琉偉のお好み焼きを堪能した後、和葉は琉偉と二人で店を出た。
結局あの店の二人は琉偉を尊敬し、次に琉偉が来店するまでの腕を磨くと息巻いていた。琉偉の方はそれを軽い調子で適当に受け流し、自分で自分の分を作って食べ終わるとすぐに和葉を連れて店を後にしたのだった。
「あの、番匠屋さんって広島の方なんですか?」
「いや、違うよ。俺の好みがあの焼き方だったってだけ」
「そうなんですか! 番匠屋さんって料理お上手ですよね! どうしてですか?」
「うーん……さあね。でも俺、食材の声が聞こえる時があるんだよね」
「……食材の声?」
和葉がそう問い返すと、琉偉は小さく頷く。
「そうそう。食材ってのはさ、うまく調理してやれば泣いて喜ぶんだよ。だけどあの生地はあの時泣いていた。それも女の子の声だ。耐えられなかったね」
「……番匠屋さん、大変なんですね」
肩をすくめて見せる琉偉だったが、一方和葉はひどく真剣な表情で琉偉を見つめている。それに少し驚いてから、琉偉は首をかしげる。
「大変って?」
「だって、他人には聞こえない声が聞こえるって、大変なことですよね……。きっと今まで、理解されなくて不安だったんじゃないですか?」
和葉は思わず、琉偉のことを自分と重ねていた。霊の声が聞こえて、姿が見えて、おまけに共感反応まで起こしてしまう和葉は、今まで随分と苦労しながら生きてきた。
だが和葉には、琉偉の方が遥かに大変そうに思えてくる。霊はいない場所もあるし、霊と関わらないですむこと少なくはない。しかし食材は別だ。人間が食事をとる以上、必ず生活の中に料理や食材がある。その声がいつも聞こえるというのがどういう生活なのか、和葉でも想像しにくかった。
「……そうか。君はわかってくれるのか。良い女性だ」
もっとも、食材の声が聞こえるだなどという戯言はジョークのつもりだったのだが、琉偉の予想に反して和葉は大真面目に受け取っている。
少し引け目を感じながらも、そんな話を真面目に受け取って共感しようとする和葉の姿に、琉偉は本気で惹かれ始めていた。
「……私も、似たような経験があるので……」
「なら俺達は出会うべくして出会った、そう思わないか?」
不意に、琉偉が和葉の肩を抱き寄せる。
「君のその大きな瞳に、俺だけを映したい」
「今番匠屋さんしか映ってませんよ! やりましたね!」
「他人行儀はやめてくれ。琉偉で良いよ」
「あ、じゃあ私のことも和葉で良いですよ! えへへ、もう仲良しですね!」
どこまでも無邪気な和葉に意を削がれ、琉偉は思わず態勢を崩しかけたがなんとか持ちこたえる。早坂和葉は、わりと手強かった。
そのまま数秒時間が経ち、和葉がキョトンとし始めた頃合いで、琉偉のポケットで携帯が鳴り響く。
「……無粋だ」
「あ、お気になさらず出てください! 私向こうでお菓子食べてますから!」
そう言って和葉はバッグからチョコレートを取り出すと、琉偉から少し離れた位置で食べ始める。そんな彼女を名残惜しそうに見つつ電話を取ると、琉偉は深くため息をついた。
「……わかった。今すぐ戻る」
そう答えて電話を切ると、琉偉はすぐに和葉の元へ駆け寄っていく。
「ごめん和葉ちゃん。仕事の電話だった……これから戻らなきゃいけないんだ」
「そうなんですか……。じゃあ、またですね」
「……うん、また。和葉ちゃん、今度は夜に会わない? おいしい中華料理の店、知ってるんだ」
「はい! 喜んで!」
「このまま別れるのが惜しい……俺は、今日はずっと君だけを見ていたい。出来ることなら、ずっと君と――――」
「はい、どーぞ」
和葉から少し噛み合わない言葉が返ってきたことに驚き、琉偉は顔をしかめる。しかしすぐに、近くに小さな子供と母親が近づいてきていたことに気がついた。
「おいしいよ~」
「すいません、息子が……ほら、お礼言いなさい」
「お姉ちゃんありがとう!」
和葉にチョコレートを分けてもらった子供が、嬉しそうに和葉に頭を下げる。そんな子供に気にしないで、と返してから、和葉は二人と互いに手を振り合った。
どうも通りすがりの子供が、和葉のチョコレートを羨ましがっていたようだ。
