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ギムナジウム以来の付き合いから他の大学で知己を得て親しくなった友人達とは少し違う親しさでウーヴェと付き合ってきた自分ですら知らなかったウーヴェの恋人が同性の年下の男-しかもそれはウーヴェがどちらかといえば苦手とする騒々しい気性の持ち主-で刑事だと知らされたオイゲンは、自分でも理解しがたい程の感情に支配された口が友人を傷付けるような言葉を吐き出すのを必死になって堪えていた。
皆が集まるときにはごく自然と隣に座り、カスパルの大げさな話に相づちを打ったり口を挟んだりしていたが、今もいつもと同じように隣に座っている筈のウーヴェの存在が随分と遠いところにあるように感じ、自嘲に唇を歪めてビールを飲んでお代わりを注文する。
先日、叔父の家から出勤した朝にカフェで見かけたウーヴェと一緒にいた男の顔を思い出すが、咄嗟に浮かんだのは鋭い目つきで店内を見回す蒼い双眸で、あの鋭さの由来が刑事という職業だと気付いて納得すると同時に、今ウーヴェの隣で彼の秘書であるリアに語りかけては嬉しそうに笑う顔と先日目の当たりにした、背筋に嫌な汗が流れるような鋭い目つきがどうしても彼の中では一致せず、本当にあの朝見た男なのかと疑問を浮かべつつちらりと視線を流せば、ターコイズ色の瞳に不安を滲ませたウーヴェがじっと見つめてくることに気付く。
「・・・どうした?」
何か気になることでもあるのかを問いかけながらウーヴェの口元に耳を寄せた彼は、それは俺が聞きたい事だと告げられて軽く目を瞠る。
「・・・別に何も無いぞ」
己の胸の中で出口を求めて彷徨う感情を何とか封じつつ何も無いのだから心配するなと苦笑したオイゲンだが、服をグッと引っ張られて椅子の背もたれに肘をついて何とか支えながらウーヴェを見れば、強い光を湛えた目がまるで心の裡を見透かすように見つめてくる。
仕事柄毎日のように目にする機会があるレントゲン写真のように、口に出すことが出来ない感情を見抜かれているのではないかという恐怖が一瞬芽生えるが、それならばいっそ抱き続けている想いも読み取ってくれと強く願って目を細める。
「オイゲン」
高くも低くもないが不思議と耳と心に残る心地よい声で名を呼ばれ、学生時代と全く変わっていないそれが嬉しくもあると同時に、今までならばその声は自分たち-密かに自分だけ-のものだと思っていたのに、女ではなく年下の得体の知れない顔を持つ男にも聞かせている姿を想像した瞬間、一瞬のうちに目の裏が真っ赤に染まり、胸が焼け付くような熱を感じて息苦しさに歯を噛み締める。
今までウーヴェが付き合ってきた女性達に関してはウーヴェと二人で会うときにはごく自然と話を聞かされていたが、今彼の横で子どもなのか大人なのか良く分からない顔で笑うリオンと名乗った男と付き合いだしたことは今の今まで教えられることは無かった。
オイゲンとしても個性が尊ばれる現代を生きているのだ、同性の恋人を持つことに対する偏見は無かったし、他の同級生どころか最も身近な存在である叔父のドナルドが時には男性のパートナーを紹介してきても平然と受け入れることができていた。
だから一言教えてもらえば素直に祝福したのにと思う反面、例え女優のような美貌を持つ女であろうとも、国家予算を遙かに上回るような資産を持つ女であってもウーヴェの彼女に対してはどうしても堪えきれない嫉妬を抱いてしまうのに、それが同性でしかも年下で、デートをすっぽかしたりするのが平気なほど仕事が好きな男と付き合っているのだと改めて考えたオイゲンは、何故そんな男と付き合っているんだと問いかけようとするが、ウーヴェの肩越しに見えた蒼い瞳に浮かぶ鋭さと深さを感じさせる不気味な光にぞくりと背中を震わせてしまう。
