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「コードネーム0415、今いいか?」
昼下がり、訓練場の射撃室に響いた声は、
翠にとっては珍しく“上層部の直通ライン”からだった。
モニターに映し出されたのは、冷静な眼差しを持つ男性幹部。
組織でも指折りの情報官、通称“鴇(とき)”。
「単刀直入に言う。最近の任務、お前の“殺しの判断”が遅い」
翠の眉が、ピクリと動いた。
「──理由は?」
「原因は明白。“バディ”だ」
映像の向こう、鴇は静かに言い放つ。
「最近のお前は、明らかに“栞”の生死に感情を挟んでいる。これは、殺し屋にとって──致命的だ」
「……感情なんかじゃない」
「違うか? なら、聞くが。先日の人質事件。お前は、最短で相手を撃てたはずだ。だが実際には、数秒の躊躇があった。“栞が撃たれるかもしれない”と、判断を遅らせた」
「……!」
「殺し屋は、“躊躇”した瞬間に死ぬ。“誰かのために迷う”時点で、お前は──ただの男に成り下がってる」
その言葉に、翠の喉がきゅっと締まる。
映像の中の鴇は、さらに淡々と続けた。
「栞を外せ。バディ契約は一時解消。お前には、単独任務が割り当てられる。彼女は別の部隊に移動だ」
「……それは命令か?」
「“組織に残るなら”という条件つきだ」
数秒の沈黙。
やがて、翠は一言だけつぶやいた。
「──了解した」
***
その夜。
仮住居のドアが開き、栞が帰宅する。
制服の袖に小さな引っかき傷。
任務中の擦り傷かもしれないが、心ここにあらずだった。
「……ただいま」
「……ああ」
翠はいつものようにソファに座っていたが、今日は妙に無言だった。
食卓には、いつか栞が「好き」と言った和風ハンバーグと、出汁の効いた味噌汁。
彼の手料理──だというのに。
「……なにか、ありました?」
「……」
「翠さん?」
「──お前、明日から別部隊に移動だ」
「…………え?」
「組織の判断だ。俺とは、バディを一時解消する」
「……うそ、でしょ?」
息が詰まった。
冷たい言い方じゃなかった。
でも、それが逆に、胸を突き刺した。
「どうして……何か、私がやっちゃった……?」
「お前は、何も悪くない」
「だったら……!」
「俺が“弱くなった”んだ」
「……っ」
「バディを守るために、殺しを躊躇った。それが組織にバレた。だから、“外される”」
言いながら、翠は栞を見ようとしなかった。
視線はずっと、テーブルの白米の方を向いていた。
「本当は、お前にはもっと早く言うべきだった」
「……バカじゃないの……」
「……」
「躊躇った? 感情を挟んだ? ……それって、私を“人として”見てくれたってことでしょ」
「……違う。そうじゃない」
「じゃあ、何?」
「お前を守ろうとしたのは、俺のエゴだ。共犯者としてじゃなくて、“誰か一人の女として”お前を守りたくなった。それが──俺にとっては、致命傷だった」
「……」
それは、まるで“好きだ”と認めたも同じだった。
けれどそれは同時に、彼がそれを“罪”として語っている証でもあった。
「……でも、嬉しい」
「……は?」
「だって、それでも私は、翠さんの弱点になりたい」
「……お前、バカか?」
「バカですよ。でも、バディより、共犯者より、私は“好きな人”でいたいです」
翠は言葉を失った。
黙ったまま、初めて栞の方を見た。
彼女は泣いていなかった。
ただまっすぐな目で、すべてを受け止めるように笑っていた。
「弱点? 上等です。……だから、私を簡単に手放さないで」
「……っ」
初めてだった。
翠が、“何も言えなくなる”ほど揺さぶられたのは。
“感情”という名の、確かな弱点。
それは、殺し屋にとってもっとも致命的で、
同時に──生きる意味を与える、たったひとつの光だった。