学舎で煌めく青春時代を過ごした友よ、集合せよ。
そんな、思わずどこの集会の案内だと目を吊り上げそうな件名のメールで呼び出しを食らったウーヴェは、そのメールを受け取った時の事を思い出しながら隣を歩くリアに肩を竦めて語りかけ、同じように呆気に取られる彼女に大きな溜息を零す。
そのメールはうんざりしてしまいそうな長文で、もしもこれが勧誘のメールであればただ一通のメールで迷惑メールだと決めつけたくなるほどだったが、さすがに送ってきた相手が気心の知れている友人である為、所々強調したり感情を現す記号が入っているそれを何とか読み進めるうちに、このメールの送り主が不特定多数の学生達に熱弁をふるっていた当時の姿を思い出してしまう。
アジテーターと良く仲間内でからかっていた友人は、それでも不名誉なあだ名に負けない成績を残して大学を卒業し、見事念願だった医者になった今では市内でも有数の私立病院で外科医として忙しく働いている。
学生の頃とは違い、同年代と比べれば平均以上に金と自由を手にしている男がもたらすこの手の茶目っ気や騒々しさにはつい辟易するどころか嫌悪すら抱いてしまうウーヴェだが、それを嬉々として送り付けてくるのが友人であり、その顔がありありと思い浮かび、ただ呆れた様な溜息を零して長文メールを読み進めていくが、来週末-つまりは今日の夜-にいつもの店に集合という素っ気ない一文を最後の最後で目にした瞬間、両肘の間に白い髪を項垂れさせて肺の中が空になるような溜息を零してしまったのだ。
画面のスクロールを何度も繰り返し、最後までアジテーターと渾名された彼特有の過激なメールを読み進めていった挙げ句が、来週末に麗しの彼女とまだ見ぬ噂の恋人を連れていつもの店-先日オイゲンと再会した店-に仲良し六人組で集合というものだったことに気力を奪われ、たったそれだけの内容をよくも長文メールに仕立てるだけの気力があるなと、ある意味感心しながらも何とかウーヴェが送り返した言葉は、もちろん一緒に行くというたったそれだけのものだった。
長文メールを他のメンバーにもおそらく送信しているだろうが、本当に学生の頃から変わっていないと苦笑したウーヴェにリアも控えめに苦笑するが、そっと携帯を差し出して画面を見ろと視線で促してくる。
「?」
「・・・・・・これ、あなたにその長文メールが届いた頃に私の携帯に届いていたの」
友人が自分だけではなくある意味本日の主賓である彼女にも招待メールを送り付けていた事実に愕然とするが、それよりも何よりも何故友人が彼女のアドレスを知っているんだと目を丸くすると、何でもない事のように教えたからと答えられて眉間に皺を刻んでしまう。
「一度会っただけだろう・・・?」
「ええ。あなたのお友達だもの、問題は無いと思ったから教えたの」
誰に対する申し訳なさや罪悪感を抱いているのか分からない顔で肩を竦めた彼女は、何とも言えない顔で溜息を零すウーヴェに目を細める。
「私のアドレスはリオンも知っているわ」
「リオンは別に構わない」
毎日のようにクリニックに出入りするし、何よりも自分たちの関係をよく知るきみとも友人なのだから構わないと答え、そのリオンは今日も来られないのかと問われてひょいと肩を竦めたウーヴェは、こちらに向かう直前に少し遅れそうだが必ず行くと悲壮な声で電話が掛かってきたことを告げると、呆れるべきからしいと感心するべきかを悩んでいるような顔になるが、溜息をひとつ零すことで呆れとは反対側に天秤を傾けた彼女が微苦笑を浮かべる。
「・・・なるべく早く来られると良いわね」
「そうだな」
以前は思いっきりすっぽかす形になり、その夜に自宅で口論してしまったのだが、あの夜のことを思い出せばただただ羞恥に顔が赤くなりそうで、頼むからあの時のような思いをさせないでくれと胸中で呟き、意外と早く来るかも知れないことを願望を多分に込めた声で伝え、見えてきた店の前で人待ち顔の友人二人を発見して手を挙げて合図を送る。
「ウーヴェ!フラウ・オルガも良く来てくれました」
