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「……んー! やっと着いたなぁ」
「そうだな」
午前の早い便で家族の見送りを受けながら新婚旅行先へと旅立った二人だったが、乗り継ぎをし、やっと辿り着いた空港の到着ロビーを見回し、ベンチを発見してすぐさまウーヴェを案内すると、待ち合わせの場所に向かう前に荷物を載せるカートを取ってくるとリオンが疲れた肩をぐるりと回したあと、ウーヴェの頬にキスを残してカート置き場へと向かう。
その背中を見送り、やっとここまで来ることが出来たと溜息を吐いたウーヴェは、新婚旅行にここを選ぶまでの家族を巻き込んだ大騒動を振り返るだけで疲労感が増しそうだったが、出迎えてくれた亜熱帯地方の空気にその気持ちが薄らいでいく事に気付く。
新婚旅行の条件としてウーヴェは自然を感じるのは良いが体感することは不可能だと伝え、リオンがプライベートビーチのあるところが良いという大雑把な条件を出していた。
二人の条件が合致する場所を結婚式の準備の合間に探してはいたが、二人でのんびりとビーチで過ごしたいというリオンの切実な希望を叶えたかったが、ウーヴェの背中や足の傷がまだ痛みを覚えることから海に入る事は避けた方が良いと主治医であるカスパルに言われ、盛大にリオンを落ち込ませてもいた。
その顔を見せないようにはしていたがリオンの本心を読み取る術に長けたウーヴェがそれに気付き、二人の希望を何とか叶えられる場所はないものか父や母に相談しようと持ちかけ、結婚式とその後のパーティの段取りの話をするついでに両親に今回の旅行の相談をしたのだ。
リオンが望むプライベートビーチは無理だが部屋付きのプールがあるホテルならばいくつも思い当たる場所があると教えられ、それならば背中の傷もリオン以外には見られることがないと隣で話を聞いている顔を見ると、それが最大限の譲歩だと理解している顔でウーヴェの提案を受け入れてくれたのだ。
その提案の中にこれから向かうホテルがあったのだが、当初そのホテルにウーヴェが予約を入れようとしたが、あいにく希望の日付は全て埋まっておりますとの返事があって二人揃って肩を落とし、後日ウーヴェの家に遊びに来ていたイングリッドがまあと驚いた後、ブルーノと共に長年バルツァーの家を取り仕切ってくれている執事を電話で呼び出して一言二言伝えた後、三十分もしないうちに折り返し連絡があり、万事整いましたと教えられたのだ。
事情が全く掴めずにぽかんとする息子に優雅な笑みを浮かべてホテルが取れたと二人の落ちた肩を上げる言葉をさらりと告げた母は、驚く息子達の顔がさも楽しいと言いたげに手を口元に宛がって笑う。
『これで思いっきりウーヴェと一緒にプールで泳げるわね』
『……ダンケムッティ、大好きっ!』
イングリッドの言葉にいち早く反応したリオンがイングリッドに抱きつくように腕を回し、ウーヴェもただ呆然と二人を見てしまうのだが、結論を言えば、毎年そのホテルを利用しているレオポルドとイングリッドの息子が宿泊したい旨をホテルに伝えた結果、いつも利用する部屋に空きが出来たと言う事だった。
父と母が長年培ってきた力を改めて思い知らされたウーヴェは、以前ならば家名をかさに着たようなそれを頑なに拒否していただろうが、家族観の溝も解消されただけではなく伴侶となったリオンのことを思えば使えるものは使ってしまおうという気持ちにもなっていた。
それをリオンが見抜いている事にも気付いていたがあえて二人とも何も言わず、この幸運を享受できる事だけは最大限に感謝をし、その幸運を与えてくれた両親に感謝の思いから頭を下げたのだった。
そんな経緯があっての新婚旅行先に到着したウーヴェは、到着したら連絡をくれと言われていたことを思い出し、ホテルに着いたら連絡をしようとするが、カートを押しつつリオンがスマホを耳に当てている姿に気付いて目を丸くする。
手短に通話を終えたリオンがウーヴェの視線に気付いて肩を竦め、到着したのならすぐに電話をしろと言っていただろうと愚痴を言われたと苦笑し、二人分の荷物を詰めたスーツケースをカートに載せるが、誰からの電話だったと問われ、一瞬考え込むように空港の高い天井を見上げるが兄貴と答えてウーヴェを絶句させる。
「……ノル?」
