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「はあ……私はもっと、堅実な性格だと思っていたんだけれど……」
「そのように暗いお顔で、何をお悩みなんです? お嬢様」
自邸のテラスでため息をこぼす私に気づき、ワゴンでティーセットの準備をしていたミラーナが小首を傾げて訊ねてくる。
「近頃眠りが浅いようでしたので、昨晩は新しい香りを枕に吹きかけてみたのですが……。お気に召しませんでした?」
「いいえ、香りはとっても心地よかったわ。そうではなくて……」
私は一度ためらってから、重い口を開く。
「ねえ、ミラーナ。私って今まで気づかなかっただけで、実は悪女だったのかしら?」
「まあ……! お嬢様が悪女だなんて、どこの誰に吹き込まれたのです? 待っていてくださいね。まずは執事長にご報告の後に旦那様にもお伝え頂き、然るべき措置を――」
「いいえ! いいえ違うのよ、ミラーナ! 誰に言われたとかではなく、自分でそうなのではないかしらって思っただけなの」
慌てて否定すると、ミラーナは怪訝そうに眉をしかめて、
「では、どうしてお嬢様はご自分を悪女などと?」
「それは……その」
用意された紅茶の水面に、情けない私の顔が映る。
「私は、アベル様をお慕いしているはずなのに。ルキウス様と一緒にいると、こう、胸の内がほわほわ温かくなったり、きゅっと締め付けられたりするの。私を思いやってくださるお心が本当に嬉しくて、私もまた、もっとあの方を知ってみたいなんて考えてしまうのよ」
「お嬢様、それは……」
「でもね、違うの。アベル様をお慕いする心は、決して変わっていないのよ。あの方をお側で支えるのは私でありたいし、あの方にも、私を愛おしく思ってくださったらいいのにって」
耳に届く自分の言葉に耐えきれず、私は肩をすくめて自嘲しながら、
「ね、酷いでしょ? そもそもルキウス様は、これまでだって良くしてくれていたのに。こんな、他の……アベル様への恋心を自覚してからその優しさに気が付くなんて、愚かな話だわ」
たしかにルキウスは私が婚約破棄を持ちだしてから、私によく触れ、甘い言葉を囁くようになった。
けれど彼の優しさも、私への気遣いだって。思い返せば昔から、変わらず与え続けてくれている。
ただ、私が気付かなかっただけ。婚約者だというのに、彼に目を、向けていなかっただけ。
「わからないの。アベル様を想うと、やっぱりお側にいたいと感じるのに。ルキウス様との時間も、心地よく感じてしまうなんて。こんな……まるでお二人を天秤にかけるような真似をするなんて、私はとんだ悪女だわ」
悪いのは自分だというのに、どんどん胸の内が黒く重くなっていく。
(おまけにほんの少しだけ、このまま、ルキウス様が婚約を破棄せずにいてくれたなら……なんて)
「自分の心なのに。どうしたらいいのか、全くわからないの」
ぽつりと呟くと、ミラーナが「そうですわねえ」とマカロンの乗るお皿を置いてくれる。
「私は、お嬢様がいつまでもお幸せに笑っていてくださることが、一番の望みにございます。それは旦那様も、奥様も、他の使用人達も同じ気持ちだと。なのでどうか、お嬢様を大切に。そしてまた、お嬢様も大切にしたいと願うお相手と一緒になってくださったら、これ以上の喜びはありません」
「ミラーナ……」
「ルキウス様もまだ、お時間をくださっていますし。もうしばらく、しっかりお悩みになってもよろしいのではないですか? 私も”悪女”なお嬢様の侍女として、精一杯の手助けをさせていただきます」
「……呆れはしないの?」
「とんでもありません! ご自分の気持ちに素直に、真剣に向き合えるのは、お嬢様の素晴らしいお力のひとつだと思います。さ、そうと決まれば、明日のお召し物はもう少し”悪女”らしいドレスを選んでみましょうか。普段よりも色を落ち着かせて……ああ、身体のラインのでるシンプルなカッティングのものも良いですね!」
「ミラーナ……なんだか楽しんでない?」
「だって、悪女なお嬢様だなんて初めてなんですもの! せっかくの機会なのですから、徹底的に悪女らしく! お嬢様の新たな魅力を余すことなく引き出しておきましょう!」
楽し気に笑うミラーナに、つられて私も笑んでしまう。
(やっぱり、ミラーナがいてくれると心強いわ)
先ほどまではあんなに陰鬱としていた気分が、彼女の明るさに導かれて、すっと溶け出していくよう。
途端にお腹が空いてきて、私は目の前のマカロンに手をつけることにした。
「そうね。私は何を着ても似合うでしょうから、気分の乗っているうちにもっと新しいドレスに挑戦しておくべきね」
「その調子です、お嬢様! ドレスに合わせて髪型も変えなくてはいけませんね。ああー、今夜は夜更かししてしまいそうです」
(服も髪型も変えたなら、ルキウスはどんな反応をするのかしら)
驚くのは間違いないわね。
それから私の不調を疑って、けれども終いには必ず”似合うね”って笑って――。
その時だった。
「マリエッタ様、失礼いたします」
慇懃《いんぎん》な礼を交えて現れたのは、執事服を纏った白髪の家令。
「爺や……!」
「楽し気なひと時をお破りする無礼をお許しください。今しがた、王家より手紙が届きました。マリエッタ様宛にございます」
「王家から、私宛に? いったいどなたが――」
(まさか)
息を呑んだ私の予測を肯定するように、爺やは優しく笑みながらゆっくりと頷き、
「皇太子アベル様から、お茶会のお誘いにございます」