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オーバル子爵家のネメルナ嬢は、私からの提案を快く受け入れてくれた。
私は、話したいことがあるので訪ねたいと手紙を出したのである。その話の内容がなんなのかは、ネメルナ嬢も恐らくわかっているのだろう。
「本日は私の申し出に応じてくださりありがとうございます。感謝していますよ、ネメルナ嬢」
「いえ……」
ネメルナ嬢は、私のことを睨みつけてきていた。
アヴェルド殿下の婚約者である私のことが気に食わないのだろう。それは以前そう言っていた訳だし、間違いない。
正直な所、それは私からすれば理不尽極まりないことである。ただ、それは受け流しておく。私の目的のためには、まず彼女としっかりと話し合っておかなければならない。
「……回りくどいことを言っても仕方ないので本題に入ります。ネメルナ嬢は、アヴェルド殿下と関係を持っていますよね?」
「それは……」
「関係というのは、当然男女の関係のです。お友達なんてものでは、ありませんよね?」
「……ええ、そうですとも!」
私の質問に、ネメルナ嬢は椅子から勢いよく立ち上がった。
なんというか、かなり怒っている様子だ。まだ話は始まったばかりなのだが、既に冷静さは欠片も残っていないらしい。
「あなたなんかとは、年季が違うんです」
「年季?」
「私とアヴェルド殿下は、もう四年もお付き合いしているのです。私は彼とずっと愛し合っていたのですよ? それをいきなり出て来たあなたに、どうして奪われなければならないのですか!」
そんなことは知ったことではない。そう言いそうになりながらも、私は我慢した。
別に私は、ネメルナ嬢と喧嘩をしに来たという訳でもない。相手の神経を荒立てるようなことは、避けるべきだ。
とはいえ、今の彼女は取りつく隙がない。その怒りを鎮めて話を聞いてもらうためには、どうすれば良いだろうか。そう考えて、私はある案を思いつく。
「……そうですよね」
「……え?」
「ネメルナ嬢……申し訳、ありません」
「は、はい?」
私は、涙を浮かべながらネメルナ嬢に対して頭を下げた。
その行動に、彼女は呆気に取られているようだ。突発的に思いついたことではあるが、案外上手くいったらしい。
泣ける術を身に着けておいて良かった。こういう時に、これは結構役に立つ。
「すみません。ですが、ネメルナ嬢には本当に申し訳ないと思っているんです。知りませんでした。まさかお二人が、そんな風に愛し合う関係にあったなんて……」
「え、えっと……」
「実は私、今日はそのことについて話したかったのです。聞いていただけますか?」
「え、ええ……」
突然の涙と謝罪に、ネメルナ嬢はかなり面食らっているようだった。既に怒りは、どこかにいってしまったらしい。
これでなんとか、話を聞いてもらえそうだ。それに私は、とりあえず安心するのだった。
「ネメルナ嬢は、アヴェルド殿下とお付き合いしているのですよね? それは、他の誰にも伝えていないということでよろしいのでしょうか?」
「ええ、そうですけれど」
「明かすことができない理由は……やはり地位でしょうか?」
「……まあ」
ネメルナ嬢は、私に対する警戒を少し解いているようだった。
突然の涙と謝罪は、彼女の心を解す効果があったということだろう。アヴェルド殿下を奪った敵という認識は、既に薄れていると考えても良さそうだ。
話が早いため、それはこちらとしてはとても助かる。彼女が余計なことを考える前に、畳みかけておくことにしよう。
「お辛いことですよね。地位の差というものは……」
「……あなたなんかに、そのようなことを言われたくはありません」
「いいえ、私もわからない訳ではありません。どちらかというと、アヴェルド殿下側の気持ちということになるでしょうか。覚えがあります」
「それは……」
当然のことながら、私は自分より下の地位の人と恋愛的な関係にあったなどということはない。それ所か生まれてからこれまで、恋などしたことがないくらいだ。