「うん、そう。チケットを買ってくれるときの条件だっただろ?」
「……」
今回、ウーヴェ達が暮らす街から最も近い空港から旅行先に飛行機で向かったのだが、そのチケットを購入するときにも一騒動あったことを思い出し、うん、そうだったなと力なくウーヴェが返事をする。
新婚旅行のホテルを予約するときの経緯を出張から帰ってきて土産を持ってきたギュンター・ノルベルトに掻い摘まんで説明をしたのだが、両親が抜け駆けしたと舌打ちをした兄が行動を起こした結果、翌日、ゲートルートでランチを食べているときに兄から届いたメールを見て絶句してしまうことになった。
そのメールには、新婚旅行の飛行機のチケットはこちらで手配を済ませたこと、日程等の詳細については連絡先を書いたのでそちらに連絡するようにと書かれていて、お前達の旅行の役に立てて良かったとも書かれていた。
そして連絡先にコンタクトを取り、仮予約されているチケットが往復ファーストクラスのものだと知って最早何も言えなかった二人は、後日ギュンター・ノルベルトがベルリンで首相と一緒に夕食を食べてきたという土産話を口実に家に来たとき、本当にありがとうと両親への感謝の思いと同等のそれを伝えるが、これ以上はもう大丈夫だからと釘を刺すことも忘れないのだった。
その結果がここに到着するまでの間の快適すぎるフライトだったことを思い返し、父と母にも電話をした方が良いのかと悩むが、そちらについてはホテルからすれば良いとリオンが苦笑し、そうしようと頷いてウーヴェが一つ伸びをする。
「疲れたか?」
「少し。ホテルで少しゆっくりしたいな」
時間もいつもの夕食より早い為に少しゆっくりしたいと肩を竦めたウーヴェは、こちらに向かって歩いてくるサマースーツ姿の男性に気付いて小首を傾げる。
「ウーヴェ・バルツァー様でいらっしゃいますか?」
「そうですが……?」
「お迎えに上がりました。お父様、お母様には当ホテルをいつもご利用いただき、感謝いたしております」
丁重な礼と言葉でウーヴェに何者かを名乗った男はリオンの強い視線にも気付いて頷き、スーツのポケットから身分証明書とホテル名の入った従業員カードを提示するが、そこに書かれた肩書きに二人が顔を見合わせる。
「ご予約の際に不手際があり、申し訳ありませんでした」
従業員への教育が行き届いておりませんでしたと詫びられて頷いたウーヴェは、リオンの手を借りつつ立ち上がるとステッキをついて背筋を伸ばす。
「お世話になります。十日間、よろしくお願いします」
ステッキを握る手とは逆の手を差し出してよろしくと笑みを浮かべると、恐れ多いと言いながらもしっかりと握り返す男に頷いたウーヴェは、荷物がある事を伝えると当たり前のようにその荷物が載ったカートを男が押して車に案内すると伝える。
空港で働く職員や男を知る者達なのか、カートを押す姿に驚きを隠さないで彼を見つめてしまうが、その視線を黙殺しつつウーヴェの歩く速さに二人が合わせてゆっくりと車に向かうと、リオンが頭の後ろで手を組みながらのんびりと声を掛ける。
「まだ空港しか知りませんが、良いところですね、この島」
「ありがとうございます。十日間ごゆっくりとおくつろぎ下さい」
「ありがとう」
リオンにしては丁寧な口調で話す事にウーヴェが内心感心し何事か思うことがあるのだろうとも思案するが、案内された車に乗り込みホテルに到着するまでの間、リオンは運転の邪魔にならないように気を配りつつこの島の観光名所などを聞き、男も一つ一つ丁寧に答えていた。
空港から小一時間走った頃、レンガを積み重ねた門を潜った事に気付いたウーヴェが周囲を見回すと、注意しなければ分からない程控え目にホテルの名前が書かれたプレートが等間隔に立っていて、既にホテルの敷地内に入ったことを教えてくれていた。
それを読み取ったウーヴェにリオンが同じく窓の外を見ているが綺麗な海岸があると感動の声を上げると、夕日が水平線に沈む時は見頃ですと教えられて大きく頷き、また後でお薦めの名所を教えて下さいとリオンが返す。
「────ようこそ、グラン・カナリアのパライーソ・アスールへ」
運転席から少し誇らしげな声が聞こえ、二人がほぼ同時にフロントガラス越しの前方に広がる亜熱帯の木々と見え隠れする建物の屋根やリゾートホテルらしき建物に、ここに来るまでの諸々の騒動が引き起こした疲労感が一瞬で吹き飛んでしまう。