こんな得体の知れない目をする男に、彼にとって母と叔父以外に掛け替えのない友人であり長年それ以上の思いを抱き続けている相手であるウーヴェを奪われたのかと思うと、今まで何もしないでただ傍にいた己への嘲笑とそんな男に自分は負けてしまうのかという焦燥感とが綯い交ぜになって無意識に奥歯を噛み締めたオイゲンは、ウーヴェの眉がクッと寄せられて険しい表情を浮かべていることに気付いてシャツを握る手に手を重ねる。
「・・・ウーヴェ」
「何だ」
彼とウーヴェの間の空気に不穏なものが混ざりだしたことに真っ先に気付いたのはマウリッツとその隣にいたカスパルで、酒が進めばいつもならばマンフリートとミハエルが口論を始めてしまい、オイゲンとウーヴェがそれを宥める役割を担っているのに、その火消し役が燻り始めた事に二人が顔を見合わせた時、ウーヴェが肺の中を空にするような溜息をついて背もたれにもたれ掛かる。
「・・・・・・後で話がある」
頭痛を堪える時のように眉間に指先を押しつけて溜息混じりに呟くウーヴェにオイゲンが自嘲に顔を歪めて俺は別に話はないと吐き捨てるように呟くが、眼鏡の下の双眸が悲しそうに細められてオイゲンと小さく名を呼ばれた瞬間、この場に居続ければこの心優しい友人の心を深く抉ってしまう言葉を口走りかねないと気付き、椅子を背後に倒す勢いで立ち上がる。
突如響いた椅子が倒れる音に盛り上がっていたテーブルが一瞬で静まりかえり、音の主であるオイゲンの長身を皆が見上げた時、彼のシャツのポケットから無機質な携帯の着信音が流れ出す。
「・・・悪い、病院からだ」
「あ、ああ、気にするな。何かあったのか?」
その場の空気を救うように鳴り響く着信音にそれぞれが無意識に安堵の溜息を零し、カスパルが早く電話に出てやれと促すと、オイゲンが倒れた椅子を起こしながら腰掛けて携帯に向かって口早に話し始める。
会話の内容が気になるウーヴェは聞き耳を立てないようにしつつも、友人の心の動きを感じ取ろうと今目の当たりにした表情を脳裏に焼き付けていたが、軽くシャツの袖を引かれていることに気付いて顔を振り向け、リオンが意味ありげに見つめてきていることに目を細める。
一瞬だけ浮かんだ不安の色をしっかりと読み取ったウーヴェは、テーブルの下でリオンの左の爪先を踵でノックし、互いの左足を永住地と決めたリザードとそのリザードを手に入れたときの気持ちを思い出そうと伝えると、瞳の中の不安が安心と力強さに変化を果たす。
その様に目を細めて頷いたウーヴェが顔を戻すと、携帯をテーブルに叩き付けて舌打ちをするオイゲンの姿が目に入り、先程とは違う気持ちで問いかける。
「どうした?」
「・・・今日はみんなと飲み会だからと言っておいたのにな・・・部長からだ」
「仕事の話かよ」
ウーヴェとマウリッツを除く友人達は皆それぞれ私立病院に勤務する医者で、何か重大な事故や手術等があれば病院からの緊急呼び出しには応じなければならない身分だが、完全休養日も当然ながら設定していて、今日がその日だと周知していたにも関わらずに上司である部長からの呼び出しだともう一度舌打ちをしたオイゲンが苛立ちを隠さないで吐き捨てると、やけくそのようにビールを飲み干して口元を手の甲で拭う。
「悪い。今日はこれで失礼する」
「・・・仕方ないか」
「オイゲン、早く出世してその部長を追い落とせよ」
「そうだそうだ」
