桃side
桃「ただいま…」
明かりのついたリビングに顔を出したが、橙の気配はなかった。
明かりがついていたからてっきり起きているのかと思ったけど、どうやら違ったみたいだ。
テーブルの上には、栄養バランスの整った美味しそうな食事が丁寧に並べられていた。
1人分のみ並べられているところを見ると、橙は先に食べたらしい。
自分のために夜ご飯を作ってくれたという大きな喜びと共に、無理をさせてしまっているなとも思った。
橙だって仕事で忙しいだろうに。
入るよ、と小さく声をかけて寝室の扉を開けると驚いた。
橙はベッドに腕だけ投げ出していてシーツに顔を埋め、床に座った体勢のまま寝ていた。
その赤い頬を見て、もしかしてと思い上半身を持ち上げようと身体に触ると、異常なほどの熱が伝わってきた。
まさか熱があったとは。
言ってくれれば付きっきりで看病したのにと思ったが、それより橙の体調に気づけなかった自分が憎い。
そっとベッドの上に橙を寝かせ、必要なものを用意してまた寝室に戻る。
薬、飲ませないと。
ごめんと思いながら、名前を呼んで肩をゆする。
んん、と眠そうな声がして、うっすらと瞼が開く。
橙「……桃、ちゃ…?」
桃「橙ただいま。起こしてごめんな。お前こんなに身体熱くて、熱あるだろ?」
そう言って体温計を渡す。
橙「ん……あ、ごめん…。いつの間にか寝てた、、まだ片付け終わってないのに…」
なんてことを言いながら勢いよく起き上がろうとしたので、それを両手で阻止してベッドに押し戻す。
桃「全然いいから。ご飯作ってくれてありがとう。お風呂も沸かしてくれてありがとう。でも、熱がある時は無理しないで欲しい」
きょとんとした顔をされる。
橙「無理してないよ、やるべきことだから」
当たり前のように、そう返された。
桃「俺は、橙に体調悪い時は休んで欲しい」
橙「…? 体調悪くないよ、げんきげんき」
こんなに熱いのに、何言ってんだ。
桃「熱あるの気づいてないのか?」
橙「このくらい大したことない」
即答され、呆気にとられる。
大したことない?38度は確実にあるだろうに。
桃「いいから、熱測れ」
そう言って体温計を握らせる。
しばらくしてピピピッと音が鳴った。
桃「見せてみ?」
39.6度なんて、見たことないレベルだ。
何が大したことない、だ。
料理どころか、立っていられないレベルだろうに。
桃「39度超えてるぞ。解熱剤飲むか?」
橙「ううん、大丈夫。薬もったいないし、ホントに大したことないから」
何故かにこりと笑いかけられる。
なんでお前に使う薬がもったいないんだ。
桃「辛い時は無理して笑わなくていい」
そっと頬に触れて、優しく撫でる。お揃いの石鹸の匂いがした。
橙「ん、別に辛くないってば」
真っ赤な顔でそう笑いながら、俺の手を自分の頬にすりつけていた。
愛おしくてたまらなくなって、困る。
桃「解熱剤飲みたくないのか? ていうかその前にご飯食べた?」
橙「…あの解熱剤、のめない」
桃「なんで…?」
橙「…体質的にあわない」
なるほど。でもそれじゃあ、橙は苦しいままだ。
俺が変わってやれればいいのに。
桃「そっか、わかった。じゃあとりあえず服だけ着替えよ。めっちゃ汗かいてるし」
橙「んー、自分でできるよ」
桃「いいから、ほら」
なかなか譲ってくれない。意外と頑固だからなぁ。
橙「自分で着替えるから、桃ちゃんはご飯食べてて」
橙「恥ずかしいからやだ、絶対やだ」
なんでこんなに頑なに拒むのかは謎だが、こうなったら俺が引き下がるしかない。
桃「わかったよ、もぉ」
駄々をこねる姿が可愛くて、口元が緩む。
こんな風に思えるのは、一生をかけても橙に対してだけだと確信できる。
橙side
ゆめをみていた。
桃ちゃんに捨てられるゆめだ。
要らないと言われるゆめだ。
小さくなっていく桃ちゃんの背中に手を伸ばしても、届かない。
遠いところに行ってしまった。
また、失敗してしまった。
また、捨てられてしまった。
最初からゴミとして生まれればよかった。
桃ちゃんと同じ価値のある命だなんて思ったことは1度もないけど、それでもゴミとして生まれれば苦しまずにタヒねたのに。
捨てるなら最初から拾うなよって理不尽に叫びたくて、でも声が出なかった。
タヒのうと思った。
次第に自分のカタチが分からなくなって、深くて暗い闇の底に溺れて沈んでいった。
ハッとして飛び起きる。
おでこに貼られた冷えピタがずり落ちた。
なんだゆめか。
ゆめ、だよな。
ゆめであってくれ。
そう思って寝室を見渡したけど、誰もいなかった。
桃ちゃんがいない。
どこ…?
どこに行ったの…?
急いでベッドから飛び起きて、リビングに向かう。
リビングにも桃ちゃんはいなかった。
よく一緒に朝食を食べていたリビングは、桃ちゃんがいないだけでこんなに殺伐とした部屋になるのか。
ぐらっ、と身体が後ろに傾くのを感じて即座に手をつく。
ゴキっと手首が痛む音がして、床に尻もちをついた。
回る視界に抗えなくて、ぎゅっと目をつむる。目をつぶっていても震える視界に、相当ひどい貧血だと悟った。
桃ちゃん、どこにいるの。
かえってきて。
もどってきて。
すてないで。
座っている姿勢さえ保てなくて、今度は前に傾いた。
床に這いつくばるような形になって、なんとか呼吸を整える。
ひゅっ、ひゅっ、とふすま風のような音が自分の胸あたりから聞こえる。
くるしい。
必死に戸棚の薬瓶を手に取ったとき、ふっと一瞬意識が飛びかけた。
かろうじて頭を打たずに済んだけど、体を床に強く打ちつけた。
鈍い痛みに襲われて、握っていた薬瓶を離してしまった。
するどい音が響き、床に薬とガラスの破片が散らばる。
桃ちゃんに、あいたい。
そのためならタヒんだっていい。
腕を必死に伸ばして薬をたぐり寄せる。
3錠飲まなきゃいけないのに、1錠しか見つからない。
身体に力を入れて、もう少し、もう少し、と遠くに手を伸ばす。
なんとか掴んだ錠剤を、水もなしに一気に飲み込んだ。
薬瓶の小さな破片で傷ついた腕から血が出ていた。
きたない。
みにくい。
見るのも嫌になって、掻きむしる。
じーんとした痛みがまだ、俺を生かしていた。
タヒねばいいのに、こんな身体。
立ち上がろうとしても身体に力が入らない。指1本すら動かない。
こんなお荷物だから、すてられるんだ。
大嫌いな身体に無性に腹が立って、うつ伏せのまま無理やり立ち上がろうとした。
力が入りきらなかった腕がすべって、今度は顎を打ちつける。
また破片が腕を掠めた。
もう痛みすら感じない。
だれか、ころして。
遠のいていく意識に身を任せて、沈んでいった。
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