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喫茶桜の朝は
もはや〝騒然〟の一言に尽きた。
一見しては優雅なカフェ。
しかし、今この場所は
舞台裏では〝戦場〟だった。
ソーレンは厨房で
手際よくドリンクを作りながら
レイチェルに短く叫ぶ。
「新規オーダー五件!
ホットブレンド2、ロゼミルク1
ミントレモネード1
アイスカフェノワール1!」
「了解!
番号札は⋯⋯五番から九番までね!」
レイチェルはカウンター上に並んだ
ドリンク名のリストに素早くチェックを入れ
手元の紙束から該当番号を抜き取り
丸めずに丁寧にトレイに添えて並べた。
「五番の方、念じてくださーい!」
呼ばれた青年は
一瞬ぎこちなく目を伏せると
胸に手を当てて静かに目を閉じた。
数分の静寂。
「はい、お待たせいたしました!
では、こちら──ロゼミルクになります。
お砂糖は入っておりませんので
お好みでどうぞ!」
レイチェルがそっと渡した
グラスの下のソーサーには
小さなメモ紙が一枚。
手書きで、整った文字が並んでいる。
〝他者の目を気にしすぎていますね。
あなたの判断に
誰も罰を与えたりしませんよ〟
青年はその言葉を読んだ瞬間
ハッとしたように顔を上げ
深く息を吐いた。
「⋯⋯ありがとうございます」と
静かに頭を下げ、ドリンクを口に運ぶ。
その様子を横目に
レイチェルは次の番号を呼ぶ。
「六番の方、どうぞー!」
一組のカップルが
そわそわと顔を見合わせながら目を伏せる。
女性が先に目を閉じると
男性はわずかに眉を寄せて視線を伏せた。
やがて──
それぞれに届けられた、スペシャルドリンク
ホットブレンドと、カフェノワール。
添えられたソーサーに
それぞれのアドバイスの紙。
紙を読んだ彼女は
目元に静かに涙を浮かべた。
〝信じるには
まず自分が信じたいと願うこと〟
その隣。
男性が手にした紙には
まったく異なる言葉が刻まれていた。
〝あなたの言い訳は
相手の優しさに胡座をかいているだけ〟
「⋯⋯はぁ!?おい、これ⋯⋯っ」
声が上ずる。
「なに、図星だったの?」
冷たい声が返る。
「ちがっ、そういうのじゃ──」
「──もういいわ。
これで全部、わかったから」
カップを口に付けぬまま
女性はそのまま立ち去る。
男性が慌てて追いかけるも
店の出口で小さく揉め
結局ふたりとも
言い合いをしながら退店していった。
喫茶桜では、決して珍しくない光景。
だが、店内の客たちは皆
それを見て何かを感じ取る。
──この店では、誤魔化しは通用しない。
番号が呼ばれ、目を閉じ
心の底にある〝願い〟を念じる。
届いたドリンクに添えられた紙片には
言葉という名の鏡がある。
見たくなかった自分の姿を映し
誰もが少しだけ、黙り込む。
カップを手にした後の
笑顔も、涙も、怒りも──
すべてが〝答え〟だった。
その頃、カウンター奥では──
額に汗を滲ませながらも
時也はようやく
呼吸のリズムを取り戻していた。
無数の〝心の声〟
複数の心を読み分けるには
焦点を切り替える緻密な集中と
確かな〝視点〟が必要だ。
「⋯⋯次の番号は、十番ですね」
時也は、紙に新たな一言を書き記す。
〝過去の失敗が
未来の足枷になるとは限りません〟
その筆は迷いなく、美しい。
──喧騒の中に生まれた静寂。
今日の喫茶桜は
ただのカフェではない。
それは
誰かの嘘を暴き
誰かの涙を拭い
誰かの一歩を支える。
心の奥底にしか存在しない〝願い〟に
そっと光を差し込む、奇跡の場所だった。
⸻
──喫茶桜、特設席。
艶やかなカーテンの裾を
小さな手がそっと押し開いた。
その布と硝子越しの空間は
まるで外界とは隔絶された
〝結界〟のようで──
ほんの一歩、足を踏み入れるだけで
静けさが胸に染み渡る。
銀のポットを両手で抱えたアビゲイルは
緊張した面持ちのまま
その〝聖域〟へと入っていった。
彼女の動き一つ一つは丁寧で
まるで神殿で奉仕する巫女のようだった。
硝子張りの特設席の奥
アリアは無言で座っていた。
肘掛けに添えられた指は細く
白磁のような肌が照明の光を吸っていた。
テーブルに置かれたカップは空。
そこに、注がれたばかりのコーヒーが
温かく湯気を立てている。
アビゲイルはそっと銀のポットを置き
アリアの視線を一度だけ仰ぐ。
「アリア様⋯⋯
時也様は、なぜにこんなことを
お考えになってのですか?
まるで、ご自身を削られるような⋯⋯
そんなお姿に、見えてしまって⋯⋯」
声音は細く震えていた。
それは、アビゲイルが心から抱いた疑問──
尊敬と畏れの間に揺れる
初めての〝懸念〟だった。
アリアは一言も発さず
ただ手元のカップを取り上げると
静かに唇を寄せた。
注がれたばかりのコーヒーは
香ばしさの中に仄かな酸味を含み
舌先に熱が滲む。
彼女は瞳を伏せたまま
答えることはなかった。
だが──
代わって、アリアの横に控える
幼子の姿の青龍が静かに口を開いた。
「喫茶桜を開店なされ
あのような仕組みを考えられたのは
転生者探しのためにございます」
その声は、威厳に満ちていながらも
どこか哀しげだった。
アリアの足元に座し
背筋をぴんと伸ばすその姿には
主に代わり真実を語る決意が籠もっていた。
「異能に悩み苦しみ、誰にも理解されず⋯⋯
藁にもすがる想いで
噂を頼りにここに訪れるのです」
──思い詰めた表情
震える手、裏切られた記憶の断片。
青龍の瞳には、幾人もの転生者たちの顔が
幾度も浮かび、そして消えていった。
「転生者の方々の発見と、救済⋯⋯
保護するためだったのですね⋯⋯」
アビゲイルは胸元に手を置き
ゆっくりと目を閉じた。
その表情は
理解と痛みを同時に抱えた者のそれだった。
「左様──」
青龍は、カップを見つめるアリアに
一瞬視線を送り
再び前を向いて言葉を紡いだ。
「転生者を集め
アリア様をお救いするために
この店は在るのです」
外の世界で──
誰にも気付かれぬ苦しみを抱え
怯えながら生きる者たち。
その者たちが、アリアという
〝炎に包まれた記憶〟のもとに集まることで
やがて不死鳥の呪縛から解かれると信じて。
そのために、時也は自身を削る。
数多の〝心の声〟を抱き
答えを編み出し
時にはその真実によって誰かを傷つける。
それでも──
一人でも多く
救われるならば──
一人でも多く
アリアの元へ辿り着けるならば──
それが
櫻塚時也の信仰であり、愛だった。
アビゲイルはもう一度
膝を折り深く頭を下げた。
その目には涙が宿っていたが
同時に決意の光もまた
確かに浮かんでいた。