マウリッツの心底残念そうな声にマンフリートとミハエルの声が追いかけ、カスパルの宮仕えの哀しさだが追い落とす楽しみが増えたという意地の悪い声が重なり、その一つ一つに頷いたオイゲンは、無言で見つめてくるウーヴェとその隣で意味深に目を細めるリオンと敏感な空気を察して表情を少し曇らせるリアを視界の端に捉えつつ立ち上がる。
「・・・悪いな、ウーヴェ」
この場を去ることが本当に残念だと告げながらもウーヴェの追求から逃れることが出来る安堵は隠せずに出て行くオイゲンだったが、ウーヴェはそれを納得したわけではなかった為に出て行くオイゲンの後を追いかけ、リオンが頬杖を付いて目を細めながら二人を見送る。
「イェニー」
「・・・・・・フェル」
店を出てドアから少し離れた場所で足を止めて振り返ったオイゲンは、学生の頃からずっと傍で見守り密かに思い続けてきた白い髪と碧の瞳を持つ友人の顔に懐かしい表情が浮かんでいる事に目を瞠り、また懐かしい呼び方をするとごく自然と笑みを浮かべて彼もまた懐かしい呼び名をすれば、瞬時にギムナジウムで毎日見ていた限られた人間だけが見る柔らかさがウーヴェの目元に浮かび上がる。
「仕事・・・なんだろう?マニの言うとおりに早く出世して欲しいが・・・」
マニことマンフリートが告げたように自分たちの中ではカスパルかお前が最も出世すると思っているが、今の己の地位を危うくするような方法を取るなと友人を思う心からそっと囁いた刹那、眼鏡が顔に押しつけられる痛みに苦痛の声を挙げてしまう。
「・・・っ!イェニー・・・?」
「・・・・・・お前が心配するようなことはしていないから安心しろ。俺は俺の実力で部長になってやる」
ウーヴェの頭を胸に抱え込んで痛みを堪えるような声が挙がっても手放せなかったオイゲンは、友として最大限の心配をしてくれるウーヴェにありがとうともう一度告げ、今日はこのまま帰ってしまうがリアとお前の恋人によろしくと言い掛けて口を閉ざす。
やはり同性の恋人に対してはウーヴェへの気配りよりも嫉妬心が強く大きくて、辛うじてリアによろしくとだけ伝えて手を離したオイゲンは、ウーヴェがもの言いたげに名を呼んだことに気付いても振り返る事無く道を横切り、たまたま通りがかったタクシーに合図を送って乗り込んで勤務先の病院へと向かうのだった。
オイゲンがタクシーに乗って立ち去る姿を見送り、完全に見えなくなったと同時に溜息をついて足下を見つめたウーヴェは、友人と睨み合うように見つめた時に言いかけた事はなんだろうと想像しながら店のドアを開け、他の仲間が待っているブースに戻っていくが、店内に流れる音楽が大きく聞こえるほどテーブルには静けさが漂っていた。
「どうした?」
このメンバーが集まった時に静まりかえる場面などほとんど経験した事のないウーヴェが苦笑混じりに問いかけ、無言で見つめてくるリオンとリアに一つ頷いて椅子に座ろうとしたその時、胸元を強く引かれて前のめりになり、咄嗟にテーブルに手をついて身体を支える。
「リオン?」
「────これが答え」
「!?」
ウーヴェのシャツを握っていた手を離し、今度は疑問に染まる頬に手を宛がったリオンが椅子から伸び上がるようにウーヴェへと顔を寄せ、薄く開く唇にキスをする。
二人きりならばなんの躊躇いも羞恥も感じないが、さすがについ先程紹介したばかりの友人達の前でのそれには羞恥を感じたウーヴェが僅かに顔を引いてしまうが、それを封じるように頬から耳の後ろへと回り込んだ手に力が入り、突然のキスの理由を察すると同時にリオンの心に気付いて逆に力を抜く。
「・・・ダン、オーヴェ」
そっと唇を離してウーヴェの目を覗き込みながら心を酌み取ってくれてありがとうと告げるリオンに無言でその頭に手を乗せたウーヴェは、不安と安心と信頼を滲ませる顔で見つめてくるリアにも頷くとくすんだ金髪にキスをし、驚く友人達を前に今度こそ椅子に腰を下ろして足を組む。