「オーヴェ、パライーソって天国って意味だっけ?」
「そうですね。ホテル名は青の楽園というような意味です」
その楽園にご逗留いただける間はどうぞ現世の諸々の事は忘れて下さいと笑われ、ホテルのエントランスに到着した車が静かに停まると、スタッフが数名落ち着いた足取りでやって来て礼でもって二人を出迎えてくれる。
「ようこそ、バルツァー様、ケーニヒ様」
お待ちいたしておりましたと丁重な礼を受けて頷いたウーヴェは、荷物を下ろそうとしたリオンに合図を送ってスタッフに荷物を任せると、ステッキをついてリオンと肩を並べてフロントに向かう。
「すげーホテルだよなぁ。さすがは親父やムッティが贔屓するホテルだけはあるよな」
「そうだな」
ウーヴェの耳にひそひそと囁くリオンに笑みを浮かべて大きく頷いたウーヴェは、後を追うようにやって来た男を振り返り、支配人に運転手役をさせてしまって申し訳ない、快適なドライブだったと男の肩書き相応の礼をすると、軽く驚かれた後に丁重な礼をされる。
「いいえ、お二人をホテルにお招きできて光栄です」
「ありがとう────迎えに来ていただけただけで両親は満足すると思います」
ですので、これ以降は父や母のような扱いでは無く他の客と同じように扱って下さいと、バルツァーの家名がもたらす特別扱いに胡座を掻くつもりがない事を手招きした男の耳にだけ聞こえるように囁くと、男の目が限界まで見開かれる。
「本当にありがとう。もし良ければ明日以降の移動手段について色々相談に乗ってもらえると嬉しい」
ウーヴェの申し出に男がもちろんですと頷くと、ウーヴェの肩に顎を乗せて顔を突き出してくるリオンにも同じように笑顔で頷き、ファウストと呼んで下さいと支配人の肩書きを持つ男が伝え、リオンが口笛を吹いてウーヴェが微苦笑を浮かべる。
「俺の友達に赤毛でカインってのがいるけどさ、ファウストがパライーソか」
何だか皮肉が効いていて良いなと笑うリオンの耳を軽く引っ張ったウーヴェは、失礼しましたと目を伏せるが、一度お食事をご一緒したいと男-ファウストに誘われて二人が同時に喜んでと頷き、二人のために用意された部屋へと案内してくれるスタッフの後についていくのだった。
二人が案内されたのは、フロントからおそらく最も遠く、他の宿泊客ともほとんど顔を合わせることの無い一画で、ステッキをつきながら歩くウーヴェが少しだけ疲労感を覚えるほどの遠さだった。
亜熱帯特有の植物が左右に植えられた園路を通り、こちらですと示されたのはホテルの一室というよりはコテージやヴィラを連想させる平屋の建物で、控え目に記されたプレートが辛うじてホテルの一室だと教えてくれていた。
開けられたドアを潜ると大理石のポーチがあり、フロント等に連絡するための電話が瀟洒な台に乗せられていたが、玄関からすぐの向かって右側の壁にクローゼットがあり貴重品入れも兼ねている為、そのドア自体が暗証番号でロックできる仕組みになっていて、案内されたリオンが何とも言えない顔でその説明を聞いていた。
廊下を通り抜けるとそこはリビングを連想させる部屋だったが、その部屋の向こうに広がる眺望にさすがに感動したのか、二人顔を見合わせた後はすごいの一言しか発することが出来ないでいた。
「こちらが、今日よりご逗留いただく部屋となっております」
部屋数は三部屋と少ないが調度品や見える景色に力を注いでいるために世界中の方々より好評をいただいておりますと、ほんの少しの自慢を滲ませた声でスタッフが部屋の案内をすると、ウーヴェが本当に素晴らしいと心からの感動を口にする。
「こちらがリビング、右手側のお部屋がメインのベッドルームですが、左手側のお部屋にもベッドがございます」
ベッドルームだと教えられた部屋にはキングサイズのベッドが一つあったが、ベッド以外の調度品もホテル名を体現しているようにか、部屋は木目と青系統の小物などで揃えられていた。
ベッドルームの端にガラス張りのバスルームがあるが、その中は白と青のタイルでアラベスクのような模様が描き出され、二人がゆったりと入れそうなバスタブがあり、その手前に洗面台とシャワーブースがあった。
「お庭に出られまして階段を降りていただきますとプールがありますので、どうぞご利用下さい」
