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#ローファンタジー
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0◆プロローグ◆
その日、俺の「眼」は壊れた。
キィィン、と耳の奥で金属が擦れるような鋭い音が響いた、
その瞬間のことだ。
世界がノイズに覆われ、教室の景色が反転する。
机の上、教壇の上、そしてクラスメイトたちの顔の上に ――無機質な「数字」と「文字列」が浮かび上がっていた。
【Target: 2年4組担任 烏丸 剛志】
【DECEPTION(欺瞞): 92%】
「は?」
俺の乾いた呟きは、ホームルームの喧騒にかき消された。
幻覚か?いや、違う。
教壇に立つ担任教師・烏丸の笑顔の上に張り付いたその数値は、
彼が「生徒の自主性を尊重する」と口にするたびに、警告色のように赤く明滅している。
まるで、彼の笑顔の下にある「面倒くさい」
「早く帰ってビールが飲みたい」という醜い本音を、勝手に翻訳して脳に流し込んでくるかのように。
強烈な吐き気が込み上げる。 俺は額を押さえ、机に突っ伏した。
その時だった。 混乱する俺の視界の端で、誰かが動いた。
教室の隅、窓際の席。
そこに座る少女――白瀬ことり。
周囲が何事もなく授業を受けている中で、彼女だけが、パニックに陥っている俺の方をじっと見ていた。
その色素の薄い瞳は、まるで「何かに気づいている」かのように静かで
――そしてどこか、哀しげだった。
(なんだ?彼女の目は?)
俺の心臓が早鐘を打つ。
嘘つきの教師。意味不明な数値。
そしてこちらを凝視する幼馴染。
情報の洪水に、俺の脳処理は限界を迎えようとしていた。
――だが、この呪われた戴冠式に至るまでには、ほんの少しだけ助走の時間があった。
俺――音無 奏(おとなし そう)が、まだただの無力な観客だった頃に戻る。
数日前まで、俺は観客席から、ただクラスメートを観察・分析するだけの日々だった。
いわばクラスの3軍男子。いや5軍くらいか?
全ては文化祭の開催を告げる一枚の紙きれが教室に張り出された、
あの退屈な九月の朝から始まったのだ。
1◆観客席の景色◆
――学園リーグ。
それが、俺がこの世界を呼ぶ時の名前だ。
舞台は京都、私立 翠嵐鳳鳴学園。古都の伝統と学生街の活気が交差する地区に広大なキャンパスを構える、由緒正しき私立高校。
小学校から大学までエスカレーター式で進学できるこの場所は、関西一円から選ばれた富裕層の子弟が集う、巨大な「水槽」だ。
夏の浮かれた空気も終わりかけた九月中旬。
この私立 洛北祥雲学園2年4組の教室こそが俺の生きる世界の全てである。
ガララ、と引き戸が開く乾いた音がした。
俺が教室に入る。
喧騒のボリュームは、1デシベルも変わらない。
教室の前方で派手な色の髪を揺らす女子たちの嬌声も、後方でスマホゲームに興じる男子たちの罵声も、止まることはない。
誰の視線も俺を追わない。 朝の挨拶は、この教室では「強者」への忠誠を誓う儀式だ。
その他大勢である俺に、その儀式を受ける資格も、参加する資格もない。
俺は水が水に混じるように、音もなく気配もなく、自分の席へと向かう。
足音を殺し誰とも視線を合わせないよう、わずかに顎を引いて歩く。
窓際ではない。最後列でもない。教室のど真ん中。
前には自分より背の高いバスケ部男子の背中。
左右にはどうでもいい会話を続けるクラスメイトたち。
後ろからは、他の生徒たちの体温と息遣い。
死角だらけのこの場所こそが、俺の「観客席」だ。
誰からも注目されず、誰の記憶にも残らない。
世界の中心にありながら、世界のどこにも属さない、
完璧なまでの孤島。
俺はそこで静かに息を殺す. 机に着いても、鞄を置く音すら立てない。
スマホを取り出すこともなく、ただ教室の風景の一部として同化する。
それは長年かけて染み付いた、俺の生存のための処世術だった。
俺が席に着いたその直後だった。
再びドアが開く音がした。
ただそれだけの音で教室の空気が質量を変える。
騒いでいた男子生徒たちがピタリと口を閉ざし、鏡を見ていた女子生徒たちが一斉に媚びた角度に首を傾げた。
ヒールの音が、カツン、カツンと響く。
この教室の支配者――絶対女王の登場だ。
久条亜里沙(くじょうありさ)
流れるような黒髪、陶器のように白い肌。
京都でも有数の名家・久条家の令嬢であり、 カースト最上位グループ「Elysion(エリシオン)」の頂点に立つ少女。
「あ、亜里沙、おはよー!」
「久条さん、昨日のテレビ見た?」
いくつもの声が、供物のように彼女に捧げられる。 彼女が鈴の鳴るような声で微笑むだけで、教室中が安堵の吐息を漏らす。
見た目だけなら、文句のつけようがない。
もし神様が一度だけ、誰とでも付き合える権利をくれると言うなら、俺は多分、彼女を選ぶんだろう。
まあ、そんな「もしも」を考えるだけ無意味だが。俺にあるのは恋愛感情ではない。
完璧な工業製品を眺めるような、ただの即物的な評価だ。
ヒエラルキーの頂点に君臨する女王と、底辺でただ息を潜める俺。決して交わることのない、残酷で退屈な生態系。
俺は今日も気配を殺し、誰にも邪魔されないこの特等席から、歪んだ『教室リーグ』の観測を開始する。
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