「何かあったのか?」
誰にともなく問いかけたウーヴェにカスパルが口を開こうと身を乗り出すが、それを制したマウリッツが微苦笑を浮かべて肩を竦める。
「きみが男と付き合っていることがどうしても信じられなかったから、ちょっとしつこくリオンに聞いてしまったんだ」
「・・・・・・そういうことか」
「悪気はなかった。でもリオンにしてみれば気分の良いことじゃないな。────すまなかったな、リオン」
大学で知り合った頃から良く似ていると思っていた友人の穏やかさと実直さに感謝しつつ許してやってくれないかとリオンを見れば、気分を害したことなど全く気にしていない顔でリオンが頷いてジョッキを手元に引き寄せる。
「良いよ。俺がバカにされたりするのはどうって事無いから」
ただ俺が許せないと思ったのは、自分たちの友人が遊び半分で男と付き合うようなヤツではないことを知っているのにしつこく問いかけることが、結果的に友人を貶めることになったことだと肩を竦めると、皆が何かに気付いたように息を飲んでリオンを見つめた為に恥ずかしいと一声吼えてビールを飲み干す。
「オーヴェ、ビールおかわり!」
「俺に言ってどうする。店の人に頼め」
自分はここの店員ではないし、ここはいつも行くゲートルートではないのだから飲みたいのならば自分で注文しろと冷たく言い放ち、自らのビールが無くなっている事に気付いてついでに俺の分も頼んでくれと誰も逆らえない笑顔で告げてリオンを絶句させる。
「俺に言ってどうするとか言ったくせに・・・・・・オーヴェのアクマ、トイフェル・・・」
リオンがぼそっと呟いた言葉に敏感に反応したのはもちろんウーヴェで、綺麗な笑顔を更に綺麗なものにして何か言ったかと問いかけながらリオンの顎を人差し指で掬い上げれば、ホールドアップの姿勢になって眉尻を下げる。
「・・・・・・ナンデモアリマセン」
「良い子だ」
二人にしてみればいつものやり取りで、またそんな二人に最も間近で接している彼女にとっても見慣れた光景だったが、ウーヴェの友人にとっては衝撃の光景だったようで、ぽかんと口を開けて己の友人の顔を穴が開くほど見つめてしまう。
「・・・なんだ」
「いや・・・・・・そうか・・・おい、リオン!」
「へ?」
目元を赤く染めながらウーヴェがカスパルを睨むと、呆然としていた気分を一瞬で切り替えたらしい彼がリオンと共通するような笑みを顔中に浮かべ、肩を落としつつ店員に二人分のビールとリアの為のカクテルをオーダーしているリオンの名を呼ぶ。
「こっちに来いよ!」
ウーヴェの隣でべったりしているのではなく自分の横に来いとテーブルを叩きながらリオンを呼び寄せたカスパルは、リオンがウーヴェをちらりと見たことに唇の端を持ち上げて随分と尻に敷かれているんだなとイヤミ気のない顔で告げ、リオンも太い笑みを浮かべて気持ちの良い重さなんだと頷く。
「・・・・・・お前ら、リアの前だと言う事を忘れるなよ」
程ほどにしないと彼女に嫌な思いを植え付けることになるとウーヴェが釘を刺すが、彼女は再びマンフリートやミハエルとの会話を始めていて、何の事と目を丸くしながら首を傾げられてしまう。
「心配性なんだからー」
でもそんな所もスキと陽気に呟いてウーヴェのこめかみにキスをしたリオンは、手招きに応じたと笑ってカスパルの横に座るが、二人が並んで座ると同時にブースの中に少しだけ残っていた重苦しさが吹き飛んでしまう。
そして皆が新たなビールやカクテルを手にした頃、カスパルが咳払いをして皆の視線を集めるとジョッキを掲げて、楽しそうだったり呆れ気味だったりする顔を見渡して一言吼える。