琉偉は二人の背中を一瞬忌々しげに見ていたが、すぐに表情を取り繕って和葉に向き直る。
「……とにかく、また会おう」
「はい! その内!」
和葉がそう答えた後、琉偉は静かに背を向ける。そしてそこから数歩歩いたところで、不意に後ろから声をかけられた。
「あ、あの! 琉偉さん!」
琉偉は足を止めたが、振り向きはしなかった。そんな彼に、和葉が申し訳無さそうな声音で言葉を続ける。
「……ごめんなさい、気づかなくて」
「……良いんだ。俺もまだまだってことさ」
わざとらしくため息をつく琉偉の元へ、和葉が歩み寄る。足音を数え、丁度自分のすぐ後ろまで近づいた段階で、琉偉は静かに振り向いた。
「和葉ちゃん」
つぶやく琉偉に、和葉が差し出したのはチョコレートだった。
「琉偉さんも、チョコレートいりますか?」
「…………いただこう!」
塩チョコは、甘いけれどちょっとしょっぱい。
***
一方雨宮霊能事務所では、穏やかな時間が流れていた。
瞳也が来た後は特に来客もなく、絆菜はひたすらコーヒーを淹れ続けていた。
「……これだ。この香りだ……究極の一杯。私は今、コーヒーの神になった」
「ふふ……良い調子ですよ。早坂和葉を超える究極のコーヒーを、是非私に味あわせてください」
「良いだろう。私は今、この一杯を持ってして和葉先輩を越えた。自分で飲めないのが悔しいくらいだよ」
そう言って、絆菜はコーヒーを淹れる。芳醇な香りに鼻孔をくすぐられ、浸が微笑んでいると、不意に事務所のドアが勢いよく開かれる。
「うおおおおおおおおおおおおおおお雨宮さんだああああああああああああああああ!」
駆け込んで来たのはニット帽をかぶったパーカー姿の若い男だ。彼は浸を見るなりそう叫ぶと、全速力で突っ込んでくる。
「走ると危ないですよ! 机に突っ込んでしまいます!」
「っとおおおおおおお!」
男は一応右に方向転換したものの、右は右でソファだ。男に激突されて動いたソファは、丁度コーヒーを運ぼうとしていた絆菜の足に当たる。
「――――何っ!?」
態勢を崩した絆菜の手から、コーヒーカップが落ちる。床に叩きつけられたカップはその場で砕け散り、究極の一杯が床に飛散した。
「…………」
しばし、その場に沈黙が降りる。
「……やってくれたな」
ドスのきいた低音でそう呟くと、絆菜はゆっくりと男へ歩み寄る。
「どうしてくれるつもりだ。赤いマントが欲しいのか?」
「ひ、ひええええ……半霊だぁ……!」
怯えながら男が半霊、と口にすると、浸はピクリと反応を示す。
「……赤羽絆菜、ひとまず彼に怪我がないか確認して、床を掃除しましょう。コーヒーのことは残念でしたが……」
「そうだな。すまない……助手としての意識が足りていなかった」
絆菜は浸にそう言ってから、男の方へ向き直る。
「無事か? 怪我はないか?」
「心配してる時の顔じゃないッスよぉ……」
「無事だな、よし、座れ。濡れたならこれで身体を拭くと良い」
絆菜はそう答えてすぐに掃除道具を取り出しつつ、男へタオルを手渡す。
それから数分と経たない内に掃除を終えると、絆菜は浸と共に男と向かい合うようにして座った。
「えーっと、自分、度会准(わたらいじゅん)ッス! ゴーストハンターになるのが目標の、しがない霊能者ッス!」
准は名乗りながら名刺を取り出し、人懐っこい顔でくしゃっと笑って見せる。
准の名刺には、名前以外は特に何も書かれていない。事務所があるわけでも、どこかに所属しているわけでもないようだ。ひとまず、挨拶の形式としての名刺だろう。
准は中肉中背で、ニット帽にパーカーという出で立ちだ。ニット帽以外にはこれと言って大きな特徴はない。年の頃は和葉とそこまで変わらないだろう。まだ二十代前半くらいに見える。
「では、私の名刺もお渡ししましょう。雨宮霊能事務所の所長、雨宮浸です」
浸が准の名刺を受け取ってから自分の名刺を手渡すと、准はそれを嬉しそうに受け取った。
「うわぁ……雨宮さんの名刺ッス! 家宝にするッス!」
