テラーノベル
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その日は、最初から嫌な予感がしていた。 仕事が終わって会社を出ると、
外は雨だった。
傘を持ってきてなくて、
どうしようか迷っていると——
「使って」
頭上に影が差す。
振り向かなくても分かった。
「……いらない」
距離を取ろうと一歩下がる。
でも傘は追いかけてくる。
「風邪ひくよ」
優しい声。
いつも通りの穏やかな顔。
なのに、逃げたくて仕方ない。
「一人で帰れるから」
そう言って歩き出した瞬間、
腕を掴まれた。
初めてだった。
あいつが、はっきり力を込めたのは。
「なんで避けるの」
低い声。
胸が凍る。
「俺は普通に——」
「普通?」
遮られる。
「僕、ずっと君のこと守ってきたよね」
雨音の中で、
その声だけやけに鮮明だった。
「疲れてる時も、
無理してる時も、
ちゃんと見てた」
掴まれた手首が熱い。
「君が壊れないように」
息が詰まる。
「なのに君は、
僕から逃げるんだ」
顔を上げると、
初めて見る表情をしていた。
笑ってない。
怒ってもいない。
ただ、必死だった。
「ねえ」
ぐっと引き寄せられる。
傘が落ちて、
雨が二人を濡らす。
「僕がいないと、
君は絶対傷つくよ」
耳元で囁かれる。
「だから離れないで」
その声は震えていた。
怖いのに。
怖いはずなのに。
こんな風に必要とされたこと、
今までなくて。
胸の奥が、変な風に痛む。
「……少しだけ」
気づけば、そう言っていた。
「少しだけなら……一緒に帰る」
あいつは一瞬目を見開いて、
それから静かに笑った。
「うん」
その笑顔を見た瞬間、
——何かが取り返しつかない方向に進んだ気がした。