「プロージット!」
「プロージット!!」
カスパルの乾杯の声にリオンが更に大きな声で応え、間近にいたウーヴェとマウリッツがほぼ同時に肺の中を空にするような溜息をつくが、マンフリートとミハエルもリアに向かってプロージットと叫んでグラスをガチャガチャと触れあわせ、ブース内に賑やかな音が溢れかえる。
頭痛を堪える顔で額を押さえるウーヴェにマウリッツがそっと呼びかけ、この騒々しさは本当に頭に響くなと片目を閉じた為、ウーヴェも苦笑しつつ肩を竦める。
「本当にな」
「なんだかカールが二人いるみたいだ。・・・リオンと一緒にいれば毎日騒々しいんじゃないかい?」
「そうだな・・・」
マウリッツの言葉にウーヴェが何年か前の出会いを思い出し、その後付き合いだしてからの環境の変化も思い出すと、ついつい自然に口元が綻んで目元も柔らかくなってしまう。
「毎日楽しいことばかりだな」
二人付き合いだして様々な出来事を乗り越え、時には手を離しそうになるが離れないようにしっかりと手を繋ぎ、互いの感情を素直にぶつけ合ってきたことを笑み混じりに告げるとマウリッツが心底驚いたような顔になるが、次いで諦観の色が滲む笑みを浮かべて頬杖をつき、ジョッキを傾ける。
「・・・きみがそんな顔をするなんて信じられなかった」
だからきみがいないときにしつこくリオンに問いかけてしまい嫌な思いをさせたと目を伏せるマウリッツに苦笑し、もう気にしていないことを告げて同じようにビールを飲んだウーヴェは、確かに自分でもこんな気持ちになるとは思わなかったと目を伏せる。
リオンと一緒にいることで自分は喜怒哀楽を少しずつではあっても見せるようになり、怒りを覚えたときの胸の熱さや二人で感じた嬉しさに胸が躍ったことなど、今まで付き合ってきた彼女達には悪いが感じなかったと告白し、自分は今まで本当の意味で生きてきていたのかとすら思うと告げてマウリッツとはまた違った諦観の笑みを浮かべるが、それは彼が眩しそうに目を細めてしまう程穏やかで綺麗な笑みだった。
胸の奥にリオンの顔を思い描くだけで、間近で騒ぐ声に辟易しつつもそれでも楽しそうな様子を目の当たりにすると嬉しくなってしまうのだと、滅多にない素直さでマウリッツに告げたウーヴェは、友人が痛みを堪えているような顔で笑みを浮かべたことに驚いてしまうが、幸せなんだと問われて疑問を感じながらそっと頷く。
「幸せ・・・だな」
日々面白おかしく過ごすだけではなく、時には感情をぶつけ合って背中合わせに眠る夜もあるが、朝になればいつものようにおはようのキスで昨夜の態度を反省し、互いにその事実から顔を背けないようにすることは本当に力が必要だったが、その力すら分け与えてくれる存在と出会えたことは本当に幸せだとマウリッツが感じている不安を解消するようにそっと頷く。
「そうか・・・うん、きみが幸せなら良い」
今度は心からの喜びを表す笑顔でグラスを掲げてウーヴェと二人で乾杯をしたマウリッツは、性情も風貌も似通っているきみが幸せになってくれることが何よりも嬉しいと口に出してチーズを摘むと、ウーヴェも僅かに目を伏せつつルッツはどうなんだと学生の頃のように呼びかけて首を左右に振られてしまう。
「僕については・・・両親ももう諦めてくれているよ」
この穏やかで誰の意見をも聞き入れる心の広い友人は、学生の頃に手痛い失恋を経験してから生涯独身を貫くと宣言し、マウリッツが働く小児科医院の院長でもある父やその経営に携わる母と何度も衝突してきたことは良く聞かされていたが、最近になってようやく諦めてくれたことを告げられて何も言えずにただ苦笑すると、自分の幸せよりも友人が幸せになる姿を見ることが本当に嬉しいと笑われて更に苦笑を深くする。