すっかりと日も沈んで辺りは街灯と店の窓から零れる明かりだけが頼りの中、ウーヴェに笑顔で手を振り返す彼にリアが眩しそうに目を細め、プラチナブロンドに髪飾りのように明かりを煌めかせる彼と、その隣で相好を崩すにんじん色の髪をした長身の彼が差し出す手を交互に握る。
「この間は楽しい時間をありがとう、ヘル・ビアホフ、ヘル・アスペル」
「俺はオイゲンで良いので、あなたをリアと呼んでも構わないかな?」
微苦笑混じりにファーストネームで呼んでくれと告げられ、軽く驚きに目を瞠りつつも隣で穏やかな顔で立っているウーヴェを窺った彼女だったが、何の心配も要らない顔で頷かれて非の打ち所がない笑みを浮かべ、二人の男を僅かに赤面させる。
「ヘル・アスペル、あなたもリアと呼んでくれるかしら」
「もちろん」
マウリッツのプラチナブロンドに反射する窓の明かりに眩しそうに目を細めながらそっと笑いかけて手を差し出した彼女は、ウーヴェ以上に穏やかな顔でその手を握るマウリッツのもちろんという言葉に安堵の溜息をつき、ウーヴェを振り返って片目を閉じる。
「あいつらはまだか?」
「もうすぐ来ると連絡が入ったから、すぐに来ると思うんだけどね」
「少し冷えてきたから先に中に入らないか?」
いつもならば仲間が揃ってからと提案するウーヴェだが、今夜はリアがいる事に気遣って中に入ろうと二人の友人に告げると、ちらりと視線を重ね合わせた二人が同じ表情で頷いてドアに手をかける。
「そうだな・・・そうしようか」
白とも銀ともつかない髪に明かりを映えさせるウーヴェと向かい合うように立つマウリッツの髪は見事なプラチナブロンドで、髪の色合いが淡くて似通っているからではないだろうが、どちらも穏やかで知性的な光をターコイズと薄いブルーの双眸に湛え、口元には決して初対面の人間に悪い印象を抱かせない淡くて優しい笑みを浮かべていた。
この似通った表情を浮かべる二人の仲間内での立ち位置を何となく察し、ならばにんじん色の髪を短く刈って登山が趣味で日に焼けた鍛えた身体を窮屈そうにジャケットに押し込んでいるオイゲンの位置は何処だろうと興味深げに考えながらウーヴェが押さえてくれているドアを潜って突き当たりの大人数用のブースに向かう。
「どうする?」
店員に後数人遅れてやってくることを伝えたマウリッツだが、店員の顔色を瞬時に読み取ったウーヴェが先に飲み物だけでも注文するかと問いかけて賛成の声を聞いた為、飲み物を各々が注文していく。
「・・・・・・ミヒャとマニが着いたって」
「じゃあ後はカールだけか」
ごく自然な動作でウーヴェが椅子を引いてリアを座らせた横に腰掛けると彼女の反対側にオイゲンが、彼と向き合う席にマウリッツが腰を下ろし、ここに来る途中に盛り上がっていた事を証明するような笑顔でやって来た二人-ミヒャことミハエルとマニことマンフリートもそれぞれに挨拶をして定位置に腰を下ろすなり、リアが唯一顔をあわせた事の無かったマンフリートが巻き毛の黒髪に手を宛がって笑顔を浮かべる。
「初めまして、フラウ・オルガ。この間はあなたと一緒に飲めなくて本当に残念だった!」
嫌な感じを全くさせない爽やかな笑顔で彼女の正面に座るマンフリートの横に座ってマウリッツに皆の飲み物や食べ物を確認した後、自分と友人の為にビールをオーダーしたミハエルが呆れた様な顔で溜息を零してウーヴェを見つめるが、その瞳は茶目っ気に煌めいていて、隣と斜め前で繰り広げられる会話にウーヴェが軽く眉を寄せる。
大学の頃からごく自然と友人達の間で一緒に行動するメンバーが決まっていて、今二人揃ってやってきたマンフリートとミハエルはオイゲンと同じ共同住宅に暮らしていた縁でウーヴェとも仲良くなったのだが、些細な口論から互いの顔を見ても口をきかない日々を過ごすが、また何食わぬ顔で一緒にバカなことをして笑っているような仲で、基本的に性格が合わないのだろうと良くオイゲンやカスパルが笑っていたが、二人は自分たちはこれで良いのだと笑って肩を抱き合うほどだった。
そんな学生時代から変わったようで本質は全く変わっていない二人の友人に溜息を零し、マシンガントークのように語りかけてくるマンフリートの銃口から逃れるようにウーヴェのジャケットの裾を軽くリアが引っ張った時、皆が注文したビールが運ばれてくる。
