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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
家に着くなり始まったのは、男女の情事ではなく――。
「久々に食うピザうっま」
出前で届いたピザを食べることだった。
確かに、溢れんばかりのチーズが乗ったピザは文句なしに美味しいが、おまけに、酒ではなくコーラを合わせるという健全すぎるチョイスのせいで、今この部屋で何が起きているのかいよいよ分からなくなる。
私はコーラを喉に流し込みながら、器用にチーズを伸ばして頬張る男を眺めた。こいつは、人の家にピザを食べに来ただけなのか。
大学生の宅飲みみたいなちょっとした贅沢パーティー状態に、思考が追いつかない。
「え、あんた何しに来たの」
「玲に告られたんだって? 昨日」
雅の口から出た名前に、思わず頭を抱えたくなった。
わざわざ報告したんだ、玲くん。
彼が何を考えているのか、ますます分からない。どうして好きでもない私に告白なんてして、それをわざわざ雅に伝えたのか。
玲くんだって、今、雅と私の関係がどれほど面倒なことになっているか分かっていたはずなのに。
「昨日のは告白とかそんなんじゃないと思う」
実際、気になるとは言われても好きとは言われていないし、嘘は何もついていない。
そもそも、雅に真実を明かす義理なんてない。
なのに、言い訳じみた言葉が勝手にこぼれ落ちていた。
玲くんとの話がこじれると、決まって雅との関係もなぜかこじれて意味の分からない方向へ進む。それが、たまらなく面倒だった。
「付き合えんの? 玲と」
その問いへの答えは、間違いなくNOだ。
確かに彼は顔は良いし、優しい。一緒にいれば癒やされる、かなりの優良物件だとは思う。
だけど、今さら新しい誰かと一から関係を築き直すなんて、考えただけで億劫だった。
思わず苦笑が漏れる。
「いや、無理でしょ。お互いに」
「何で? 玲、女遊びもしないし優良物件じゃん」
「よく知らない男性と今から関係性を築いていくのは面倒くさい。そんな時間あれば買い物したり好きに過ごしたい」
私が即答すると、雅は少し笑っていた。
もし玲くんに欠片でも本気の好意が私に対してあるのなら、今の言い草はあまりに失礼だろうけれど、彼にそんな気はないと確信しているからこそ、本気で悩む必要もないと思っていた。
「俺とは?」
「は、何で。あんたも別に私の事好きじゃないでしょ」
笑って、そのまま聞き流す。
かつて交際していた期間があるから、お互いの手の内はなんとなく分かっている。無駄な言葉を重ねなくて済むのは、今の私にはすごく楽だった。
雅は私の体を求め、私は両親に嘘を吐き通すための共犯者として求めている。
今は利害が一致しているから、以前のように肌を重ねることに腹が立つこともなくなった。
もちろん、毎度こうして土足で踏み込まれるのは癪だけれど『時々だったら慰めてあげる』と、私が口にした言葉には、お互いの利害を一致するまでの間ならと、そんな意味があった。
「俺は戻りたいなって思うよ」
こちらが思考を巡らせている最中、奴はなんてことのない口調でそう言い、コーラを喉に流し込んだ。
(今、何か言った? この男)
あまりに軽いノリすぎて、言葉がすっとどこかに通り抜けていった。到底、本気になんてできるわけがない。
大学時代は、結構な軽いノリで交際したけれど、大人になった今も…?いやいや、冗談でしょ。
この男に対して頭を使うだけ無駄だと分かっているのに、私はまんまと振り回されている。
「あんた本当まともに告白できない男よね」
「ちゃんと告白してほしいの?」
「告白がまずそういうもんでしょ」
呆れて笑いが漏れる。
本当におかしくて仕方ない。ちゃんと告白してほしいのかなんて、どんな質問なのか。
形をなしていない言葉なんて、そもそも告白にすらなり得ない。
