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第69話「会社にかわいい妻がいる」
結婚して。
一か月。
月曜日。
午前八時四十八分。
大阪支社。
相沢は自分の席でメールを確認していた。
エレベーターが開く。
森野が入ってくる。
「おはようございます」
「おはようございます」
相沢も。
普通に返す。
森野は自分の席へ。
鞄を置く。
パソコンを開く。
山本が相沢を見る。
「相沢さん」
「はい」
「すごいですね」
「何が?」
「奥さんが出社してきても」
「はい」
「普通に、おはようございます、なんですね」
相沢。
「会社だから」
森野。
三席向こうから。
「当然です」
山本。
「家では?」
森野。
「山本さん」
「はい」
「月曜の朝から他人の家庭に興味を持たないでください」
「すみません」
午前九時。
朝会。
支社長。
「今月の重点案件だけど」
資料。
配る。
「相沢君」
「はい」
「森野さん」
「はい」
「また二人で担当して」
二人。
同時。
「分かりました」
山本。
小声。
「夫婦プロジェクト」
森野。
「聞こえてます」
午前十時。
会議室。
相沢。
森野。
二人。
企画。
検討。
森野。
「このキャッチコピー、弱いです」
相沢。
「そう?」
「誰に向けているか分かりません」
「じゃあこれは?」
「もっと弱いです」
「厳しいな」
「仕事です」
「家でも言う?」
「家なら」
森野。
少し。
考える。
「もう少し優しく言います」
「本当?」
「たぶん」
会議室。
ドア。
開く。
山本。
「失礼します」
資料。
取りに来る。
森野。
「どうぞ」
山本。
資料。
取る。
出ようとして。
振り返る。
「家では優しいんですね」
森野。
「そこだけ聞かないでください!」
昼。
社員食堂。
二人。
向かい。
森野。
魚定食。
相沢。
唐揚げ定食。
相沢。
「一個いる?」
「今日はいいです」
「珍しい」
「健康診断が近いので」
「一個くらい」
「相沢さんも減らしたほうがいいですよ」
「俺?」
「昨日、夜にアイス食べましたよね」
「半分だけ」
「その前にポテトチップス」
「少し」
隣。
大阪支社の社員。
二人を見る。
森野。
気づく。
「……」
社員。
「すみません」
「いえ」
「普通に夫婦ですね」
森野。
「夫婦ですから」
相沢。
笑う。
「慣れた?」
「何がです?」
「夫婦って言われるの」
森野。
少し。
考える。
「まだ少し」
「俺も」
午後。
東京本社とのオンライン会議。
画面。
部長。
田中。
藤堂。
大阪。
相沢。
森野。
田中。
画面に二人が映った瞬間。
『新婚夫婦!』
森野。
「田中さん」
『はい』
「会議です」
『分かってます』
部長。
『田中、黙れ』
『はい』
会議。
開始。
完全に。
仕事。
森野。
説明。
相沢。
補足。
東京側。
質問。
大阪側。
回答。
四十分。
終了。
部長。
『じゃあ今日はここまで』
「ありがとうございました」
森野。
切ろうとする。
田中。
『待って!』
森野。
「何です?」
『一個だけ』
「仕事ですか?」
『違います』
「では切ります」
『結婚生活どうですか!』
森野。
切断。
相沢。
「早い」
「仕事と関係ありません」
スマートフォン。
通知。
田中。
『ひどい』
森野。
返信。
『仕事してください』
午後六時。
終業。
相沢。
パソコン。
閉じる。
森野。
まだ。
仕事。
相沢。
「終わらない?」
「あと十五分です」
「待つよ」
「先に帰っていいですよ」
「夕飯どうする?」
「冷蔵庫に豚肉があります」
「生姜焼き?」
「昨日も肉です」
「じゃあ魚?」
「昼が魚でした」