「カールはどうした?」
「まだ来ないな」
ミハエルの問いにオイゲンが肩を竦めつつ答え、彼が来るまでもう少し待つかそれとも先に乾杯をしてしまうかと、己の中の解答をひけらかすように問いかけるオイゲンに苦笑混じりにマウリッツが一度乾杯をしてカスパルが来れば二度目の乾杯をして盛り上がればどうだろうと問いで返すとオイゲンの目が軽く見開かれるが、そうしようと友人の言葉に大きく頷く。
「では、ひとまず、それぞれの仕事にお疲れ様。そしてリアとの再会に乾杯」
ごく自然な流れなのか、誰も何も言わないうちにジョッキを片手にオイゲンが少しだけ声を張り上げると、皆がグラスやジョッキを片手に持ち、乾杯の掛け声に合わせてグラスを掲げる。
「乾杯!」
ジョッキとグラスの底を触れあわせて何度か音を立てた彼らは、もう一人の仲間とそして誰も口にしないがその登場を待ちわびているウーヴェのまだ見ぬ恋人が早くやってくればいいと密かに願いつつ、ビールと料理と久しぶりの再会に盛り上がるのだった。
彼の友人達が一足先に盛り上がろうとしていた頃、豊かなブルネットと一目で高級と分かるトレンチコートに身を包んだ青年が満面の笑みを浮かべ、隣で彼の身形とは全くそぐわないこちらは実用一点張りの革のブルゾンのポケットに手を突っ込んだくすんだブロンドの青年に身振り手振りで何やら語りかけていた。
「・・・・・・俺の友人で、頭は図抜けて良くて顔も良いし父親が今じゃ誰もが知っている企業の社長ってのがいてさ、そいつ自身は自分の家族が大企業の創業家だってことを毛嫌いしているのに、その教授が何かある度にその話題を口にしたんだよ」
「へぇ・・・自分の家が金持ちなのが嫌いだったのか?」
「ああ。色々事情があってギムナジウムの頃から学校の寮に入って長期休暇でも家には戻らない程だった。そんな奴に教授がきみのお父様は本当に偉大なのだから、医者を目指さずに後を継げば良いと親切めかして言ってたんだよ」
「その教授、人を見る目がなかったのか?」
「ビンゴ!ある日耐えかねた友人が俺たちに相談してきたから、その教授が二度とそんな事を言ってこないようにしてやろうって決めてさ・・・」
学生時代の頃を思い浮かべて楽しそうに語る彼にブロンドの彼は素っ気ない口振りではあったが、話に興味を持っていないのではない態度を見せるように相づちをしたり問いかけて話の先を促したりしていた。
その後、秋休みに入る直前のその教授の最後の授業が終わった日、小箱いっぱいに手分けして捕まえてきたハエを詰め込んで丁寧にラッピングし、仲間内で進行している悪巧みに呆れた友人を説き伏せてその教授にプレゼントして是非今すぐ開けてくれと言わせたのだが、その時のことを思い出せば今でも笑いが止まらない彼は腹に手を当てて肩を揺らし、蒼白な顔で逃げ惑う教授目掛けてハエ退治をしてやると言いながら皆で持参した大小様々なハエたたきでハエと教授を叩きまくったことを告げると、男があんぐりと口を開け放って絶句する。
「その教授、新学期からは学校に来なくなったけど、同じ講義を受けてた連中からも拍手喝采だったし、暫くの間その友人からランチを奢って貰えたっけ」
「すげぇな・・・良いな、それ・・・・・・あー、腹減った」
一見すれば若手実業家か何かを彷彿とさせるトレンチコート姿からは想像出来ない悪ガキの顔で語り、隣の職業不詳の男に感激とも呆れともつかない表情を浮かべさせた彼は、後もう少しで目的の店に着くことに気付いて心底残念そうな溜息を零す。
電車の中で一緒になった、ブルゾンのポケットに手を突っ込んでぼうっと立っていた男に何故か興味を惹かれ、同じ駅で降りしかも同じ方向に向かうことを知ってつい親しげに語りかけたのだが、ぼうっとしている顔からは想像出来ない程鋭い目つきを一瞬だけ見せた男は、その後はそんな鋭さなど全く感じさせない実年齢よりも幼く見えているかもしれない笑みを浮かべ、腹が減ってまともに受け答えできないが面白い人だなと肩を揺らして笑ったのだ。