きっとこの男は、これまでずっと告白される側だったから、伝える側の上手いやり方なんて知らないのだろう。
そんな私の冷ややかな視線もどこか吹く風で、雅がわずかに距離を詰めてきた。
「じゃあ本気でドキドキしたら縒り戻してよ」
「何その提案」
「頑なに拒むから。俺は恋愛対象にはいらないって証明してくれたら、諦めてもいいよ」
今さら、こんな男にときめくわけがない。
私は、その提案に乗ることにした。
これで諦めてくれるなら、こちらとしても好都合だから。
「……仕方ないな。約束守ってよね」
「そっちがな」
ゲーム感覚でこんな賭けを持ち出してくるような男に、落ちるはずがない。誰とでもキスをして、誰とでも寝るような男なんて、絶対に好きにならない。
その確信があったから、私はその手を取ったはずだったのだけど、この決断を、数分後には後悔することになるとも、この時の私はまだ知らない。
雅が隣に座り直したかと思うと、大きな両手が私の頬を包み込んだ。そのまま、鼻先が触れそうな距離まで顔を近づけられる。
至近距離で見る整った造形に、毒気を抜かれて思わずうっとりしてしまう。
「好きだよ、ずっと」
「ずっとっていつから?」
余裕を見せるために、あえて挑発的な聞き返し方をした。雅はそんな私の態度に、ふっと目を細める。
「サークルの勧誘で出会った瞬間から。いや、てか今のが好き」
冗談めかした口調から一転、不意に真剣な瞳で見つめられ、心臓が跳ねた。
ときめかないと宣言した直後だというのに、胸が高鳴っている自分がいる。
これは全部この顔のせいだと、そう自分に言い訳をして、咳ばらいをすることで平静を保とうとした。
ここで強気に出なければ、一気に押されて流されそうな気がする。既に押されながらも「なんで?」とさらに問いを重ねた。
雅はこの駆け引きを楽しんでいるのか、楽しげに口角を上げる。奴が話すたびに、吐息が唇をかすめてくすぐったい。
「簡単に落ちないから落とそうって思ってたのに、一緒にいるうちにまた俺のが好きになっちゃったのかも」
本音かどうかなんて、判別がつかない。
だけど、至近距離で何度も”好き”と繰り返される破壊力は凄まじい。
追い詰められているのを感じながら、どう反応するのが最適解なのかもわからず、奴の服のシャツをぎゅっと掴んで、奴の視線から逃れるように目を閉じる。
「ああ、普段強気なのにそうやって照れる所とか可愛い」
「も、もう良いから離して」
可愛いとか好きとか、この男の言葉には何の意味もない。だから絶対にときめくな、と張っていたはずの意地は、もう限界だった。
「ドキドキしてね?」
楽しそうに笑っている雅の顔を、うまく直視できない。
悔しいけれど、付き合っていた頃に毎度こうしてときめかされていたことを思い出さずにはいられなかった。
「好きだよ、夏帆」
追い打ちをかけるように、熱を帯びた声が耳元で聞こえてくる。
それと同時に、雅の大きな掌が私の両耳を塞いだ。周囲の音が消えた代わりに、深く重ねられた唇から漏れる水音が、逃げ場のない頭の中で直接響き渡る。耳を塞がれているせいで、自分の吐息すらひどく艶めかしく聞こえて、頭がおかしくなりそうだった。
こんなに鼓動が激しくなるのはこのキスのせい。告白に揺れたわけじゃない。
そう必死に言い訳を並べて、私はこの快楽に身を任せる。
またあの日のように離れてしまうなら、いっそ最初から手に入らないほうがいい。焦がれるほど好きになってから失う怖さを、私はもう十分に知っているから。
誰にも本気で恋なんてしない。そう固く決めていたはずなのに、この男の前では簡単に決意が揺らぎそうになる。自分の学習能力のなさに、心の底から嫌気がさした。
私の葛藤なんて露知らず、雅はかつてのように甘い言葉を吐き続ける。流されたくないと願うのに、口づけは一向に止んでくれない。
溶かされるような心地よさに考えることをやめていた。