自分の幸せよりもまず友人の幸せをと考えるマウリッツの心のありようが学生の頃は全く理解出来ずにいたが、最近になってようやくその気持ちの一端が理解出来るようになってきたウーヴェがそれでも残念だと告げ、再び痛みを堪えているような笑みを見せられて口を開こうとするが、彼が話を切り替えるように上体を乗り出してリオンの仕事ぶりはどうなんだと声を潜めた為、ウーヴェも付き合うように顔を寄せて意外と優秀だと答えて茶目っ気たっぷりに目を細める。
「そうなんだ?」
「ああ。性格は子どもっぽいしやることも騒々しいが、刑事としては優秀だな」
何気ない言動をしっかりと見聞きし、あの騒ぎようで良く気付いたと思える些細なことまでも見ていることにはいつも驚かされると感心するばかりである事を告白し、口元に手を立ててマウリッツにだけ聞こえるようにしているが、今も自分たちの話に聞き耳を立てているはずだと告げて彼を驚かせると、ウーヴェの言葉通りにリオンがほぼ同時に二人を見て小首を傾げる。
「・・・・・・な?」
「本当だ・・・ウーヴェの事が気になって仕方がないんだろうな」
「どっちが心配性なんだろうな」
良くリオンから心配性だと笑われるが、あいつも負けず劣らず心配性だと笑いあった二人に、リオンが陽気な中にも真剣さを混ぜた声で何か楽しいことでもあったのかと問いかける。
「別になんでもない」
「きみの悪口は言っていないから心配しなくて良いよ」
穏やかで冷静さにかけては定評のある二人に笑顔でなんでもないと言われてしまえばリオンも納得するしかないが当然ながら面白いはずもなく、口を軽く尖らせながらウーヴェへと顔を突き出したリオンは、素直じゃないんだからぁと間延びした口調で告げてじろりと睨まれる。
「・・・確かにウーヴェは素直じゃないね。きみもそう思うかい、リオン?」
「もちろん!あ、でも・・・」
マウリッツの問いにリオンが激しく同意を示すものの、何かを思い出したように青い眼を砂糖の塗されていないシュトレンのような形に細めてウーヴェを横目で見つめ、なんだ気持ち悪いと言い放たれて肩を落とす。
「ホント口悪いよなぁ・・・ベッドの中じゃすげー素直なのになー」
「!!」
リオンだけが持ちうる反撃の手にウーヴェが瞬時に顔を赤くしつつ仰け反ると、ずずいとリオンが顔を近づけて意味ありげに目を細めてオーヴェとそっと名を呼ぶ。
「素直じゃないお前も好きだけど、素直なお前ももっと好きって前にも言ったよな?」
「────うるさいっ!」
「ほーら。自分の立場が危うくなるとすーぐうるさいって言う」
本当に陛下は我が儘で仕方がないと気障ったらしい態度で肩を竦めてマウリッツを見たリオンは、片目を閉じてこんな感じで日々仲良く過ごし、今までに無いほど幸せな時を過ごしていることを言外に伝え、恋人の友人が納得したことを示す頷きを貰ってウーヴェの頬にキスをするが、調子に乗るんじゃないと冷たく言い放たれて謝罪をし、マウリッツにくすくすと笑われてしまうのだった。
「────我が心の友よ、また良き酒を飲み交わそう!」
白い頬をアルコールで赤く染めて楽しそうに笑いながらマウリッツの肩に腕を回し、もう一方の手でリオンの手を握って上下に振るカスパルにリオンもまんざらではない顔で大きく頷き、友よと言い放ってカスパルの手を両手で握る。
「心のアニキ、また今度一緒に飲もう!」
「もちろんだ!」
