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整備し終わった高級セダンに私を乗せた父は、エンジンを唸らせながら車を発車させた。
「うん。なんか調子がいい気がする……!」
笑顔でこちらを振り返る。
調子のいいその顔に反吐が出そうになる。
私は「そう」とだけ呟くと、確かにピカピカに磨かれた窓ガラスから外を眺めた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。お礼にお前の行きたい場所、どこにでも連れて行ってやるぞ」
父はそう言うと、住宅地ではなく、国道の方へハンドルを切った。
「どこにでも連れて行ってやるし、なんでも買ってやる。なんなら少し足を伸ばしてディズニーランドでも―――」
―――どこにでも?新妻を置いて?
―――なんでも?新妻のおかげで手に入れた金で?
赤髪の彼女に同情し、私はため息をついた。
「―――じゃあ」
私はカマをかけるつもりで父親を振り返った。
「お母さんのお墓に行きたい」
「―――え」
父はハンドルを握りながらも驚いたようにこちらを振り返った。
「引っ越してからまだ一度も行けてなかったから」
「―――そうだよな……」
父は黙った。
「お父さんも一緒に行ってくれたら、お母さん、きっと喜ぶと思うし」
追い打ちをかける。
「お母さん、お父さんのこと、最後まで愛してたから」
追い詰める。
「―――そうだな」
てっきり逃げ出すと思っていたが、父は意外にも顔を上げた。
「行くか。墓参り」
私は父の横顔を見た。
その顔は意外にも澄み切っていて、迷いがないように見えた。
「……………」
これは誰に向けてのポーズなのだろう。
元妻への懺悔?
新妻へのいいわけ?
それとも一人娘への繕い?
どうでもよかった。
私は皮シートに身体を預けた。
僅かに洗浄剤の匂いがする。
あの目つきの悪い男が一生懸命磨いたのだと思うと、少しだけ気分が良かった。
◆◆◆
郊外にある大霊園に到着すると、意外にも父は迷わず中を通り、あっという間に母が眠る墓の前に到着した。
途中の花屋で花束を買っていた。
母が好きだったスイートピー。
その名前がついた歌も、良く料理をしながら口ずさんでいた。
「スイートピーの花言葉を知ってるか?」
父はそれを墓前にそっと置くと前にしゃがみこみながら言った。
「知らないわ。花言葉なんて」
言うと彼はこちらを振り返らずに笑った。
「”楽しい思い出をありがとう”」
「――――」
父は蝋燭を挿し、マッチで火をつけると、香炉に線香を供えた。
私は白い煙で曇っていく御影石で出来た墓を見つめた。
『ほら見なさい。ちゃんとお父さんは私の元へ帰ってきたわ』
今頃墓の中で母は、得意気に笑っているだろうか。
彼の後ろで形だけ手を合わせながら私はふっと笑った。
母がそれでいいなら、私はもう何も―――。
「仁美。聞いてほしい」
父が振り返った。
その顔が異様に真剣で、私は思わず息を飲んだ。
「……ここで?」
何か嫌な予感がした。
その話、聞きたくない。
いや、それよりも、お母さんに聞かせたくない。
「お母さんにも、聞いてもらいたい話だから」
私の心を読んだかのように父は私を見下ろした
その奥に、不安そうにこちらを見つめている母の姿が見えるような気がした。
「これまで俺は、いい父親ではなかったと思う
父は真っ直ぐにこちらを見つめた。
「それだけじゃなく、いい夫でもなかった。お前のお母さんに対しても、それに葉子さんに対してもだ」
父は自分を恥じるように額を手で覆った。
――――何?何を言おうとしてるの?
私は眉間に皺を寄せながら父を見つめた。
「でもこれからは心を入れ替えようと思って」
「――――?」
「………俺は、葉子さんを愛している」
「―――――!!」
思わず目を見開いた。
疑惑のチケットを握りしめながら怒りと悲しみに震えた赤い髪の毛を思い出す。
「だからもう一切、他の女性とは関係を切ろうと思う。彼女ともう一度、人生を始めたいんだ」
「―――そんな……」
私は俯いた。
「それって私が邪魔とかそういう……?」
「違う!」
父は声を張り上げた。
「そんなわけないだろ。仁美は俺の大事な娘だ!」
「―――じゃあ、どういうこと?」
私は再び彼を見つめた。
「―――子供を」
「え」
「葉子さんとの間に、子供を作ろうと思う」
「…………」
「だからお前にも、心づもりだけしておいて欲しくて」
私は息を吸い込んだ。
「じゃあ、あれは?」
「あれ?」
「箪笥に隠してた、国外線のチケットは?」
「―――?ああ、あれか。なんでお前が知ってるんだ」
父は笑った。
「あれはうちの専務と補佐役が来週フランスに視察に行くためのチケットだよ。社長名義でとった方が何かと手続きが簡単だからと経理の人間に頼まれて、俺が受け取っただけだよ」
「―――うそ」
「嘘じゃないよ。もう専務たちに渡してある」
彼は微笑んだ。
「本当は――。もう少ししてから話そうと思っていたんだ。まだお母さんが亡くなって日も浅いし、新しい生活に慣れるので精いっぱいかなと思って。ほら、だいぶクセがあるだろ、新しい学校は」
「――――」
私の沈黙を勝手に肯定と受け取った父は、小さく頷いた。
「でもお前の方から墓参りに行きたいって言ってくれて助かった。もしかしたらお母さんの思し召しかもしれないな」
父は墓石を振り返った。
「いつも自分のことよりも、俺やお前のことを考えてる人だったから」
私はその後頭部を睨んだ。
―――馬鹿じゃないの?
母が考えていたのはいつもいつも、あんたのことだけよ。
愛する男はどうしたら自分のものになるか。
どうやったら繋ぎとめておけるか。
どうやったら戻ってくるか。
それだけだったのに。
―――私には視える。
振り返った彼の背後で、今まさに父の首を締めあげようとしている白い手が。
唇から血を滴らせながら、今まさに父の美しい顔に噛みつこうとしている白い牙が。
―――そんなこと、許さない。
私と母の声が重なる。
「わかったわ」
肌は爛れて肉は腐り、髪は焼け焦げ、指から骨が浮き出た母に、
私は大きく頷いた。