ようやく唇が解放されたのも束の間、今度は首筋から鎖骨へと、なぞるような口付けが降りてくる。
このままでは、そのまま流されてしまう。その体を突き放そうとしたけれど、雅は逃がしてくれず、耳元で熱く甘い言葉を注ぎ込んでくる。
「ねぇ、戻ってきて。こんなに夏帆の事好きなの、俺しかいないよ」
「ちょっと! やりすぎ!」
「専業主夫とか、都合のいい関係とかそんな風に言うなよ。俺がいいって言って」
縋る様なその声に、私は目をぎゅっと瞑った。
まずい。これは、危険すぎる。
今、奴と目を合わせてしまったら、間違いなく取り返しのつかない方へと転がり落ちてしまう。
なんとか落ち着かせようと、必死に話題を逸らした。
「雅、酔ってんの? 飲んできた?」
「酔ってないし、飲んでない」
食い気味に返された答えに、逃げ場を失う。
もう付き合う気なんてないのに、余裕を失った彼にこうして攻め立てられると、固く閉ざしたはずの気持ちが簡単に絆されそうになる。
私はあの日、すべてが終わったと思っていた。
けれど、雅の中ではそうではなかったのかもしれない。
もしかしたら彼も、あの日別れたことを少しは後悔してくれていたのかもしれないと、そんな甘い勘違いが頭をよぎる。
だけど、すぐに思考を塗りつぶした。本当に後悔しているなら、他の女と遊んだりしないはずだから。
ずっとそう自分に言い聞かせてきたはずなのに、目の前の雅が取る行動の意味が、どうしても説明がつかない。
来る者は拒まず、去る者は追わない。
そんなあんたが、こんなふうに私に執着するわけがないのに。
「女遊び、始めた理由知りたいんでしょ?教えてやろうか」
今さらそんなことを言い始めた雅に対し、私は首を横に振った。
今、その理由を聞いてしまったら、二度と後戻りができないような気がしたから。
「もういいから! その話も、そこまで気になってないし」
「あんだけしつこく聞いてきてたのに?」
いつまで続くのだろうか、この攻防は。
とっくに心臓はうるさいほど鳴っていて、約束通りなら私は、彼と縒りを戻さなければいけない。
またその手を掴む勇気なんてないのに、雅はそんな事情なんてお構いなしという風に踏み込んでくる。
どうすればいいのか、正解が分からない。
「だったら普通に話して!こんなに近くで話さなくてもいいじゃない」
「…⋯夏帆、お前顔真っ赤」
覗き込むようにして笑う雅に、さらに顔が熱くなる。
本当、馬鹿みたいだ。こんなことでときめいて。
こんな感情はとっくにどこかへ捨ててきて、二度と拾うことはないと思っていた感情なのに。
「どうする? 約束では縒り戻すだったけど」
「無理無理、お断り。こんな流される感じで戻したくないし」
「お前がいいよつったんだろーが。約束守れよ」
「言って⋯…!」
ない、と続けようとしたけれど、間違いなく言った。
まさかこんな結果になるなんて思ってもみなかったから、完全に油断していた。
好きと認めるのはまだ抵抗があるけれど、さっきの数分間、私が雅にときめいたことは紛れもない事実だった。
「言ってないとか言う?」
「⋯…言ったわね」
「駄々こねてた割に清々しくてウケる」
そう言って笑う雅が、ふいに優しい眼差しを向けてくる。
それだけでまた、胸の奥が鳴るのを感じ、恥ずかしくなる。
何なの、こいつ。本気で私のことが好きなの?いやいや、冗談でしょ…と首を振って否定しても、この言動のすべてに好き以外の説明はつかなくて、どんどんと理解ができなくなる。
「待って、本当にでも今は恋愛どころじゃなくて。雅とも向き合える状態じゃないし、そもそも別れて五年も経っていれば好きかも分からないのよ」
「好きかどうかなんていいよ。俺が夏帆と付き合いたいだけ」
そう断言しながら、また耳元に柔らかな唇が触れる。
こいつは、このまま流して「うん」って言わせるつもりだ。その作戦にはもう乗らない。
私は必死に、彼の胸元を強めに押し返した。