その笑顔が彼の心の琴線に触れたのか、つい自然と仲間と話している時のように物事を大げさに扇動的に語り出してしまっても男の顔から笑顔は消える事は無く、隣で身振り手振りを交えて話す姿に相づちを打っていたりもした。
全くの初対面なのに何故か気になる男との別れが残念だと肩を竦めて舞台じみた台詞回しで告げた彼は、男の青い眼が驚きに瞠った後で唇の両端が好意的に持ち上がった事に小さく口笛を吹く。
「俺も、あんたの話を聞いてるの、嫌いじゃないぜ」
「そうか?」
「ああ、楽しかった。お陰で腹が減ってることやデートの約束に遅れたことを素直に謝る気持ちになれた」
「何だ、デートに遅刻したからぼんやりしてたのか?」
「あー、いや、あれは・・・まあ、そうかな」
以前も同じような状況で遅刻をして恋人と大げんかをしたことがあるが、それが再現されてしまうことへの恐怖と、それらを遙かに上回る空腹感に魂が抜け掛けていた事を告白した男は、無意識の動作のように耳にひっそりと光っている青い石のピアスに手を宛がい、そこに存在することを確かめると同時に小さな溜息を零すが、あんたのお陰で本当に腹が括れた、ありがとうと太い笑みを見せつける。
「役に立てて光栄だね、キング」
「・・・俺、あんたと何処かで会ったことあったっけ?」
「ん?いや、今日初めて会ったぞ?」
きみのようにこちらの話しぶりを盛り上げてくれるような友人ならば一度会っただけでも覚えていると胸を張る彼に苦笑し、キングという単語が単なる敬称だと気付いて肩を竦める。
「ああ、店が見えてきた。俺はこっちだが、きみは何処だ?」
「ん?あ、確かこの隣の店じゃなかったかな?」
二軒並んだ飲食店だが、一方は古くからやっているビアホールで、もう一方はビアホールよりは少しだけ客層や料理も高級そうだった為、青年が躊躇うことなくそちらを指し示すと彼が未練を振り払った顔で頷き、もしも機会があれば何処かで会おうと笑顔を浮かべ、ブロンドを一つに束ねた男も似たような笑顔で大きく頷いて二人同時に己の目的地である店のドアを潜っていくのだった。
この時、どちらの脳裏に思い浮かんでいた人物の名を出すだけで事情が変わってくるのだが、この時の二人にそれが分かるはずもなく、彼はトレンチコートを脱いで肩に引っかけてドアを潜り、青年はブルゾンのポケットに手を突っ込んだまま店員が開けてくれるドアを潜ったのだった。
「待たせたな、諸君!やあ、フラウ・オルガ!お待たせして申し訳ない」
肩にトレンチコートを引っかけたブルネットの陽気な男が手を挙げて表情と同じ陽気な声を放ちながらブースにやってきた時、ウーヴェは己の携帯から映画音楽が流れ出したことに気付いた所だった。
「遅いぞ、カスパル!」
「いや、急いで来たんだぜ?でもさ、電車を運転してたのがじいさんだったんだ、仕方ないだろう?」
「電車と運転手のせいにするなよ」
ブースの入口に最も近い場所に座っているマンフリートとその隣のミハエルの間に顔を突っ込んでにやりと笑い、呆れるオイゲンと微苦笑しつつ目を細めるマウリッツに片目を閉じた後、ぽかんとしているリアに盛大な礼をした彼、カスパルは、マウリッツとオイゲンの間の空いている席に腰を下ろし、オーダーを取りに来た店員にビールを注文する。
「これで皆揃ったな」
「ああ・・・・・・おい、ウーヴェの恋人はどうしたんだ?」
「仕事で遅くなってるみたいだね」
オイゲンの言葉にカスパルが当然の疑問を発するが、その言葉には表には出されない疑問が込められていて、それを感じ取ったオイゲンが目で合図をするが、そんな二人の様子には全く気付いていないマウリッツが苦笑を深めて答え、携帯を耳に宛がうウーヴェへと視線を投げ掛ける。
マウリッツや他の面々の視線を受けつつも意識を携帯に向けていたウーヴェは、ヒソヒソ声で店の名前を教えてくれと言われて眼鏡の下で瞬きしながら苦笑しつつ店の名前を答えると、思わず携帯を耳から離してしまいそうな大声が響いてくる。
「・・・は?間違えた?」