その声にリオンがウーヴェの頬にキスをした後、リビングとベッドルームの大きな窓が開け放たれているためにまるで亜熱帯の庭が絵画のように見えるそこにリオンが突撃していき、バルコニーの木の柵に手を掛けて身を乗り出すと、視界左側にプールが見え、真下には大小様々な木々に囲まれた芝生の庭と日よけの付いた籐のラウンドチェがあり、青い空と同じく青い海を緑に囲まれながら見ることが出来るようになっていた。
「何かご用がございましたら、専用の電話をご用意しております」
玄関ロビーもだが、各部屋の壁や人が良く通る場所に設置されている電話がここの専属スタッフ直通のものだと教えられて頷いたウーヴェは、ルームサービスを頼みたいのでメニュー等があればお願いしたいと伝え、後は自分たちでとの思いを伝えるように頷くと、スタッフの女性が丁重な礼を残して部屋を出て行く。
途端静かになったリビングのソファに腰を下ろして疲れたとウーヴェが苦笑し、その肩を揉むようにリオンが背後に回って頭のてっぺんにキスをする。
「お疲れ、オーヴェ」
「うん。お前も疲れただろ?」
何しろ二人分の荷物が入ったスーツケースやバッグをずっと持っていたのだからと、ここに来るまでの重労働を一手に引き受けてくれたリオンを振り仰いで唇に小さな音を立ててキスをすると、途端に嬉しそうな角度に唇の両端が持ち上がる。
「すげー良いホテルだよな」
「そうだな」
バルツァーの名前を出すのはあまり好きではないが、それでも今回は父さん達に甘えて良かったと笑い、ソファの背もたれ越しにリオンがウーヴェを抱きしめる。
「ダンケ」
「どうした?」
「だってさ、俺のために嫌だって思うこともやってくれただろ?」
お前のそのガマンが今のこの幸運に繋がっているんだと笑い本当に感謝していると囁くと、ウーヴェが黙って背後に手を伸ばしてリオンの短くなったがそれでも手触りの良い髪を撫でる。
「ルームサービス、どんなものがあるんだろうな」
「パエリア食いたい!」
「スペイン料理だからか?」
「そう!」
やはりその国の名物は食べてみたいと笑ってソファの背もたれを乗り越えたリオンがウーヴェの横に座るとそのまま抱き寄せ、クッションと肘置きに寄りかかって二人揃ってそろそろ日が沈みそうな空と水平線を見つめる。
波が崖に寄せては返す音だけが聞こえる静かな部屋の空気が心地よくて、ウーヴェはリオンにもたれかかり、リオンはそんなウーヴェをしっかりと支えながらただ黙って絵画のような世界を見つめてしまう。
こうして新婚旅行に来た二人だが、ここに来るまでの間にくぐり抜け乗り越えてきた数々の出来事が自然と脳裏に浮かび、顎の下で交差していた腕に力がこもったことに気付いたウーヴェが先ほどのように背後に手を伸ばして髪を撫でて後ろ頭にそっと手を添えて力を込めると、ウーヴェの望みを察したリオンが顔を寄せて逆さまの世界でキスをする。
今この時だけは、脳裏や腹の底で気を抜けば開け放たれてしまう過去への扉の存在を忘れたいとウーヴェが願い、ソファとリオンの身体の上で窮屈そうに寝返りを打つと、蒼い目を細めるリオンの胸に耳を宛がうように顔を寄せる。
救出された直後の病室でリオンがいなければ不安で仕方が無かったとき、こうして鼓動を聞いて落ち着きを覚えて眠りに落ちていた事を思い出すと今もまた当時の習慣が蘇る。
「オーヴェ?」
「……何……だ?」
「眠いのか?」
その様子にリオンも事件直後のことを思い出したようで、眠いのなら寝ても構わないが出来るならば食事をしてからにしようと囁きつつ大きな手でウーヴェの髪を撫でて傷を負った背中も撫でるため、安心感にウーヴェの意識が薄れそうになる。
「お前が……背中を撫でる、か……ら……」
更に眠くなってしまうと、明らかに睡魔に負けた声で囁いたウーヴェの口から小さな寝息が流れ出したことにリオンが気付き、仕方が無いなぁと満更でもない声で一人呟くが、小さくドアベルの音が聞こえたものの、たった今寝付いたウーヴェを起こすことなど出来ず、もう一度確認するように鳴らされるそれに応えることも出来ずにいたリオンは、水平線の下に帰ろうとする太陽の遊び疲れた赤い顔を完全に寝入ってしまったウーヴェの髪をゆっくりと撫でながら見つめ、濃紺の空と同化したような海、その上に広がる数多の星々が太陽に取って代わった世界で、波の音とウーヴェの寝息を聞きながら飽きることなく静かに見つめ続けるのだった。