「いえ、そこまで大したものではないのですが……。しかし、喜ばれると嬉しいですね。ふふ、私も有名になったものですね」
「そうッス! 有名ッス! 俺、この町に越してきてすぐに雨宮さんの話を聞いたッスよ! 商店街で!」
准の言葉に、浸はなるほど、と納得する。
浸は商店街によく顔を出すし、交流も多い。浸が霊能事務所の所長であることは商店街では周知の事実だ。准が霊能者として自己紹介をしたのであれば、浸の話が出るのも自然な話だ。
「俺、最強のゴーストハンターになるって実家飛び出してきて……そんでこの町に来て、雨宮さんの話聞いてすっげえ憧れたッス!」
准は霊能者としては駆け出しのようだ。恐らくこの町に来てから日も浅いのだろう。
「そうでしたか……」
浸は准の話を聞きながら、どこか懐かしむような表情を見せる。かつて浸にも、准のように息巻いていた時代があったのだ。
最強、とまでは言わなかったが、自分の力で誰かを守れるゴーストハンター。それが浸の理想だった。
今も一歩ずつ、進めていると信じている。
そんな中、黙って聞いていた絆菜がふと口を開く。
「……それで、何か依頼があるのではないのか? 同業者の挨拶か?」
絆菜がそう問うと、准はハッとなったように話し始める。
「そうッス! 依頼っちゃ依頼ッス! その……ひきこさんって、ご存知ッスか?」
「……丁度先程聞いたところですね」
浸がそう答えると、准はパッと表情を明るくさせる。
「流石ッス! すげえッス! やっぱここにきて正解だったッス! ッス! ッス! ッス!」
ッス! に合わせて何度もガッツポーズを取る准と、それを微笑ましく見つめる浸。そんな二人を交互に見やってから、絆菜は顔をしかめた。
「……今のはなんだ? ”ッス!”とはどういう意味だ?」
「”ッス!”は”ッス!”ッス!」
「何を言っているのか全然わからん。細かく説明してくれ。私はまだ、ゴーストハンターとしては見習いの見習いだ。何かの慣習なら今の内に教えてくれ」
「ああいえ、赤羽絆菜……これは多分そういうものではないのでそこまで気にしなくても大丈夫ですよ」
食い気味で問い詰める絆菜をなだめつつ、浸は准へ向き直る。
「それで、ひきこさん退治の依頼でしょうか?」
「そうッス! それと、ひきこさん退治するとこ、俺にも見せて欲しいッス! 参考にするッス!」
「そうですね……少々危険ではありますが、今は赤羽絆菜もいてくれることですし……構いませんよ」
「っしゃ~~~~~!!」
ひたすらテンションと勢いにおされてしまい、流石の浸も面食らう。しかし好意的な態度には違いないので、悪い気分ではなかった。
「憧れの雨宮さんの除霊が見れるッスー!」
「ふふ、嬉しいですね。まさかファンがいるとは思いませんでしたよ」
「いや普通、雨宮さんの話聞いたらファンになるんじゃないスか!? 数々の悪霊を祓うこの町最強のゴーストハンター、雨宮さんッスよ! 噂では、この町に昔から封じられてた怨霊や、噂になってた赤マントも祓ったって話じゃないですか!」
赤マント、と聞こえた瞬間、絆菜は少し反応してしまったがすぐに目をそらして誤魔化す。知っている人間からすればわかりやすいリアクションだが、准は気に留める様子はなかった。
「いえ、怨霊――般若さんも赤マントも、私一人の力ではありません。助手の早坂和葉や赤羽絆菜、友人である朝宮露子の協力があってこそ、ですよ」
「そういうとこが良いッス~~~~~~~~~~!」
浸は決して慢心しない。二人の協力があったからこそ般若さんを祓えたのは事実だったし、赤マントの件だって浸一人で解決したわけではない。
……それに、慢心などしていられない。
和葉や露子も着実に実力をつけつつあるし、絆菜も相当な戦闘力を持っている。霊能者としての才能に恵まれなかった浸は、たゆまぬ努力で少しずつでも進み続けなければならない。
彼女達に置いていかれぬように。
そう、気を引き締めて、浸は立ち上がる。
「……では、祓いましょうか。雨宮浸の名において!」
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