素っ頓狂な声の後に聞こえてきた間違えたという言葉を呟き返したウーヴェは、ドタバタと何やら騒がしい音を響かせた恋人が店の外に出て名前を確認している様子を伝えてきた為、店の名前をもう一度繰り返してドアから入って正面のブースにいることを伝えて通話を終えると、一斉に皆の顔に意味ありげな笑みが浮かんでいる事に気付いて椅子ごと仰け反ってしまう。
「何だ・・・?お前ら、気持ち悪いぞ」
「ウーヴェ、気持ち悪いなんて言っちゃ悪いんじゃないの?」
ウーヴェの率直な意見にリアがやや窘めるような声を発すると、マンフリートとミハエルがそうだそうだと激しく同意をし、気持ち悪いのはカスパルとオイゲンであって俺やマウリッツではないと胸を張る。
「ウーヴェ、お前の彼女が来てくれるのか?」
「・・・間違えて別の店に入ったそうだ」
「何だそりゃ?意外とせっかちなのか?」
ウーヴェの溜息混じりの言葉にカスパルが呆れた様な声を挙げるが、ビールが運ばれてきて受け取りもう一度乾杯とジョッキを突き出したため、ウーヴェの恋人の事よりも先に二度目の乾杯をするが、その歓声とジョッキが触れあう音が落ち着いた頃、ウーヴェが咳払いを一つして皆の視線を今度は自発的に集める。
「どうした、ウーヴェ?」
隣のオイゲンが横顔を覗き込みながら問いかけてくる視線に小さく溜息を吐いたウーヴェはがちらりとリアの顔を窺って目を細めつつ驚かないで欲しいと前置きをし、もうすぐやってくる己の恋人が、と口を開いたその時、ブースの仕切りの向こうからひょっこりと顔を出した男がいて、ブースの仕切りを激しくリズムを付けながらノックをした為、ウーヴェとリアが二人同時に肺の中が空になるような溜息を零してしまう。
背後から突如響いた板を殴る音に驚きつつもウーヴェのその動きに皆が顔を見合わせ、唯一事情が分かるリアが条件反射でどうぞと答えてしまうと、ブースの仕切り板の向こうからこちらの様子を窺うように突き出されていた顔にみるみるうちに二人にとっては見慣れた笑みが浮かび出す。
「ハロ、オーヴェ、リア!間違って隣の店に入っちまったけど、まだ大丈夫だよな?」
「!?」
己に投げ掛けられる五対の驚愕の視線など意に介さない態度で近寄ったのは遅刻したとケロリとした顔で笑うリオンで、呆れる彼女の頬にまずキスをし、次いで頭痛を堪えるようにきつく目を閉じるウーヴェの背後に回り込むと同時に椅子の背もたれ越しに抱きついて頬にキスをし、遅れてごめんとその耳に囁きかける。
「な・・・!?」
「ちょっ、ちょっとま・・・っ!」
生真面目で人付き合いも積極的には行わない気難しい男と思われているウーヴェだが、ある一線を越えれた途端にその気難しさが嘘のように掻き消え、内側へと招き入れてくれることは友人関係にある自分たちだけが知る事実で、その事実を知る事がウーヴェに好意を寄せていた男女それぞれに対する自慢でもあった友人たちは、自分たち以外にウーヴェに親しげに抱きつく人間がいるだけでも驚きだったが、まさかその貴重な人間が同年代かそれより年下に見える男で、しかもただ親しいだけではないことを示す様にきつく結ばれている唇に小さな音を立てて背後からキスをして何事かを囁き、さらに目尻のほくろにキスをする様子から、今までほかの誰ともそんな親しげな様子を見せられたことがない驚愕に皆の目と口が丸く大きく開いてしまう。
「あー!あんたさっきの面白い話をしてくれたヤツ・・・!」
そんな驚愕の空気がブース内に漂ったのも気にすることなくリオンが素っ頓狂な声を挙げ、その声が己を示していることに気付いたカスパルがこれまた盛大に驚いて腰を抜かしたように椅子に座り込み、肩を並べて歩いていた時、デートに遅れて恋人を怒らせたと言っていたことを思い出すと同時に口を手で覆って嘘だろうと呟いてしまう。
あの時、目の前のブロンドの男が語っていた恋人とは己の友人であるウーヴェだったという現実に脳味噌が動きを止めてしまうが、もう一つの言葉を思い出してオイゲンへと視線を向ければ、同じような表情で見つめ返されてただ目を瞬かせて沈黙を促すと、珍しいウーヴェの怒鳴り声が響いて今度はそちらにも驚いてしまう。
