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粉塵が落ち着くのを待って、俺は岩扉の向こうを覗き込んだ。
――階段だ。
下へ続く石の階段。
冷たい空気が、ゆっくりと流れてくる。
「……なるほど。ちゃんと“下”があったわけね」
コメントが流れる。
『扉の先、階段!?』
『ショートカットで下層直行やん』
『シンゴ、やってることRTAw』
俺は肩をすくめた。
「行けそうなのに行けない場所、嫌いなんだよな」
剣を鞘に戻し、足元を確かめてから一段降りる。
その瞬間。
スマホが、ぴこん、と短く鳴った。
画面に協会アプリの通知が出る。
【未踏領域に到達しました】
【自動マッピングを開始します】
「……え、なにこれ」
俺は思わず足を止めた。
画面の右上に、薄い線が走り始める。
今いる階段が“線”になって記録され、見えない範囲は黒い霧みたいに塗られていく。
「すごいなこれ。超便利」
『自動マッピングきたwww』
『協会アプリ有能すぎ』
『未踏入った判定あるの草』
『これ、迷子防止になるやつだ』
「これあるだけで、帰り道の不安が半分消えるな」
俺は苦笑しながら階段を降りた。
アプリの線が、俺の動きに合わせて伸びる。
角を曲がれば角が描かれる。
足を止めれば、線も止まる。
――ゲームのミニマップみたいだ。
いや、現実がゲームに寄ってくるな。
◆
階段を降り切ると、そこが8階だった。
空気が重い。湿っている。
壁は黒ずんでいて、ところどころに白い結晶みたいなものが付着している。
俺はまず、数歩だけ歩いた。
コツ……コツ……。
足音が遅れて返ってくる。
天井は低くない。通路はまっすぐじゃない。
曲がり角の先が見えないぶん、空気がじっとりしている。
一度、立ち止まって匂いを嗅ぐ。
鉄っぽい。湿気。石の粉。
「……罠階だな」
コメントが流れる。
『空気重い』
『嫌な階来た』
『ここから本番か』
曲がり角を越えた瞬間、視界が開けた。
まず目に入ったのは、長い通路。
そして――左右の壁。
丸い穴が、びっしり。
「……うわ、ベタ」
『出た矢穴www』
『ダンジョン界の伝統芸』
『踏んだら矢か魔法やろ』
『8Fは罠階か……』
「踏んだら飛んでくるタイプだな」
俺はリュックから、アマザンで買った金属製のピッケルを取り出した。
カチ。
カチ。
カチ。
目いっぱい伸ばす。二メートル。
「こういうとき用に買った」
『伸びた!』
『ピッケル万能すぎ』
『シンゴ、装備が地味にガチ』
俺は通路に足を踏み入れず、遠い位置で床を――
カツン。
ビュンッ!
矢が壁穴から飛んできた。
反対側の壁に、ガツンと刺さる。
「はい、正解」
『うおおw』
『あっぶな!』
『矢、普通に殺意ある』
『これが未踏の洗礼』
同じ位置を、もう一回。
カツン。
ビュンッ!
また飛ぶ。刺さる。
「……回数制だといいけどな」
三回、四回。
カツン、ビュン。
カツン、ビュン。
五回、六回。
七回、八回。
九回――十回。
カツン。
……何も来ない。
「……枯れた」
『枯らしたwww』
『でた!ダンジョン泣かせ』
『地味に一番強い攻略』
『罠かわいそう』
俺は叩いていた地点まで歩いて、左右を確認する。
矢は飛んでこない。
「地味だよな。でも罠回避はダンジョン攻略の基本だから」
『正論パンチ』
『派手さより生存』
『地味で助かる』
「罠に当たって盛り上がるのは、“当たっても死なない人”だけだ」
自分で言って、少し笑った。
――当たっても死なない装備、俺は持ってる。
でも、それを前提に雑に動いたら、いつか必ず詰む。
俺はまたピッケルを伸ばして、目の前の床を――
カツン。
ビュンッ!