「待って! ていうか、私が落ちないから面白がってるだけで好きとかそういうのないでしょ」
「好きだつってんだろボケ」
「ぼ、ボケって。好きな子に言う言葉じゃないでしょ」
ああ、なんで毎度こうなるのか。私たちは、いつだってこんなくだらない言い合いを始めてしまう。
嘘でしょ、嘘だって言って欲しい。本気だなんて認められたら、こっちまで本気で考えなきゃいけなくなってしまうから。
こんなことになるなら、あんな馬鹿げた賭けに乗るんじゃなかった。数分前の自分の頭をひっぱたいてやりたいほど、猛烈に後悔する。
それから雅を見ると、目が合うなり微笑みかけられて、慌てて目線を逸らす。
「俺が女遊び始めたのはお前と別れてずっと代わり探してた。結局代わりなんていなかったし、寂しさ埋めるために半分遊んでたけど」
「⋯…本当最低ね」
「その軽蔑の目やめろ」
私の代わりを探していた、なんて言われてキュンとする女性が、この世に一人でもいるのだろうか。
たとえその執着が私に向けられたものだとしても、不誠実な付き合いを繰り返してきたこの男を素敵だなんて思えるはずがない。
私が今ここにいるから他の女を断ち切ったのかもしれないけれど、それで嬉しいと喜べるほど、私はおめでたい頭もしていない。
一瞬、熱に浮かされてときめきはしたけれど、ふと冷静になれば「なぜあの頃、私はこの男と付き合ったんだろう」という後悔が押し寄せてくる。
暇つぶしの相手ならいいけれど、交際するとなれば話は別だ。
雅は私の顔を覗き込み、憎たらしい笑みを浮かべている。
そんな笑顔でも間違いなく顔は良いけれど、今の私には悪魔にしか見えない。
「何はともあれ、約束守れるよね?夏帆ちゃんは」
「⋯…その約束本当に有効にするつもり?」
「利用できるもんは何でも使うよ」
ここ数年、異性にときめくことなんて一度もなかったのに、よりによって、こんなクズで最低な男に当てられてしまうなんて。
嘘だと言って……、私……。
だけど、どうせ恋愛する気がないなら、付き合っても付き合わなくても一緒?
そんな、我ながら最低な思考が頭をよぎった。
別に、雅以外に遊ぶ相手を作る気なんてさらさらない。それなら、奴が飽きるまで彼女という名前くらい渡してもいいのでは。
あまりのしつこさに思考が溶けて、早く解放されたいという一心だったのもあり、そんな考えに至った。
ここで首を縦に振るほうが、後々厄介なことになるのは目に見えているけれど、いつまでも約束が何だとごちゃごちゃ言われるのも面倒だった。
その結果おそるおそる「⋯…今と変わらなくていいなら付き合う?」なんて、奴に問いかけ、相手は驚いた表情を一瞬見せたが、すぐに少し微笑み「ん、いーよ。それで」と言って頬に口付けをしてきた。
割り切った関係までと決めていたはずなのに、気付けば流されるまま、恋人という関係性に逆戻りしてしまった。
本当に私はこの男が恐ろしい。
「……無理、本当に縒り戻す気なんて無かったの」
「でもときめいちゃったんだもんな? じゃあ仕方ねぇじゃん」
「ムカつく、殴りたい」
「俺をどうにかするのにすぐ暴力って形取るのいい加減やめね?」
過去に好意を持っていた元恋人の力は何年経っても侮れない物だったらしい。
コメント
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みぅ🤍🥀です。読み終えたよ。 もうね、最初から最後までドキドキが止まらなかった……。ピザ食べてるのに「戻りたい」って言い出す雅、ずるすぎるよ。しかも「好きだよ、ずっと」って至近距離で言われたら、そりゃ心臓跳ねるって。夏帆の「ときめかない」って決めてるのに、気づけば押されてる感じ、すごく分かる。耳塞がれてのキスの描写、めちゃくちゃえっちでヤバかった……。 あと、雅の「約束守れよ」って言い方、クズだけど憎めないのがまた悔しい。ふたりの駆け引きが心地よくて、続きが気になりすぎる。