店の前での別れの場面だが、時折通りかかる人達からは奇異の目で見つめられるほどの声を挙げてひしと抱き合ったカスパルとリオンを他の面々-特にウーヴェとマウリッツは非常に冷めた目つきで見つめ、ミハエルとマンフリートはタクシーを待つリアにいつまでも話しかけては三人で盛り上がっていた。
「そこの即席兄弟、大騒ぎをすると周囲に迷惑だからそろそろ帰るぞ」
「なんでそんな言い方するんだよ、オーヴェっ!」
「そうだそうだ!俺たちの友情をレンジで温めるだけの食い物みたいに言うな!」
即席兄弟などまるで湯を注げば食べられるという日本のヌードルみたいなことを言うなとリオンが声を張り上げカスパルが同調するが、溜息と一緒に伸ばされたウーヴェの手が口を封じたため目を白黒させてしまう。
「もがっ!!」
「う・る・さ・い」
「・・・カールは僕が送って行くよ」
もがもがと藻掻くリオンを強い力で抑え込んだウーヴェにマウリッツが苦笑し、やってきたタクシーに乗り込もうとしたリアに気付いて会釈すると、リオンから手を離したウーヴェは彼女が乗り込んだタクシーに近寄る。
「リア、今日はうるさかっただろう?」
「平気よ。前みたいに楽しかったわ」
だからまた次に飲み会があるのならば是非誘ってくれと、少しアルコールが回った顔で告げた彼女は、今日は結局ずっと話し込んでいたマンフリートとミハエルにお休みを告げ、カスパルとマウリッツには次の機会にもっと沢山お話をしようとも告げる。
「じゃあウーヴェ、リオン、私は帰るわ」
「ああ。お疲れ様、また明日も頼むな、リア」
「おやすみ、リア」
タクシーで一人帰宅する彼女を男全員で見送り、タクシーが見えなくなったと同時にじゃあ次の飲み会についてはカスパルに一任すると口々に言い合う。
「今度はオイゲンが最後までいられる日にするか」
「・・・本当に」
カスパルの残念そうな声にマウリッツも同調しミハエルとマンフリートも頷くが、自分たちはこの後もう一軒飲みに行くと肩を組んで二人が歩き出した為に手を挙げて送り出す。
「あの二人・・・リアのことでケンカしなきゃ良いけどな」
「あれは・・・多分一悶着ありそうだね」
カスパルの呟きにマウリッツがぽつりと答えるが、彼女には恋人がいる事を知っているだけにウーヴェは何とも言えず、決定してしまった友人の失恋を話題に今度は酒を飲み交わすことになるのかなと内心で苦笑する。
「ウーヴェ、リオン、僕たちも帰るよ」
「今日はお疲れ様、ルッツ」
「まだ終わった訳じゃないよ。これからカールを家に送り届けて来なきゃいけないからね」
「そうだったな・・・・・・カール」
「なんだ?」
マウリッツの肩に腕を置いてぼうっとしていたカスパルにある思いを込めて頼むとその耳に囁きかけると、長い付き合いからウーヴェの心を察しつつも安心させるためにか、わざとらしい尊大な態度で頷かれる。
「任せておけ────ウーヴェ、それよりもあいつだ」
「・・・分かっている」
もう一人の友人の様子が尋常ではないことを皆が見抜いていたが、改めて告げられるとウーヴェにとっては認めたくないと思いつつも認めざるを得ない思いが芽生えてくる。
自分の最も親しい友人が同性愛者という理由だけでリオンのことを良く思わないとは考えたくはなかったが、席を立つ直前に見せた表情や態度からすれば最悪のことも考えておいた方が良い事にも気付き、やるせない溜息を零す。
「じゃあお休み、二人とも。気をつけて帰るんだよ」
「ああ。そっちも気をつけて」
「気をつけてな、アニキ!」
「お前もな!」
まるでティーンエイジャーのように騒々しく別れの挨拶をした四人は、それぞれ違う方向へ帰る為にマウリッツとカスパルは駅方面へ、リオンとウーヴェは酔い醒ましに少し歩いて帰ろうと決めてぽっかりと月が浮かぶ夜空の下を自宅に向けて歩き出すのだった。