相沢。
「難しい」
森野。
笑う。
「十五分待ってください」
「了解」
十五分後。
二人。
会社。
出る。
駅。
歩く。
森野。
「今日」
「何?」
「スーパー寄ります」
「はい」
「洗剤も」
「はい」
「あとトイレットペーパー」
「了解」
「牛乳」
「了解」
「卵」
「了解」
相沢。
「新婚感ないね」
森野。
「必要ですか?」
「いや」
「これが生活です」
スーパー。
買い物。
家。
夕食。
結局。
焼きそば。
食後。
相沢。
食器。
洗う。
森野。
洗濯物。
たたむ。
テレビ。
ニュース。
流れている。
森野。
「相沢さん」
「何?」
「明日」
「うん」
「私、少し遅くなります」
「会議?」
「取引先と打ち合わせです」
「夕飯どうする?」
「先に食べてください」
「待つよ」
「遅いですよ」
「何時?」
「八時くらい」
「じゃあ待つ」
森野。
洗濯物。
たたむ手。
止まる。
「何?」
「いえ」
「嬉しい?」
「少し」
「少し?」
森野。
「かなり」
翌日。
午後八時十五分。
森野。
帰宅。
玄関。
「ただいま」
キッチン。
相沢。
「おかえり」
「本当に待ってたんですか」
「言ったでしょ」
テーブル。
夕食。
二人分。
森野。
「ありがとうございます」
「腹減った」
「食べましょう」
二人。
向かい。
森野。
「今日」
「うん」
「取引先の人に」
「うん」
「結婚したんですねって言われました」
「指輪?」
「たぶん」
「何て答えた?」
「はいって」
「それだけ?」
「それだけです」
少し。
間。
森野。
「でも」
「うん」
「嬉しかったです」
相沢。
「結婚したこと?」
「はい」
「今さら?」
「今さらです」
土曜日。
朝。
二人。
ベランダ。
洗濯物。
干す。
相沢。
「今日どうする?」
森野。
「家具見に行きません?」
「何買う?」
「本棚」
「もう置く場所ないよ」
「あります」
「どこ?」
「相沢さんの机を少し」
「俺の場所減らすの?」
「二十センチ」
「大きい」
「十五」
「交渉になってる」
午後。
家具店。
本棚。
見る。
ソファ。
見る。
テーブル。
見る。
森野。
ある場所。
止まる。
ベッド。
売り場。
相沢。
「ベッド買い替える?」
「まだ新しいです」
「じゃあ何?」
森野。
その隣。
小さな。
子供用家具。
見ていた。
相沢。
気づく。
何も。
言わない。
森野。
「何です?」
「何も」
「今」
「何も言ってない」
森野。
少し。
笑う。
「まだ先ですよ」
「何が?」
「分かってるでしょう」
相沢。
「まあ」
森野。
「でも」
「うん」
「いつか」
相沢。
「うん」
森野。
「そういうことも」
「二人で考えましょう」
「そうだね」
家具店。
出る。
夕方。
二人。
川沿い。
歩く。
森野。
「相沢さん」
「何?」
「会社に入ったとき」
「うん」
「こうなると思いました?」
「全然」
「私もです」
「森野さんなんて」
「はい」
「最初、俺に興味なかったでしょ」
「ありませんでした」
「即答するなよ」
「事実です」
「いつから?」
森野。
「何が?」
「好きになったの」
森野。
歩く。
「秘密です」
「もう夫婦なのに?」
「夫婦でも秘密はあります」
「教えて」
「嫌です」
「じゃあ俺が先に言う」
森野。
「いつです?」
「たぶん」
「うん」
「森野さんが」
少し。
考える。
「会社で一人で残業してたとき」
森野。
「そんなこと何度もあります」
「俺がコーヒー買ってきたら」
「はい」
「すごい嬉しそうにした」
森野。
「覚えてません」
「嘘」
「覚えてません」
「そのとき」
相沢。
「かわいいなって思った」
森野。
少し。
歩く速度。
上がる。
