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冷たい銃口の先にいたのは──
まだ二十代の青年だった。
標的は、反組織の工作員。
だが裏では、路地裏の孤児たちに薬や食料を流していた男でもある。
「……撃て」
背後から聞こえたのは、上官の命令。
翠ではなかった。
この日、栞は“単独任務”として現場に送り込まれていた。
(私が……殺すの?)
銃を構えた両手が震える。
狙いは正確。
引き金にかけた指も、訓練通りに動く。
それでも、心が拒んでいた。
「──お前みたいな子どもが、ほんとに人を殺せるのかよ」
男は逃げようともせず、ただ苦笑していた。
「……いいぜ、撃てよ。俺はそういう世界に首突っ込んだ。……ただ、あんたがこれで、眠れるかどうかは知らねえけどな」
銃口がわずかにぶれた。
息が詰まり、心拍が上がる。
(こんな人、本当に“殺すべき”なの?)
正義も悪も曖昧な世界。
栞は知っていた。
命令に従わなければ、自分が処分されることも。
「撃てないのか。──なら、俺がやる」
別の影が後方から現れた。
他部隊のエージェント。
狙いは彼女の失敗──そして“始末”。
「やめ──っ!!」
パン!!
──銃声。
空気が止まった。
栞の手から煙が立ちのぼっていた。
撃ったのは、彼女自身。
そして倒れたのは、後ろのエージェントだった。
「……あ……」
自分が……引いた?
銃口の先にあったものを──確かに“殺した”。
混乱と恐怖と衝動の中で、
男がぽつりとつぶやいた。
「……殺さなかったんだな」
「っ……う、そ……」
「お前は、俺を撃たなかった。……誰かのために、別の誰かを撃ったんだ」
震える指。血の匂い。地面に横たわる男。
栞の手は、まだ引き金に触れたまま固まっていた。
***
それから半日後。
任務は“想定外の乱入”として処理され、
栞は本部へ戻された。
だが、彼女の目は何かが変わっていた。
「……撃ちました」
控え室で、栞は淡々と翠に報告した。
「標的じゃない人を、“守るため”に。……殺しました」
翠は黙っていた。
ただ、栞の表情を見つめ続けていた。
「後悔してる。でも、あの人が私を撃つ前に、私が撃たなかったら──私は、誰も守れなかった」
「……そうか」
「たぶん、初めて“意思で”引いた。任務でもなく、恐怖でもなく、ただ──守りたいって思ったから」
翠はゆっくりと立ち上がると、栞の隣に腰を下ろした。
「それが、お前の“殺し屋”としての第一歩だ」
「……」
「殺したことを誇る必要はない。でも、“意味を持って殺す”ことは、生きるために必要な技術だ」
「……わたし、弱くなったと思う?」
「いや。強くなったよ」
その言葉に、栞は思わず涙をこぼした。
静かに、ぽろぽろと。
「……翠さん、私、殺し屋として強くなっても、人間としては壊れたくないです……」
「壊れたら、俺が拾ってやる」
「……」
「壊れる前に、抱きしめてやる」
その瞬間、栞は泣きながら、翠の胸に飛び込んだ。
彼はそれを受け止め、そっと背を撫でてくれた。
──銃口の先にあったのは、
“人を守る”という想い。
そしてその引き金は、
ただ殺すためではなく、“守るため”に引かれた。
それは、たった一つの“殺し屋の優しさ”だった。