「初対面の人をヤツなどと言うなと何度言えば分かるんだ、バカたれ!」
「痛い痛いっ!オーヴェぇ、ごめーん!」
耳元で上がった声に我に返り、己の友人に対して礼を失するような言動をする恋人の耳を思いっきり引っ張ったウーヴェは、子供のように謝罪をするリオンをじろりと冷たく睨みながらもリアに合図をして椅子を出して貰う。
「ウーヴェ、おい、まさか本当にお前の恋人なのか・・・!?」
今目の前に広がる現実が信じられないと言いたげな顔でカスパルが問いを発するが、そんなカスパルの頬を穴が開くほどオイゲンが見つめていて、それに気付きながらも本当なのかともう一度問いかけて友人の返事を待つ。
「・・・・・・ああ。皆に紹介する」
これが、この間先生のパーティに来られなかった俺の恋人だと溜息を零した後、己の中で何かをしっかりと切り替えたのか、隣で肩を落とすリオンのくすんだ金髪をいつものように一つ撫でた後に目を細めながら名を呼ぶ。
「リオン」
「・・・ん」
「皆を紹介する。大学の頃からの仲間だ」
学校に通う前からの友達であるベルトラン以外では最も仲が良くて長く続いている友人達だと紹介し、一人一人の名前と現在の職業-誰が何の専門医であるかを付け加えて紹介していく。
ウーヴェの穏やかだが不思議と心に滑り込む声とともに一人ずつの顔を脳味噌に叩き込んだリオンは、全員の紹介が終わると同時に太い笑みを浮かべ、リオン・H・ケーニヒだと答えてよろしくと言いながら皆に己の顔を記憶させるようにじっくりと見回していく。
「・・・ケーニヒ?」
「Ja.だから、あん・・・・・・ヘル・バイヤーがキングと言ったときに何処かで会ったことがあったかと聞いたんですよ」
先程ウーヴェに叱られた事をしっかりと覚えていて、初対面の人に対するぞんざいな口の利き方を改めて肩を竦めたリオンは、ケーニヒは英語ではキングになるしウーヴェの幼馴染みからはそう呼ばれていることを告げて店員にビールを注文するが、ウーヴェの前に置かれた取り皿が綺麗なままでジョッキの中身が半分以上無くなっている事に気付いて端正な横顔を見れば、自然な動作で視線を逸らされて溜息一つで気分を切り替える。
「・・・いつから、なんだ?」
「オイゲン?」
ウーヴェの横で何故か無表情になったオイゲンがぼそりと呟き、ウーヴェが顔を向けてこの中では最も付き合いの長い友人の横顔を見つめながらリオンと初めて出会った、まるで遠い出来事のような日を思い出す。
「付き合いだしたのは・・・彼女が亡くなってしばらく経ってからだったな」
「あの事件か?」
「ああ。あの事件を担当したのがリオンだった」
その時に知り合い、その後何故か顔を合わせる機会に恵まれ、気付いた時には付き合うことを約束させられたと苦笑し、あの日の必死さと悲壮さを混ぜ合わせつつも絶対に断られない自信を覗かせたリオンの顔を思い出したウーヴェは、友人の声が微かに震えていることに気付いて眉を寄せるものの、何がお前の声を震わせているんだとは問えずにいると、店員がビールと追加でオーダーした料理を運んでくる。
一人一人が食べたいものを頼むのが普通だが、この面々で集まったときには皆が一品ずつ料理を注文し、まるでそれを中華料理か何かのように取り分けて食べる事が多く、今楕円形のテーブルに並ぶ料理の数々もそれぞれの前にある取り皿に取り分けられていた。
後から来たカスパルとリオンの為にマウリッツとウーヴェが取り分けてやると、誰かが言い出さずともグラスとジョッキを片手に持ち、カスパルが咳払いを一つした後で乾杯と声を張り上げる。
「乾杯!」
三度乾杯の声が挙がるが、その声は先程のものに比べれば様々な感情が混ざり合って複雑な色合いをしていて、敏感にそれを感じ取ったウーヴェがビールを飲み干すものの、たった今まで美味しいとしか思わなかったビールがやけに苦く感じてしまうのだった。
ウーヴェの横では、にんじん色の髪のオイゲンが顔には笑みを浮かべながら、こちらもまたウーヴェと同じように苦みが増したように感じられるビールに軽く眉を寄せてしまうのだった。