛かる
外は傘が役に立たない程の大荒れ
さしていても横殴りの暴風雨には意味をなさず
秒でめくれて壊れてしまった
私は傘を諦め
ずぶ濡れになりながら
一路駅を目指した
——運休
やっとの事で辿り着くも
電車は止まっており
復旧の見込みもたっていなかった
「……」
茫然と立ち尽くし
次の手段
タクシー乗り場に目を移す
そこは
人の波でごった返していた
停車するタクシーの数を
はるかに上回る長蛇の列
明け方まで並びそうな人の数
私は秒で諦め
残された選択肢に迫られる
近隣のホテルに泊まるか
どこかの施設で一夜を過ごすか
嵐の中
深夜の街を彷徨い
右往左往徘徊する私
結局
ホテルはどこも満室
ファミレスもカラオケも
席待ちの人で溢れていた
「……」
誰もかしこも
考える事は同じだった
私はこれ以上の足掻きを諦め
会社に戻る事にした
期日の迫った業務も未だ半ば
行く宛てが無いなら仕事をしよう
現状
それが最善で
それが現実的だと思った
今日は帰れそうにない
夫に一言連絡しようと通話を掛けるも
繋がる事なく不在着信
何度も通話を試みる余裕もない状況
私は一言メッセージを送った
ずぶ濡れになった体で
吹きすさぶ嵐の中を
元来た道を辿る
明日の服
浴びれないシャワー
化粧
様々な懸念を思い悩みながら
一度施錠したオフィスを
再び開錠する——
「……!?」
しかし
施錠したはずのオフィスは開いていた
——誰かいる
とはいえ
他の選択肢はない
私は恐る恐る会社に入り
自分の席へ向かった
最小限の電気をつけ
ずぶ濡れになった身の回りの世話をする
台風により電力が不安定なのか
時折消える電気
給湯室で服を絞り
給湯室のタオルで体を拭く
給湯室を出ると
廊下は真っ暗
時折落ちる落雷が
かろうじて通路を照らす
——と、
遠くに
ぼんやりと灯る明かりが見える
給湯室からデスクへの帰路
分岐点に差し掛かる
デスクへ戻るか
明かりの元を確かめるか
迷いなどあろうはずがない
明かりの灯る方へ行ったとて
知らない誰かがいるだけ
でも
岐路で一瞬立ち止まったのは
その方向に既知の部屋があったから
——もしかしたら
その一縷の勘ぐりが
その一縷の妄想が
私を明かりの方向へと突き動かした
ぼんやりとした明かりを追い
角を曲がる
輝度を増す明かり
響く足音を
極力消し
静かに
ひっそりと
歩を進める
そして
近づくにつれ確信する
明かりの元は
——社長室