テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
作業監督の男は涙目になり、机の向こうで深々と頭を下げた。
「そう言っていただけると……お願いした甲斐がありました」
浄源が立ち上がって言った。正源もあわてて椅子から立ち上がった。
「では私どもはこれで。お見送りは無用です」
正源と浄源が車に戻ると最後のロボット一体が建物の中に運び入れられようとしている所だった。ロボットを抱えたまま、作業員たちは正源に向かってぺこりと一礼した。
その場から走り去る正源の車のバックミラーに、いつまでも深々と頭を下げ続けている所長の姿が映っていた。
正源は電気自動車を全自動運転モードに切り替えて、浄源にたまりにたまった質問を投げかけた。
「浄源様、これは一体どういう事なのですか?」
浄源は突然、関係のなさそうな話を始めて、さらに正源を戸惑わせた。
「お前はキリスト教の聖書を読んだ事はあるか? いわゆる新約聖書の方だ」
「もちろんありません。私は仏教の僧侶ですよ」
「仏教は、少なくともわしらの宗門は、他の宗教の聖典を勉強する事を禁止してはおらんぞ。わしはキリスト教の聖書、イスラム教のクルアーンも読んでおる。もちろん日本語に翻訳された物だがな」
「はあ、左様でしたか」
「新約聖書の中にこんなくだりがある。ある日イエス・キリストがユダヤ教の神殿の中に弟子たちと一緒に座っていた。真ん中に寄付金を、まあ仏教で言うお布施だな、入れる箱が置いてあって、金持ちたちが周りに見せびらかしながら金貨を何枚も入れて得意げにしていた」
「はあ、人間は大昔から変わっていないという事でしょうね」
「そのうち、見るからにみすぼらしい服の老女が、申し訳なさそうに銅貨一枚を入れた。まあ、今の日本の感覚で言えば十円玉か百円硬貨というところだろう。するとイエスが弟子たちにこう言った。『お前たち、見たか? 今あの老婆は誰よりも多額の寄付をしたのだ』と。弟子たちは意味が分からず呆気に取られた」
「わ、私も意味が分かりませんが……」
「イエスはこう言った。大金持ちが金貨を何枚も差し出すのはたやすい事だ。だが、今日明日の食事にも事欠いていそうな貧しい老婆が小銭一枚を神殿に寄付する事は、その老婆にとっては大変な事であり、それほどにあの老婆の信仰心は厚いのだ、とまあ、そんな感じの話だ」
正源の心の中に、さきほど浄源があの作業監督の男に言った言葉が浮かんで来た。浄源は相変わらず、飄々とした口調で話を続けた。
「要するに、価値の相対性という事だな。金額そのものではなく、寄付者にとってどれほどの重みがある出費か、そちらに注意を向けよという教えだ。わしが初めて聖書を読んだ時、二千年以上も前に価値の相対性が語られていたのは驚きだった」
正源は袈裟の袂にしまっているさっきの封筒をそっと手で触りながら浄源に語りかけた。
「たった二万円で十分と先ほどおっしゃっていたのは、それと同じだと?」
「さすが理解が早いな。仏教でのお布施も、本来は、金額は相手が心から納得して出せる額であればいくらでも良い。以前お山で、坊主がお布施の金額を自分から口に出してはならんと、そう教わっただろう?」
「はい、あれはそういう意味だったのですね」
正源は納得出来た、と感じた。だが浄源は急に引き締まった表情になり、さらに正源を戸惑わせる質問を発した。
「ところで正源、お前はさっきの供養を誰のためにした?」
「は?」
正源は思いがけない問いに絶句してしまった。
コメント
1件
おお、第27話読んだよ!浄源様の聖書の話、めっちゃ深いわ…「価値の相対性」って、お布施の本質をちゃんと説いてて痺れた。最後の「供養を誰のためにした?」の問いかけ、正源が絶句するところで一気に引き込まれたよ。この問い、物語の核心に触れてる気がする。続きが気になりすぎる🔥