ただ、ネメルナ嬢には適当に話を合わせておく方がいいと思った。事実として、彼女は私に対して少し同情的な目を向けている。効果はあったということだろう。
「だからこそ、アヴェルド殿下やネメルナ嬢には私達のようになって欲しくないと思っているのです」
「え? それって……」
「お二人のために、身を引くという言い方は、少々上から目線過ぎるかもしれませんね。ですが、私は私個人の判断として、アヴェルド殿下との婚約を破棄したいと考えています」
私の言葉に、ネメルナ嬢はその目を丸めていた。
こんなことを言われるなんて、考えてもいなかったようだ。かなり動揺しているのが、その表情から見て取れる。
とりあえず私は、ネメルナ嬢の言葉を待つことにする。彼女にはきちんと、話を聞いてもらわなければならないからだ。
「こ、婚約破棄なんて、正気ですか?」
「ええ、正気ですよ。私は本気でそう言っています」
「王族……それも王太子との婚約を破棄するなんて、あなたはそれで良いというのですか?」
「良いと思っているからこそ、そう言っているのではありませんか。逆に考えてみてください。冗談でこのようなことを言うと思いますか。あなたの元をわざわざ訪ねて、それで私に何のメリットがあるというのでしょう?」
ネメルナ嬢は、顎に手を当てて考え始めていた。
当然、私の言葉を吟味しているのだろう。
ここであり得ないと思われてしまったら、今回の計画は破綻することになる。そういうことならそういうことでも構わないのだが、できればネメルナ嬢には信じてもらいたい所だ。
「……何か私に、要求があるのではありませんか?」
「え?」
「アヴェルド殿下と婚約破棄するなんて、あなたにはまったく持ってメリットがないではありませんか。何か私やオーバル子爵家に対して要求があると思うのが、普通です」
少し思案した後、ネメルナ嬢は私に質問をしてきた。
彼女は意外にも用心深いタイプであるようだ。私のことをまだ信用してはいないようだ。
ただ、彼女の視線からは期待のようなものが感じられる。やはりアヴェルド殿下と結ばれることは、彼女の悲願なのだろう。
「メリットやデメリットという観点から言えば、確かに私にはメリットは存在しませんね。しかし、お二人のことは私にとってそれを度外視してでも、叶えたいことです」
「リルティア嬢は、ご実家であるエリトン侯爵家のことを考えていないのですか?」
「もちろん、その辺りについても考えていますよ」
ネメルナ嬢は、色々とごちゃごちゃうるさい人だった。
何も考えず、さっさと私の提案を受け入れてもらいたいのだが、流石にそういう訳にはいかないようだ。
そもそも王子と平気で浮気するような人が、何故上から目線で私に言葉をかけているのだろうか。まさかその行動が、王妃になれる可能性があるから、家のためになるとでも思っているということだろうか。
「もちろん、私が王妃になることはエリトン侯爵家の利益になります。ただ、今回の件で私はアヴェルド殿下に恩を売ることができますよね?」
「恩……」
「愛し合っているネメルナ嬢と結ばれるように、私は動くのです。感謝されるのは当然のことではありませんか?」
「それは……」
「それに、王妃になることだけが王族との繋がりではありません。幸いにも、アヴェルド殿下以外の王族の婚約は決まっていません。その辺りをアヴェルド殿下に取り計らってもらうことにしますよ」
私は、適当にそれらしい理由を作った。
段々とそれが面倒になってきたので、これで受け入れられなかったら、もうこの作戦は諦めることにしよう。
そう思っていた私は、目の前のネメルナ嬢が笑っていることに気付いた。それは少々邪悪な笑みではあるが、喜んでいるように見える。
「どうやら私は、リルティア嬢のことを勘違いしていたようですね……」
「……わかっていただけましたか?」
「ええ、リルティア嬢がそう思っているというなら、遠慮なくアヴェルド殿下と結ばれたいと思います」
ネメルナ嬢の言葉に、私は安心した。
これでとりあえず、私の任務は完了したといえる。後は来たる日に備えて、ゆっくりと休息を取ることにしよう。