「はい次」
少し進む。
枯らす。
進む。
枯らす。
アプリのミニマップが、線を伸ばしていく。
通路の長さが“視覚化”されると、嫌なことが分かる。
……長い。
「罠階に長い通路は、嫌がらせなんだよな」
『作者の性格悪い』
『鎌倉作者、ねちっこい』
『さっき言ってた通りw』
◆
通路の途中で、床の擦れ方が変わった。
石の角が、一定のラインだけ妙に丸い。
逆に、その隣はほとんど擦れていない。
「……ここ、落とし穴」
『え?』
『早いw』
『なんで分かるの』
『シンゴの観察眼こわ』
俺はピッケルで、怪しい箇所を軽く叩く。
カツン。
……音が薄い。
空洞の響き。
「はい、当たり」
落とし穴の縁をなぞるように、足場を選んで進む。
こういうのは焦ったら負けだ。
『慎重で助かる』
『でも速いのが怖い』
『経験値の差』
落とし穴を抜けた先で、床の模様が変わった。
石板が、格子状に並んでいる。
一枚ずつ、微妙に色が違う。
「……パズルか」
『踏み順だ!』
『罠階のくせにパズル混ぜるなw』
『やば、床全部怪しい』
俺は立ち止まって、壁を見る。
矢穴の位置、通路の幅、石板の配置。
――“誘導”がある。
目立つ石板がある。
わざとらしいほど、真新しい。
「これ、普通はそこ踏ませたいんだろうけど……」
俺は逆に、端の“地味な石板”にピッケルを落とした。
カツン。
……反応なし。
次に、目立つ石板へ。
カツン。
その瞬間、矢穴からビュンッ! と一本だけ飛んできて、逆壁に刺さった。
「はい、罠」
『こっわ!!』
『ピッケル有能』
『踏んだらアウトだったやつ』
『シンゴの試し方、プロすぎ』
俺は、端から安全な石板を一枚ずつ確認していく。
“正解の道”が、線になって見えた。
「こういうの、テストプレイで何回もやったな……」
自分の過去が、変な形で役に立つ。
石板を抜けると、通路はさらに分岐した。
でもミニマップがあるだけで、気持ちが全然違う。
「便利すぎる……協会、やるじゃん」
『便利って言い方w』
『シンゴ、現実をゲームとして扱うなw』
『でも助かる』
◆
罠階は、罠だけじゃ終わらない。
天井から粉が舞い落ちる区画。
足音に反応して壁がずれる区画。
“押したくなるスイッチ”が露骨に置かれている区画。
俺はその全部を、触らない。
「押すと面倒になる。押さない」
『わかるw』
『押したら負け』
『スイッチ=罠』
最後に出たのは、階段前の小部屋だった。
中央に、石の柱。
柱には小さな穴が三つ空いている。
「……鍵穴っぽいけど、鍵はないな」
俺は柱の周りを一周して、視線を落とす。
床に、薄い擦れ。
柱の根元に、わずかな隙間。
「……回すやつだ」
ピッケルの柄で柱を押す。
ゴゴ……と低い音。
柱が少し回る。
もう一回。
ゴゴ……。
三回目で、奥の壁がズレて、階段が現れた。
「はい、9F行き」
『うおおおお』
『罠階突破!』
『地味に神回』
『シンゴ、RTA走者かよ』
俺は階段の前に立ち、スマホを見た。
ミニマップの線が、8Fを一本の道として描き切っている。
「……性格悪いダンジョンだな」
『褒めてるw』
『作者の悪意を踏み潰す男』
『次が本番だろ…』
俺はピッケルを縮めて、リュックに戻す。
深呼吸して、階段を降りた。
◆
9階。
降りた瞬間、空気が変わった。
湿り気が消えて、代わりに――張り詰めた静けさ。
石の匂いが薄くなり、どこか“清潔”な感じがする。
壁には、天使の羽根みたいな彫刻。
床には、円環の模様。
「……神殿かよ」
コメントがざわつく。
『急に天使モチーフ』
『ここ絶対なんかいる』
『鎌倉、雰囲気変わりすぎ』
俺のスマホが、また小さく鳴った。
【未踏領域:拡張マッピング中】
線が、9Fへ伸び始める。
その時。
どこからか、かすかな“音”がした。
笑い声じゃない。
もっと乾いた――何かが擦れるような、短い音。
「……え?」
俺は足を止めた。
『今の音なに?』
『聞こえた!』
『いるぞw』
ヘッドライトを上げる。
光が届いた先――
広い空間の奥に、淡く光る“何か”が見えた。
それは、人影じゃない。
輪郭のない光。
でも――空気が、そこだけ違う。
俺は、唾を飲み込む。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせるみたいに小さく呟く。
いきなり突っ込むのは無謀だ。
でも、引き返す理由もない。
俺は足を一歩だけ前に出して、距離を詰めた。
「……まあいけるか」
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