コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
父は私と母に宣言して気持ちがすっきりしたのか、その日の夕食でワインを開けた。
葉子の制止も聞かずにほとんど一人で二本近くも飲み干すと、リビングのソファで鼾をかいて眠り始めた。
父に毛布を掛けた葉子に、私は話しかけた。
「少し話があるんですけど、いいですか?」
ろくに会話をしたこともない前妻の娘の提案に、葉子は驚いたようだった。
「話って?」
私の部屋に招き入れると、彼女は緊張したように腕を組んだ。
「今日、父と二人で話をして」
「ええ」
「父は女と国外に逃げるって言ってました」
組まれた彼女の腕が、その瞬間ぶらんと左右に落ちた。
―――ビンゴ。
私は心の中で笑った。
彼女の脳裏にはすでに思いつく女の顔があったらしい。
それなら話は早い。
「あなたにバレたらいけないからといって、チケットをもう彼女に渡したと言っていました」
言い終わらないうちに、彼女は廊下に駆け出した。
私は、ほくそ笑みながら彼女の華奢な背中を追いかけた。
彼女は主寝室に入ると、タンスの引き出しが外れる勢いで大きく開け放った。
細く白い指がその中を漁る。
「ない……ない……!」
彼女の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「ーーそんなのあんまりだなって思って」
私は言葉を続けた。
「だからあなたには伝えておこうと」
彼女は涙目で振り返った。
「―――そんなこと、させないわ……!」
言うと彼女は何かに憑りつかれたように引き吊った歩き方で、ゆっくり階段を下り始めた。
ーーーあらあら、今度はどこいくの?
私は内心ワクワクしながら、彼女の靡くスカートを追いかけた。
インナーガレージに続くドアを開け放つと、彼女は自分のビートルの脇を抜け、父のセダンの奥に移動した。
そしてその影に置いてあった黒いケースから重々しい猟銃を取り出した。
「―――殺すつもり……?」
これにはさすがに面食らって、彼女を見つめた。
「だって、それしかないもの」
彼女は透明な涙を目にいっぱいためて呟いた。
「結婚するために育てられたの。優秀な跡取りを婿に迎えるために、存在していたの。それなのに、跡取りがいなくなっちゃうんじゃ、私には存在価値なんてないもの。裕孝さんを殺して、私も死ぬわ」
「――――」
想像以上の彼女の決心に、私は考えた。
ーーーそれも悪くないけど。
それなら父親と葉子は仲良く一緒に三途の川を渡るということだろうか。
それを見て母は悶え狂うに違いない。
それなら―――。
「そんなの、間違ってるわ」
私は血の気が引いてすっかり冷めた彼女の頬を両手で包んだ。
「あなたは何一つ、悪いことなんてしてないのに」
「――――」
彼女の潤んだ目が私を見上げる。
父に似ていると言われた私の瞳を見つめる。
「ーー悪いのは全部、あの男でしょう?」
「―――――」
彼女の小さな顔が、廊下に続くドアに向く。
「あの男だけ死ねばいいの。ね。そうでしょう」
言うと彼女は驚いて、彼の娘である私を振り返った。
「でもこれを使ったら、すぐに警察があなたを捕まえてしまうわ。だからしまって」
その猟銃を静かに彼女の手から受け取った。
「ーーー私に、いい考えがあるの」
そう言いながら私は、磨き上げられた彼のセダンを見下ろして、ふっと笑った。
次の日、父は事故に遭い、41年の短い生涯に幕を閉じた。
葉子から頼まれた、山を一つ越えた町の洋菓子店で売っている、1日100本限定のフルーツロールを買いに行く途中の出来事だった。