「森野さん」
「何です?」
「照れた?」
「歩くの遅いです」
「答えは?」
森野。
しばらく。
黙る。
信号。
赤。
二人。
止まる。
森野。
「私は」
「うん」
「もっと後です」
「いつ?」
「相沢さんが」
「うん」
「私のことを」
少し。
言葉。
探す。
「何も特別じゃないみたいに」
「普通に誘ってくれたとき」
相沢。
「何に?」
「昼ご飯」
「そんなこと?」
「そんなことです」
信号。
青。
森野。
歩く。
「それまで」
「誰かと食べる昼ご飯って」
「私には少し面倒でした」
「でも」
「相沢さんとは」
「普通だった」
相沢。
「それで?」
「それで」
森野。
少し。
笑う。
「この人となら」
「ずっと普通にいられるかもしれないって」
相沢。
「思った?」
「少しだけ」
「少し?」
「最初は」
「今は?」
森野。
止まる。
相沢を見る。
「今は」
「うん」
「そうなりました」
夜。
家。
二人。
ソファ。
森野。
仕事用パソコン。
開く。
相沢。
「休日だよ」
「月曜の資料だけ」
「仕事好きだな」
「十分だけです」
相沢。
冷蔵庫。
開ける。
「アイス食べる?」
森野。
「半分ください」
「一個食べれば?」
「半分でいいです」
相沢。
一個。
持ってくる。
スプーン。
二本。
森野。
「これ」
「何?」
「夫婦っぽいですね」
「アイス半分?」
「はい」
「安い夫婦だな」
森野。
「いいんです」
一口。
食べる。
相沢。
一口。
食べる。
テレビ。
つく。
明日も。
特別な予定はない。
月曜日になれば。
また。
会社へ行く。
森野は。
森野として働く。
相沢は。
相沢として働く。
会議では。
意見がぶつかる。
昼になれば。
一緒に食べる日もある。
別々の日もある。
仕事が終われば。
同じ家へ帰る。
それが。
二人の生活になった。
相沢。
「森野さん」
「何です?」
「会社に」
「はい」
「かわいいエルフがいるって」
森野。
パソコンから。
顔。
上げる。
「何です、急に」
「最初はそう思ってた」
森野。
「今は?」
相沢。
少し。
笑う。
「会社にかわいい妻がいる」
森野。
固まる。
「……」
「どう?」
「相沢さん」
「はい」
「それ」
「うん」
「会社で言わないでください」
「何で?」
「恥ずかしいです」
「家なら?」
森野。
少し。
考える。
「家なら」
「うん」
「たまになら」
相沢。
「じゃあ」
「何です?」
「かわいい妻」
森野。
クッション。
投げる。
相沢。
受け止める。
「痛い」
「知りません」
でも。
森野は。
笑っていた。
会社に。
かわいいエルフがいた。
ただそれだけのことから。
始まった。
二人の物語。
恋人になり。
一緒に暮らし。
一緒に働き。
同じ街へ移り。
そして。
家族になった。
けれど。
二人の毎日は。
これからも続く。
たぶん。
明日の朝も。
最初の言葉は。
同じ。
「おはようございます」
会社では。
同僚として。
家では。
夫婦として。
そして。
どちらでも。
相沢直人と。
森野リリカとして。
二人は。
これからも。
隣にいる。
――了――
コメント
1件
第69話、完結おめでとうございます…! 「会社にかわいい妻がいる」というタイトルが、もうすべてを物語っていて、最後の相沢さんのセリフでぐっときました。 職場では同僚、家では夫婦。その二つの顔が自然に行き来する日常がすごく愛おしかったです。森野さんが「嬉しかったです」「かなり」って正直に言えるようになったのも、相沢さんが「かわいい妻」と呼べるのも、積み重ねた日々の証ですよね。 アイス半分こ、焼きそば、川沿いの帰り道…なにげないのに、全部宝物に思える最終話でした。お疲れさまでした🌷